連続女性惨殺事件。所謂、切り裂き魔事件のプロファイルを終えて、二、三日後の事だった。葉月は佑大の家にいた。彼女は佑大のベッドの上で寝転がって、ふと、佑大の視線を覗く。
時刻は20時を過ぎている。
もしかすると、彼女は今夜は佑大の家に泊まるつもりなのかもしれない。
葉月はいつものロリータ・ファッションではなく、メンズのロングTシャツにジーンズ。幾つかの貴金属のアクセサリーを付けていた。少しパンク・ファッションっぽい。ゴシック系のブランドだろう、Tシャツの中央には六芒星の魔方陣が描かれている。
「ねえ? 佑大? 私とエッチしたい?」
プラトニックな関係を前提に付き合う事を決めた葉月が、そんな事を言ってきた。
「佑大。童貞だよね? 私も男性経験が無いし。そもそも、貴方としか付き合った事無いし、そろそろいいかな、って…………」
誘惑的に誘っているが“ダブル・ミーニング(二つの意味を持つ言葉)”だ。
彼女と性的関係を結ぶ、という事は、何を示しているのか…………。
佑大は椅子に座りながら、葉月の真意。彼女の言葉の裏側に隠されている別の目的や欲望を読み取った。これでも関係性を続けている。
…………、切り裂きジャックの思考を読み取る際に、何か持ち帰ってきたな……。
葉月の瞳は嗜虐性に満ちている。
高校の頃、佑大は葉月が男性恐怖症なのだと思っていた。また性的に潔癖症の類なのだと。実際、身体接触において、彼女は潔癖症だった。
佑大は慎重に言葉を選ぶ事にする。
「俺達の関係は破綻するな」
佑大は冷たく言った。
「葉月。俺は君の彼氏だけど、それは体裁上のもので、実際は、君の本当の友人……親友みたいなものだと思ってるよ。君が何を考えているか、知っている……」
「うん? なあに?」
「鞄の中にあるものを出せ」
佑大は静かに怒る。
葉月は鞄を開け、中のものを取り出す。
それはロープだった。
「それで何をしようとした。君との性行為は出来ないな。それは何度も充分に話し合った筈だろ?」
葉月は肩を竦める。
葉月はロープを、びぃーん、びぃーん、と強く引っ張る。
その後、ロープくるくる回したりする。
……首を絞めたがっているな。
佑大は見抜いた。
「正直に考えている事を話せ」
佑大は椅子を立って、葉月の傍に近付き、彼女を押し倒す。
今日の服装は、だぼだぼのTシャツだ。
脱がしやすそうに用意してきたのだろうか。
葉月は佑大の体温を肌で感じ、少し嫌そうな顔をする。
だが葉月の瞳は暗く、闇を称えていた。
「ふふっ? 私としたい筈よ? それが健康な二十歳手前の男の子の筈」
「君は“ノンバイナリー”だと俺は思っている。あるいは“Xジェンダー”かな? 中性的な思考。というか、男性的な思考寄りだろ。たまに、男同士で付き合っているような気がするな」
佑大はもし葉月の気が変わったら、もっと女の子らしい女性と付き合いたいとも考えている。葉月はその考えも見抜いている。
「私とは嫌? やっぱり、芸大で、いい女の子でも見つかった?」
葉月は口元に手をあてて、佑大を誘惑する。
艶めかしさは感じない。
むしろ、彼女の瞳からは別の欲望を感じる。
「面倒臭いから、駆け引き抜きで、単刀直入に聞くぞ。君は“切り裂き魔から何を持ち帰ってきた?”」
切り裂き魔だけじゃない。
ワー・ウルフ。
ブラッディ・メリー。
スワンソング。
腐敗の王。
リンブ・コレクター。
ドール・ハウス。
この短期間で余りにも異常な犯罪者のプロファイルを、大量に葉月は行っている。捜査の際に、犯人の思考と同調する。そして犯人像をイメージしていく。
「見抜かれたか…………」
葉月は小さく残念そうに笑う。
「切り裂き魔は、サディストのイラストレーターで、作品で自分の性的欲望を発散し続けていて、それは社会的に成功して認められた。でも、欲望を押さえきれなくなったのは、他の、犯罪者達が、現実の世界で、人間を猟奇的に殺害して、芸術作品を創った。更に、彼らの何名かは捕まっていない。こう考えた筈。“大半の人間は、そういった願望は作品の中で抑えろと言う。でも、何名か現実で発散させた奴もいるじゃないか。俺も彼らのようになりたい”。そう考えて、自分の願望を作品世界だけに留める事を、止める事にした」
葉月の口調は、とても楽しそうだった。
「しかも、こいつは、死体となった後の女を犯している」
葉月はとても羨ましそうな顔をしていた。
「俺は君の快楽や闇に堕ちるつもりは無いな…………」
佑大は葉月の両眼を見据える。
彼女の瞳は、彼を壊したいと言っている。
彼女との性行為を行えば、彼女の欲望は満たされたものになる。
葉月の思考は手に取るように分かる。
佑大を殺して、ゾンビの類にしたい、と。
「『特殊犯罪捜査課』に、このまま協力していいのか?」
「そうね」
葉月は楽しそうな顔をしていた。
色々なシリアルキラーの思考に触れてきて、彼女もまた、インスピレーションが湧いてきたのだろう。
「貴方で出来ないんなら、私は別の人を探す」
葉月の声は、極めて冷たく、鋭利だった。
「あの感覚を思い出したい。七月ぶりか」
葉月の表情は、冷酷さを帯びていく。
「私も人を殺したい」
葉月の眼が嗜虐心に満ち溢れていた。
「標的が俺で無い事を願うよ」
佑大は小さく鼻を鳴らした。
「誰でもいいから殺したいわね」
葉月はバッグの中から蓮のエキスを滲ませた線香を取り出して、それをナイフに見立てていた。
そう言えば…………。
佑大は葉月が意図して言ったかどうか、あえて訊ねなかったが……。
童貞を捨てたいか? とも聞いた。
戦争などで人を殺した事の無い人間の暗喩を“童貞”と表現する。
……俺にも人殺しをさせたいのか? お前は……?
佑大は彼女の思惑を、そっと胸に仕舞う事にした。
「葉月…………」
佑大は葉月を押し倒す。
そして強く抱きしめた。
葉月は佑大の頬に触れる。
「これが貴方の体温か。生きている人間の体温。…………ふふっ…………」
……やっぱり、生きている人間の身体は気持ち悪い、と、葉月の口元は言っている。
彼女の瞳は、明らかに嗜虐性を帯びていた。
佑大の首筋ばかりを眺めている。
佑大は、首筋から冷や汗が流れていた。
……怜子に何かしたな…………。
佑大は、葉月の眼を見ながら、そんな事を考えていた。
「大丈夫。葉月。俺はお前の深い闇の中に、一緒に行くよ」
「そう。私の向かう先に行くのね? とても嬉しいわ」
二人は強く抱きしめ合った…………。
佑大は考える。
自分達の未来に、一体、どんな悪夢が待ち受けているのだろうか、と…………。
†
警察署の前で、令谷と葉月は会って、二人一緒にいつものオフィスに向かう事にした。
令谷は何気なく、葉月に訊ねる事にした。
昨日、葉月から佑大との関係性を深めた、と、意味深なLINEメールが入ったからだ。
「SEXはしたか?」 ……もう新たに殺人を犯したのか?
「いや。してくれなかった」 ……まだ、やっていない。
令谷は訊ねた。
葉月は淡々と返す。
「女の子に、そういう事を訊ねるって、セクハラじゃない?」 ……私にそう聞いてくるなら、私の方でも手を打つ。
「いや、お前は気にも止めないだろ?」 ……お前は問題無く、俺を対処するだろうな。
警察署はもうすぐだった。
「なら。処女のままか」 ……誰も殺していないな?
「ええ。佑大も童貞のまま。キスもしていない」 ……私はまだやっていなし、佑大にも私の新たな犯罪の共犯者にさせていない。彼は何もかも潔白。
二人は表面上、性的行為の話をしているが、もう一つの意味を含んで会話を交えている。
「でも、プライバシーの侵害よね?」 ……私の個人的な楽しみを探るのか?
「そうだな。俺は女に卑猥な事を聞いて喜ぶ人間は嫌いだが、お前の場合は、訊ねても、問題は無さそうだ」 ……個人情報は誰も守られるべきだが、俺は、お前の監視を行うべきだな。
「オフィスでのセクハラ発言は控えてよね?」 ……崎原と富岡に聞かれたくない。彼らならまだしも、警視庁には、もっと私に無理解な連中ばかりしかいない。
「ああ。そうする」 ……これ以降は、お前の件に関しては、黙る。
令谷は葉月を睨んでいた。
葉月の眼はせせら笑っていた。
何度でも意図して考えるようにしているが、眼の前の女も、連続殺人犯だ。
令谷は、葉月と殺し合う事になる可能性をつねに念頭に入れて、彼女と合同捜査を行っている。
署内に入り、二人はしばらく、黙っていた。
そして特殊犯罪捜査課のオフィスの中に入り、引き続き、切り裂き魔の事で話し合う事にした。
†
「何か進展は? 新聞、ニュースでは、切り裂き魔からの新たな犯行は聞かされていないわ」
「そうだな。葉月。刑事課の連中が調べてくれた。お前のプロファイルにあてはまる人間を、かなり絞り込めたぞ。といっても、十数名の人間の中からだけどな」
「今回はかなりスムーズに特殊犯罪捜査課の要望が通ったのね?」
「奴らも躍起になっている。犠牲者が眼に見えて出ているからな。……一応、こういう時の為に、奴らは俺達を頼っているって体裁だからな」
「そう。嬉しいわ」
…………、犯人とどちらが優れたサイコなのか、戦ってみたくなるから。
葉月はイラストレーターの顔写真と、彼らの作品を見比べていく。
一応、二十代から四十代までの人間。
プロではなく同人活動で有名な人間も探ってみた。
日本中にプロアマ問わずイラストレーターは星の数程いる。
だが、犯行現場と家の広さの関係から、かなり絞り込まれた。
葉月はパラパラと、写真を見て、そのイラストレーターの描いた何枚かの絵を交互に見ながら、犯人特定を行っていた。
時間にして二十分程度だっただろうか。
葉月はある人間に目星を付けた。
「この男が、切り裂き魔だ」
葉月は二十代後半くらいの、髪の毛を赤く染め上げた青年を指差した。
名前は聖世 弧志(せいよ こじ)。28歳。
Koziの名でイラストレーターをしている。
雑誌などで可愛らしい少女の絵を描いている。
ペンネームを変えて、過激なサディズム傾向のあるポルノをアダルト雑誌で連載している。
ロックバンド、メタルバンドのジャケットの絵も描いている。
デビューは十代。ある小さな雑誌に絵を載せて貰っている。
容姿の良さもあって、その筋では有名な人間でコアなファンも多い。
女性ファンも多いのだと聞く。
簡単な幼少期の経歴も書かれており、男ばかりの三兄弟の長男。
絵を描きながらも、非行に走った経験がある。
「もう少し、この男を調べ直したら、犯罪に走った過去や、幼少期のトラウマなども調べられる筈」
葉月はぽりぽりと煎餅を口にしていた。
「そう言えば、実は、非常に言いにくい事があるんです…………」
富岡はふっ、と、愚痴を零す。
「わたしのパソコンですが、なんか、奇妙なソフトが幾つか入っているんですよね。……おかしいなあ。ウイルスに感染したのかなあ? そういえば、SNSやZOOMなどを起動した際に、たまにパソコンがいきなり重くなったり、変な動作をする事があったんですよね…………」
葉月はそれを聞いて、腹の底でせせら笑う。
…………、腐敗の王。ハッキングソフトを仕込んで、こちらの情報を覗いているな?
ドール・ハウス事件辺りから、どうしても気になっていた。
腐敗の王達の行動パターンが妙におかしい、と。
「一応。変なソフト、削除しておきますね。これで、すっきりする筈」
カチャカチャと、富岡のタイピング音がオフィス内に響き渡る。
富岡のパソコンに、ハッキングソフトが仕込まれて、腐敗の王側にこちらの情報が筒抜けだ。パソコンに関して詳しくはないが、富岡が見つけたソフトは“ダミー(偽物)”。本物のハッキング方法は別のソフトなどを仕込んでいる筈だ。
葉月はあえて、その考えに“気付かないフリ”をした。
意図は分からないが、腐敗の王側にいる、何名かの犯罪者達がこちらに協力している。……奇妙だが、腐敗の王達もまた『特殊犯罪捜査』の人間として行動している。それは、こちらにとって、かなりのメリットになる。
それならば…………。
葉月は、心の中で、自分の思惑を向こうに告げる事を考えていた。
腐敗の王は、自分をメンバーに勧誘したがっている。
なら、そのメンバーの人間として、協力してもいいと、こちらもラブレターを返してやるか?
葉月はファイルを見直して切り裂き魔の事を考えるフリをして、そんな想いを頭に巡らせていた。
「犯人の次の標的は誰か分かるか?」
壁際で考え事をしていた令谷が、葉月に訊ねる。
「最後の被害者のファイルを見ているのだけど」
葉月は再び、切り裂き魔に関しての思考を巡らせる。
「二十一歳。アニメ系の専門学校生。……多分、被害者は犯人に何らかの形でコンタクトを取っているわね。この犯人は、たとえば『ブラッディ・メリー』に比べて、そこまで知能犯じゃない可能性が高いから、刑事課の人間が根気よく調べれば、いずれ物証を揃えて捕まえられると思う」
葉月は鼻を鳴らす。
「問題は、この絵描きを捕まえるまでに、どれだけ犠牲者が増えるか、って事だけどね。それだけは避けたいんでしょう? 私の考えなら、こいつ、聖世弧志(せいよ こじ)は、刑事課連中が取り押さえるまでに、後、四、五名犠牲者を出すわっ!」
葉月の眼は、明らかにショーを楽しんでいた。
「俺はもう、誰一人の犠牲者も出させたくないな」
令谷は懐の拳銃を握り締める。
「なら。私達で捕まえましょう。こいつの家に、今夜、向かうわっ!」
葉月はファイルを閉じる。
彼女の眼は、正義感こそが無いが、強い目的達成意識の為のプライドを帯びていた。