「今回も容赦がありませんでしたね」
付添人は、傍らの少年に告げる。
「人間で無くなってしまった者に“死”を与えるのが俺の仕事だ。彼らは生きながらにして、死者になった。なら、死者は冥府へと向かうべきだ」
そう言って、少年は煙草を口にする。
銀の弾丸によって、狼男は死ぬ。
今日も一人“狼男”を殺した。
邪悪な悪魔や魔女となってしまった人間を殺す狩人だった。
「この前は“バスタブ”と融合した人喰いバスタブ人間なる者を殺しました。今回は、数多の部品を組み立てる部品人間。一体、この街はどうなっているのでしょうね」
令谷の付添人としている男は無表情な顔で訴えるように言う。
彼は令谷同様、コートに身を包んでいた。
帽子を目深に被り、令谷の漆黒のコートとは違い、白に近い灰色のコートを着ていた。
故に、闇夜に映える。
「俺に分かるわけ無いだろ。俺は始末するだけだ。“狼男”共が一体、何の為に発生しているのか何て分かるわけが無い。興味も無い。俺は始末するだけだ」
腐乱死体の臭いが服にこびり付いてしまっている。
これは丸一日は取れないかもしれない。
下手をすると、一週間は…………。
令谷は大きく溜め息を吐いて、煙草に火を点けた。
令谷が一番、危惧しているのは、死を乗り越えようとした者達だ。彼らは生に執着して、生者を憎んで殺そうとしている者達が多い。その過程において、犠牲者は膨大な数になる。そう、その怪物達は人間を生命を喰らうのだ。故に被害は拡大化する。
令谷は、牙だらけの口が描かれた真っ黒なマスクを外す。
彼は端正な顔を夜に晒していた。髪の長さもあり、遠目で見れば美少女にも見える。
「さて、次の人狼を始末しに行くぞ」
二人は先ほど始末してきた怪物との戦いに、少し憔悴していた。
彼が“狼男”と呼んでいる者と遭遇したのは、数刻程前の出来事だった。
†
『人喰いバスタブ』が喰った人間の数は、最低でも八名だと言われている。
そこは八階建てのマンションの七階だったのだが、その部屋に住んだ者をみな喰い殺してきた。犠牲者はみな、バスタブの中で発見された。
どろどろに腐った身体は満タンになったバスタブの中で見つかり、皮膚や筋肉、骨などの体組織はボウフラと蛆虫の浮かんだ水の中で揺らめいていた。マンションの管理人は心理的玉瑕物件として格安でその部屋を新しくマンションの一室を探す客に貸していたのだが、その部屋に住む事になった住民は必ずバスタブの中で全身が崩れた腐乱死体で見つかる。奇妙な事に腐敗が進んでも部屋に入るまでは臭いが篭って外に出る事は無い。
八人目の犠牲者が出た時も、マンションの管理人は何故か、部屋の入居者を募集する事を止めなかったらしい。駅近くで1LDKの部屋だったが、その頃になると、家賃は二万円を下回っていた。
令谷は黒い袋に包んだ銃を手にして、夜の十時に付添人と一緒に、そのマンションに入る事になった。マンション内に入るには、パスワードが必要だったが付添人に調べさせて侵入する事に成功した。そして、令谷はエレベーターに入り、七階へと向かった。
七階の四号室だった。
今は住民が住んでいないらしい。
付添人の手によって、部屋の鍵は開けられた。
部屋の中を見た時、令谷は何とも言えない奇妙な異臭を嗅ぐ事になった。
部屋の中は、すっかり清掃が行き届いている。
話を聞くと、特殊清掃員達は何名も嘔吐したと言っていた。それ程までに死体は原型を留めておらず、また、死後に風呂場の中で巣を作っていた虫達の光景は凄まじかったのだと。
「やはり、バスルームから奇妙なものを感じるな」
令谷は煙草に火を点ける。
そして、土足で部屋の中へと侵入した。
バスルームに近付くと、何者かの強い気配がした。
令谷は布を解いて、銃を取り出す。
猟銃だ。
中には、銀製の弾丸が詰まっている。
令谷はバスルームの扉を開ける。
…………、いる。
ずるずる、ずるずる、と、軟体動物が這っているかのような音が室内に響いていた。
令谷はバスルームのドアノブを乱暴に回して開くと、猟銃を構え直した。
†
粘液状の怪物だった。
人間の顔らしきものが液体の中に浮かんでいる。
そして。犠牲者らしき者の人体の一部と混ざり合っていた。腸や脳の一部、骨などが液体の中で蠢いている。普段は、排水溝などに隠れ潜んでおり、住民がバスタブの湯に浸かると、拘束して、ゆっくりと喰らう怪物なのだろう。
おぞましい事に、令谷の理解する限りでは、このような液体状の怪物となった化け物も、元々は人間だったという事だ。
付添人の話によると、六年前にこの部屋に住んでいた四十代半ばくらいの男の成れの果てが、目の前にいる液体怪物なのではないかと言う。脳の破片を浮かせながら、蠅や蚊達に好きなように幼虫を生ませている目の前にいる奇怪な生命体は、元々は人間であった。その事実に対して、令谷はどうしても嫌悪を隠せない。
「こいつ、銃弾が命中するのか?」
口に出して、令谷は自嘲気味に笑う。
「どうされます? 一度、撤退して対策を練りますか?」
「いや、俺のプライドが許さない。それに、こいつはどうも、俺達を此処から逃がすつもりは無さそうだぞ」
バスルームだけでなく、水場、部屋中の排水管が流れている場所らしき場所から、ゲラゲラ、ゲラゲラと笑い声が吐き出されていく。それは歪な合唱隊となって、邪悪なる聖歌を奏でていた。
「では、弾丸の六号を」
「頼む。それを撃ち込んでみよう」
付添人に渡されて、令谷は猟銃に新たな銃弾を込める。
台所の蛇口から、アナコンダのような頭が生えてくる。その頭部は、まるで嬰児のような姿をしていた。蛇のように頭が長く、歯がびっしりと並んだ嬰児だ。その怪物は、口から、どぼどぼ、どぼどぼと、大量の手首を放出していく。手首の中には、腐敗したものや、完全に白骨したものも混ざっている。おそらくは口にした住民の成れの果てだろう。住民達は、この怪物の体内の中で、今もなお生きているのか……悲鳴のみが、聞こえてくる。
令谷は引き金を引いた。
嬰児の頭部が弾け飛ぶ。
嬰児はゆらゆらと、蠢きながら、少し苦しそうな顔をしていた。
「何を撃ち込んだ……。俺様に何を撃ち込んだ…………」
「命中すると、特殊な酸が体内に流れるタイプの弾丸だ。だが、お前には、どうやら余り通じていないらしい。おい、今度は九号を頼む」
「承知しました」
付添人は鞄の中から、別の銃弾を取り出して令谷に渡す。
令谷は猟銃に、新たに弾丸を装填する。
突如、粘液状のその化け物が弾け飛んだ。
まるで、花火のようだった。
令谷はその攻撃を眼で見ていて、難なくかわす。
だが、付添人に次々と攻撃が当たっていく。
付添人のコートは孔だらけになっていた。
コートに孔が空き、明らかに急所らしき胸や腹が貫通していた。
令谷の付添人は、床に落ちた、たった今、自分に飛散したものを拾い上げる。
「これは人間の骨ですな。ポンプのように弾き飛ばしている。それにしても、頸骨が良い弾丸になるのか」
そう言って、帽子で顔を隠した男は骨を投げ捨てる。
リビング・ルームから見える窓ガラスいっぱいに、巨大な人間の顔が浮かび上がっていた。それは、様々な人種がいて、老婆もいれば、十歳くらいの少女もいた。中年の婦人もいた。若いサラリーマンと思われる男もいた。令谷は写真で見た覚えがある顔ばかりだ。みな、この部屋のバスルームで亡くなった者達だ。彼らは一斉に合唱を初めて、令谷に助けを求める。苦しい、助けてくれ、生き地獄だ、殺してくれ、苦しみが永遠に終わらない、そのような叫び声が響いてくる。
令谷は知っている。
既に、彼らは魂無き者達であり、この怪物が死人を騙っているだけだと。
顔達の真ん中に、先ほどの嬰児のような顔の男がいた。
令谷は銃弾の引き金を引く。
九号の弾丸は、魔性のものの息の根を止める為に製造されたものだ。
びしぃ、と、間の抜けた音がして、嬰児の頭部に弾丸が命中する。
すると、この部屋の呻き声は次第に収束していった。