「大きな音がしたのですが、何事ですか?もしや、その者が粗相をしでかし、謝罪のために料理していると?」
どうやら、アリエルもステファンのやらかしに反応して台所を覗きに来たようだ。
そして、美代の器用な包丁さばきを目にした……。
「サリーだけでは、料理まで手が回りません。その者を裏方専用として雇えば、お屋敷もなんとかなるでしょう」
諭すようにステファンへ言うアリエルは、厳しい顔つきながらも、うっすら笑みを浮かべていた。美代が使えると読んだらしい。
「兄のカールと私、そして、メイドのサリーこの三人だけでは、正直どうにもなりません。しかも、サリーときたら、料理がまるで作れない……」
アリエルは、愚痴のようなことを呟きつつも、美代の動きを凝視し続けている。
「……しかし、日ノ本の国の者を雇うなど、他のお屋敷に知れたら笑い者になります。自国で用意できないのかと陰口を叩かれるでしょう。ですから、この者は、あくまでも、仮。そして、表側には出さない……。ステファン様、宜しいですね」
アリエルが念を押してくる。
「宜しいもなにも……。美代さんは客人で、暴君のような雇い主から救いだした所なのだよ?それを、また、この屋敷で……というのは、どうなのだろう?しかも、私は先程から失礼の数々を行っているのに……」
ステファンは、しゅんとした。
「……失礼……とは?ステファン様?」
アリエルが何事かと問い正す。
「ああ、アリエル。お前も見ただろう?玄関ホールで私は……」
アリエルは、ギョッとした。ステファンの言おうとしていることが分かったからだ。
「あっあ!!ステファン様!!」
それ以上は聞きたくないと、アリエルは耳をふさいだ。
瞬間、トントンと小気味良く立てられていたナイフの音も止まり、美代が真っ赤になっている。
「あっ!そうだった!美代さんは、具合が悪かったのだよ!医者を呼んでくれ!アリエル!美代さんの顔が真っ赤だ!動きすぎて熱が出たんだっ!」
ステファンが叫ぶ。続いて、ナイフを持ったまま固まっている美代に、アリエルの視線が定まった。
「……美代とやら、作業を続けなさい。ステファン様は、そのピーターの店のバゲットがお好きです。余分にサンドウィッチを用意するように!余計なことを思い出さず、作業に集中しなさいっ!!」
「は、はいっ!!」
美代は、アリエルの迫力に負け、ナイフ片手に大きく返事をしていた。
アリエルも、あの乙女の一線を守りきれなかった事故をしっかり見ている。その話題に触れられてはと、美代は必然的に言いなりになってしまっていた。
さて、アリエルが先程のことを事故、としてとらえているのか定かでないが、美代同様に思い出したくない案件のようではある。話題をすり替えようとしているようにも見える。だが、分かっていないのが、やはりのステファン。医者、医者と、うるさい。
「……ステファン様、お静かに。美代とやらが作業に集中できません!ピーターの店のバゲットを使ったサンドウィッチを食べられなくなってもよろしいのですかっ!!」
「え?!それは!困る!」
ステファンはアリエルへ即答し、美代の手元に注目した。
ステファンがパンが好きなら、どのくらいの量が必要になるのだろうかと、美代の頭に過った。そのくらい、ステファンはよだれを垂らしそうな具合で、美代の手元を見つめていたのだ。
「ああ、美代とやら。夕食の準備もお願いしますよ。その手際の良さならば、サリーに任せるより断然良いでしょう。台所に近い小屋を使わせて正解だったようですね。すぐに料理の支度ができますから」
ふっと、冷えた笑みを浮かべ、アリエルは言い切った。
「……美代ちゃん!」
シロが、うっかり喋ってしまう。
完全にステファンの屋敷の女中になってしまっている。まさに一大事と、シロも焦ってしまったのだ。
とたんに、アリエルは、キョロキョロし、声の主を探し始めた。
もちろん、ステファンも怪訝な顔をしている。
どこからか、美代を呼ぶ声が聞こえたのだから……。
「み、美代が!夕食を作りますっっ!!美代がっっっ!!」
致し方なくというべきか、これしかないと言うべきか、美代は、シロの事がバレないようにと、空々しく声をあげた。これで、誤魔化せられるとは思っていないか、それでも、とにかく、気をそらさなければと思っての事だった。
なんとかバレないで欲しい。美代は止まっていた手を動かし食材を素早く切って行く。
「え、えっと!!み、美代は、どれ位作ればよろしいですか!!!!」
美代、を連発して、いかにも自分が言ったのだと思わせたいのだが、アリエルは、まだ怪訝な表情を崩さない。
「うわっ、新しいメイドは、オレより断然スッゲー、アリエル様、オレ、もう食事の支度しなくてもいいんすっね!」
そこへ、合いの手が入る。
「なんですか!サリー!その喋り方をなんとかしなさいと、いつも言っているでしょうに!」
アリエルが、さっと声の主を見た。
廊下から首を付きだし、台所を覗きこんでいる者がいる。
赤毛のおさげ髪が印象的な美代とさほど年が変わらない若い娘だった。同じ服を着ているということは、この屋敷に仕えているメイドなのだろう。
「いっやー!すんません。オレ、一生懸命喋ってるんすけど、日ノ本の国の言葉ってーのは、難しくて……」
「サリー、あなたの場合は、言葉を教わった者がいけませんでした。あなたの喋るものは男言葉です。今さらどうにもなりそうになさそうですし、これは、私のミスとも言えるでしょう」
アリエルは多少あきらめ口調で、サリーと呼ばれるおさげ髪の少女を見た。
「あーー!それ!男言葉!やっぱ、辞めちまった料理長に、料理の手伝いしながら教わったからっすかねぇー」
あっけらかんと答えるサリーとやらに、アリエルは、はあと大きくため息をついた。
「それで?作業は?」
「おっす!完了したっす!玄関ホールの水浸しは、ちゃんと掃除したっすよ!」
アリエルの態度とは裏腹に、朗らかに、バケツを掲げサリーが言った。
美代は、再び手が止まっていた。
おさげ髪の女の子がやって来て、オレと言い始めた。一応、流暢な日ノ本の国の言葉を喋っているが、これは、果たして流暢の内に入るのだろうか?
美代は、メイド服に身を包む同じ年頃の少女の、ちょっと特殊な様子から目が離せなかった。
「ははは!サリーは、いつも豪快だなぁ!」
ステファンは、一人喜んでいる。
とはいえ、このちょっとおかしな騒動のようなもので、シロの失態は、忘れられてしまったようだ。ステファンなど、シロの存在すらもう忘れているように見えた。
なんともげんきんな、呑気な、いや、この屋敷全体、どこか、何かがずれている……。
美代も、やっとそこに気がついた。が、とにかく、今はサンドウィッチを仕上げなければならない。
パンと具材が散乱している。これをそのままにはできなかった。