「ふむ……あの方ですか……」
フロイツはジッとヒトリを見つめながら、右手で自分の顎髭を擦った。
「はい、そうです。お~い、ヒトリ~!」
ツバメがヒトリに声をかける。
「ニヒヒヒ……」
だが、ヒトリはいつもの様にナイフ磨きを辞めなかった。
「はあ~……まったく、いつもいつも……」
ツバメは呆れた様子でヒトリの傍へと近づいて行く。
「……」
その様子を見ていたフロイツが、無言でヒトリを睨みつけた。
次の瞬間――。
「ニヒヒ……――っ!?」
ヒトリが勢いよくフロイツの方を振り向き、磨いていたナイフを右手に握りしめた。
突然のヒトリの行動に、傍まで寄っていたツバメが驚きの声をあげてたじろいでしまった。
「うわっ!!」
「…………」
無言でフロイツを見つめるヒトリ。
いつもとは違うヒトリの様子にツバメが心配そうな表情を見せた。
「ヒ、ヒトリ……急にどうしたの? 大丈夫……?」
「…………ツバメちゃん、後ろにいる人は誰なの?」
ヒトリは構えたまま、道具袋からデフォルメされたドクロの仮面を取り出す。
「え? あ~この方はフロイツさんといって、冒険者よ」
「……ぼ、冒険者……?」
「そうだけど…………何がどうなっているの?」
ツバメは訳がわからずヒトリとフロイツを交互に見る。
フロイツは笑顔で姿勢を正し、ぺこりと頭を下げた。
「申し訳ございません、少々悪戯が過ぎました。この通り敵意はございませんので安心して下さい」
「……」
フロイツの言葉に、ヒトリはナイフをゆっくりと下げる。
しかし、フロイツから目をそらす事は無かった。
「ヒ、ヒトリ……本当にどうしちゃったの?」
めずらしく動揺を隠せないツバメ。
「……えと……フロイツさん、ヒトリに何かしたんですか?」
ツバメに対して、フロイツは笑いながら答えた。
「はっはっは、なんて事はございません。あまりにも
「隙? 威圧? ……んん~?」
ツバメは眉間にシワを寄せて首を傾げた。
「まぁテストをしたと考えてもらえば……しかし、今の反応を見る限り彼女はBランク……いや、私と同じAランクと見ました。にもかかわらず、害虫駆除を請負とは何か理由があるのですか?」
「え~と……まだよくわからないですけど……」
ツバメはポリポリと頬を掻きながら答ええう。
「理由なら……ヒトリがEランクだから……ですかね……?」
ツバメの答えに、フランクは怪訝そうな表情を見せる。
「Eですって? いやいや、何を言っているのですか。ブランクがあるとはいえ、まだ私の目はくも……」
ヒトリは申し訳なさそうに、そっとドッグプレートを取り出す。
そこに刻まれているEの文字を見た瞬間、フロイツは固まってしまった。
「……………………ええええっ!?」
少しの間のあと、フロイツが甲高い驚きの大声をあげた。
そんなフロイツの大声でパロマは我に返るのだった。
「……なるほど…………上を目指さない事に少々疑問はありますが、一応納得はしました」
奥の席に座ったフロイツが、安堵した様子で席に運ばれてきた紅茶を口にする。
「それにしても私の目が曇ってしまったのかと思い、ショックを受けてしまいましたよ」
「それ以上へこまないで下さい、上に上がらないこの子が悪いんですから」
ツバメがパンパンとヒトリの背中を叩いた。
「いたっいたっ! や、やめてよツバメちゃん」
「わたくし、フロイツのあんな声を聴いたのは生まれて初めてですわ……」
パロマは紅茶を飲みながら、横目でフロイツを見る。
「……今すぐに忘れて下さい」
フロイツは恥ずかしそうにもう一度紅茶を口に運び、その後軽く咳払いをした。
「コホン……まぁなんにせよ実力はあるようですし、巨大ネズミの駆除の件は何も問題ありませんな」
「……へっ?」
巨大ネズミの駆除の言葉に、俯いていたヒトリの顔が上がる。
「あ、そうだった。ヒトリ、明日の巨大ネズミの駆除なんだけど、この2人も同行するからよろしくね」
「……うえっ!?」
ヒトリが驚きの声をあげて、席から立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待って! いきなりそんな話……」
「ヒトリさん、よろしくお願いしますわ」
「よろしくお願いいたします」
「えっ……あっ……えと……その……あの……」
ヒトリが涙目になりうろたえる。
そんなヒトリに対してツバメは立ち上がり、ヒトリの両肩に手を置いた。
「ヒトリ、よ・し・く・ね」
満面の笑みを見せるツバメ。
その顔を見て、ヒトリは完全に諦めて頷いた。
「…………はい……わかりましたぁ……」
※
次の日の早朝。
路地裏にあるマンホールの傍にヒトリ、パロマ、フロイツの3人の姿があった。
「あっ……そ、そちら側を持ってもらっても、いいですか?」
ヒトリがマンホールの蓋の取っ手を握る。
「わかりました」
フロイツはヒトリの反対側に立ち、マンホールの蓋の取っ手を握った。
「あっ……じゃ、じゃあいきますよ……せ~の!」
掛け声と同時に2人はマンホールの蓋を持ち上げた。
その瞬間、マンホールの穴から悪臭が立ち込める。
「うっ!」
パロマがたまらずしかめ面をし、鼻をおさえた。
「くっ臭いですわ……」
「仕方ありません。この下水にネズミが住み着いているわけですから」
悪臭の中、フロイツは平然とした顔で答える。
「あっ……で、ではボクが先に入って、安全確認してきますね」
ヒトリも平然とした様子で、梯子を降りて行った。
「……どうして、こんな臭いところにネズミは住んでますの?」
「さあ? 私はネズミではありませんのでわかりません」
「……どうして、フロイツはこの臭いの中平気ですの?」
「若い時、これよりもきつい激臭漂う場所で1日中過ごした事がありましてな。1週間は臭いが取れなくて困りました。なので、それに比べたらこのくらい……その時の話を聞きますかな?」
「……遠慮しておきますわ……聞いただけで鼻がもげそうですし……」
「そうですか、それは残念です」
2人がたわいのない話をしていると、マンホールの下からヒトリの声が聞こえて来た。
「あっ……降りて来ても、大丈夫……ですよ~」
ヒトリの言葉を聞き、パロマはフロイツの顔を見る。
フロイツは笑顔で梯子に手のひらをかざした。
「さ、パロマお嬢様」
文句を言わずさっさと降りろ。
口には出してはいないが、フロイツはそう言っているとパロマは強く感じ取った。
パロマはしばらく目を瞑り……そして、カッと目を見開いた。
「………………っ! わたくしはウォルドー家の娘! こんな臭い如きで負けてられませんわ!! おりゃあああああああああ!!」
パロマは雄叫びをあげ、勢いよく梯子を降りて行った。
「はっはっは、その意気ですよ! パロマお嬢様」
フロイツも楽しそうにパロマの後に続いて行った。