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第57話

「お土産ですか……」


 美代は、差し出されているものを、ひとまず受け取った。断る必要もなく、かといって、それではと、喜んで受け取っても良いのかと、迷いに迷ったが、ステファンが語ったチョコレートの内容に興味も沸いていた。


「えっと、あの、どうぞ、中へ」


 包みを受け取って、それではと追い返す訳にもいかない。しかも、受け取った包みを見る限り、一人で食すには、若干量が多いような気もして、美代は、ステファンへ、一緒にチョコレートを食べようと誘っていた。


「あっ、かまいませんか?」


 どこか、おどおどしながら、ステファンは、部屋へ入った。


「ありがとうございます。チョコレートなんて、滅多に食べられない高級品なのに……」


 美代は、素直に礼を言った。もともと異国の物は手に入り難い。そして、美代の家、三門家は、両親の贅沢三昧で家計は火の車。チョコレートなど、到底手に届くものではない。


 確か、子供の頃、煌の家で食べたことがあった。と、美代は記憶を辿った。それほど、久しぶりだった。


 その昔に食べたチョコレートの甘い味を思い出し、美代は、少し気分が高揚して来る。


「ステファン様!で、では!食べましょう!」


 待ちきれないとばかりに、美代は包みを開けると、仄かに漂っていたチョコレートの香りが、部屋に充満した。


「あっ!美代さん!これは、すごい!!」


 ステファンが、喜びながら、包みに手を伸ばす。


 動物の形をした、チョコレートが包みの中に溢れかえっている。そこから、さっと、ステファンが一粒チョコレートをつまみ上げた。


「見てください!スワンです!これは、あまり数がないものです!珍しいものですよ!」


 白鳥スワンの形をしたチョコレートを見せびらかすように、ステファンは、美代へ付きだして来た。


 そもそも、このチョコレートは、量り売りらしく、自分で好きな形を選べない。包みを開けて初めてどの様な形のチョコレートを手に入れたのかが分かる。スワンは、ミルク味の極品らしく、これが、入っているということは、いわゆる当たりを意味しているのだとか。


 ステファンは、熱っぽく美代へ語った。


「まあ!そうなんですか!大当たりなんですね!すごいわ!」


 愛らしくも上品な形に、美代もつられて大喜びしてしまう。


「そう!とても、幸運なんですよ!はい、召し上がれ」


 ステファンは、笑顔でスワン形のチョコレートを美代の口元へ指しだした。


 美代も、嬉しさから、何の気なしにスワン形のチョコレートにパクリとかぶりついた。


「あ、甘い!!美味しーーい!!」


 口中に、優しい甘さが広がって、美代は満面の笑みを浮かべながら、至福の時を味わっている。


 同時にステファンも、あっ、と叫びのような声をあげた。


 差し出したスワン形のチョコレートを美代が食べた時、ステファンの指先は、美代の柔らかな唇に触れたのだ。


 ステファンに、あの、玄関ホールでの出来事が過る。美代と唇が重なってしまったあの、偶発的な事故が……。


「うーーん!美味しいーー。とろけるーー」


 一方の美代は、チョコレートを堪能していた。


「あっ……。そ、それは、良かった。美味しいのなら……」


 ステファンは、つと、自分の指先を見てしまう。


(触れてしまったんだ……。私達は……)


 ドキドキと鼓動が高鳴り、向けられてくる美代の笑顔から逃れるかのように、視線をそらす。


「あ!ステファン様も!はい!どうぞ!」


 すっかりチョコレートに魅了された美代が、包みから一粒摘まみ出し、ステファンへ差し出して来た。


「あ、あっ、は、はい」


 その場しのぎ的に、適当な返事をしつつ、ステファンは焦りきっていた。


 美代を意識しすぎだと分かっていたが、しかし、色々思い出しては、そうなるのが当たり前ではないかとステファンは、一人葛藤している。美代の無邪気さに当てられ、透き通る碧い瞳は、踊っている。


(ああ、美代さん、そんな顔を向けないでください。色々思い出して……私はどうすれば……)


 一人葛藤しているステファンは、弱りつつも、美代のはしゃぐ姿が嬉しく、また、眩しく見えた。


「きゃー!かわいい!犬ですよ!犬の形だわ!!」


 包みから取り出したチョコレートが、犬の形をしていると喜ぶ美代の姿にステファンは目を細め、そっと口を開いていた。


「はい、どうぞ。美味しいですよ!」


 ふふふっと、柔らかな笑顔を浮かべ、美代は、そっと持つ犬の形のチョコレートをステファンの口へ運んだ。


 甘かった。


 美代が、無意識的にステファンへ食べさせたチョコレートは、まろやかな甘さだった。


「うん!美味しいです!」


 チョコレートを頬張るステファンの頬は緩んでいる。


 成り行きで、美代に食べさせてもらったチョコレートは、口の中で、優しく溶ける。


「ステファン様!猫の形もありますよ!うわー!かわいい!」


 美代は、包みを覗き、夢中になっている。


 先程のギクシャクとしたお互いの態度も、例の事故の気まずさも、ステファンの中から飛びさっていた。


「そう、とても可愛くできているでしょ?このチョコレートを作ったリンツェルマットという所は、私の国の店なのです。そして、この精巧さが特に人気で……。もちろん、味もですけどね」


「ええ、人気になるのも分かります!だって、とってもかわいい形だし、本物みたいじゃないですか!」


 美代は、しげしげと包みの中を眺めると、一粒チョコレートを摘まんだ。


「うわ!熊ですか?これは、熊ね!!」


「どうぞ、召し上がれ」


 ステファンの勧めに、美代はコクコク頷くと、食べるのは勿体無いと言いながら、甘い誘惑には勝てないようで、熊の形のチョコレートを口にした。


「うーん!美味しい!」


 しっかり味を堪能している美代の姿に、ステファンは微笑んだ。


「喜んでいただけてなによりです」


「はい!」


 美代は元気良く返事をしたが、少し騒ぎすぎたと思ったのか、恥ずかしげに肩をすくめた。


「ははは、美代さんは正直だ。そう、誰だってリンツェルマットのチョコレートと聞けば、大喜びしてしまう。何も恥ずかしくないですよ。当然だ」


「でも、私、少し騒がしかったですよね?あっ、でも、でも、やっぱり、かわいいし、美味しいし、凄く嬉しかったです!」


 少し照れながら、美代はそれでも、嬉しげにステファンへ言った。


「美代さん……」


「ステファン様が、いえ、異国の方々が羨ましいです。こんなに素敵なチョコレートが手に入るなんて……」


「それは……」


 ステファンは、美代の言葉にはっとする。


 羨ましい──。


 チョコレートごときでそこまで喜ばれるとは思っていなかった。いや、日ノ本の国では、そこまでチョコレートが珍しい物なのかと、ステファンは思い知る。


「美代さん!!珍しい物ではありませんよ!確かに、リンツェルマットのチョコレートは、少し特別てはありますが、でも、誰でも手に入るものです。そうだ!日ノ本の国でもすぐに手に入るようにしましょう!」


「ステファン様?」


「ええ!約束します!」


 闘志沸きたつ勢いで、ステファンは、美代へ言った。まるで、何か決意したとばかりに……。


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