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赤い部屋へようこそ。

『ブラッディ・メリー事件』が、実に二年ぶりに再発した。


 もう、慣れてしまったが、現場は凄惨を極めている。

 二年前に起こった連続殺人犯が、表舞台に姿を現したのだ。


 葉月と令谷は呼び出された。


 葉月は大学の帰りだったので、少しだけ腹立たしかったが、仕事なので仕方無いと割り切る事にする。大学の前には崎原の車が駐車されていた。


「帰って、本でも読みたかったのだけど?」

 葉月は不機嫌そうに言う。


「仕方無いだろ。事件だ」

「スティーブン・キングのまだ読んでない本があるの。……まあいいわ。車の中で読ませて貰うわ」

 そう愚痴をこぼしながら、葉月は崎原の車の後部座席に乗る。

 持っていた鞄とギター・ケースはトランクの中に入れて貰った。


 やがて、一時間後、現場に到着する。


 マンションだった。

 規制線として、黄色いテープが貼られている。


 令谷は先に、現場に到着しているらしい。

 既に、被害者の部屋の中で検視官達と話し合っている。


 マンションの一階の前に立つと、令谷が階段から降りてきた。


「よう」

「で、どんな状況なの?」

「部屋全体が真っ赤らしい。どうも、犠牲者の家を使ったみたいなんだ」

 葉月は、検視官から、ビニール製の手袋を貰う。

 彼女はいつものように、それをはめる。


「今回の現場なんだが、俺はおそらく“挑戦状”と受け取っているな」

 令谷は嘆息する。

 彼の瞳は、犯人に対する怒りで燃え上がっていた。


「で、どんな風になっているの?」

「見てみればいい。お前はその…………。喜びそうだ……」


 部屋の中に入り、犯行現場に入り、葉月は考えを改めた。

 …………。これはエンターテイメントとして、捉えよう、と。


 呼び出され、時間を潰され、当初は不貞腐れていたが、葉月は黄色いテープをくぐり、検視官から貰った手袋を嵌めながら、マンションの開きっぱなしのドアを通り、この現場に置かれているものを見て、感動の余り打ち震えていた。


 来て、良かった、と。

 まるで、大好きな映画の続編の上映に来てしまったような気分になる。


 部屋の中央には、真っ赤なものが置かれていた。

 ……………………。

 椅子に座らされていた“それ”は、まるでキャンバスだ。


「スマートフォンで撮影していい?」

 葉月は検視官の一人に訊ねた。


「それは、ちょっと……」

 検視官は明らかに困惑していた。


「別に葉月は、SNSに投稿するわけじゃない。構わないだろ? なんだよ、スマホで撮影させてやれ」

 崎原が眉をひそめ横やりを入れる。

「上が煩いんです…………」

 検視官の溝口が困った顔をしていた。


「ああ、上が煩いか。なら、仕方が無いなっ! 車の中に確か、旧型のデジタルカメラがあった。それで我慢出来るか?」

 崎原はそう言って、車に置いてあるデジタルカメラを取りに向かった。

 何が上が煩いだ、と、崎原は露骨に不機嫌そうな顔だった。


 五分後、崎原は自身のデジカメを持ってきて、葉月に渡す。

「こんなんで、悪いな。画質は少し前のものだ。俺達の側で、後で解析しよう」

 崎原はカメラを葉月に渡す。


「充分よ、ありがとう」

 パシャパシャと、葉月は“真っ赤なオブジェ”を撮影していた。


「首尾はどうだ?」

 令谷は、現場を検証している検視官の一人に挨拶をする。

 その検視官は、いかにも吐きそう、といった顔をしていた。


「“これ”は、一体、どういう死体なんだ?」

 令谷は、椅子に座らされた真っ赤なオブジェを見ながら、その検視官に訊ねる。


「犯人は、犠牲者の血を抜いて、犠牲者を解体して飾り立てた後。部屋をご丁寧に赤くしています。血ではなくペンキで、それから犠牲者の財布からお金を抜き取って、赤い家具を買い揃えている。被害者はキャバクラ勤務の女性ですね。財布に百万円以上の大金を持ち歩いていた。犯人はそれを使って、家具を買い揃えています。近くのホーム・センターの人間から、このマンションに家具を持ってくるように言われた記録があります」

 検視官の顔は蒼白だった。

 彼はリンブ・コレクターの現場にいなかった。

 こんなもの見るのは、初めてだろう。


「そうか。犯人なりに“葬儀場”にしてやったんだな。葬式には金がいる」

 令谷は感想を述べる。


「この犯人は、部屋の中で食事をした形跡があります。その、人の血とかじゃなくて……」

「何が検出されたの?」

 葉月は訊ねる。


「アイスクリームです。ソーダのアイスクリームのシミが部屋の隅にありました」

「唾液は?」

「唾液は検出されていません。肉を取り除いた骨付きチキンが転がっていました。そのまま齧らずに、肉を取り除いて転がしたんでしょう」

「物凄く、挑発的ね。警察を馬鹿にしているわね」

 葉月は鼻を鳴らす。

「指紋が出ています。被害者のものだけですね。唾液も被害者のものです。もう少し調べれば、犯人の痕跡が見つかるかも」

「どうせ、被害者の唾液しか検出されないわよ」


 葉月は現場を一通り、撮影していく。


 葉月は被害者の遺体を凝視していた。

 赤だ。

 全身が赤い。

 人としての原型を留めていない。

 部屋全体も赤い部屋だ。

 真っ赤な世界。

 犯人の意図が容易に想像出来る。


 葉月は、被害者の遺体をまじまじと眺めていた。


 全身の至る処の皮を剥がされ、頭部と手足を切断され、更に腹の臓器がごっそり抜き取られている。おそらくは戦利品として持ち帰ったのだろう。


 至る処に鉄製のストローが刺され、注射器の痕もあり、血を抜き取られている。


 葉月は想像する。

 犯人は、どんな意図があって、こんな行為に及んだのかを……。


「で。この中で、朝食がフライドチキンだった人間はいる? 昨日、豚肉を口にした人は?」

 検視官の一人が手を上げた。

「牛肉ですが。レアでした」

「ご愁傷様」

「手当が出るんですが。まるで割に合いません。日本では検視官の数が五百名程度しかいない」

「どおりで、よく見る顔ぶればかりね。でも、新しい人達もいる」

 葉月は、パシャパシャと、デジカメで遺留品の類も撮影する。


「私は今回、検視官の仕事を担当する事になりました。でも、すぐに転属したい」

 先ほどから、蒼ざめていた検視官が今すぐ現場を出たい、といった顔をしていた。


「いつも思いますが、よく、平気ですね…………。俺よりも数歳若いのでは?」

 リンブ・コレクター事件の時から顔見知りである検視官の一人が、葉月に、そんな事を訊ねる。


「ああ。私、この犯人と同じ、サイコで、それに、ネクロフィリアだから」

 葉月は薄っすらと笑った。


「これは、死体だけど、まずは、皮を剥がされた、ってわけね」

「それも、生きながらです。途中までっ!」

「なるほど? 典型的な性的サディストって処かしら。犯人の体液でも検出出来れば僥倖ね」

「…………。貴方は、犯人をもう特定出来ているんじゃないですか?」

 新人の検視官が訊ねる。


「ええっ。おそらくは、腐敗の王の仲間ね。こちらを挑発している。いずれ、直接、私達と接触を試みようとするわね。いつでも、私達を殺せると言っている」

「上等だ」

 令谷は答える。


 壁には、被害者の血液で文字が書かれていた。


“ブラッディ・メリー”と。

 アルファベットでBloody Maryとでも描けばいいのに、カタカナだ。悪意さえ感じる。


 二年の沈黙を破って『ブラッディ・メリー事件』の犯人は、大衆の前に牙を剥いたのだった。おそらく名前を語る模範犯では無い。


 葉月はこの“真っ赤な作品”を見ながら、頭の中で思った事をみなに口にしなかった。


“この作品は、確かに美しい”と。



 葉月。令谷。崎原の三名は『特殊犯罪捜査課』のオフィスの中にいた。


 時刻は夜九時を過ぎていた。


「司法解剖の結果。被害者は大体、三十七時間くらいは生かされていた形跡があるらしい。それから、皮を剥がされ、臓器を摘出され、血を抜かれている途中、犯人は何度も、外出している。被害者を現場に放置したまま。そして、手足と頭部を切断した」

 崎原は椅子に座って、大きく溜め息を吐いた。

 カチィ、カチィ、とライターを弄る。


「胸糞悪い話だが。まだ見つかっていない被害者の数は、膨大な量に及ぶ。そうだろ? 葉月」

 崎原はファイルの写真を睨んでいた。

 ブラッディ・メリー事件の二年前のファイルだ。

 二年前のファイルに、今回の事件のファイルが付け足される事になった。


 葉月は現場のファイルを手にして、遺体の写真と、部屋の光景を何度も見ていた。


 この犯人の思考パターンを読む断片として重要なのは、色ではないか?


「人間の好む色に関して、私なりに考えた事がある」

 葉月は犠牲者の写真を丁寧に見ていた。


「黒を好む人間は正常な方だと思う。黒は死のイメージがあるけど、高級感を彷彿させる。ゴシック・カルチャーを嗜む人間も黒を好むけど、それは死を慈しんでいるからとも言える。ピンクは少女性の強い女の子が好きね。甘えたい願望の現れとも言える」


「色彩心理学か?」

 崎原は相槌を打つ。


「まあ、聞いて。私なりの分析」

 葉月は胡乱げな顔をしている崎原の視線を無視して、自身の見解を述べる事にする。


「血は赤い。血は生命の色よ。乾いた血は茶色や黒へと変色していく、身体から流れ出した血液は死へと向かっていくから。また、赤は炎を想起させる。炎も生命の色。そして、破壊の色彩。赤という色は興味深く“生命と破壊”。“創造と暴力”をイメージさせるわね」

 葉月は、意味ありげに“破壊と創造”の対比ではなく、言葉を組み替えて話す。


「ファッションにおいては、私はオレンジやブルー。パステルカラーを好むけど、一番、好きな色は黒。灰色。茶色って処かしら」

「どうせ、死体の色だからって処だろ?」

 崎原は呆れたように鼻を鳴らす。


「そういう事」

 葉月は、にやり、と笑う。


「『ブラッディ・メリー』は赤い服を好んで着ている筈だ。警察の見解通り、女。それも若い女。私より少し年上なくらいかも。かなりの美人だと思うわ」


「他にも分かるか?」

 崎原は葉月の瞳を凝視する。

 葉月は少し考えて、答える。


「世間では『吸血鬼』と呼ばれているのよね? なら、彼女の考えはこうだ。“私は強く美しい。捕まえられるものなら、捕まえにこい。白昼堂々と出歩けるぞ。神や法の裁きも恐れない”。ブラッディ・メリーは、白日の下、犯行に及ぶ事が出来る。大胆不定で、そして、アーティストよ」

「成程。アーティストなのか」

「戦利品で作品を創っていると思う。それから、十字架のアクセサリーを何か身に付けている筈よ」

「ああ。持ち去った手足や臓器で作品を創るのは分かるが、何で、十字架なんだ…………?」

「“吸血鬼”と世間が呼んだから。伝承によれば、吸血鬼は十字架を恐れると言われている。十字架は神や法の裁きの象徴なの。それを身に付けるのは、つまり、犯行に罪悪感なんて持っていない。警察の追跡も怖くない。強い意志の象徴として、十字架を身体に身に付け始めている筈。…………、駄目だ。ブラッディ・メリーの事は、手に取るように分かるわ。私とは違う異常者だけど、思考パターンが近い…………っ!」

 葉月は、露骨に同族嫌悪のようなものを露わにする。


「私は“隠す”が、彼女は“晒したがる”。何故なら、自分の世界観を世間に知って貰いたいから。肥大化したナルシズムと、他者への共感性が欠如した強いサイコパシーの持ち主。それからマキャベリズム。他人を騙すのが得意で表の顔は演技をして生きてきた筈。“ダーク・トライアド”と呼ばれている、人間の邪悪な性質が揃っている女ね」

 葉月の話すプロファイルを、富岡がパソコンにタイミングして打っていた。

 葉月の話が参考になるのは、リンブ・コレクターの一件で、証明されてしまっている。

 8割、9割型、犯人像と一致していたからだ。


「私は“冷たいもの”が好きなの、彼女は“温かいものが好き”。自分と近いが、決定的な部分で大きく違っている」

 葉月は言いながら、少し考える。


 それを口に出そうかは迷った。


 だが、あの作品は、確かに“美しかった”。

 感動を覚えるくらいに。


「新たな事件が発生しました!」

 警官の一人が、特殊犯罪捜査課のオフィスの中に入ってくる。


「『ブラッディ・メリー』の新しい犠牲者?」

 葉月は訊ねる。


「いえ。その、子供が誘拐されたんです。女児です」

 警官は慌てふためいた顔をしていた。


「刑事課の中で呼ばれている。この犯人の事は『ドール・ハウス』と。マスコミがセンセーショナルに騒ぎ立てるから、異名は我々の間だけで、使われているものだった……」

 彼は顔を殴られたように、打ち震えていた。


「その誘拐犯の異名は、俺が名付けた。そしたら、刑事課連中も呼び始めたんだ」

 黙っていた令谷が、溜め息を吐いて呟く。

 令谷は露骨に暗い顔をしていた。


「だが。伏せられなくなった。もう犠牲者は八人目だ。八歳から十七歳までの児童から少女までの年齢の人間を浚っている。犯人は小児性愛者(ペドファイル)というのが、みなの見解だ」

 令谷は怒りに打ち震えていた。


「もう。マスコミも黙っていないだろうよ」

 崎原は苛立たしげに煙草を吸っていた。



 その日の夜、二つの凶悪事件の報道が急遽なされた。

 時間は23時頃だった。


・ブラッディ・メリー事件。

・ドール・ハウス事件。


 牙口令谷は、二つの事件の犯人を突き止める事にした。

 腐敗の王もまた、挙動を阻害されて、化座と菅原に与えた指令の変更をせざるを得なくなった。


 腐敗の王は、深夜が近い時刻に、TVの急な報道を見て息を飲み、化座に連絡する。化座も既に、状況を知っているみたいだった。

 ちょうど、夕食を食べ終え、リビングルームで酒を飲みながらくつろいでいる時間だった。


「何というか、どんな気分だ」

 腐敗の王は率直に訊ねた。


<昔、勤めていたお店の気に入らない女を、あそこまで独創的に殺害して、作品として展示したのに。私の事件の方は、ニュースで小さく報道されていた。何なの? 一体…………?>

 先手として、切り込んでいった化座は、電話の向こうで、酷く落胆して、怒りと呆れが混ざり合った複雑な感情を露わにしていた。


「まるで、俺達はピエロだな。悪い。化座。せっかく、君がやつらに挑戦状というプレゼントを贈ったにも関わらず、別の凶悪事件の件で、特殊犯罪捜査課が、動いている。今の牙口令谷の恋愛のターゲットは、小児性愛者とされている連続誘拐犯に移りつつあるだろうよ」


 腐敗の王は、小さく溜め息を吐く。


<腹が立つわ。せっかく、二年間くらい、順当に私の殺人事件を隠し続けていたのに>


「お前もプロファイルしてみたらどうだ? スワンソングに興味があるんだろう? 彼は他の犯罪者の分析も出来るみたいだ。アーティストの思考回路が分析出来るようにな」


<となると、腐敗の王。つまり…………>


「特殊犯罪捜査課の連中と、我々、二つのグループが“異常犯罪者”を追って、プロファイルを行うという事だな。奇妙な事に俺達は善良な市民達に協力する事になるみたいだ」


<そう、許せないのよ。私は今、屈辱でいっぱいなの。せっかく創った作品を台無しにされた気分>


「じゃあ、やるしかないな」


<やるしかない?>


「連続誘拐犯『ドール・ハウス』をお前も追跡するんだ。警察側と、君。屈辱を晴らすとしよう。この誘拐犯を君が始末すれば、納得するだろう?」

 腐敗の王は、化座の考えている事を読み取る。


<そうするわ。…………、処で頼みがあるの…………>


「なんだ?」


<その。スワンソングを貸してくれない? 今、貴方を手伝っているんでしょう? 彼と個人的に話もしたいし>


「分かった」

 腐敗の王はそう言うと、化座は礼を言い電話を切った。


 所謂、凶悪犯罪者は自分達だけでは無い…………。

 そして、この社会をひっくり返そうといった発想を持っている者もだ。


 腐敗の王はリビングルームのソファーにもたれかかり、ワインを開ける。

 真っ赤なワインだ。三十年もの。


 彼は考える。

 自分達の行為が、世の中に対して何を与えているのか。

 あるいは、どれだけ自分達に力があり、どれだけ無力なのだろうか、と…………。


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