「うん。どうしようもない衝動に襲われて、気付いたら、私は男の人を食べていた」
家に帰ってきた怜子は、あっさり、それを認めた。
というよりも、認めざるを得なかった。
彼女の全身は血に塗れていたからだ。
私はひとまず、シャワーを浴びるように言う。
「怜子、聞きたいんだけど…………」
「何?」
「もしかして、私を食べたいって考えている?」
怜子は聞かれて、黙っていた。
私は彼女に、替えの服を渡す。
「とにかく、シャワー浴びて、私が洗濯するから。それから、両親は十時くらいには帰ってくる。これからどうするか考えよう」
お風呂場の中で、怜子は血に塗れた身体を洗っていた。
「正直に言うよ。私は葉月ちゃんの事、恨んでいる。それから、食べてやりたいとも思っている」
お風呂場の中で私の質問に答える彼女の声は、何処か酷く悲しそうだった。
私は怜子になら、食べられてもいいな、と思った。
そもそも、死んでしまった彼女をムリに呼び戻したのは、この私だ。
だから、彼女の為に、私は何でもやってあげたい。
そんな事を考えた。
†
怜子は死ぬ瞬間の事を話してくれた。
それから、私に隠していた沢山の事も…………。
「葉月ちゃんは知らなかったよね? 私はお父さんから虐待されていた。それも性的に……。幼い頃からずっと、お母さんは見てみぬフリをしていた」
私は大好物のベビーカステラを口にしながら、怜子の告白を聞いていた。
「私は処女じゃないよ。小学校、五年生だった。ベッドの中に、お父さんが潜り込んできて、それからずっと、私はお父さんに犯され続けていた。遠く離れた有名大学に入って、一人暮らしがしたかったのだけど、お父さんが許さなかった。私は成績がよくなかったから、いい大学には入れなかったけど、とにかく、一人暮らしがしたかった…………、家から出たかった、でも、一人暮らしがしたかった……、仕方なく私は、服飾関係の仕事をしたい、と言って、専門学校に入る事にした…………、でも、本当に行きたかったわけじゃない」
怜子は涙を流していた。
「高校を卒業した後も、これから、ずっとこんな人生が続くんだと思うと耐えられなくて、気付けば、私はマンションから飛び降りていたよ……………」
泣き続ける怜子を、私は抱き締める。
「怜子は、ずっと、何かを抱えていたね。私達は親友だった。もっと、心を開いて話して欲しかった」
「親友だと思ったから言えなかったの。言って、葉月ちゃんは、私の事を嫌いになると思っていたから、汚らしい私を見て、軽蔑するのだと…………」
私は首を横に振る。
「嫌いにならないよ。怜子が人を殺して食べた事を知っても、私の事を食べたいと言ってくれた時も嫌いにならなかった。でも、怜子、私達がこれからやるべき事は決まったね。今後の人生について」
そう言って、私と怜子は、怜子の家に向かう事にした。
今日は、帰りは夜中になるかもしれない。
両親には、大学のサークル仲間との交流会があったとでも伝えておこう。
怜子の父親は大企業の商社マンで、課長をやっているらしい。母親は美容師をしている。普通、子供に酷い性的虐待を行う家庭は、貧困家庭が多いのだと聞く。教育もマトモに受けられなかった両親が子供を酷く虐待するのだと…………。
怜子の父親は、偏差値の高い大学を出て、年収は一千万近いらしい。母親も働いている為に、そこそこの稼ぎはある。外側から見れば、裕福な家庭で、怜子は裕福な家庭のお嬢様といった処だった。それなのに、何度も実の娘に肉体関係を強要して、父親は怜子が初潮を迎えた時に避妊薬を飲ませる事も強制させて、妊娠させないという徹底ぶりで彼女を強姦し続けた。何度も、何度も、中学校の頃も、高校生になっても…………。
そんな希望の無い人生に疲れて、怜子は高校の卒業式が終わってから、気が付いていたら、ビルの上から飛び降りてたのだと言う。真っ赤な一輪の花になれた事を、怜子は喜びながら、空の上に昇っていった。
そして、私が再び、この世に彼女を引き戻した……。
私の自分勝手な都合、エゴで。
「なんでもやるよ。怜子、私の血肉も、命も捧げたっていい」
夜の闇の中、私は怜子を抱き締める。
怜子も私を強く抱きしめる。その身体は氷のように冷たかった。
†
夜中の十二時を少し過ぎていた。
マンションの部屋の中は広くて、5LDKはあった。
私と怜子は血だまりの中にいた。
怜子の両親の死体が床に転がっていた。
怜子は刃物で、何度も、何度も、父親の死体を突き刺していた。
それから、お腹が空いたので、母親の方は食べると言った。
「これからどうしようか? 夕方頃だっけ? 若い男性を喰い殺してきたのは。通行人に見られていたり、監視カメラに写っている筈だよ。警察が私達に辿り着くのは時間の問題じゃないかな?」
私はそう言いながら、洗面所で両手を洗っていた。
リビングルームでは、がつがつと、怜子が母親の腹をナイフで裂いて、内臓を貪り喰って
いる音が聞こえる。腸なんて美味しいのだろうか? 中には糞便が詰まっている筈だ。
「でも、どうするんだろうね? “死んだ人間が生き返って人を殺しました”って、ふふっ、ゾンビパニック映画みたいに世間には騒がれるかな?」
私は怜子の両親を刺し殺した包丁を洗い流していた。
手には、未だ、肉を突き刺した感触だとか、骨に当たった感覚だとかが残っている。包丁は刃こぼれを起こしていた。
怜子は父親の通帳と銀行のカードを見つけたみたいだった。
しばらくの間は、下ろしたお金でホテルを転々として暮らしていくと言う。
「葉月ちゃんは、これからどうするの?」
「私は今まで通り、大学に通う。でも、怜子にも会う。その方がいいでしょう?」
私は血塗れの服を脱ぎ捨てて、替わりの服へと着替える。
私達二人はマンションの部屋を出た。
部屋の中に灯油を撒いて、あちこちに火を点けた。予想ではボヤで済むと思う。マンションの他の住民はあまり巻き添えにしたくない。火が燃えている事に気付いて、大火事にならない事を願っている。スプリンクラーも室内には設置されている為に、大惨事にはならないだろう。ただ、怜子にとって、住んでいた家は忌まわしい場所であった為に、多少は灰になって貰う事にした。何より、少しでも証拠隠滅を行いたかった。
人の肉の焼ける臭いがする。
聞いた話によると、人が火葬される臭いを嗅げば刑務官でも、吐瀉物をまき散らしたという話を聞いた事があるが、人間が燃える臭い、私には悪く感じない。
案外、ローストチキンのように香ばしいな、と思った。
私も、なんだかお腹が空いた。
「これから、どうする? 葉月ちゃん? 何処に行く?」
怜子は不安げに訊ねる。
「そうだね。甘いものが食べたいかな。これから、ファミレスに行こう。きなこ味のパフェが食べたい。それから。チキンがいいな。ハーブ入りのね。皮がパリパリの奴」
「ふふっ、葉月ちゃんらしいね」
怜子は天使のような笑顔を浮かべていた。
そう言って、私達は消防車のサイレンの音を聞きながら、マンションを後にする。
私は隣にいる怜子を見ながら、ふと、思い至った。
私は親しい人間の死が異様に怖く、深いトラウマになってしまっている……。
そう、私の周りでは、私の大切な人は誰も死んではならないのだ……。
私は、今度、お墓参りをした時に、親戚のお姉さんと、大好きなお祖父ちゃんも生き返らせようと思った。今度は骨壺の中身を使おう。
「ねえ、葉月ちゃん。なんだか、幸せそう。何かいい事でも思い付いた?」
「うん。怜子、私一人じゃ寂しいんじゃないかと思ってさ。だから、私の家族とも仲良くして欲しいな。きっと、仲良くなれると思う」
そう言って、私は怜子の冷たい手を握り締めるのだった。