10月某日。
すっかり残暑が終わり、涼しい時期だった。
白金は再び、化座に誘われて、連続誘拐犯『ドール・ハウス』が八人目の被害者として、子供をさらった場所に来る事になる。
何日か前に警察が捜査に来た。
物証は何も出なかったらしい。
目撃情報も無い。
身代金目当ての誘拐事件の9割以上は失敗すると、統計で出ている。
だが、ただの誘拐事件の場合、被害者が見つかる可能性は極めて低い。
「朔ちゃん。まだサラリーマンやっているんでしょう? また、急な休日に付き合わせて悪かったわね」
化座は犯行現場となった森を散策しながら、楽しそうに笑っていた。
「いえ。それより、彩南さんの方は?」
「暴力団の処刑者の仕事を先日、クビになった。『アニマ』って店で働いてたんだけど、そろそろ、潮時だったから、事件を起こす数日前に、その職場も辞めている。貯金はあるから、いいけど。今、ニートなのよね」
「ははっ。笑えない」
「別に、新しく仕事を探してもいいけど。スナック辺りで働こうかしら?」
「夜の仕事以外はされないんですか?」
「夜の仕事は稼げるからね。私、職場を転々とするクセが強くてね」
化座は首を傾げる。
どうも、彼女は夜職にも何処か向いていない。
やはり、夜の世界においても、彼女は異質な存在なのだろう。水商売をやっている者達は破天荒な経歴を持ち合わせている人間が多いが、化座程、本性や経歴が危険な人間などいない。
「服飾が好きだから、アパレルのバイトの履歴書でも書いてみようかしら」
もしくは…………。
化座彩南は考える…………。
二年前のように、人を殺して金を奪う事を繰り返すか……?
先日、惨殺してやった女だが、拷問死させた男達と、一家惨殺事件の写真を見せてやったら、口座から金を引き出させる事に成功した。貯金は二百万程度しか無かったが、今、化座の手元には引き出させただけの金がある。金を稼ぐ手段は、まっとうに働くよりも、幾らでも存在する。
自分は押し込み強盗が向いているのか…………。
とんでもない人生だ。
化座は心の中で自嘲する。
「処で連続誘拐犯は何の仕事をしているのかしら? 誘拐したターゲットを生かしているのなら、当然、生活費も必要になってくる筈」
「殺してないとしたら。資金源が必要になる。年収の多いエリートかもしれないですね」
「最低限の食事しか与えてないとしたら、もう少し生活費は下がる筈」
「処で『ドール・ハウス事件』は、なんで、同じ犯人だと発覚したの? 個別の誘拐事件とはみなされずに?」
「八件とも、事件現場に、ぬいぐるみが置かれていた。同じクマのぬいぐるみです。報道もされている。同じキーホルダーのぬいぐるみで、同じサイズ。だから、同一犯、というのが、警察の見解らしいです」
「不気味なロリコン野郎、って印象ね、その話だけだと」
「僕の見解ですが、誘拐犯は、そのクマのぬいぐるみを、大量に家の中に置いてある筈。毎回、買っているわけではない」
「どういう事?」
「元々、何かで使われた“想い入れのあるもの”なんだ。それが何かまでは分からないけど」
†
「誘拐犯の資金源は何処だと思う?」
葉月はファイルを見ながら、『特殊犯罪捜査課』のみなに訊ねた。
「私は社会人をやった事が無い、学生の身なんだけど。みな、どう思う?」
葉月は、部屋の中にいる者達の顔を一人一人見ていく。
富岡は、まず、自分はさっぱり分からない、といった意思表示の為に、首を横に振る。口を挟むつもりも無い、という、いつもの仕草だ。富岡は控え目な性格だ。
崎原と令谷は険しい顔をしていた。
「それは、誘拐犯は誘拐した子供を生かしている、という前提でいいのか?」
崎原は訊ねた。
「私はそう分析しているけど」
「何故、誘拐する? 犯人はやっぱり、ペドファイルなのか? 誘拐した子供を監禁して犯している?」
令谷が訊ねる。
葉月は首を横に振った。
「刑事課の連中が揃って、何名も警官を集めて、子供が誘拐された現場で痕跡を探しに行ったらしいがなあ、何も出なかった。どうやって、誘拐していると思う?」
崎原は訊ねる。
「何故、ドール・ハウスは、犯行現場に、クマのぬいぐるみを置く?」
令谷は訊ねる。
「自己顕示欲では無いわ。多分、何かの象徴的な儀式だと思うわ」
葉月は首を傾げる。
「犯人は“異能力者”だと思うか?」
令谷が口を挟んだ。
彼は自分にとって、重要だと思う事しか口を開かない。
「私はそう思うわ」
「じゃあ、やはり、俺達が解決すべきだな。俺が個人的に“狼男”と呼んでいる連中になるな。人間の皮を被った化け物。時折、本物の化け物へと変身する存在だ」
令谷は壁に拳を打ち付けながら、焦り始めた顔をしていた。
「でも。おそらく、誘拐犯の持っている異能は、暴力的なものではない筈。リンブ・コレクターみたいな超常的な身体能力や、腐敗の王みたいに人を腐らせる力とかじゃなくて、もっと、別のものだと思う。たとえば、人を隠す、とか」
「成程…………」
令谷は納得する。
†
「『ネクロマンサー』。昼宵葉月と『シルバー・ファング』牙口令谷について、朔ちゃん。貴方はどう思う?」
化座は白金に訊ねる。
「シルバー・ファング?」
「腐敗の王はそう呼んでいるわ」
「なんだか、ピンと来ないな」
白金は少し困惑する。
「腐敗の王からは、そう見えるんでしょう? 私達が呼び名を使う必要は無いけど」
「まあいい。そうですね…………。彼らは僕達について、分析して、解剖を行っている筈だ。彩南さん。人間の人体を直接的に解剖するよりも、彼らの心を解剖してみるのはどうでしょう?」
「私もプロファイラーの真似事をするの?」
「執念と相手を理解したいという考えがあれば、僕は誰にでも出来ると思います」
「成程。やってみるわ」
化座は顔を多い、想いを巡らせてみる。
重要なのは、自分が相手だったら、相手の思考回路だったら、どういう思考に至るか、だ。
「牙口令谷が私達を殺したがっているのは、罪悪感から。過去に『ワー・ウルフ』に自分の人生を奪われた。それ以来、世界は灰色だ。誰にも感情を共有出来ない。彼は自分自身の全てを奪った存在と、類似した連中を強く憎んでいる。復讐心だけが、彼の生きる目的、他に生きる理由を見い出せない」
「そう。そうやって、分析していくんです」
白金は称賛の声を上げる。
「昼宵葉月は…………」
化座は少し考える。
「昼宵葉月の事を考えていて、思ったのだけど…………。私は自分の打った先手である“挑戦状”を、有効活用する方法を思い付いたわ」
「それは何ですか?」
「私の考えなら、ネクロマンサーは私の“作品”に興味を持つ筈だ」
化座は試合を行う前の格闘家のような眼付きになる。
ただ、この試合は、ルール無用。場外乱闘ありのデスマッチだ。
「彩南さん。ネクロマンサーの事はどう思っている?」
「正直、殺してやりたい……。これは同族嫌悪なのかしら…………? 私と近しい世界観を共有していて、決定的に受け入れられないものがある」
化座は一息ついて言葉を付け加える事にした。
「だけど。いつか、人生の先輩から、助言したい。“私は望んで異常な連続殺人になったわけじゃない”。けれども彼女は“自ら望んで連続殺人を犯した”。傲慢で、破壊的で、他人を踏み躙る。
私は自分の事を知っている。私は幼い頃から孤独だった、孤立していた。人間の血を抜きたい。血が美しいという歪んだ欲望を持ち続けて、大人になる頃には、それをこの世界に発散させるしかなかった。
親は関係ない。
ただ、私はそういう存在として生まれてしまった。だから“吸血鬼・ブラッディ・メリー”になるしかなかった」
「彩南さん。ブラッディ・メリー。貴方は、自分自身を“怪物”と見なして、他者にも世間にもそう示す事で、自分のアイデンティティを保っていますね?」
「昼宵葉月も、私と同じように。親はマトモな人間の筈だ。けど、何故、私達は化け物として生きる事になった?」
化座は葉月を分析していた。
向こうも、きっと、そうしているだろうから。
「創造と破壊。私とネクロマンサー……。私達は自分自身を“神”だと錯覚している」
化座は、そう結論付ける。
「ブラッディ・メリーは生きた人間の体温を好み、ネクロマンサーは死んだ人間の冷たさを好む。吸血衝動と死体への冒涜行為。私達は、行動が違っているが、本質は同じだ。私は生きている人間を解剖する事によって“神”になりたいと感じる。彼女は“死を支配する事”によって自分自身が“神”になれたように錯覚している筈」
「上出来だ。そうやって、他人を分析していくんです。僕は幼い頃から、そういう思考をしていた。ただ、それが自分の大好きなアーティストに向いていって…………」
「結局、裏切られた気持ちになって、殺した、と」
「そういう事です」
白金…………、スワンソングは、アーティストの心を読むように、猟奇殺人犯の心を読み込んでいく。彼女達二人も言ってしまえば、アーティストなのだ。自身の破壊衝動を究極的な創作行為に仕立て上げた。
「彩南さん。僕達は、幼い頃から刻まれてきた、トラウマと向き合う必要がある…………」
化座は森の中に、車を走らせていた。
今、此処には、他の人間がいない。周辺住民が通らない。
時刻は正午だ。明るい。
けれども、この辺りは人気が無かった。
ふと、化座は、今なら日中でも、森の奥に死体を隠す事が出来るな、と考える。
「牙口令谷は両親を失っているわ。ネクロマンサーは、何も失う事なく、私達と戦おうとしている。そこで私は残酷な提案をしたいの」
化座はサディスティックな両眼をしていた。
「昼宵葉月の両親を殺して、晒すか」
化座は車を運転しながら、そう呟いた。
白金は、それを聞いて、息を飲む。
彼は自然に、自身の手荷物の中に腕が伸びていた。
二人の間で、緊張が走る。
「車を停めてください、彩南さん…………」
化座の首筋にナイフが向けられる。
白金は抜き身のナイフを化座の首筋に突き立てようとしていた。
「何の真似かしら? 朔ちゃん?」
化座は白金の顔を見ていなかった。
前を見て、運転をしている。
「車を停めて……。話し合いましょう。僕は“スワンソング”として、腐敗の王から指令を出されている。貴方達は“アーティスト”だ。僕の心を裏切ってはならない。スワンソングは、一度は崇拝し、彼の心を裏切ったアーティストを殺害する……。僕はこれまで六名殺してきた。戦利品も持っている……」
「んん? どういう事?」
「貴方は、自分の両親は大切だと言った。じゃあ、戦う相手が親を憎んでいない場合、それを尊重するべきでは? 貴方のやっている事は美しくない」
白金は本気の眼をしていた。
「私を殺す、か」
「ええっ。僕の心を裏切れば、空杭さんも、菅原さんも、王自身も」
「仲間でも?」
「僕は、これまで六名殺している。最初の父親のように慕っていた劇団長を含めれば、七名。彼らの命を無碍にするわけにはいかない。一度は崇拝対象だったから」
「分かったわ。車を停める」
化座は道路の脇に車を停めた。
「朔ちゃんが、そう願っているなら。私はネクロマンサーの両親を殺さない。そうね、家族は関係無いものね」
そう言って、化座は白金に激しいキスをする。
「んー」
化座はとろけるような甘い顔をしていた。
白金は顔を離す。
「貴方に崇拝されるようなアーティストで居続けようと思うわ。私の作品は美しかったでしょう?」
「ええっ。美しかった」
「私は貴方を裏切らない。貴方の心の拠り所になりたいと思う。ねえ、朔ちゃん。私達は一緒になるべきだと思うの」
そう言って、化座は白金を強く抱きしめる。