七月に起こった都市部のテロ事件。
それは、幾つかのトラックやダンプカーに何らかの細工が為されており、被害者達は身体中を何か小さな小動物や虫のような生き物で食べられている、という事件だった。
前日に五名の十九歳の少女達が、それぞれ、別の場所で、同じように殺害されている。
どうも生きたまま、全身を喰い荒らされたみたいだった。
変死体だが、犯人は“ハーメルンの笛吹き”のように、ネズミなどを自在に操って殺害したという事になる。
警視庁は『特殊犯罪捜査課』の存在を疎んでいるので、普通の刑事事件として何名かの刑事達に調べさせたらしい。刑事の一人は行方不明だそうだ。
しかも、どうやら、この事件を捜査していた若い刑事の一人が死亡している。死亡したのは、行方不明だった刑事の部下である笹神という男だったらしい。
その刑事は、ある一人の女子大学生を拳銃で撃って重傷を負わせた後、惨殺死体で発見された。謎に包まれた事件だ。警察上層部に問い合わせても、この件に関しては関与するな、との一点張りだった。
明らかに異常な事件だった。
「何か、知らないが。他の部署の連中が口をつぐんでやがるんだよ。変な事件だぜ」
崎原はそう言っていた。
そういう事で、牙口令谷が動く事になったのだ。
事件は何故か“解決”という形になっている。
だが、それが不可解だった。
警察の上層部も、何かを隠している…………。
今日は、八月の異様に蒸し暑い日だった。
令谷は、少女の入院していた病院に向かう事にした。
刑事に首を撃たれた少女は、情報によれば、少し前に退院したらしいが。
だが、入院記録を調べれば、何か出てくるかもしれない……。
牙口令谷は、例の少女が入院していた病院へと向かった。
「水色の髪の毛とは、洒落ているわね」
病院の入り口で、声を掛けられた。
髪の毛をオレンジに染めて、ロングボブにした少女が腕を組んで立っていた。
頭には紫陽花をデザインした髪飾りを付けている。
チェックの柄のワンピースの少女だった。
服装は清潔感がある。
「なんだ? お前は?」
令谷は少女を見据える。
「いえ…………。その、そろそろ、来るんじゃないかと思って、待っていたの。私の家まで押しかけられたら迷惑だし。両親がいるしね」
少女は薄ら笑いを浮かべていた。
令谷は思わず、腰の狩猟銃に手を伸ばす。
「何故、俺の来訪を知っている……?」
「ええ、その。『特殊犯罪事件捜査課』だっけ? ウィキペディアにも載っていないのね、ネットで出てこない。ただ、その貴方達の側の上の人達から、情報を貰っているから」
少女は不気味だった。
明らかに令谷を待ち構えていた。
「八月は私の誕生日。もうすぐ十九歳になるからお祝いしてくれないかしら? それにしても、今日は茹でるように暑いわね」
少女は言う。
先日、会った腐敗の王もそうだが、奇妙だ。
……自分の知らない裏側で、一体、何が動いている…………?
令谷は、狩猟銃を取り出そうとする。
少女は両手を掲げた。
丸腰である事を証明するかのようなポーズ。
「おっと。私への誕生日プレゼントなら、武器はいらないわ。そうね、花とかがいい。オレンジのマリーゴールドとかくれないかしら? 知っている? マリーゴールドはメキシコでは、死者の手向けの花らしいわ」
「お前は、なんだ?」
令谷は訊ねる。
「私の方が聞きたい。貴方は何? 状況を考えると、警察の上の方を無視して、この私を“始末しに来た”ように見えるんだけど。貴方は何?」
「俺は特殊犯罪捜査課の、牙口令谷だ。もっとも、正確には、警察に所属している人間ではなく、警察手帳は持っていないがな」
辺りを見渡すと、人気は無い。
牙口令谷は有無を言わさず、狩猟銃を取り出す。
狩猟銃は大きい、ゴルフクラブ並の大きさがあり、目立つ、それでも構わず令谷は構えた。
「頭おかしいの? 真昼間から。そんなもの出して。ねえ、少しお話しない? 狂犬さん?」
少女は令谷を怖がっていなかった。
笑みさえ浮かべている。
「話し合いなど出来るのか? おい」
令谷は今にも狩猟銃の引き金を引きかねなかった。
少女は防犯カメラを見ていた。
「ほら、映っているわよ。私達、何、考えているの? ねえ、頭がおかしいの?」
「お前は“異能力者”だな?」
令谷は暗い眼をしていた。
少女は小さく溜め息を吐く。
「此処から、五分程、歩いた場所にコーヒー・ショップがあるわ。そこで話しましょう。いつもこの時間帯は空いているの。二階で話せば、店員に聞こえないわ」
そう言うと、少女は床に置いてある荷物を手に取って、令谷に背を向けた。
令谷はそんな少女の無防備な姿を見て、狩猟銃をしまう。
確かに、此処は人の眼がある。
少女から話を聞いてみても、良いかもしれない。
少女の手にしていたのは、小さなバッグと、真っ黒なギターケースだった。ギターケース……楽器でも弾くのか?
†
「私の名前は
コーヒー・ショップの二階で、二人は睨み合っていた。
「俺は牙口だ。異能力犯罪者を狩っている」
「へえ。そんな人達がいるんだ」
昼宵葉月は、注文したアイスコーヒーを口にしていた。
「単刀直入に言うが。昼宵葉月。お前は人を殺しているな? それも何名も」
令谷は獰猛な怒りに満ちた声を押し殺すように訊ねた。
葉月は窓の外の景色を眺めながら、少し何かを考えているみたいだった。
「証拠は?」
少女は笑う。
令谷は奥歯を噛み締める。
令谷の経験上、明らかに目の前の女は“人を殺した経験がある”。そんな匂いを出している。令谷が現れた時の反応も“やれやれ、またか仕方無い”といった雰囲気だった。そして“なるべく平和にやり過ごしたいけど、場合によっては、始末しても構わない”。そんな処だろうか。少しだけ、癪に障る。
「質問を変える。何故、お前は『特殊犯罪事件捜査課』の事を知っていた? そして、俺が来る事を知っていた? いかにも待っていた、って感じだったぜ」
「ええっ。鳥を使ってね。貴方の所属している組織の人達と、文通しているから。そろそろ、来る、って言っていたわ」
鳥か。
何かの比喩か。
あるいは、そのままの意味なのか?
鳥を、この少女は操れるのか?
令谷は慎重に少女を警戒していた。
やがて、二人にケーキが運ばれてくる。
葉月は餡蜜を二つ頼んだみたいだった。
他にも、ハムチーズサンドを頼んでいる。
「腹が空いているのか?」
令谷は自分でも、何か検討違いの事を言っているような気がした。
葉月は餡蜜を口に入れていく。
「私は、さっき、食べた。でも…………」
葉月は、餡蜜の皿を一つ空にした後、テーブルの下にハムチーズサンドの皿を持っていく。
そして、十数秒後、彼女は皿を令谷に見せる。
ハムチーズサンドが齧られて、皿も孔だらけだった。
令谷はそれを見て、息を飲む。
「ふふっ、私の好物の餡蜜も頼んだけど、好きじゃないみたい。やっぱり、肉がいいみたいね」
この少女は、何処までも不気味だった。
「牙口。試してみる? 私と貴方、どっちらが相手の喉を裂くのが早いのか。それは、貴方にとっては悪くない提案なんでしょう?」
昼宵葉月は、臆する事なく令谷を睨み付けながら、啖呵を切る。
…………、明らかに、異能力者だ。
令谷が“狼男”と言って始末している殺人犯達。
眼の前にいる、もうじき十九歳になる少女、昼宵葉月は、間違いなく“異能者”だ。
突然。
何が弾け飛ぶような音が聞こえた。
令谷は服の袖の中に仕込んでいる鏡で、背後の光景を見た。葉月から眼を反らないように。
令谷の後ろにずっと、付いてきていた“付添人”が、どうやら頭を攻撃されたみたいだった。付添人は、くしゅ、と、平面的にしぼんでいく。
後には、コートと、板切れのようなものが置かれていた。
「えっ? その人“絵”なの?」
葉月は思わず、呆けた顔で、令谷が“付添人”と呼んでいる人物を正体して驚愕していたみたいだった。
「ああ。そいつは絵だよ。それにしても、昼宵葉月。俺の付添人に一体、何をした?」
「答える理由は無いわね」
葉月は二皿目の餡蜜にスプーンを伸ばす。
彼女は餡子とミカン、ゼリーを次々に口に入れていく。
「さて。甘いものも口に入れたし。私はもう行くわ。じゃあ、お皿、弁償しておいてね。それじゃ」
そう言うと、葉月はバッグを手にしてギターケースを背負うと、喫茶店の店員に自分の餡蜜代とコーヒー代、ハムチーズサンド代を支払って出ていってしまった。
令谷はくしゃくしゃになったコートを見る。
コートは孔だらけだった。
コートの傍に落ちている絵を見る。
絵には“コートの人物”が描かれている。
小さなキャンバスに描かれた絵だ。
キャンバスの所々は“小動物”に食い千切られたような跡があった。
令谷は思わず、葉月の跡を追おうと走る。
喫茶店の店員には、多めのお札を握らせる。
令谷は葉月の後を追う。
葉月は誰かと落ち合っているみたいだった。
バス停だった。
真っ黒な長い髪を伸ばして、真っ白な髪の少女が昼宵葉月の隣にいた。
二人はバスに乗る。
バスの扉は閉まり、バスは去っていく。
令谷はバス停に辿り着き、先ほど起こった出来事を思い返す。
「なんなんだ? 一体……?」
令谷は付添人のコートを手にしていた。
確かに食い破られている。あちらこちらが……。
一体、何をしてきたのか……?