「そういえば昨日の小説には先週の出来事は文章化されていなかったね」
「あっ、見てくれたのですか!」
嬉しそうに眼を輝かせる。雨宮さん結構感情表現豊かだな。
「えっと、昨日送ったのは試しというか大衆作品の感じをつかむ為のチュートリアルというか、本命の作品ではありません。感じを掴めたら先週の出来事と今日の出来事を本文に組み込むつもりですが」
「あっ、なるほど。道理で」
「それで、その、感想なんかも伺いたのですが」
「あー、うん」
さて、ついに本題か。
これ言うの勇気がいるなぁ。
でも言わないと雨宮さんの小説に未来はない。
心を鬼にして……いう。
「正直いうと僕は面白かったんだ」
「ほ、本当ですか!?」
「うん。嘘じゃない。『僕は』面白かった」
「と、いうと、やはり、そういうことですか」
雨宮さん、自分で気づいているのか。
自身の小説の弱点に。
「うん。あの作品は『大衆』には面白くない。雨宮さん残念ながら昨日の作品は『純文学』に近いよ」
「そう……ですか」
言ってしまった。
自身が面白かった、というのは本当である。
昨日作品を一言で言い表すのであれば『挑戦』だ。
大衆作品が書きたいという思いが垣間に見えながらも桜宮恋が持つ独特の純文学の表現が融合されていた。
「雨宮さんが書きたいのは大衆作品としての恋愛小説なんだよね?」
「はい」
「だとするとやっぱり良くないと思う。無意識だと思うけど純文学を書いている時の癖が溢れていたよ」
「そうでしたか。自分では見返しながら執筆していたつもりだったのですが……」
「それとね。問題はそれだけじゃないんだ」
むしろこれこそが本題。
僕は今から雨宮さんに残酷なことを言わなければいけない。
「聞かせてください!」
覚悟はできている、と言わんばかりに両手に力を籠める。
力が入ると無意識に距離を近くするのは癖なんだろうなぁ。ドキっとするから直してほしい。
僕も真似をするように両手に力を込めて、はっきり云う。
「キャラクターに……全く魅力がない!」
「えええええ!? だ、だめですか!? 佐藤君と鈴木さん!」
「駄目だよ! 雨宮さんキャラ設定全く練ってなかったでしょ!?」
「はい! 書きながら考えればよいと思っていましたので」
「それ一番やっちゃいけないやつ!」
「そ、そうなのですか!?」
「ていうかキャラクター名から分かったよ! 雨宮さんがキャラ設定を考えずに書き始めたことなんて」
雨宮さんが書いた小説は佐藤太郎くんと鈴木花子さんの日常恋物語だ。
この二人以外にも主要キャラっぽい人は出てくる。高橋一郎だったり長谷川次郎だったりとここまで一貫してキャラ名が適当だとそれも有りかなとも思ったけど、読んでいてキャラに個性が全くなかったのでその辺はマイナス点でしかなかった。
「ボロクソ言われましたっ! じゃあじゃあ逆に聞きますけど、雪野さんはどの辺が『面白い』と思ったのですか?」
「風景描写とか心情描写の部分かな。この辺りは僕にはできない高度な文章表現で表されていた。普通に勉強になったよ」
「全部地の文の部分じゃないですか! キャラクター同士の面白おかしい会話劇はどうでした?」
「面白おかしい会話劇なんてあった?」
「うわーん! 雪野さん全然優しくなかったぁぁぁぁ!」
だから言ったのに。
僕は思ったことはバッサリいうタイプなのだ。
自身に優しさがあるなんて今まで感じたことなかった。
「なんというか、雨宮さんの小説は神聖すぎるんだ。聖書読んでいるようだった」
「聖書!?」
「もっと表現を崩さないと大衆はついてこないと思うよ」
「でも、具体的にどうすれば良いのか……」
そうだよな。今まで染みついたものを急にそぎ落とせと言われても無茶な注文だ。
多少荒療治でも純文学っぽさを消す方法……うーん、何かないか……
「そうだ。台本だ」
「えっ?」
「雨宮さん。一場面だけでも良い。地の文をゼロにした会話だけの小説を書いてみない?」
「えっ? えっ? えっ??」
「恋愛小説なんだからキュンキュンする場面が良いな。というわけでそれが宿題ということで」
「ま、まままま、待ってください! 地の文なし!? それって小説なのですか?」
「立派な小説だよ。そういう作品でも良作と呼ばれる作品いっぱいあるよ」
『だろぉ』でも良く見る。
最初は手抜き作品じゃん、なんて思っていたのだけど、読み込んでみると十分な面白さを持つ作品は少なくない。
「うー、自信ないです。会話だけの小説ですかぁ」
「大丈夫。雨宮さんならできるよ。楽しみに待っているね」
雨宮さんの作品は地の文で面白さを膨らませる傾向がある。
逆に言うとキャラクター同士の会話がつまらなすぎるのだ。
だからこその地の文を封じた会話劇。
これで見込みがないようであれば桜宮恋の進むべき道は純文学しかないということになる。
「……雪野さんも書いてください」
「へっ?」
「私だけ苦手な分野をやらされるのは不公平です。雪野さんも書いてください」
まさかのカウンターが飛んできた。
「いや、僕は――」
「書いてください」
有無を言わせない迫力。
いつもの奥手な雰囲気を一切感じさせない力強さがあった。
な、なんだ? 急に。
――どうして僕まで書かないといけないの?
という言葉が喉元までこみ上げるがそこから上がってこない。
彼女の圧力に押しつぶされるように僕は無言でコクコクと首に縦に振るしかなかった。
その返答に雨宮さんはとても嬉しそうに満面の笑みを溢していた。
「弓野先生、どちらが面白い会話劇を書けるか勝負ですね」
「しょ、勝負なんだ。ま、まぁ、別にいいけど」
どうして急に勝負なんか言い出したのか謎だけど、自分の投稿小説の執筆の合間にでもやってみればいいか。
久しぶりに恋愛小説の一端を書いてみるのもアリかもしれない。
「小説出来上がったらすぐ教えてくださいね」
「わ、わかった」
「ジャンルは恋愛。そうですね――7000文字以内くらいの制限で。よりキュンキュンさせた方が勝ちということにしましょう」
「は、はい」
雨宮さんがめっちゃルールを指定してくる。
あ、あれ? なんか僕の方が恋愛小説指導を受けているような雰囲気に……
「じゃあ今日は閉会ということで! 雪野さん今日も一緒に帰りましょう」
「あ、うん」
なんだか妙なことになってしまった。
まだ展開についていけないが、とにかく僕も7000文字恋愛会話劇を書くことになった。
やるからには真剣にやらないと雨宮さんに失礼だよな。頑張ってみよう。
帰り道、隣に雨宮さんが並んで歩いていることも忘れてさっそく会話劇のプロットを頭の中で構想する。
「……ふふ」
隣で歩く雨宮さんが嬉しそうに微笑んでいることに僕は気づけずにいた。
【main view 雨宮花恋】
最近、放課後の時間が楽しみで仕方がない。
雪野弓さん――弓野ゆき先生。
私の恋愛小説の起源とも呼べる人がすぐ傍にいた。
こんな私のすぐ傍にいてくれる。
雪野さんに会う前の私は正直途方に暮れていた。
純文学に見切りをつけ、本当に書きたいものに挑戦する。
それがどんなに私を苦しませたことか。
書いては否定され、また書いては拒絶され、また書いては見放された。
以前誰かが私をこういった。
【純文学の神童】と。
この称号が私に純文学の道に戻ってこいと手招いているようにも思えた。
純文学を書かない桜宮恋など価値はない。
そう言われているようにも思えた。
いや、実際にそうなのだろう。
――そうなのだろうと思っていたのだけど。
『――私、純文学以外を書いてもいいんですよね?』
『当たり前じゃん。ていうか普通に楽しみだよ桜宮恋の大衆作品』
この人はあっさり答えてくれた。
間髪入れずそう答えてくれたことがどれほど救いになったことか。
大衆に認められる前にまずこの人に認められたい。
私の中の恋愛小説の始祖――弓野ゆき先生に勝って認めてもらう。
それが私の大衆文学の第一歩になる。
「それは建前……ですね」
今の私の創作意欲の源はそんな大それた理由じゃない。
もっと単純に、雪野さんに私の恋愛小説を面白いって言ってもらいたい。
今はそれだけで十分頑張れる。
創作意欲が溢れて止まらない。
難しいかもと思っていた台本小説もスラスラかける。
「うーん。7000文字って意外と短いかも。10000文字とかにすればよかった」
7000文字指定は本当に日常の一部分しか書けない。
その短さで雪野さんをキュンキュンさせないといけない。
「雪野さん、どういうシチュエーションに弱いのかなぁ」
あの人がキュンキュン悶えている姿が全く想像つかない。
でもそれができたらどんなに楽しいか。
雪野さんが悶えている姿を見て私が微笑ましく見守る……うん良い。それ良い。絶対やりたい。やろうそれ。
若干不誠実な気もするけど目先の目標が定まると更に筆が早くなる。
そして――
「できた……っ」
時刻は22時。
「うーん。今すぐ雪野さんに読んで欲しいけど、さすがに夜分遅くに連絡するのは非常識ですよね――ってあれ?」
アプリに未読メッセージを通知する数字が浮かんでいる。
私がこのアプリをスマホにいれたのはつい最近だ。
もちろん連絡を取り合うことが可能な人は1人しかいない。
「うぇぇ!? 雪野さんもう小説送ってきている!?」
しかも1時間前に。
私はどちらかというと早筆であると自覚している。
そんな私よりもこの人は早く仕上げてきた。
さすが弓野ゆき先生。こんな所でも私を驚かせてくれるなんて。
「でも勝負は内容で決まります。弓野先生、お手並み拝見させていただきます!」
早速小説データをダウンロードし、閲覧する。
文字数6,991文字。制限文字数ギリギリで納めている。
「……」
私は雪野さんが生み出したストーリーを真剣に読み更けっていた。
文字数は6,991文字の小話だ。どんなにゆっくり読んでも10分もすれば物語は終焉してしまう。
だけど私は読み終えるまで30分は掛けたと思う。
「…………」
読み終えて、私はすぐにまた最初から読み始めた。
2週目は1週目よりも長い時間を掛けて読む。
「…………………」
何回繰り返し読んだだろう。
弓野ゆき先生の作り出した地の文のない男子と女子の恋物語。
気が付いた時には深夜2時を回っていたのであった。