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『最後の犠牲者は…………。』

 そのプロレスラーは、胸と腹部を切り取られた死体で発見された。

 場所は、犠牲者が泊まっていたホテルの中だった。


 刑事課の代表面をしている柳場は、相変わらず、嫌味ったらしく葉月に何かを言うと、その場を去っていった。


 葉月は、鉢合わせた、キャリアをやたらと誇張している柳場の話をマトモに聞かずに、黄色いテープを乗り越えて、死体現場へと向かった。


 既に死体となったプロレスラーの男性は、布で包まれていた。

 遺族の申し出で、一刻も早く現場から安置所に送って欲しいとの事だった。


「死体を生で見たかったんだけどねえ……」

 葉月は残念そうな顔をする。

 変わりに、葉月には、死体写真をファイルしたものが渡される。

 ファイルの写真には、肋骨が切り抜かれ、心臓も腸も露出したレスラーが死体となって映っていた。


「柳場刑事の件は失礼しました」

 鑑識である溝口は、犯行現場の写真をまじまじと眺めている少女に対して、謝罪の言葉を述べる。


「あれは駄目ね。キャリアばっかり気にして、事件解決の事を考えていない。見栄はよくないわ」

「おっしゃる通りです。私共も苦労しております」

 溝口は本当に申し訳なさそうな顔をしていた。


「その…………。写真、大丈夫なんですか?」

「何が?」

 葉月は首をひねる。


「その。若い女性の方が見るのには刺激が強すぎるのではなと」

「人によるんじゃないのかしら? 貴方の部下の何名かの方が、早くトイレにいって胃の中のものを吐いてしまいたい、って顔しているわよ?」

 葉月は楽しそうに口元に笑みを浮かべる。


「貴方達はこう聞かされていると思うけど。私も所謂、向こう側の人間。そうね。“サイコ”だって、聞かされているんでしょう?」

 葉月は楽しそうに、人差し指を揺らしながら、現場の人間に対して挑発的な表情を浮かべていた。


「刑事課の刑事の言う話を、我々はマトモに受け取りません」

 溝口は首を横に振った。


「僕は他人の噂話が嫌いですから。会って話して、その人間を確かめたいんです」

「そう。素晴らしいわ」

 葉月はファイルを閉じた。


「『リンブ・コレクター』なんだけど、幾つか私の方で考えたわ」


 溝口は、この十九歳のロリータ・ファッションの少女の話を興味深く聞いていた。

 少なくとも、彼女、昼宵葉月は刑事課で威張り散らしているキャリア刑事の柳場よりは遥かに優秀だ。度胸も行動力も、並の警官を遥かに上回っている。


「まず。メディアに言われているような『スワンソング』の模範犯では無いと思う。けれども、白鳥に対して、この犯人は意識しているわね。“自分の方が優れたシリアルキラー。知能犯であると、うぬぼれているわ”」


 おそらく。スワンソングは、この犯人に対して迷惑している筈だ。

 気持ち悪がっている…………。

 不快感を露わにしているに違いない。


「で、スワンソングのプロファイルだけど、社会学者などは“キモオタの三十代から四十代くらいの男性。異性経験が無いか、あるいは少ない。社会的に孤立しており、低賃金労働者か無職”そう言われているわね。でも私は“社会的地位は年収五、六百万円のホワイトカラー。二十代から三十代。容姿端麗で女性受けが良い。表面的なコミュニケーションの能力は高い人間”だと考えている。で、リンブ・コレクターの犯人像も、警察が、特定する前に考えていたの」


「どんな風にです?」

 溝口は訊ねる。


「そうね。容姿にコンプレックスがある三十代か四十代。ジムに通っているが、肉体的にお世辞にも優れているとは言えない。恋愛経験が少ない男性、というのが私の分析だった。幼少期に重い病気を患った経験があるかもしれない。間違いないのは、自分の容姿と身体に強い劣等感を抱いている。だから、健康的な身体の人間の肉を食べる。肉体的には優れていないが、知能犯。…………、どう? 方蛾の正体は、そうだったでしょう? …………、一応、水泳選手が殺される前に、私個人で考えたプロファイルだったんだけど。今更、遅いかしら?」


「凄い。方蛾は子供の頃、何度も心臓と肺の手術を受けています。未熟児として生まれた。ジムにも通っていた。この情報は『特殊犯罪捜査課』には、今、いっていますか?」

「まだ来てないわ。ポルノを大量に見せられて、方蛾の中高生時代、社会人になった後の人生を簡単に知らされたくらい」


「昼宵さん。貴方は本当に凄い」

 溝口は四十過ぎにも関わらず、少し少年っぽい眼付きをしていた。

 葉月と会話していて、好奇心が刺激された、といった感じだった。


「私達『特殊犯罪捜査課』が対応すべき存在ね。リンブ・コレクターは。そろそろ、刑事課連中は下がった方がいいわ」


 このホテルでは、部屋を一つ借りて、簡易的なオフィスが作られていた。

 鑑識の人間が集まって、現場検証が続いているのだ。

 警察署内では、この犯人、方蛾に対して、特別なチームが作られているとも聞く。

 だが、特殊犯罪捜査課はのけ者にされている。


 令谷はずっと、壁にもたれて黙っていた。

 饒舌な葉月と違い、令谷は寡黙だ。


「犯人を捕まえられそうですか?」

 溝口は訊ねる。


「必ず捕まえてみせるわ」

 葉月はファイルを机に置いた。


「溝口さん。少し、付き合ってくれない?」

「あ、はい」

「私を小娘と馬鹿にしないのね? 二十にも満たない子供だと」

「僕は以前、令谷さんに命を助けて戴きました。それに、僕は年齢や性別、それに役職、属性でその人の事を判断するのが嫌いなんです。僕は人の死体を扱い、彼らに触れて、彼らの人生について考えてしまう」

 そう言う、溝口の顔は純粋だった。


「方向性は違うけど。私と同じように、死体に興味があるのね? 貴方とは仲良くなれそうだわ。犯人を捕まえるわよっ!」

「はいっ!」

 溝口は喜ぶ。



「まず。リンブ・コレクターの次の標的を狙い定めて、次の犠牲者を守る発想から考えましょう」


 葉月は検視官達と、崎原、富岡、そして令谷がいる前で、講義のような事を話し始める。場所はホテルの中に作られた、簡易的なオフィスの中だ。


 壁に貼られたホワイトボードには、これまでの犯行と方蛾の簡易的な経歴などが記されている。


「腕。拳。肩の肉。脚の肉。背中の肉、そして今回は胸と腹の肉を食べているわね。六人、アスリートの犠牲者が出ている。次は…………?」

 葉月は眼を閉じる。

 ボクサー。

 野球選手。

 バスケット選手。

 サッカー選手。

 水泳選手…………。

 プロレスラー…………。


 本当は、胸と、腹は別々のスポーツ選手のものを口にしたかったに違いない。

 警察に正体を特定されて、犯行を急いだ。

 だが、まだ犠牲者は出る筈だ。

 スポーツをする上で、残った箇所は何処だ……?


「スポーツをする上で、あるいは格闘技をする上で必要な箇所は何かしら?」

 葉月はこれまでの六名の犠牲者の傷口を思い出しながら、顎に手を置く。


「分かったわ。溝口さん。崎原、富岡さん。令谷」

 葉月は現場の簡易オフィスにいる者達の顔を見渡す。


「この犯人。リンブ・コレクターの次なる標的。戦利品となる箇所は“眼球”。視力じゃないかしら? よく眼が見える人間を探している筈。視力の良い選手はいないかしら? どの競技でもいいわ。視力が良いと有名な選手」

 葉月の思考は冴え渡っていた。

 先日、佑大とも犯人の検証をした為に“この犯人・リンブ・コレクター・方蛾の思考”がある意味で手に取るように分かってしまうのだ。


「テニスプレイヤー…………」

 溝口が漠然とそれを口にした。


「心当たりはあるの?」

「はい」

 溝口は頷く。

 そして、次の標的の目星を話してくれた。


 紙森朝(かねもり あさ)。

 最近、ランキングに入り込んでいる弱冠18歳の女子テニス選手だ。

 栃木県出身で、注目のエース。

 彼女は動体視力が抜群に優れていると、メディアでも注目されている。


 リンブ・コレクターの次なる標的は彼女ではないかというのが、葉月の見立てだった。勿論、推測に過ぎない。だが、彼女を警備するだけの価値はある。


「可能性は60%って処かしらね。それに次の標的ではなくて、次の次か。更に次の次の次の標的かもしれない。でも、警護した方がいいわ」


「で、標的となる人間の警護だけでなく、リンブ・コレクター本人の所在も突き止めるわよ。住んでいたアパートとは別に、アジトがある筈。こちらからも、攻めるわ」


 葉月は両眼を閉じて、思考を巡らせていた。

 自分がリンブ・コレクターだったら、どう動く?

 何を考えて、どう計算して、犯行を実行に移す?

 どう、逃走する?


 葉月は眼を開く。


「方蛾は、今、空き家に住んでいるわね。潜伏場所は使われていない小屋の可能性が高い。そうだ。紙森朝選手の住んでいる自宅周辺に、空き家が無いか調べて……」

「人員が避けません…………。刑事課の連中、及び、他の県警の捜査協力も必要になります」

「……仕方無いわ。私達で探しましょう。富岡さん、貴方が手伝って」

 葉月は溜め息を付く。


「いや。俺がやる、葉月」

 崎原が言った。


「富岡はファイルをまとめる事の方が優れている。俺は現場専門だ。俺が大体の居場所を突き止めてやる。もう、午前0時近いが、今から車を出す、いいか?」

 崎原は握り拳を作る。


「ありがとう」

 葉月は笑う。


「でも、車の中で少し仮眠を取らせて」

「女の子だもんな。夜更かしはよくないよな」

 崎原がそう言うと、二人共、笑った。


 令谷も部屋の隅で少しだけ微笑を浮かべていた。



 真夜中だ。

 空は雲で月が隠れている…………。


「腹が立つ事に、現場の刑事、警官共は連続殺人犯の捜査の協力の際に、俺達に人員を回さなかった。葉月のプロファイルをまるで信用していないからな。奴ら勝手に捜査して、次の犠牲者を出してしまうぜ」

 崎原は煙草を吸いながら、怒りを抑えられずにいるみたいだった。


「別に役に立たない人達はいい。もしその殺人鬼が“化け物”なら、死体が増えずに済む。でしょ? 令谷」

「まったく、その通りだな」

 令谷の表情は暗い怒りに満ちていた。


 崎原は田舎街を車で走っていた。

 ナビゲーターを動かしている。


「この辺りの民家のどっかだな。潜伏しているとすれば。此処からなら、紙森朝の自宅まで電車で向かって近い。更にテニスコートもこの辺りにはある」

 崎原はがりがりと、煙草を噛んでいた。

 彼なりに焦り、憤っているみたいだった。


「化け物の臭いがする…………」

 令谷が告げる。


「それは本当か? 令谷」

「ああ。どう言えばいいか分からないが。直感みたいなものかな? 奇妙な感覚だが、感じるんだ。奴がこの辺りにいる感じがする…………」

「臭い…………?」

「どう言えば、いいんだろうな? 異能者の中でも、より“化け物”に近い人間は臭いを発するんだ。ワー・ウルフに両親を殺害されて以来、身に付けた不思議な力なんだが……。臭いのようなものを嗅ぎ取れる。化け物のな。そいつがいた痕跡のようなものを、何となく感じ取れるんだ。上手く言えないが…………。勿論、水泳選手とプロレスラーの死体、彼らの現場にも、その臭いはあった」

 その力を口にした後、令谷は首を横に振る。


「あんまりアテにしないでくれ。外れる場合も多い」

 令谷は溜め息を付いた。


「何体も化け物を倒してきた直感みたいなものだ。気にするな」

 実際、臭いを嗅ぎ取れるのは、余り役に立った事が無い。

 だから、みなには黙っている。

 誇示をしても意味が無い能力だからだ。


「令谷の直感を信じてみるわ。私も探索してみる」

 葉月は布に包まれた鳥籠を手にしていた。

 崎原に窓を開けて貰う。

 葉月は布を開いて、鳥籠の中に、リンブ・コレクターの現場写真と被害者の遺留品を見せる。


 鳥籠の中から、何かが空へと飛び立っていく。


「この辺り、数キロ以内に潜伏していたら、見つかるかもしれない」


 それから、二時間少し経過する。


 令谷は臭いが色濃くなってきた場所があると言った。

 葉月は鳥籠の中に戻ってきた何かを可愛がりながら、……敵は近い、と告げた。


 深夜だ。

 闇が色濃くなっていく。


 三名はある場所に目星を付ける。


 汚らしい小屋を発見する。

 草に覆われている。


 幾重にも雑草が生い茂っている。

 足元はぬかるみが多い、


 小屋の近く寄ると、酷い臭いがした。

 人間の腐った臭い…………。


「令谷。男の子でしょ。貴方から入って」

 葉月は冗談めかして言う。


「おいおい。葉月。お前の方が戦闘力は高いんじゃないのか? そうだ。年長者という事で、崎原さん。あんたが真っ先に入ってくれよ」

「勘弁してくれよ。若い奴らに任せるよ。俺は車の中で待機だ」

 崎原は本当に嫌そうな顔をしていた。


「まあ。いいや、俺が最初に入る。葉月、後ろを頼むぞ」

 令谷は拳銃を取り出す。

 中に潜んでいるかもしれない…………。


 ぎいぃー、と、小屋の扉を開ける。


 風で何かが揺れていた。


「どう? 令谷。中は“肉屋”にでもなっていた?」

「いや。肉屋でさえ無いな。ここは火葬場だな」

 令谷は息を飲んでいた。


 天井から何かが吊り下げられている。


 骨だ。

 沢山の人骨だった。

 ぶらぶらと、腕や脚やらの骨が吊り下がっている。

 肋骨もある。


「葉月。お前のプロファイルを今後、信じるぜ。有名人を殺す前に、十六名分の遺体が見つかった。その残骸だな。骨が吊られていやがる…………奴の食べ残しだ」


 令谷は小屋の中に踏み込む。

 人の気配は無い。

 既に、去った後なのか…………。


「冷蔵庫があるな」

 彼は冷蔵庫を開く。


「此処は映画『テキサス・チェーンソー』の現場か? おい。冷蔵庫の中に犠牲者の身体の一部が入っているぜ。奴の食べ残しだ」


 令谷は台所みたいな場所を見つける。

 鍋を見つけた。

 煮込んだ形跡がある。


「おいおい。此処は肉屋なのか? 葉月。お前のプロファイルのもっと先を行ってやがったぜ。こいつは……肉を乾燥させて吊るしてやがる……。部屋の奥だ……。犠牲者は十六人だかじゃ済まなさそうだな…………」


 乾いた血の臭いが小屋の中にはこびり付いている。

 床一面がバケツのように血が撒かれて、大きな血痕となっている箇所もある。


 鉄錆の臭いのようなものが、部屋全体に充満している。

 戦争跡地の現場にさえ思える。


「すぐに。刑事課の連中に連絡を……。崎原、頼むわよ」

 葉月は小屋の中を一通り一瞥すると、崎原の車に戻る。


「いや、しかし…………。待て…………」

 令谷はふと、何かに気付く。


「ひょっとして、犯人は出かけていやがるのか? 今夜、犯行を行うつもりか? 今、何時だ?」


「午前二時過ぎだな。『リンブ・コレクター』は大体、夜の11時から深夜3時くらいの間に犯行を行っている形跡があるな。標的を狙いやすい時間だ」

 崎原はそう告げる。


「間に合う自信は無いな……。女子テニスプレイヤーの警備を行うか?」

 崎原は煙草に火を点ける。

 そして紫煙を吐き散らした。


「紙森朝には犠牲者になって貰って、現行犯逮捕するのが便利かも」

 葉月が、ぼそりと呟く。

 彼女の思考は手段を選んでいない……。

 彼女からすると“標的を始末する為なら、少々の犠牲を伴っても問題無い”という考えなのだ。本質的に、葉月が、シリアルキラー側の思考である事を、令谷は再確認してしまう……。


 令谷は、彼女の提案に対して、強い不快感を覚えた。

 やはり、思考が根底から違うのだ。


「…………。止めろ。俺は奴らの犯行を絶対に止める……。一人でも、俺と同じような経験を持つ人間を生み出したくないんだ」

 令谷は握り拳を作っていた。

 思考の奥には、彼方の姿が鮮明に浮かび上がる。

 廃人となって、生き続ける彼方…………。


 生き残ったとしても、もう彼はまともな生活を送れない。

 異常犯罪者の犠牲者をこれ以上、出したくない。

 一人でも多くの人間を救いたい。

 彼が特殊犯罪捜査課に協力する事になって、最初に誓った事だ。



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