「ヒトリ、ちょっといい?」
ツバメは躊躇せず異質な空間に足を踏み入れた。
「ヒトリ……? あ~そういう事か」
先ほどのツバメの言葉は
この女性の名前を言っていたのだ。
「お~い、ヒトリってば」
再度、ツバメがヒトリに呼び掛けた。
「ニヒヒヒ……」
しかし、ヒトリの笑みと手が止まる気配がない。
完全に自分の世界に入り込んでいる様だ。
「まったくもう~仕方ないわねぇ~…………すう~」
ツバメはヒトリの耳元まで歩いて行き、大きく息を吸った。
「っ!」
ツバメの行動を見た瞬間、メレディスはすぐさま両手で自分の耳を抑えた。
その瞬間――。
「ヒトリイイイイイイイイイイイイ!!」
「うひゃああああああああああああ!?」
空気が揺れるほどの大声をあげた。
声に驚いたヒトリは両手をあげ、手に持っていたナイフが天井に突き刺さってしまった。
ギルド内にいた他の人達が何だ、何が起こったんだと奥の席に注目している。
「……耳を塞いで正解だったわ」
メレディスは猫の獣人の為、五感に優れており特に聴覚が秀でている。
そんな彼女がツバメの雄たけびをまともに聞いていたら今頃耳鳴りが酷かっただろう。
耳から手を離し、メレディスは2人の傍へと寄った。
「はあ~……はあ~……びっびっくりしたぁ……口から心臓が飛び出るかと思ったよぉ……」
ヒトリが両手で自分の胸に当てか細い声でつぶやいた。
よほど驚いたのだろう、呼吸もかなり荒い状態だ。
「はあ~……はあ~……す~は~す~は~……ふぅ…………も、もう驚かせないでよぉ……ツバメちゃん」
息を整えたヒトリはツバメの方へと振りむいた。
かと思うと、一瞬驚いた様子を見せサッと下を向いた。
「いくら呼んでも反応しない、あんたが悪い」
「えっ? よ、呼んでたの? まったく気が付かなかったぁ」
「まったく……ナイフ磨きに没頭すると、周りに気付かないのは悪い癖だっていつも言っているでしょ」
「ご、ごめんなさいぃ…………ところで、あの……お隣にいる人は……」
「この人は王国騎士のメレディスさんよ。メレディスさん、この娘はヒトリです」
「メレディス・ラフルです。よろしくお願いします」
メレディスが握手をしようと右手を出した。
「あっ! ……えと……あの……その……」
差し出された右手を見て、ヒトリはなぜか慌てふためいた。
何かおかしな事をしたのだろうか、メレディスがそう思っていると……。
「~~~~っ……ヒ、ヒトリ……ですぅ……」
ヒトリはフルフルと震えながら顔をあげ、長い袖から少し出ている右手の指をメレディスの右手にそっと当てた。
一見するとお互いの顔を見ながら握手をしている様に見える。
しかし、メレディスはすぐに気付いた。
前髪の隙間から見えるヒトリの真紅の瞳が、おもっきり明後日の方向を見ている事に……。
「挨拶はこれでいいわね。で、ヒトリにはこの依頼を受けてほしいのよ」
ツバメはヒトリに依頼書を手渡した。
「え? ボ、ボクに?」
依頼書を受け取ったヒトリは書いてある内容に目を通し始めた。
「……」
メレディスが黙ってヒトリを見つめている。
暗く異様な空間に1人、フルフルと震えている姿、まったく目線を合わせない。
ヒトリに対して、疑いの目を向けてしまうのは仕方がないだろう。
「………………ん? ――へっ!?」
ヒトリの首から下げられている鉄製のドッグプレートを見た瞬間、メレディスは驚きの声をあげた。
ドッグプレートに刻まれているのはヒトリの名前……そして冒険者ランク『E』の文字だ。
「ちょ、ちょっと!」
「わっ!」
メレディスはツバメの右腕を掴み、少し席から離れた。
「あの、どうかしましたか?」
「どうかしましたか? じゃないですよ! あの人、Eランクじゃないですか!」
冒険者にはランク制度がある。
一番下が新人のF、そしてE、D、C、B、A、Sとランクが上がっていく。
ランクを上げる為には冒険者の実力や功績をあげ、ギルド長及びギルド関係者に認められる事だ。
「半人前の冒険者にゴブリン討伐は荷が重すぎます!」
一般的にCランクになれば一人前の冒険者と言われている。
「ああ、大丈夫です。プレートはEですけど、ヒトリの実力はBランクほどあります……私の目利きだとAランクに片足はつっこんでると思いますけどね」
「はあ? B!? A!?」
Bランクとなれば今回のゴブリン退治は1人で十分。
ましてやAランクともなれば、そこからドラゴン討伐を出来るほどの実力者になる。
「いやいや! 仮に! 仮にですよ? ツバメさんの言う事が本当だとしても、どうしてそんな人がEランクなんですか!?」
当然の疑問だ。
冒険者のランクが上がれば受けられる依頼も増え、報酬の金額も上がりより多くの金が手に入る。
その為に冒険者達は1つでも上に上がろうと日々奮闘している。
実力があるのにもかかわらずEランクのままではメリットは何もない。
「それがですね、ヒトリったら上のランクに上がるのをめちゃくちゃ嫌がるんですよ。ランクの話をすると急用を思い出したとか持病の癪がとか言って逃げ出したりするんです……」
「ど、どうしてですか?」
「上位ランクとなれば人目についたり、パーティーを組まないといけなかったりしますから、それが嫌みたいです」
「人目? パーティーを組むのが嫌? たったそれだけで?」
聞いた事もない拒否の理由にメレディスは頭が痛くなってきた。
「ですが、実力がある者を放置するのは如何なものかとパパ……じゃなくてギルド長が特例中の特例として、仕方なくヒトリに対してBランクの依頼まで受けれるようにしているんです」
「……なにそれ……その話を信じていいのか? アタシ……」
メレディスは頭痛がする頭を抱えてしゃがみこんだ。
「こうやって一々説明するのが面倒だから、私としてはさっさと上がってほし……って、聞いてます?」
「EがB? A? 特例? アタシ、騙されてる? でもギルド長が……」
「私の話聞いてないな、こりゃ……」
2人が話してるところに、ヒトリが恐る恐る傍へと寄って来た。
「……ツ、ツバメちゃん……これって、ボクが受けられるランクの依頼じゃ……」
「そこは問題ないから。はい、依頼書にサインして」
ツバメは胸ポケットから羽ペンを取り出し、ヒトリに手に乗せた。
「で、でも……Eのボクを連れて行っても、足手まといにしか……」
「サ・イ・ン!」
ツバメは強い口調と羽ペンを渡した手に力を込めた。
「はっはいぃ」
ヒトリはツバメの圧に負け、半泣き状態で依頼書にサインを書き始めた。
「うぐぐ、頭が…………よし、決めた! ここは1度断って、頭を冷やそう! その方が絶対いい!」
メレディスが立ち上がると同時にヒトリは刃ねペンを置き、ツバメは依頼書を手に取った。
「これでこの依頼は受理しました。頑張ってね」
「へ……? ええっ! 受理しちゃったんですか!?」
冒険者ギルドのルールとして依頼が受理した場合、基本的にもう破棄は認められない。
それが依頼を出した者、依頼を受けた者の義務であるとギルド長の考えだからだ。
ルールに違反した場合、依頼料の倍の罰金や1カ月間タダ働きなど大きなペナルティが課せられてしまう。
メレディスはもはや逃げられない状態になってしまった。
「あっあの……えと……足を引っ張らない様……頑張りますぅ……」
ヒトリがメレディスに対してペコリと頭を下げた。
「……」
果たして自分はこの人と一緒で無事に帰還する事が出来るのだろうか。
メレディスは不安と恐怖に襲われるのだった。