「この辺りで昼宵葉月が入り込んだな。もう一人、ペアになっている長い黒髪の女は奴の友人か?」
令谷はタクシーを使って、葉月の入ったバスを追跡した。
葉月は友達らしき白い服の少女を連れて、二階建ての廃屋へと入った。
当然、向こう側はこちらに気付いている。
「ここは狭そうだな。これは置いておくか」
令谷は狩猟銃を地面に置く。
令谷は代わりに小型の22口径の銃を手にして、空き家へと突入する。
銃の先にかちゃり、と、サイレンサーを付ける。
「お前が何者なのか教えてくれても、いいじゃないか」
令谷は廃屋の中で大声で叫ぶ。
「怜子。しばらく肉は食べていないわよね?」
「…………。うん……」
「いい加減に追跡されるのに疲れた。もう、そいつ食べていいよ」
何者かが天井から飛び掛かってきた。
真っ白い服の少女が、眼を輝かせながら、右手に斧を持って令谷目掛けて振り下ろす。
令谷の左肩が刃物でエグられる。
令谷の肩から、血が真っ赤に飛び散る。
斧を手にした少女の様子はおかしかった。
眼が血走っている。
少女は斧に付着した血を舐める。
「お前。化け物だろ?」
令谷は淡々と訊ねた。
「怜子。そいつ、銃持っているから。加勢しようか? っていうか、白い服が汚れる。そいつ、息の根を止めた後、じっくり食べてもいいのよ?」
令谷の動作は素早かった。
ぱしゅ、と、拳銃の引き金を引いていた。
怜子の頭に銃弾がのめり込んでいく。
怜子はびくびく、と、身体を揺らすが、構わず、令谷へと斧を振りかざした。
「なんだ? お前? 頭を撃ったんだぞ? 何故、倒れない? 死なない? そもそも、傷口から出血していないんじゃあないのか?」
令谷の腹に斧の刃先が当たる。
令谷が負傷する度に、怜子は令谷の血を舐めていた。
令谷は引き金を引く。
今度は怜子の胸に当たる。肋骨を破壊して心臓部に命中した筈だ。だが、血は流れない。
なんなんだ?
まるで、こいつは…………。
「おい。昼宵葉月。この怜子という少女…………っ!」
「何かしら?」
上の階で、葉月は二人の戦いを観察しているみたいだった。
「ゾンビなのか? 不死者の類だろう?」
「ふん。だったら、なんなの?」
昼宵葉月は、冷たく笑っていた。
「怜子。苦戦しているみたいね。さっさと、そいつの頭をもぎ取ればいいのに」
「……葉月ちゃん…………。この人、強いよ……。普通の人の動きじゃない……」
「なるほど、ね…………」
ぎぃー、と、ジッパーが外れていく音が聞こえた。
「怜子下がって。私がこいつを始末する。怜子、それ以上のダメージは危険よ。幾ら貴方の肉体と言ってもね」
葉月が、静かに階段を降りていく音が聞こえた。
「そうか。昼宵葉月…………、お前は…………」
令谷は空き家の外に置いた、殺傷力の高い対人外用の武器である狩猟銃を取りに戻ろうとする。
「お前は死霊術を使えるのか……っ!」
空き家全体に何か奇妙な匂いが漂っている。
令谷は気付く。
蓮の香りだ。
葉月は、蓮の香を焚いている…………。
「空き家の外に、強力な武器を置いてきたのは見ていた。それを取りに行かせはしない」
一階の部屋全体を何かが走り回っていた。
令谷は右腕の肉を何かに食い千切られる。
令谷はそれを眼で追う。
それは、ネズミだった。白いネズミだ。
更に何かが飛び掛かってくる。
令谷は咄嗟に、それを銃で撃つ。
猫だった。
身体の所々が腐り、半ば白骨が露出している猫だった。
「ああ。そうそう。この空き家の中で死骸を見つけた」
此処は…………。
生ける死者達の屋敷だ。
「昼宵葉月。お前は『ネクロマンサー』なのか…………っ!」
令谷は叫ぶ。
「そういう事になるのかしら」
ゆっくりと、昼宵葉月は階段を降りていく。
怜子が階段を駆け上る。
ザシュッ、と、令谷の足を何者かが駆け抜けて、彼の足を裂く。
令谷は思わず、地面に這いつくばった。
令谷の拳銃を持っている右手も、何かが攻撃する。
思わず、令谷は拳銃を取り落とす。
葉月はシャベルを手にしていた。
どうやら、あの黒いギターケースの中にはシャベルが入っているみたいだった。
葉月は怜子を抱き締める。
そして葉月は怜子の頭を撫でて、額にキスをする。
「愛しているわ。怜子」
葉月は怜子の黒い髪を撫でる。
怜子の氷のように冷たい死人の腕が、葉月の腰に手を回す。
「イカれているな? オイッ!?」
令谷はその光景を見て、背中に小さな寒気が走る。
葉月は怜子から離れると、右手に何かを手にしていた。
それは小さな白いネズミだった。
死んでいる…………。
令谷はそのネズミが何なのかを理解する。爬虫類ショップで売っている、蛇などの餌に使われるマウスだ。葉月はそれを地面に転がしていく。葉月の左手には、何かが握り締められていた。
「死ね。牙口令谷。私は生きている人間よりも、死体となって横たわっている人間が好きなんだっ! よく知っているわよね? 人間は死んだら氷のように冷たいの。生前よりも遥かに重くなる。そう、ただの物体と化すの」
葉月はシャベルを掲げて、ゆっくりと階段を降りていく。
「貴方が死体になった後、下水の臭いよりも酷い腐敗臭を嗅いであげるわ。知っている? 人間は腐敗していく過程で沢山の虫が集まってくるの。特に今日のような真夏の日は凄い」
葉月のそれは、うっとりとロマンスを語るような口調だった。
葉月の左手の線香から発せられる煙が、階段の上に置いた白いネズミの上にふり掛かっていく。やがて、死んでいるネズミ達は次第に動き始めていく。
ネズミ達は獰猛に、血の臭いを発している令谷に向けて飛び掛かっていく。
令谷は、ポケットから別の銃を取り出してネズミ達を撃ち落としていった。
そして、彼は立ち上がる。
「狩猟銃を取りに行きたいが。お前の頭を撃ち抜いた方が早そうだな」
「やってみなさいよ。牙口令谷。その前に、貴方の喉を裂いてやるわ」
葉月は再び階段の上へと登る。
彼女は何かの死体を令谷に見せていた。
それは小鳥だった。
小鳥の死骸だ。
線香の煙が、小鳥の死骸へと注がれていく。
小鳥は動き出して、令谷へと飛び掛かる。
令谷は迷わなかった。
銃で葉月を撃つフリをして、全力で空き家の外へと向かう。
そして、狩猟銃を手にする。
小鳥のゾンビが令谷向かって襲撃してくる。
令谷は引き金を引いた。
小鳥は弾け飛んで、弾丸が大きく階段を破壊した。
怜子が思わず、息を飲む。
ショットガンくらいの威力はあるのだろうか? 人体に命中すれば、一撃で人間の肉体など四散するだろう。
「処で昼宵葉月。お前、本当は友達の事、愛してなんかいないだろ? お前は典型的なサイコパシーだ。肥大化したナルシズムを抱えている。お前は自分の望みを叶える為なら他人を利用しても踏み躙っても、何も感じない人間だろ?」
令谷は狩猟銃を手にして、ゆっくりと空き家の中へと近付いていく。
「ふん。挑発に乗ってあげるわ。牙口令谷。そうだ、怜子。斧でそいつの両脚を削いでやれ。この辺りには虫の死骸も多い。私は動けなくなった、その男を生きながら虫に食べさせるとするわ」
令谷へと何かが勢いよく投げ付けられる。
どうやら、怜子が斧を全力で令谷に向けて投げ付けたみたいだった。
令谷の脚を狙っている。
令谷は向かってくる、その斧を眼で追いながら地面を蹴ってそれを避けた。
「怜子。この空き家。錆びた包丁も見つけたわ。次はこれでそいつの首を狙いましょう」
葉月は加虐的な声で楽しんでいた。
「おい。大切な人間なんだろう? なら、その大切な人間を危険に晒させるな」
怜子は息を飲んでいた。
階段の上から、葉月はその光景を見て言葉を失っているみたいだった。
怜子の額のすぐ前に、狩猟銃が向けられていた。
令谷の動きが良くなった。
そして簡単に距離を詰められたみたいだった。
「頭を吹き飛ばしても動けるのか? お前のお人形さんはな?」
令谷は狩猟銃の引き金に触れる。
「葉月ちゃん…………」
怜子がうめく。
「…………。……怜子を今、撃ったら四肢を破壊した後、時間をかけて虫と小動物に喰わせるわよ…………」
「その前にお前を撃ち殺す。なら、そんな事にはならないな」
怜子は眼を閉じた。
何かが、空き家の中へと入ってくる。
令谷の狩猟銃が弾き飛ばされていた。
同時に、葉月の手から線香が叩き落されていた。
空き家の外に、何者かがいた。
「何? 貴方の仲間?」
葉月が訊ねる。
「いや…………。俺、一人だ」
葉月は何が起こったのか、周辺を確かめる。
壁に大きな孔が空いている。
よく分からないが、空き家の外。数十メートル先から正確に葉月が手にしていた線香を、彼女の手を傷付けずに撃ち落とした人間がいる、という事実だけが分かった。
令谷は葉月と怜子から眼を放さずに、ゆっくりと、空き家の外へと出る。
「おい。何者だ!?」
令谷は訊ねた。
葉月も空き家の外へと向かう。
「牙口令谷。一時休戦しましょう。そいつは何? 状況から分析すると、貴方は私を尾行して始末しようとした。でも、どうやら、貴方も尾行されていて、私達と貴方の戦いを観戦していた第三者がいるみたいだけど」
それは黒塗りの車だった。
車の窓はスモークになり、真っ黒で中の人間が見えない。
助手席の窓は少し開いており、そこから銃口が覗いていた。
後部座席の窓が少し開いていく。
真っ黒なフードを被った顔のよく見えない男が、三名を見ながら、値踏みしているみたいだった。顔がよく見えないのは、もしかすると、顔にマスクを張り付けているのかもしれない。
「先日ぶりだな。牙口令谷。俺の方から来てやった」
ボイス・チェンジャーで声を変えているが、その人物を令谷は知っていた。
「腐敗の王だなっ! 何をしに来た!?」
令谷は車の後部座席の人物を睨み返す。
「俺は今、何名かの犯罪者とグループを組んでいる。昼宵葉月。君の事は『ネクロマンサー』と呼んでいいか? 君は俺の仲間になる資格も素質もありそうだ。そちらの白い服のお嬢さんと共に、よければ俺の処に来ないか? 面倒な連中にも狙われなくて済むぞ」
「…………。考えておくわ。まず、貴方が何者か知らないと」
葉月は腕を組みながら、空き家の外に出る。
令谷が狩猟銃を取る為に、空き家に戻ろうか考えていた。
助手席から覗いている銃口は、在り得ない角度から、ありえない位置に正確に銃弾を当てていた。
「見た処、今日は挨拶をしに来た、と言った処だけど。そっちの牙口令谷を私の代わりに撃ち殺してくれると、とても助かるなあ」
「彼には、少し泳いでいて貰いたい。まだ殺さない」
令谷から、腐敗の王と呼ばれた人物は、余裕たっぷりにそんな事を言った。
「そろそろ。俺達は行かせて貰うぞ。葉月。考えておいてくれ。俺の仲間になってくれると、嬉しいんだ。今日は、その事を伝えに来た。君の実力も見せて貰ったしね」
「貴方に手の内を晒した醜態を、私は見られたってわけね」
「『エンジェル・メーカー』。もう去るぞ。昼宵葉月と、もう片割れである、上城怜子を見れたからな」
車のエンジンが掛かる。
「あ。そうそう、牙口令谷。君のご両親をね。その、殺害した者の正体は、俺達の方でも調べているんだ。興味があれば、今度、ちゃんと話し合おう。交換条件次第で情報提供が出来ると思う。そいつを殺す為だけに『特殊犯罪捜査課』に所属している。つまり、警察の犬をやっているのだろう?」
それだけ言うと、黒塗りの車は去っていった。
最初、高級車だと思ったが、国産の安い奴だ。
「私達、もう帰っていい?」
葉月は怜子の傷口を見ていた。
「おい。俺はお前を始末する為に来たんだが……」
「警察から連絡があって、私にこんな提案が送られてきたのよね。“牙口令谷という銃を使う”子供“が、近々、そちらに向かうと思う。そいつを相手に少し遊んでやれ。『特殊犯罪捜査課』に協力してくれたら、お前のこれまでの犯行に目をつむってもいい”。そんな趣旨の手紙を貰った」
葉月はそう言うと、空き家の中に置いてあるシャベルをギターケースに戻すと、怜子と共に、空き家を後にする。
「牙口さんさあ。貴方、警察の上の方から舐められまくっているの? まるでピエロ。それとも『特殊犯罪捜査課』っていう課が警察から疎まれているの?」
そう言うと、葉月は怜子を連れてその場を去る。
「じゃあね。狂犬さん。私達は、もう帰るわ。少し遅れたけど。そろそろ、午後のティータイムがしたい」
真夏の容赦の無い日差しが、牙口令谷に降り注がれる。
令谷は、炎天下の下、屈辱の怒りで何度も地面に拳を突き立てていた。