スワンソング、白金は、匿名で、教会の場所を警察に告げる。
声紋を取られないように、ボイス・チェンジャーを使った。
後、十数分もすれば、警察の車は此処に到着するだろう。
それまで、化座と一緒に、この場を離れなければならない。
化座は地下室から脱出した、八名の子供達と何か会話をしていた。
化座は少し困った顔をしながら、少年少女達と話をしていた。
「あの。その、私達の顔とか、警察の人達に教えないって約束出来ないかな?」
「なんで?」
「いや、その…………。非常に言いにくいけど…………」
化座はかなり困惑していた。
本音は、顔を見られた彼らをそのまま始末したいだろう。
だが、白金の手前がある。
熟考の末、化座は、リスクの方を取った。
「警察の人に何を聞かれても、私達の事は証言しないでよね……。たとえば、似顔絵を描いて、とか」
「お姉さん……。何者……?」
「私? ………………」
化座はかなり戸惑っていた。
……どう接すればいいのか、分からない…………。
スワンソングは、腐敗の王に電話を入れていた。
<分かった。フリー・スクールと児童相談所を当たってみる。その子供達は、家庭や学校に居場所が無くて、連続誘拐犯『ドール・ハウス』に、自らの意志を委ねていたってわけだな。ドール・ハウスは、彼らの父親になろうとした。……俺が引き取るわけにはいけないが、彼らに居場所を与えられないか、裏で支援したいとは思う>
腐敗の王は、色々なコネがあると言う。
コネの一つを使って、福祉施設にあたってみようと告げた。
時折、白金は腐敗の王が、シリアルキラーを束ねるテロ組織のリーダーである事を忘れそうになる。残忍で冷酷。だが、極めて、人間的な優しさも持ち合わせている。その二面性こそが、彼の本質なのだろうが。
「彩南さんが、子供達に顔を見られたから、全員、殺して始末したい、って眼で言っていますよ、どう思います? 腐敗の王?」
<一度、俺の手に渡せ。『エンジェル・メーカー』に記憶の細工をさせる。君達の顔の記憶情報を消去させる>
「…………。うわっ、天使さんは、そんな事が出来るのか…………」
<後遺症を残させないように、やらせるよ。君達の顔は思い出せなくなる筈だ>
「ああ。でも、もう警察の車が来ると思う。先に電話した」
<…………。…………。この、馬鹿野郎…………>
腐敗の王は、電話の向こうで、明らかに呆れ返っていた。
<すぐに、ギャラリーにいる空杭を呼んでくる。いいか、子供全員に、電話で空杭と話させる>
「後。二十分は大丈夫でしょう。この山は入り組んでいる。警察が到着するまで、まだ時間はある筈」
電話越しに『エンジェル・メーカー』は、子供達に何かを言っていた。
催眠暗示がどうだとか、狂気を浸透させている、だとか、そんな手段らしい。『エンジェル・メーカー』は、そういった類の異能の持ち主だ。白金は空杭の能力の正体は分からない。化座も、その全貌はよく分からないと言う。
もしかすると、超能力か何かの類ではなく、単に“発言だけで脅迫”しているだけなのかもしれない。だが、電話の会話の内容を、白金と化座は聞かないように、腐敗の王から命じられていた。…………、空杭の力によって、ダメージを受けるかもしれない、と。
結局、警察の車が到着したのは、一時間半後の事だった。
山道である事と、どうも、白金の証言を疑っての事だろう。
警官達が、次々と、教会の中に突入していく。
遠くから警察の車が来たのを見届けた後、二人はその場を完全に去る事にした。
化座は白金の不手際について考えていた。
腐敗の王に相談せずに、まず警察に電話を入れた。
彼は以前、六名を手際よく証拠を残さずに殺害している。
けれども、今回、衝動的に警察に電話を入れた。
ボイス・チェンジャーを使うように忠告したのは、化座だった。
自分達はシリアルキラー(連続殺人犯)だ。
サイコキラー(異常快楽殺人犯)だ。
何故、人助けをしている…………?
白金朔は、よく分からない…………。
善悪はコントラストだ。
きっと、朔は“正しい事をしている”と思って、かつて、六名のアーティスト達を殺害した。そして、今は正しい事をしている、と思って、ドール・ハウスを説得した。
善悪とは何か。
人間の性格を規定するにおいて、正義や倫理観とは、どのように揺れ動いていくのか。
自身が“悪”であり、それ以上の何者でも無いと考えている化座には、よく分からない。だからこそ、彼の心を解剖してみたい…………。
秋の空は綺麗だ。
季節が移ろっていく。
紅葉の色彩が燃え上がっている。
葉の色は時期によって、変わっていく。
「貴方は八名の子供達の命を救った事になるわね」
化座は淡々と教会を後にした。
「ああ。九名か。教会のおじいさんも含めて」
彼女は夕焼けを見ていた。真っ赤な紅蓮の色彩をしている。
「そうだね」
彼は笑う。
「もう遅い時間ね。そうだ、今日は貴方の家に泊めていってくれない?」
「いいですけど…………」
「私は“シリアルキラー”として、そして“腐敗の王”の仲間として、これからも沢山、人を殺すわ。誰も救わない。解剖して作品にする」
化座は白金の顔を見る。
「貴方は殺した数よりも、命を救った数を上回ったわけね。それは社会的な償いになるわ」
「そうは言いきれない」
「貴方の考えている事は分かるわ。貴方が殺した六名の有名なアーティスト達は“社会的に価値があった”。多くの支持者と信者を抱え、成功者だった。対して貴方が今、救った命。あの子供達は親や学校との不和で“社会的に居場所が無く。社会的には価値が無かった”。あの元孤児院の院長のおじいさんもそう。社会的に見捨てられて『ドール・ハウス』になった」
「僕は……多分、『スワンソング』を続けると思う」
「そう」
化座は沈みゆく太陽を眺めている。
夜の時間だ。
「とても嬉しいわ。仲間で居続けられる」
化座は薄っすらと笑みを浮かべた。
夕焼けに照らされる彼女の服は、より赤く、彼女の麗しい顔立ちは、妖艶で、邪悪で、そして、何処かロマンチストの顔をしていた。
化座は、華奢な白金を守りたいと思う。
まるで、騎士が、か弱いお姫様を守り抜くように。
†
「今、TVをつけてみたら、『ドール・ハウス』の犯人が自首してきたらしいよ」
「小児性愛者では無い、っていう私のプロファイルは当たっていた?」
「ああ。的中していた。何でも、元孤児院の院長で、今は教会の管理をしている老人らしい。匿名でボイス・チェンジャーを使って、電話をしてきて、警察は最初、いぶかしんだけど、一応、向かったんだって。そうしたら子供達は、“おじいさんが、自分が声を変えて、警察に自首の電話を入れた”って証言したんだ」
「そう。じゃあ、私や令谷達が、その事件に踏み込まなくて済むって事ね」
葉月はあまり興味なさそうに、佑大の話を聞いていた。
『ドール・ハウス』の葉月のプロファイルは的中していた。
まさか、自首してくるとは予想しなかったが……。
……自首を示唆した誰かがいたな。
葉月は、そんな事を考えていた。
何故か、腐敗の王や、その他のシリアルキラーの事が頭を過ぎ去った。
「佑大。そういえば、『スワンソング』って分かる? アーティスト殺し。スワンソングについて考えていたのだけど、奴は、自分自身が別の誰かに変身する為に、何か特別な衣装を持っていると思うの」
「突然、なんだい?」
「ええっ。私がロリータ・ファッションを好むように。自分自身が別の存在になれるように、特別な衣装を沢山、揃えている筈」
葉月は佑大の部屋のベッドの上に横になっていた。
佑大は朝から、このベッドを使っていない。体温は残っていない。
けれども、佑大の香りがする。
葉月は、その香りを、死の色に染める空想を行う。
…………、彼が生きる死体になれば、永遠に自分のモノに出来る。何処にいようが、何をしていようが。
葉月は所謂、ヤンデレ監禁ゲームに共感を示さない。自分は他人の心を支配出来ると思い、他人を物理的に閉じ込めなくても、精神的に閉じ込める事が可能だと思っているから。
「それにしても、家族か」
葉月は真っ赤な右手の薬指の指輪を眺める。
「もし、お互いに大学を卒業したら、私達、結婚しない?」
葉月は佑大に訊ねる。
「それは、まだ。嫌かな」
「それは何故? 私以外の女の子とも付き合ってみたい?」
「未来の事は分からないからだよ。それに、君はそうやって、人を支配したがる。物理的に監禁したりしなくても、君は他人の心を支配したいし、心を支配出来る、って思っている。君が僕と結婚して、その先に何を考えているかも言い当てようか?」
「どうぞ?」
「怜子も“家族”として向かい入れて、三人で暮らすんだろう?」
「ふふっ。分かっているじゃない」
「この前、俺は、怜子ちゃんと彼方君と会ってきたけれど。葉月、君は怜子ちゃんにあまり良くない事をしているね」
「…………。彼女は私のモノだから」
「人はモノじゃない。君が虐げた後があった。それから、彼女は君の事で怯えていた」
「ああっ。そうね。私は怜子の首を絞めたし、背中に刃物も突き刺した。だって“人を殺した自分が怖い。もう消えてしまい”って、泣き言を言うんだもの」
葉月は冷たく笑う。
その瞳は少しだけ赤を帯びていて、他者を壊さずにはいられない、といった感情が灯っていた。
「葉月。あのね、それを世間ではドメスティック・バイオレンス。DVって言うんだよ」
「………………。知ってる」
葉月は肩を竦める。
「何ヵ月も前だけどね……。もう、何も食べたくない。そのまま、餓死したい、って言うから。ホテルに監禁して、縛って、生肉を無理やり食べさせた事もあるなあ」
葉月の言葉は暗い。
自分のサディスティックな感情を、明らかに怜子に向けている。
佑大に向くのも時間の問題なのか……。
あるいは、葉月は、怜子と佑大とで“愛情の形”を切り分けているのか。
どちらかは分からないが、佑大は、上手く葉月の加虐的な矛先が自分に向かないようにかわしてもいる。怜子は無防備なのだろう。
「人間は他人を支配したがるね。心理的にだったり、立場だったり、性的にだったり。そして、そういう関係性はごくありふれた欲望だね」
佑大は、画集を手にしていた。
中世ルネッサンス時代の画集。
繁栄と栄光。
絵画の基礎を作った画家達の記録。
「佑大。何を考えているの?」
「君は何を支配したい?」
葉月は少し考えてから、答えた。
「人間の死を支配したいの」
葉月は笑う。
「それは……。人間の人生、運命、生命そのもの、全てを支配したいという事かい?」
「私はその。凄く傲慢だから」
葉月は眼を閉じて、佑大のベッドの上で横になる。
そして、すやすやと眠っていた。
この処、仕事と大学で疲れていただろう。
寝顔は、普通の少女のように見えた。
その横顔を見て、佑大は葉月に恋愛感情を抱いた。
彼女の事をもっと、知りたくなった。
そして、彼女の底の無い闇を知る事になる。
そういえば、ワー・ウルフは外科医だと分析されている。ならば、ワー・ウルフも人を救っているのか? 愛する存在がいるのか? 佑大には理解が出来ない……。今はまだ……。
人間の感情は、グラデーションだ。
光と影が、一人の人間には共存している。
そして、葉月も例外では無いようにも思える。
何が、彼女をそうさせるのか。
今、自分は人生を選び取って、葉月の隣にいる。
佑大は考える。
自分の行き着く先は、何なのか、と…………。
†
化座は白金のマンションの前に到着する。
近くにあるパーキング・エリアに車を停めた。
「家の中はそこそこ、広いのね」
「一応、安定した年収がありますから。それに独り身だし。使うお金も少ない」
「いつもお洒落な服を着ているよねー。クローゼットの中、見たいわ」
「そこは僕の秘密が隠されている」
「じゃあ。秘密を見せて」
「どうぞ」
化座は白金のクローゼットを開ける。
中には大量のセーラー服が並んでいた。
下には化粧品入れのポーチが置かれている。
「こういうのを女の子に着せるのが趣味なの? それとも自分で着るのが趣味?」
「自分で着るのが趣味です。実際、それを着て、六名中、三名は殺害している。それから、最初の殺人。劇団長を殺す時も、当時、着ていた舞台衣装のセーラーを身に付けていました」
「成程、これは貴方が怪物に“変身”する為の道具か」
「ええっ。もっとも、女装して、いつもターゲットを殺しているわけじゃない。都合が良くて変装の為に着たりするという理由もあります」
「…………。ふふっ、趣味。性癖で着たりもしているの?」
「本当の自由になれた。……いや、本当の自分が何者なのか向き合える気がします」
化座は三面鏡があるのを発見する。
「朔ちゃん。着てみせて」
「いいですよ」
白金朔はセーラー服の一着を手にして、化座の目の前で着替えていく。
そして、ポーチを取り出して自身の顔にメイクを施す。
クローゼットの下の箪笥を開けて、長い黒髪のウィッグを取り出した。
それを自分に被せる。
「あーあーあー。彩南さん、どうでしょう?」
白金の仕草は、まるで十代の無垢な少女そのものだった。
声が変わっている。
「声が女声ね?」
「劇団にいた頃に訓練させられましたから。それ以降も女声の出し方としてボイストレーニングを行っています」
化座は口の中で舌なめずりをした。
セーラー服姿。少女の制服を身に纏った白金の首筋に噛み付く。
そして、彼を押し倒す。
「いいかしら? その、貴方としたい…………」
「彩南さんが、そう望むなら…………」
「私は貴方の血を飲むわ。だって『吸血鬼』として生きているから」
「好きにして」
そう言う、白金の顔と声は可愛い。
しばらくして、彩南はゆっくりと白金を犯した。
………………。
闇の中、行為を終えた化座は白金に告げる。
「朔ちゃん。私は貴方を永遠のものにしたい。貴方は?」
「僕は…………。考えています……」
「そう。時間はまだずっとある」
「僕達は一体、どう生きるべきなのでしょう?」
「少なくとも、私は朔ちゃんが今、いて幸せ。幸せの時間を続けましょう」
化座は囁く。
白金は眼を閉じる。
酷く疲れていた。
自分達は連続殺人犯だ。TVのニュースで流れる程の、凶悪犯なのだ。
幸せとは何なのだろうか……。
自分達に幸福になる資格なんてあるのか…………。
眼の前の彼女は、他人を踏み躙る事に躊躇は無いだろう。
ただ……。
白金は考える。
これまで何名かの女性達と付き合ってきて、結局、分かりある事が出来なかった……。彼は女性からよくモテて、何度も恋人を作ったが、全てすぐに破綻していった……。
理想的な性行為は、パートナーの肉体だけでなく、パートナーの心の底まで互いに信頼関係を共有する事だ。そして、白金と化座。『スワンソング』と『ブラッディ・メリー』の二人は、相手を心から信頼し合える関係になった。
まるで、失われた片割れを探す、魂の双子のように、その夜、二人は分かり合えた…………。もう、どちらも孤独なんかじゃない…………。