「それは絶対にダメだ!」
「なぜ? 私なんかが小説やめようが貴方には何も影響ないじゃない」
「『なんか』だと? 僕の好きな作家を『なんか』って言ったのか!?」
「……っ!?」
ついさっき雨宮さんが言った言葉をそのまま彼女に返してやった。
「何を勘違いしているのかわからないけど、僕にとって桜宮恋は遥か雲の上の存在だ。実績も実力も小説に対する思い入れだって、すべてキミの方が上に決まっているじゃないか!」
「そ、そんな言葉で惑わされません。貴方の方が面白い小説を書けるのだから貴方の方が上なんです!」
雨宮さんは動揺している。
その証拠にいつものような敬語が戻ってきた。
「雨宮さん。黙っていたけど僕は今『小説家だろぉ』に小説を投稿している」
「えっ、雪野さんの小説が他にもっ!? よ、よみたいです。今すぐ!」
「読むがいいさ。そして失望すればいい。キミが憧れた小説家はこんな駄作も作るのかって」
「だ、騙されません‼ 弓野先生の小説は全てが面白いに決まっています!」
ふっ、甘いな雨宮さん。
だろぉに投稿されているアレの駄作っぷりは自他ともに認めるレベルなのだ。
プロットの修正で2話以降はマシになっているとはいえ、アレはまだまだ面白さから遠い作品だ。
アレを見せるのは正直恥ずかしい。だから黙っていたのだけど、今の意固地になっている雨宮さんの目を覚まさせるには良い薬かもしれない。
「な、なにを笑っているのですか! ていうかどうして勝ち誇っている表情しているのですか! あと『小説家だろぉ』で投稿している雪野さんの著者名と作品名教えてください」
ピョンっとこちら側に足を付く雨宮さん。
同時に僕は思いっきり駆け出して彼女に抱き着いた。
「ゆ、ゆゆゆゆゆゆゆ雪野さん!? な、なんですか!?」
「――よかった。雨宮さんにもしものことがなくて本当に良かった!」
「わ、わわ、泣いているのですか? す、すみません」
左手で背中を摩りながら右手で僕の頭を撫でてくれる。
なんかこれ僕が慰められているみたいだ。
「あ、あの、信じてもらえるかわからないですが、本当は転生するつもりなんてなかったんですよ? でも才能に嫉妬したのは本当で、ちょっと愚痴を言おうと思ってあんな文章を送ってしまったというか、その、色々すみませんでした」
「いや、あの迫力は僕が言葉を間違えていたら飛び降りていたと思うんだけど」
「それは、えと、どうでしょうね」
困ったように笑う雨宮さん。
危なかった。ちょっとでも選択肢を間違えていたらこれBADエンドに進んでいたな。
キーンコーンカーンコーン
「あっ、予鈴がなっちゃいましたね。雪野さん教室に戻りましょう」
「…………」
「あ、あの、放してもらえると」
「…………」
「雪野さん? お気持ちは嬉しいですし、このままの体制でいることは私的にもやぶさかではないのですが、私のせいで雪野さんを遅刻させるわけにはいかないですので」
「……立てない」
「えっ?」
「安心したら……腰抜けた」
「えええっ!?」
「あっ、そのうち治ると思うから雨宮さんは先に行ってて」
「置いていけるわけありません! 元はといえば私のせいなんですから。雪野さんが回復するまでこのまま一緒に居ます」
雨宮さんは僕の体を自身の方へ引き寄せて再び僕の頭を撫でてくれる。
なんてなさけない姿なんだ僕。女の子の腰に手をまわしてスカートに顔を埋めている。
ほんのり良い匂いがする。
雨宮さんはただただ僕の頭を撫で続けてくれた。
「ありがとう。嫌な顔せずに身体を預けてくれて」
「他の人だったら確かに多少嫌悪感はあったかもですが、雪野さんなら全然大丈夫です。不思議と全く不快感ありません」
「さっきまであんなに不快感を露わにしていたのに」
「……」
ギュム、と頬を抓られる。
「いたいいたいいたい」
「変なことを思い出す悪い子にお仕置きです。さっきまでの私の姿は忘れること。いいですね」
「は、はい」
無理なことを言う。先ほどまでの雨宮さんの印象は強烈だった。
まるで人が変わったかのように嫉妬し、気落ちし、激昂していた。
その原因は地の文の無い僕の7000文字恋愛小説。
題名すらも決まっていないアレがここまで人を変えたという事実が未だにピンとこない。
久しぶりに恋愛小説を書いたからか珍しく筆が乗り、超速筆で完成に至った小話。
自分では面白いのか面白くないのかよくわからなかった。
だけど雨宮さんには何か強烈なものが刺さったのだと思う。
「(知りたいな)」
人の感情を変えられる【何か】。
僕の小説に存在するのであればその正体を僕は知りたい。
それを知ることで僕は一歩進めるような気がした。
スッ
「うひゃう!」
不意に雨宮さんが僕の頬を触ってきた。
「可愛い驚き声ですね」
「き、急にほっぺ触ってくるから」
「駄目でしたか?」
「いや、全然だめってことはないけど」
むしろ触ってほしいという感情も沸いていないこともないがそこはさすがに黙ることした。
「雪野さん。化粧水は何を使っているのですか?」
「えっ? 化粧水なんて使ったことないけど」
「…………」
ぎゅむ~~!
「痛い痛い! なんでまた抓ったの!?」
「抓りたくもなります。化粧水無しでどうしてこんなにスベスベなのですか!」
「す、スベスベなの? 初めて言われた」
「むぅぅぅ! 小説だけじゃなくて肌の質でも負けたぁ!」
力いっぱい悔しがっている雨宮さんとは対照的に僕は全く嬉しくなかった。
「いや、小説も肌の質もまだ決着ついてないでしょ。さっきも言ったけど桜宮恋の恋愛小説本当に楽しみにしているからね」
「うぅ……負け確なのに書かないといけないのですね」
「あと肌の質に関しては絶対僕勝ってないからね。さっきほっぺを触ったときの雨宮さんの手冷たくてスベスベで気持ちよかったよ」
「……勝者の余裕だ」
「違うって!」
頬を膨らませながら拗ねだす雨宮さん。
この子拗らせると本当に面倒くさいんだな。
僕だけに見せてくれる一面だとしたら可愛いかもしれないけど……そんなことはないんだろうな。こんなかわいい子絶対人気者だろうし。
「よし! 雨宮さん僕の身体を預かってくれてありがとう。本当に不快じゃなかった?」
「雪野さんの肌の質の良さは不快でした」
「思いもよらぬ返しやめて」
「ふふっ、なんか良いですね。こういうの。なんていうか――」
「青春っぽい?」
「小説っぽいです」
苦笑する。
今の僕らの会話は小説キャラクターが繰り出す会話劇っぽかった。
高校に入ってから友達が一切いなかった僕からすると、ここ数日の出来事は毎日が新鮮で、心に抱えたもやもやした闇が霧散するかのような晴れやかな気分だった。