「人間とは興味深い生き物ね」
化座は、マスコミの報道を聴きながら、口に掌を当てて考え込んだ。
一晩経過した今でも、ネット上やTV番組では、ブラッディ・メリー事件よりも、連続誘拐事件『ドール・ハウス事件』の方で持ち切りだ。
「一家惨殺事件が二つ。そしてつい先日、私が送った挑戦状の猟奇解体事件よりも、生死不明の誘拐犯の話でニュースが盛り上がっている……。何これ? どういう事かしら?」
化座は怒りに満ちた眼で、怒りのやり場が無く、朝一で腐敗の王のアジトへと訪れたのだった。
腐敗の王は、彼女を落ち着かせる為に、カモミールのハーブ・ティーを出す。
化座はソファーに座り、ハーブ・ティーを口にしながら、髪の毛を弄っていた。
「化座。君のやった事を、大衆は“ファンタジー”のように感じているんだ。一家惨殺なら、ともかく、檻に入れて血まで抜いた。『吸血鬼・ブラッディ・メリー』は“ファンタジー”なんだ。自分のやった作品を他人に分かって貰えないってのは、孤独なアーティストの辛い試練だな。化座」
腐敗の王は、連続誘拐犯のファイルをまとめていた。
五年前から続いている事件だ。
五年前なら、スワンソングと“同期”というわけだ。
「君のやった事は大災害のごとく理解不能だったんだ。つまり“現実味”が無いんだろうな。自分達が被害者になるイメージがどうしても湧かないんだ。だが、この誘拐犯……。子を持つ親達の怒りを壮絶に買っている。ネットでも、君の事件よりも、この犯人の話題の方で持ち切りだ。マスコミも喧伝している」
「予定通り、牙口令谷の始末を行うけど、いい?」
カモミールのお茶を飲み干して、化座はテーブルに爪を立て始める。
「ああ。そうしてくれ」
腐敗の王は、二人分のベーコン・エッグを作っていた。
パンにハチミツは必要か? と、訊ねる。
化座はブルーベリー・ジャムの方がいい、と答える。
腐敗の王は棚から、言われたブルー・ベリーのジャムを取り出す。
「『ドール・ハウス』の正体について、警察や…………、特殊犯罪捜査課は何て言っているの?」
化座は訊ねる。
「おいおい。事件の報道は、昨日の夜、行われたばかりだぞ? まだ公式の見解が出ていない筈だ。俺の処にも情報が何も入ってきていない」
「白金……スワンソングは、何て言っていた?」
「“大きな家に住んでいる筈だ。そこに誘拐した子供を監禁ないし軟禁している”。そう分析していたぞ」
「そう…………。詳しい詳細は分からないのね」
化座は明らかに落胆していた。
出足をくじかれて、自分の誇示した作品を駄目にさせられた気分だ…………。
†
その日は土曜で、大学が休みだった。
葉月は、お昼前に警察署に向かう。
『特殊犯罪捜査課』のオフィスへと。
今は、葉月は富岡と二人きりだった。
残りの二人は、それぞれ、別々の用事で、外に出ている。
「今回の事件で行方不明になった八人目の犠牲者の年齢は、十二歳か。何か特徴的なものはあるのかしら?」
葉月はファイルを調べていた。
「富岡さん。結婚している? 指輪を付けているわね。お子さんは?」
「女の子で、中学生です。ちょうど、三年生になりました」
富岡は缶コーヒーの蓋を開ける。
「私と似ているかしら?」
「…………。貴方に似ている人はいませんよ。ええっ、最初、会った時から、感じてました」
「それは私が“凶悪殺人事件の重要参考人”という前置きの情報があったからじゃない?」
「いえ…………。貴方は何というか、やっぱり、違うんです。前提となる情報がなくても、貴方に対する異質さを感じていたと思う。
私は牙口君と最初に会った時には“こんな少年が”と思いました。
でも、貴方と最初にこのオフィスで会った時に“ただものでは無い”と。
検視官である、溝口さんも、同じ事を言っていましたよ」
富岡は、ドール・ハウス事件の資料を整理し直していた。
「そう…………。私は警察関係者から見て、この年で“異邦人”扱いなのね…………。カミュの小説の主人公みたい…………」
葉月は物憂げな表情で、富岡の顔をまじまじと見ていた。
「悪い意味じゃ無いです」
富岡は言う。
「で。貴方の娘さんは?」
葉月はコンビニ袋から、買ってきた餡団子とおはぎを取り出していく。
「…………。不登校でひきこもりをしている、親というものは難しいものです」
富岡は娘に困らされる父親の表情になる。
「そう。『ドール・ハウス』の被害者のうち、三名の親は離婚をしており、二名に親からの虐待疑惑がある。五名は学校で、いじめられていた形跡があるわね。二名に非行歴があり、別の二名は不登校経験者、と。そして、今回の十二歳の男の子だけど、学校でいじめられていた形跡がある」
葉月は、この誘拐犯の分析を始めた。
「誘拐犯の被害者は、全員、孤立しているわね。家族関係か、学校関係で大きな問題を抱えていた。だから、当初は家出事件なんじゃないか、って捜査されていたみたいね」
「ええっ。でも、明確に誘拐犯が存在した」
富岡が相槌を打つ。
「今、刑事課は何て?」
「孤立している人間は、小児性愛者のターゲットにしやすい。そう判断されて、動いているらしいです」
「犠牲者は増えるわ。彼らは犯人の思考パターンを読めていない」
葉月はおはぎを一つ、口にする。
そして、玉露のお茶を口にした。
糖分が脳に染み渡る。
犯人像をイメージしていく。
「犯人は宗教に縋っているわ。強い信仰を持っているわね」
葉月は断言する。
「ワー・ウルフに関する分析もそうでしたね」
富岡は首を傾げる。
「いえ。ワー・ウルフは、そもそも“自分個人で新たな宗教を創り出そうとしている”の、この誘拐犯は、既存の宗教に縋っている。神道か、仏教か、キリスト教か、他の、何かの新興宗教かは分からない」
葉月は、ファイルを読み込んで思考を巡らせていた。
「分かったわ。キリスト教」
葉月は指を人差し指を立てる。
「仏教では、修行の一環として、孤独を美徳とする傾向がある。神道は自然信仰、万物と人は繋がり、そもそも人にはつねに様々な神様が付いているの。で、キリスト教は、神と人との繋がり、神に救済を願う信仰体系だと思う。強い孤独感に襲われた人間は、神に縋る傾向があるとも聞く。この犯人が縋っている宗教は、キリスト教の可能性が高いわね。私の個人的な分析では、孤独を感じやすい人間程、キリスト教の神様に縋りたがっているように思えるわ」
「カルト教団は、グループを求めて、個々人の孤独を慰め合っています。繋がりを求める、仏教団体だってある」
富岡は口を挟んだ。
「いえ。この犯人が、教団に属しているなら、疑問点が幾つもある。この犯人は、宗教関係者の団体に属していない筈。…………、でも、もしかすると、以前は所属していたかも…………」
葉月は頭の片隅で考える。
自身は幼少期から、強い孤独を感じていた。
そして、今に至るまで、自身の世界観を共有出来た人間は数える程しかいない…………。
「教会を調べられない? 被害者は全国中にいる。全国の教会を調べたいわ」
「『特殊犯罪捜査課』の権力ではムリです…………」
「なら。被害者は生きている保証は無いわね」
葉月は毒づく。
「そもそも、葉月。お前、ファイルだけ見て、分析してるんだろ? 警察ってのは、物的証拠を積み重ねていって、検証して、犯人にまで辿り着いて、逮捕状を出すんだよ」
煙草を買ってきた崎原がオフィスに入ってくる。
「そう? リンブ・コレクターの最後の被害者を特定して、命を救ったのは誰かしら?」
「お前だな」
崎原は椅子に座る。
「ええっ。“私達”」
葉月は『ドール・ハウス事件』のファイルを閉じた。
崎原は少し嬉しそうな顔をする。
「そうだな。葉月。俺達の有能性を上で胡坐をかいている馬鹿共に知らしめてやりたいな」
「そういう事よ」
「被害者には生きていて欲しいですね」
富岡は言う。
ある用事から帰ってきた、令谷がオフィスに入ってくる。
「ネクロマンサー。葉月。昼前に……、朝の十時頃だな。俺は入院中の紙森朝に会ってきたんだが、命を救った気分はどうだ?」
令谷は訊ねる。
「私の本音を聞きたい?」
葉月は崎原と富岡の顔を見渡す。
「とても、言いづらいんだけど?」
葉月は嘲笑うような顔をしていた。
「今更、お前が何を言っても俺は気にしないぜ」
崎原は淡々と告げた。
「私もです」
富岡は自身でも、改めてドール・ハウス事件のファイルを読み込んでいた。
「リンブ・コレクターに襲撃されて、生き残ったテニス選手。紙森朝を救った気分ね? そう、私は“生命を支配した気分”になったわ。もっとも、私個人で彼女の命を救ったわけではないけど」
葉月は自身の心の奥に溜め込んでいる、ドス黒い感情を、ほんのささやかに、砂糖ひとさじ分だけ吐き出す。
「…………。そうか。お前のその思考は頼もしい限りだ。俺は純粋だからな。悪人は許したくないって性格なんだ」
令谷はそう言う。
「貴方は奪われた者。私は奪った者」
葉月と令谷は、互いの瞳を見据え合う。
根本的な部分で、絶対的に分かり合えない……。
それでも、仕事の同僚として共に行動している。
「さて。ドール・ハウスの捜査だけど。私達の力では及ばない。上に何とか話を通すしかないわね。それとも、ブラッディ・メリーの挑発に乗ってみる?」
「俺は目の前の事件を片付けたい。どちらも追いたいな」
令谷は瞳の奥に、怒りを込めていた。
彼の感情は暗く燃え上がっている。
全ては奪われた者の叫びだ。
この前のスポーツ選手を殺害して回った奴を始末して、一人の少女の命を救った事よりも、救えなかった人間達の人生の事を考えている。
葉月は饒舌に犯人を分析、考察する。
令谷は寡黙に犯人を憎悪し、牙を研ぎ澄ませる。