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第65話

 ──蕎麦屋の広間で、大事が起ころうとも、空は茜色に染まり、ステファンの屋敷には夕暮れ時のどことなくかげった光が差し込めていた。同時に侘しくも懐かしくある空気が流れ、その中で、手入れ不足の為に荒れかけている庭園を眺めながら、美代とステファンは立ちつくしていた。


「全くお恥ずかしい。どこもかしこも、私の屋敷ときたら……」


 ステファンは、少し困った顔をする。


 真似かねざる客として、カサンドラ嬢がやって来る。勢いで美代に通訳を頼んでしまったステファンは、屋敷の間取りを教えるごとで、美代を案内していた。


 さすがに、台所と与えている小屋の往復では不味かろうとステファンが思ったからだ。


 カサンドラ嬢を迎える準備だと言い、先ほどから美代を連れ回しているのだが、改めて屋敷を案内して回ると、手入れの不十分さを心底嘆いてしまう。


 これを整えなければならないのかと、今更ながら、ステファンは、弱りこんだ。


 美代に屋敷を見せて初めてその有り様に気がついた。しかし、カサンドラ嬢の到着は三日後だ。


「美代さん、庭も酷いですね……。御客様を迎えると言っても……これは、どうすれば……」


 習慣的に、おそらく、庭で茶を嗜みたいとカサンドラ嬢ならば言うはずと、庭の様子を見に来たのだが、当然、ここも他と同じくでステファンには手も足も出なかった。


 低木が生い茂り辛うじて庭を演出している有り様では、お茶の時間など設けられないだろう。


 かといって、客間もどこか、煤けている。掃除不足という事もあるが、基本的な調度品に問題があるのだろう。


 客間だけではなく、屋敷全体が、すかすかなのだ。


 飾り立てられていなければならないはずが、置物の数も中途半端で、装飾品が少なく華やかさに欠けていた。


「まあ、今のままでも、辛うじて人を迎える事はできますが……華やかな生活を送られて来た客人ですから……ご満足……頂けないでしょうね」


 ステファンは言葉に詰まるが、美代は微笑んだ。


 そして再び庭を見渡すと、穏やかに話し始める。


「ステファン様?何も完璧である必要はないと思いますよ?確かにこの庭は荒れていますが、少し手を入れれば、なんとかなります。元々の造りがとても計算された物に見えますから……。剪定するだけでも大きく変わると思いますよ?」


 ステファンは、少し驚いたように美代を見た。まさか、美代がここまで落ち着いて対応するとは思わなかったからだ。


「美代さん、本当にそう思いますか?」


「ええ。だって、木々はしっかり生きています。ただ、手をいれてないだけですから。そうだわ!庭の手入れを今から一緒にしましょう!雑草を抜くだけで、変わりますよ!!」


 言われてみれば、庭師を雇わず放置していただけで、植物はしっかり根付いている。


「わかりました!やりましょう!しかし、どうやって?庭師がいなければ、どうにもならないのではないですか?」


「ステファン様!この庭は、元々の原型がしっかり残っているのですから、私達で整えられます!庭師を雇う必要などありません!そしたら!費用が浮きます!浮いたお金で、他の事ができます!」


「なるほど!!」


 ステファンは、美代の持論に感化される。


 ややうらぶれたステファンの屋敷の様子に、美代は、自身の家を重ねてしまっていた。俄然、節約魂がむくむくと頭を持ち上げ、体がむずむずしていたのだ。


 こうして二人は、日暮れ時だというのに、庭の手入れを始めることにした。


 ステファンは、上衣を脱いで腕まくりをし、美代を道具小屋へ連れていく。


「美代さん!必要な物をもって行きましょう!」


 美代は、率先して剪定ばさみを取り、張り切るステファンへ、作業手袋を渡した。


 手袋を着けたステファンは、美代にいわれるまま、雑草を取り除く。美代は、手慣れた様子で、パチンパチンと伸び過ぎている枝に、はさみを入れて行く。


 二人は黙々と働いた。時折、ステファンが雑草と自生している草花との見分けを美代に尋ね、美代は、自分の力では剪定出来ない太い枝をステファンに切ってもらえないかと声をかける。


 こうして、互いに手を貸しながら、二人は庭の手入れを終えてしまった。


「美代さん、この木はどうしたらいいでしょう?」


 唯一の高木を、ステファンが見上げている。


 美代も一緒に木を見上げた。


「これは、さすがに無理です。枝を少し切り詰めて、光が当たるようにすべきですが……。高すぎますねぇ」


「うん、この木は、庭師に頼むとするか……。この一本だけなら、日数もかからないな!」


 ステファンは、カサンドラ嬢の到着まで、さほど時間がないことを思いだしていた。


 美代の提案通り、自分達で作業をこなせば、早く片付く。なるほどと、ステファンは、驚きつつ、すっかり暗くなってしまった事に気がついた。

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