「もう!シロちゃんも、ステファン様も止めましょうよ!」
美代が声を上げる。
しかし、ステファンは興奮から抜け出せないのか、美代の手を強く掴んだままだった。
「痛っ」
ステファンが強く握りすぎたようで、美代は小さな悲鳴を上げる。それに反応した四郎がステファンめがけ駆け出した。
「うわっ!」
同時に、ステファンの悲鳴が響く。
「シロ!足に噛みつくなっ!」
ステファンは、左足を引きずるようにして、四郎から逃れようとした。
子猫に噛みつかれたとはいえ、四郎の攻撃はかなりのものらしくステファンは、足を庇いながら、四郎を離そうと躍起になっている。
「きゃっ!シロちゃん!やめてっ!乱暴は良くないわ!」
ステファンの仕草を見た美代は、とっさに四郎を注意した。
「シロ!早く離れなさい!」
ステファンも、たまりかねているようで、叫ぶ声はうわずっていた。
しかし、四郎は動じることなく、ステファンの足から離れる気配もない。
「美代さん!これはどうゆうことですか?!そもそも、あなたは、一体、何者なのですか!宮中に出入りしたと言い、そして、しゃべる猫が現れ……私は、その猫に噛みつかれている!」
痛さを堪えながら、ステファンは美代へ責め寄った。
喋る猫の存在もだが、何故、そのような奇妙な猫が美代を守るような事をしているのか。思えば、美代の言葉の節々にも違和感があった。宮中の話をさらりと語ったのだ。いったい、どういうことなのだろう。沸き起こる疑問に、ステファンは押し潰されていた。
埒が開かない。そんな焦りがあるようで、ステファンの口振りは少し強いものになっている。
「えっと、それは……そのぉ……」
まさか、ここで身元を追及されるとは思っていなかった美代は言い淀み、黙りこむ。
沈黙が続いた。
ステファンの四郎を何とかしようとしている叫びが響き渡っている。
この状況を収めようとしてか、覚悟を決めたとばかりに美代は大きく息を吸い込んだ。
四郎は、その美代の様子に慌てた。そして、ステファンから離れ、駆け寄った。
「だめだ!美代ちゃん!言っちゃだめ!」
「でも、シロちゃん。ステファン様も不思議に思っているわ。もう隠せないよ……」
四郎へ静かに言い、美代は一度目を閉じると、ゆっくり言葉を発する。
「私は……妃選出家、三門家の娘なんです」
美代の言葉を聞いたステファンは、何も言えず、ただ驚愕の表情を浮かべている。
「それは、つまり、あなたは、帝の……妃候補?」
大使の秘書官であるステファンは、妃選出家の制度の事は知っていた。美代の言った事は十分理解できるのだが、いきなりの話に、思わず確認するかのよう美代へ問いかける。
「はい。ただ……あまり口外すべき事ではないので、黙っていました」
落ち着いた美代の口ぶりに、ステファンは信じられないというように頭を振った。
「では、それなら、あなたはここで何をしているのですか?!」
「何しているって、ステファンが美代ちゃんを連れて来たんだろう!!」
四郎の一喝に、あっ!とステファンは声をあげると、掴んでいた美代の手をさっと離す。
「そうだった!私が美代さんを連れて来たんだ。しかし、それは、具合が悪そうだったから……」
呆然としながら、ステファンは、自分の行ったことを思い出しているようだ。
そこへ、淡い光が差し込めて来る。
たちまち闇にステファンの姿がぼんやり浮かび上がった。
光は、ステファンの金髪を輝かせるが、同じく輝くはずの碧い瞳には、緊張の色が浮かび揺らいでいる。
「いかが致しました!旦那様!」
叫び声がしたとカンテラを照らしながら血相を変えたカールが現れた。
「旦那様!ご無事ですか?!」
「ああ、カール。なんでもない」
ステファンは、少し眩しそうにしながら、自分を照すカンテラの光りを避けた。
「美代!いい加減にしないか!お前が何かしでかしたのだろう?!」
カールの鬼のような剣幕を受けた美代は、顔を強ばらせる。
「返事をしろ!」
カールは容赦なく美代を責め始めた。
「カール!よさないか!」
事情を知ってしまったステファンは、慌てて美代をかばうが、何も分かっていないカールはそれが気にくわないようで、すかさず、美代はメイドのはずで、甘やかしてはならないとステファンへ意見してくる。
「カール!」
すっかり、暗くなった庭に、ステファンの怒鳴り声が響き渡った。
「美代さんは、メイドではない!通訳としてここにいるんだ!その態度を改めろっ!!」
「通訳……」
カールの口角が意地悪く上がった。
「美代は、我々の言葉を理解出来ないはず。日ノ本の国の言葉しか分からない者がどうして、通訳などできますか?」
カールが痛いところを突いてくる。
「そ、それは……」
ステファンは怯む。
してやったりと、カールは嫌らしく口角を上げ続け、美代へちらりと視線を送った。
その見下す様なカールの姿は、美代にとってますます居心地の悪い状況を作り出す。
カールは美代をメイドとしてしか認識しておらず、その立場を軽んじる態度を隠そうともしないままだ。
一方、ステファンは美代をかばう姿勢を貫いている。
真実を知ってしまった以上、美代をただのメイドとしては扱えない。それを、どうにかカールに理解させようとしたかったのだが、分からせるためには、美代の本当の身分を明かさなければならない。しかし、それは避けたかった。
事が事だ。いくら信頼の厚いカールでも、美代の正体を簡単には話せないと、ステファンは直感的に思った。
「カール!美代さんはメイドではない!通訳としてここにいると言っているだろう!その態度を改めろ!」
ステファンは強い口調でカールに言い返すが、カールは冷笑を浮かべるだけだった。