今更ながら、窓拭きなど行うのではなかった。挙げ句、料理係に抜擢されてしまった。サンドウィッチを山ほど作って、何をしているのだろう。
美代は、やっとこの状態に疑問を持った。
どうしてこんなことになってしまったのかと、事の発端を思う。
すべては、ステファンの勘違いから始まった。
「結局、私、どうなっちゃうの?」
一人になったからか、美代に里心的なものが沸き起こって来る。涙が溢れそうなほど心細くなり、自分の家に帰りたいと願うが、居留地の中から外へ出られるのかという問題に突き当たる。
「シロちゃん!早く戻って来て!」
考えれば考えるほど、居留地という壁が立ちはだかり、異常に心細く、思わずシロにすがってしまう。
人様の屋敷にいるだけの話が、囚われの身になってしまったと同等な気がしてきて、美代は、ついに、泣きだしてしまった。
気が抜けてしまったからなのだろう、堰を切ったように、美代の瞳からは涙が溢れ出た。
「美代さん!どうしました!」
心細さと不安に押し潰されてしまった美代へ、何故かステファンの声が降り注ぐ。
「やはり、具合が悪いのてすか?!」
泣くという事は、ただ事ではないとステファンは驚いている。
「そうじゃないです!そうじゃなくって!」
出掛けたはずのステファンが何故いるのかと疑問に思う事もなく、美代は、自分の胸の内をさらけ出した。
「帰りたい!家に帰りたい!煌ちゃん!八代!」
大粒の涙を流し、わあと声を上げ、美代は泣いた。
「美代さん?帰りたい?帰る場所はあるのですか?まさか、あの暴君のような少女の元へ?そんなことをしたら、あなたの身に何が起こることか!」
飛び出したというよりも、自分が助けようと引き離した形になってしまった今、ここで、美代を戻すと、あの暴君のような少女のこと、美代に折檻を与えるに違いない。
ステファンは、困窮しつつも、美代の身を心配した。
言っていることは、筋が通っているのだが、いかんせん、それは、まるっきり事実と異なる。ステファンが勝手に作り上げたモノであって、美代には当然、帰る場所、自宅という屋敷もあり、暴君のような少女とやらに折檻を受けることもない。
気持ちが高ぶっている美代は、さすがにこの勘違いに憤った。
「ステファン様!あなたの言っている事が私は分かりません!いえ、全然違う!!もう、放っておいてくださいっ!」
半ば投げやりに美代は言うと、いきなり立ち上がり台所の裏口へ向かった。
「美代さん?!部屋に戻られるのですか?確かに、お疲れでしょう。サンドウィッチを作ったのだから……」
皿に山盛りのサンドウィッチに目をやりながら、ステファンは、労るかのように美代へ恐る恐る接した。
「もう!サンドウィッチ、サンドウィッチって!うるさい!私は、帰るんです!家に帰ります!」
キッとステファンを睨み付けた美代は、裏口のドアを開けて外へ飛び出す勢いを見せる。
「ちょっ、ちょっと、美代さん!お待ちなさい!待ってっ!!」
美代が、ドアノブを掴むと同時に、ステファンは、美代の手首を握っていた。
「帰る場所が、本当にあるんですね?大丈夫なんですね?」
「離してっ!!」
「離さないっ!!君の安全が分かるまでは、私は、私は、美代さん!君を守る!」
「そんなの、いらないっ!!」
「美代さん!落ち着いて!」
裏口から出て行こうとする美代をステファンは全力で止めた。
「私も、何をしているのか分からないんです!ただ、私はあなたの事が心配なんだ!どうして、こんなに心配なのか分からない!だけどね、美代さん!私はあなたから目を離せられないんだ!」
「そんな、勝手なこと言わないで!お蔭で、家に帰れなくなった!!でも、でも、帰ります!!もう、こんなのおかしいっ!!」
泣きじゃくりながらも、必死に我を通そうとする美代の姿に、ステファンは、言葉が出ない。
多少、おかしなことになってしまったが、困っている美代を見て、手を貸したくなった。いや、あまりにも酷い待遇から救い出したかった。その思いからステファンは、とっさに体が動いていただけなのに……。
そして、気がつけば、美代を馬車に乗せていた。
「先程まで、ついさっきまで、仲良くしていたでしょ?!何が、何が違うのです!何が勝手なのですかっ?!」
ステファンも、何を言えば良いのかと弱りきった。
どうして、美代に固執するようなことを行っているのだろう。いや、美代も喜んでいたはずで……。帰る場所などないはずなのに、帰ると言い張り一歩も譲らないとは、何故なのか?
「美代さん、とにかく、落ち着いて。話をしましょう。あなたの帰る場所について……」
ステファンは、どうにかまとめよう、美代を落ち着かせようと必死になった。
「は、話を?!話したら、話すほど、こんがらがってるじゃないですかぁ!!」
拒絶するかのように、美代は大泣きしながら、ステファンへ食ってかかる。
「ま、待って!とにかく、話を!お願いですから!」
ステファンは、懇願した。この勢いで美代が飛び出してしまっては、路頭に迷う。そう思い、引き留めているのだが、何故だかステファンの胸は締め付けられている。
美代の拒絶するかのような態度が堪えていた、いや、何か、もっと違う感情がステファンの心の底で動いていた。
(どうして、彼女の手を握っている?どうして?)
心をかきむしられる、そんな気持ちに襲われたステファンは、堪らなくなり、美代を自分の胸へと引き寄せた。
「いや!離してくださいっ!!八代!!煌ちゃん!!助けてっ!!!」
「助けます!あなたを助けるのは、私だ!!」
ステファンは叫び、美代をしっかり抱き締めた。