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平安あやかし探聞
井川奎
歴史・時代日本歴史
2024年08月28日
公開日
9,294文字
完結
幻想時代事件簿。

美貌のあやかし、余理(より)と、恋に落ちてしまった、宗孝(むねたか)は、毎夜、二人の時を過ごしている。余理は、都の噂を宗孝に語るが、それは、鬼が羅城門から琵琶を吊るすという奇っ怪なものだった。

ところが、勤め上の相棒である、噂好きの公達、頼近(よりちか)に、琵琶が吊るされているのか、確かめに行こうと誘われ、宗孝は、渋々付き合うことに……。

羅城門で、見たものとは?

第1話


後一条天皇の中宮に、時の摂政、藤原道長ふじわらのみちながひめ威子いしが決まったその年のこと。平安京では、奇っ怪な話が流れていた。




都の表玄関として建てられた、羅城門の楼閣から、毎夜、琵琶が鬼によって吊るされる──。




これはきっと、太皇太后、皇太后、そして中宮と、一家三后を実現した、道長のおごりを戒めているに違いないと、浮評うわさは広まるばかりだった。




その、朱雀大路の最南端に鎮座する、平安京の内と外を分かつ門──羅城門は、雨ざらしとなり、その体を成していない。




荒れ放題の楼閣には、身寄りのない死体が積み重なり、盗賊の溜まり場になっている。




しかし、この門の本来の役目、都の内と外、すなわち、この世と異界との境界線を示しているという事を、人々は忘れておらぬのか、時世への不満も重なっているのか、皆は、この琵琶の噂話を心底不気味がっていた。




「……単に、その琵琶が要らなくなったからだろう」




宗孝むねたかは、自らの腕の中で、噂話に怯える女、余理よりに言う。




交わりの後の、まどろみからか、余理は多少大胆になり、細長い白魚を思わせるような美しい指で、宗孝の鼻を摘まんだ。




「どうして、あなた様は、いつも、そう冷淡なのでしょう」




自分の話に真面目に取り合わないと、余理は苛立っているのか、すねているのか。




二人を包む夜具に差し掛かる、高台の明かりが、そんな、少しばかり不機嫌な女の顔を仄かに浮き上がらせた。




切れ長の瞳に、鼻筋の通った、少し面長の顔は、一介の遊女にしては、もったいないほど、整っている。




宗孝は、つと、目の前に迫る、余理の手入れが行き届いた、艶やかな髪を、もて遊んだ。




指先にくるりと絡め、その触感を楽しむが、力を入れすぎたのか、余理は、あっと、小さく叫ぶ。




「おお、すまぬ。先程の仕返しよ」




お前が、鼻を摘まんだろうと、言う宗孝に、余理は、いっそう拗ねて見せた。




「それにしても、この様な事など、昔はなかったのに。人の世との結界を守る羅城門が、あのように、荒れ果ててしまっては……」




言うと、余理は戸惑いから逃れようとばかりに、宗孝の胸に頬を寄せた。




「それに、かの摂政様の世になって、都では、奇っ怪な事が相次いでばかり。皆、夜出歩くのが、恐ろしいと……」




「うーん、それは、それは。お前の商売も上がったりだなぁ」




「……商売だなんて。私は、ずっと 宗孝様一筋なのに。お忘れですか?あなた様と私の出会いを……」




出会いも何も、と、くすりと笑っい、宗孝は余理を抱き締めてやる。




遊びとして商うごとで、庵にひっそり暮らす余理という女は、人ではない。




いつまでも歳を取らず、若さを保つ姿を怪訝に思われてはと、苦肉の策か、遊女と称して、人の世に生きている、あやかし、なのだ。




その余理が、鬼の仕業などと、同類を恐れているのだから、なんとも、奇妙な話よと、宗孝はおかしくもあるが、本人にとっては、そうゆう問題ではなさそうだった。




(さても……。これの言うように……。)




宗孝は、ふと思う。




余理と出会ったのは、いつのことだったのだろう。つい、最近のような、いや、遥か昔のような……。




なぜか、宗孝は、余理との出会いを、はっきりと、思い出す事ができなかった。思い出そうとするたび、記憶に霞がかったようになり、とても大切な何かを、忘れているような、妙な気分に陥ってしまう。




(そうだ……あれは。)




季節外れの、笹百合ささゆりが一輪、咲いていた。それは、宗孝の屋敷の庭であったのか、はたまた、野遊びに、仲間と出かけた時であったのか。宗孝が、覚えているのは、つい、その美しさに引かれて、手追ってしまったということだけだった。




そして、笹百合は、女人の姿、余理へと変容し、宗孝へ恋心を告げた。




宗孝が、笹百合を手折った瞬間、二人は、本来引かれているはずの、人とあやかしの境界を越えた。




宗孝は、美しいと思い、余理は、凛々しいと思った。それだけのことだった。




以来、本能というべき、気持ちに逆らえず、異種でありながらも、二人は、共に夜の一時を過ごしている。




どこか戯れのような、反面、心の底から呼び起こされる不思議な力に導かれて──。

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