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第64話

 美代を連れ戻すという話が、今や、宮中へ反旗を翻す話に刷り変わっている。この勢いを利用して、確かに不平等な世の中を変える事ができるかもしれないが、そもそも、煌は、そんなことは一切考えていない。


 巻き込まれようとしている事に戸惑いつつも、言われている事、とくに、異国人の振る舞いは煌も腹に据えかねる所があった。


 良く考えれば、美代が連れ去られたのも、異国人──、ステファンが好き勝手行ったからなのだ。どう考えても、人攫いではないか。そして、写真を撮って、脅そうと企てている気配まである……。


 すべては、異国人を日ノ本の国にむやみに立ち入らせた事が根元で、宗右衛門の言う事は筋が通っている。


 とはいえ……。


 まずは、美代を連れ戻すの事が先だろう。


 煌は、皆の言い分に納得しつつも、自分の役目を忘れてはいなかった。


「おじじ様。この者達をお借りできませんか?」


「煌!!その気になってくれたか!!」


 煌の申し出に一代かずしろが歓びの声をあげた。


「みんな!よく聞け!親方様だ!!我らを束ねる親方様だ!!」


 畳敷きの古びた広間では、一代かずしろの言葉にどよめきが沸く。


 地鳴りのようなそれを受け、煌はキッと、宗右衛門を睨み付けた。


「何をお考えなのです!このように煽ってまで、おじじ様は何をお考えなのですか!」


「我らを認めさせるのじゃ!!」


 宗右衛門は、煌の視線を迎え撃つように、さらに強い口調で続ける。


「我々隠密は、この国を支え続けてきた。だが、その功績はいつも闇に葬られる。異国人たちの横暴を止めるためには、我々の存在をこの日ノ本の国が認めざるを得ないようにしなければならぬのじゃ!」


 煌はその言葉の重みを感じ、しかし同時に、自分の役目を思い出しながら答えた。


「おじじ様、私の使命は美代を連れ戻すことです。そして、今、私がここでおじじ様の計画に加わると、真っ向から異国人と争う事になります。それは、美代を危険に晒すことになります!」


「……煌。おじけづいたか?三門様をまきこんではならぬのは分かる。しかし、お前の言う事は、ただの綺麗事ではないのか?今のお前は、逃げているだけじゃ」


「逃げてなど……」


 そこまで言って煌は、黙り混む。続ける言葉が浮かばなかったからだ。


 祖父、宗右衛門は、お上に反旗を翻し、国家転覆を企てているのだろう。しかそ、異国人討伐という正当な理由付けはあるが、隠密の立場を優位にしようとしているだけにも思われた。


「ただの復讐心からではなく、正義と秩序を求めるものでなければ……」


 煌は呟いていた。


 煌は、広間の静寂の中で深く息を吸い込んだ。宗右衛門の言葉が頭の中で反響し、心の奥底に沈殿する。彼女の使命感と祖父の野心が交錯する中、決断の時が迫っていた。


「おじじ様、今は、美代を連れ戻すことに全力を尽くすべきです。それが、私の責任であり、使命です」


 宗右衛門は、鋭い目で煌を見据えた。だが、彼の表情には微かに理解の色が浮かんでいた。


「煌、わしは、この日ノ本の国の行く末が心配なのじゃ。異国人の横暴を許すわけにはいかんが、しかし、お前が言う通り、三門様の安全が最優先でもある。なにしろ、妃候補なのだからな……」


 どうにか、引いてくれそうな祖父に、煌はほっとした。だが、宗右衛門の何か言い含んだ、そう、美代は妃候補であるという言葉が、煌に一抹の不安を過らせる。だが、形だけでも収まりを見せようとしている今は、余計な事を言わない方が良いと煌は思う。


「おじじ様……ありがとうございます。私は明日、美代の様子を伺いに行きます。居留地への出入りは自由にできるとお伝えしましたが、そのためには、幾ばくか隠密の助けを必要とします」


 一代かずしろが素直にうなずいた。


「煌、皆、力になる。美代様を無事に連れ戻すためにな」


 集まっている隠密たちも、煌の決意に応えるように一斉に頭を下げた。


 ここにいる全員が、煌の使命を共有し、彼女のもとで行動する覚悟を決めた瞬間だった。


 さっと宗右衛門が立ち上がり、厳粛な声で言う。


「皆、聞け。三門様を連れ戻し、我々の誇りを証明するのじゃ!煌に従うのじゃ!!」


「御意!!」


 広間に皆の返事が響き渡る。


 煌は、どうしても祖父の口振りが引っ掛かってならない。


 美代を連れ戻したいというのは本心だろう。ただ、煌が思うものと、宗右衛門の胸の内は、何か異なる様な気がした。


 しかし、明日からは、ステファンの屋敷の屋根修理という名目で、大手を降って居留地へ出入りできる。折角の機会を逃してはならない。今は、疑心を捨て、美代を連れ戻すことに集中すべきだ。


 術が解かれた八代が、これまでの経緯、居留地への立ち入りの決まり、ステファンの屋敷の立地など、隠密達へ伝える。


 こうして、美代を無事に連れ戻す為の計画が練られ始めた。


 煌は、そんな皆の姿を見ると、余計に、宗右衛門の真意を考えてしまう。


 理解を示した様に見えるが、鬼隠密と呼ばれていた祖父が、あっさり自らの志しを手放すはずがない。


 とにかく、宗右衛門の言葉が引っ掛かる。どう考えても、何かが含まれているとしか思えなかった。


 が、やはり今は美代を連れ戻すという明確な目標に向かって行く事こそ、自分の役目。そう思い、煌は気持ちを引き締めた。

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