リトーレス大陸北部、アムス山脈地方。
この辺りは高い山脈に囲まれ、常に気温は低く夏季でも肌寒いと感じる地域だ。
そんな山脈の深い森の中をメレディスとヒトリが歩いていた。
この付近でゴブリンが目撃された為、巣があると思われるからだ。
「……う~~ん」
先頭を歩くメレディスは両手を組み、非常に困った様子で眉間にしわを寄せていた。
別に森の中で迷ってしまったからではない。
フードを深々と被りキョドりながら後ろを歩くヒトリに対してだ。
色々とあったとはいえパーティーを組んだ相手、メレディスはコミュニケーションをとる為にヒトリに対して色々と話しかけてみるのだが……。
「ゴブリン退治、頑張りましょうね」
とメレディスが話し掛けてみた。
「あっ……は、はい……そうですね……」
とヒトリの一言で会話が終わってしまう。
「……やっぱり、この辺りは冷えますね」
と今度はメレディスが当たり障りのない話を話し掛けてみた。
「あっ……は、はい……そうですね……」
とヒトリの一言で会話が終わってしまう。
「えと……そのガントレットとグリーブは鉄製ですよね? 手足が冷たくなっていないですか?」
とメレディスがヒトリのつけている防具ついて話し掛けてみる。
「あっ……は、はい……そうですね……」
とヒトリの一言で会話が終わってしまう。
こんな感じで、何を話しかけても大抵が「あっ……は、はい……そうですね……」しか返ってこない。
かろうじて会話が出来たのがヒトリとツバメが18歳でメレディスと同い年で驚いた事。
ヒトリが冒険者になって約3年がたつ事。
ランクについても聞いてみたが、そこは答える事も無く黙秘されてしまいわからないままだ。
「……もうちょっと会話してくれても……ん?」
メレディスの後ろを歩いているはずのヒトリの足音が聞こえないし、後ろにいる気配も感じとれない。
「っしまった!」
考え事しているうちに進み過ぎた、もしくはヒトリとはぐれてしまったと思ったメレディスは慌てて足を止め、後ろに振り返ろうとした瞬間――。
「――うぎゃっ!」
メレディスの背中にドンっと衝撃を受け、ヒトリの声が聞こえた。
「……え?」
背後を見ると、ヒトリが鼻をさすっていた。
先ほどの衝撃はヒトリがぶつかってしまったからだ。
「いたた……あっご、ごめんなさい! 俯いて歩くのが癖で、止まったのに気が付かなくてぶつかっちゃいました……」
「……」
メレディスは驚きを隠せなかった。
考え事をしていて集中力が欠けていたとしても、真後ろにいた人の気配を感じられない事はあるだろうか。
ましてや、鉄製のグリーブを履いているヒトリの足音が聞こえなかったのは明らかにおかしい。
「……あの……どうかしましたかぁ?」
思考が追い付かず固まっているメレディスに、首を傾げながらヒトリが尋ねた。
「え? ……あっ……いえ……あの、ずっとアタシの後ろを歩いていました……か?」
「あっ……はい、歩いてましたけどぉ……あっ! もしかして不快でした!? だとすればすみません! すみません! すみません!」
ヒトリが何度も頭を下げはじめた。
「えっ? あっ」
ヒトリの奇妙な行動で、メレディスの固まりかけていた思考が解けてしまった。
「そ、そんな事はないです! 気にしていませんので頭を下げるのは止めて下さい!」
「ほっ本当ですか……?」
「本当です」
「そ、そうですかぁ……良かったぁ……」
メレディスの言葉にホッとしたヒトリは頭を下げるのを辞めた。
「えと、では先に進みましょうか」
「あっ……はい……」
何とも言えない思いを持ちつつ、メレディスは歩き始めた。
そしてメレディスはチラッと背後を見て足音の謎はすぐに解けた。
ヒトリはメレディスの歩調にピッタリと合わせて歩いていたのだ。
これならメレディスの足音とヒトリの足音が重なり、ヒトリの足音が聞こえてこない。
だが、それだけでは気配を感じられなかった理由にはならない。
メレディスはモヤモヤとした想いを持ちながら先へと進んだ。
※
森の中に入ってから1時間くらいたった頃だろうか。
メレディスの猫耳がピコピコと動いた。
「音が聞こえる……これは自然の音じゃない……となれば……」
メレディスは辺りを注意深く見わたした。
すると木と木の間から動く人影が見えた。
こんな深い森の中で人影があるとすれば……。
「こっちです、静かについて来て下さい」
「あっ……はい」
2人は静かに、身を潜めながら人影が見えた方へと近づいた。
そこには半壊した遺跡があり、入り口の前には緑色の小さな人間型生物【ゴブリン】が2匹いた。
1匹はチンケな槍をリズミカルに地面に叩き、もう1匹は木のこん棒を持って何もせずぼーっとつっ立っている。
「見たところ見張りのようですね。となれば、あの遺跡がゴブリンの巣か」
「そ、そうですね」
『クアー……』
こん棒を持ったゴブリンが呑気にアクビをしている。
自分達の近くの茂みに、王国騎士と冒険者がいる事に全く気が付いていない。
「さて、これからどうするか……」
メレディスはどういう作戦をとるべきかを考え始めた。
一番やってはいけない事は見張りに見つかってしまい、遺跡内にいるであろう仲間に知らせられる事だ。
見張りが1匹なら隙をついて2人で襲えばいいが、2匹だとそういった隙も中々ない。
「……1匹を釣って、アタシとヒトリさんで1匹ずつ仕留める……うん、それでいこう。後はどうやって1匹を釣るかだけど……ん?」
先ほどから何やらごそごそと動いていたヒトリが顔をあげた。
顔にはデフォルメされたドクロの仮面をつけられている。
「なっ!? ちょっと、ふざけ――」
「じゃあ、ちょっと行ってきますね」
メレディスがヒトリに対して文句を言おうとした瞬間、ドクロの仮面の下から血の凍るような冷たい声が聞こえてきた。
「――っ!」
その声にメレディスは無意識に剣の柄を掴み、戦闘態勢をとってしまう。
今、目の前にいるのはあのオドオドしていたヒトリなのだろうか。
いつの間にか別人と入れ替わってしまったのではないだろうかと錯覚してしまう。
次の瞬間、タッという地面を蹴る音と共にヒトリが姿を消した。
『――ムグッ!?』
ゴブリンからくぐもった声が聞こえた。
メレディスが声のした方を見ると、いつの間にかヒトリは槍のもったゴブリンの背後を取り、左手で口を押えていた。
そして素早い動きでゴブリンの喉をナイフで掻ききった。
『ギッ?』
こん棒を持ったゴブリンは一瞬の出来事に何が起こったのか理解が出来ず、まったく動けなかった。
ヒトリはその隙をつき、手に持っていたナイフをゴブリンの喉に向けて投げた。
『グギャッ!』
投げられたナイフはゴブリンの喉の真ん中に突き刺さり、その場に倒れ込んだ。
ヒトリは2匹のゴブリンの生死を確認しつつ、他のゴブリンが周辺にいないか注意しつつ辺りを見わたす。
呆気に取られているメレディスにして、安全確認ができたヒトリが手招きしている。
全身真っ黒でドクロの顔、まるで死神が呼んでいる様な……そんなヒトリの姿にメレディスは背筋に冷たいものが走るのだった。