目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第41話

 間近で怒鳴り声を聞き、美代は自分が叱られた気分になって、身を強ばらせる。


「あっ、美代さん、動かないで!じっとして!落としてしまう!しっかり、私に捕まってください!」


 ステファンは、アリエルへの疑問と怒りとで、気が動転しているのか、愚痴のようなことをあれこれ言っているが、その間も美代を離すことなく抱えている。


 怒りながら美代を抱えているからか、長時間抱えているからか、ステファンは、ついにバランスを崩しかけた。


「おっと、危ない」


「で、ですから私を下ろしてくだされば……」


 美代は焦り、さっと顔を上げるが、その些細な動きがいけなかった。ステファンは、完全によろけてしまう。


「うわっ!」


 大きなステファンの叫びと共に、足元に転がっているブリキ製のバケツに躓き……、


「おお、おお?!」


 必死に堪えようと、ステファンは美代を抱えたまま体を揺らした。


 ガランと、バケツが転がる音がする。


 体制を保とうと必死のステファンが蹴ってしまったようだが、それがますますいけなかったようで……、


「おおおおっ!」


 ステファンは、あわてふためきながら、重心を崩して、前屈みになってしまう。


 もはや、美代を庇うのか、自分が転ばないようにするのか分からなくなり、大きくステファンの体が揺らいだ。


「あっ!」


 カールが叫び、目を閉じる。


 アリエルも、大きく息をのみ、目を閉じた。


 どうしたことか、二人は、見ては行けないとばかりに、ステファンから顔まで背ける。


 それと同時に……。


「い、いやあぁ!!!」


 美代の叫びが玄関ホールに響き渡った。


「ス、ステファン様っ!どうか、どうか!その者からっ!」


 目を閉じながらも、カールが必死に言っている。


 それもそのはず、ステファンは、バランスを取ろうと、堪えたが、あっけなくも、上体が崩れこんでしまったのだ。よりにもよって美代の体の上に。


 くしくもステファンは、美代のその胸に顔を埋めてしまったのだった。


「う、うわっ!!」


 流石に、ステファンも慌て、勢い良く顔を上げたがその反動で、大きく後ずさってしまう。


「わわっっ!!」


 再び、バランスを崩したステファンは、美代を落としてはならないと、しっかり抱き上げた。


 が──。


 勢いが相まって、ステファンと美代の距離が非常に近づく。


 そして──。


 美代は、瞬間、目を見張った。


 ステファンも、同じだった。


 気がつけば、二人は、密着していた。


 バランスを崩したままステファンが美代を抱き上げすぎたために、二人の顔が接近し過ぎ……、それぞれの唇が重なりあってしまう……。


「あああぁ!!!み、美代さん!!なんてことっ!!!」


 慌てて距離を保ったステファン。


 わぁっと泣き出す美代。


 もう収集が着かなくなっている。


「ですから!ステファン様が!その者を屋敷に連れて来たからですっっ!!」


 カールが、怒鳴り散らしている。


 こうして訳のわからぬ騒ぎの末、アリエルが用意をした部屋に美代はステファンと共にいる。


 結局、アリエルも招かざる客の対応を拒み、ステファンへ美代を押し付けた。


 そのため、部屋の案内を兼ね、先程の騒ぎの謝罪の為にと、ステファンは美代と共にいるのだ。


「美代さん、かさねがさね、申し訳ない。先程のことは……」


 言ったとん、美代は腰かけている簡素なベッドに倒れこみ、わあっと泣き出した。


「すみません。そうですよね、部屋が悪すぎる……」


 なんとなく、いや、完全に食い違っている会話をステファンは一人で行いながら、はぁとため息をついた。


「アリエルもあんまりだ。私は、来客用の部屋を用意するように命じたのに……。ここは、来客したゲスト達に付き従う執事やメイド用の部屋。確かに来客用ではあるが……。随行の使用人の部屋とは……」


 ステファンの部屋への不満など、当然美代の耳には入っていない。


 何しろ、抱き上げられ、続けて胸に顔を埋められ、そして、そして、あるまじきかな、唇が重なった。例えそれが、偶発的、いわゆる事故であっても、完全に乙女の守らなければならない一線を超えに越えてしまったのだ。


 美代にとっては、青天の霹靂で、天地が引っくり返っている。


「すみません。いわゆる控え部屋を用意してしまって……全て簡易的なものですから、さぞかし以前の御屋敷より設えがおちるでしょう」


 そうでなければ、ここまで号泣することもないはずと、ステファンの勘違いが始まっている。


「しかし、控えの部屋と言っても、一棟、と考えてもらえないでしょうか?随行者が、主人の世話が出来るように台所、つまり、裏方に接した裏庭にある小屋です。一戸建てと言っても差し支えない。隣に部屋があるわけではないので、壁一枚向こうに誰かいる訳でもない。個人のプライバシーは守られるのですから、気がねなく過ごせるはずですよ?」


 ステファンは、あれこれと美代へ部屋の良さを伝えて来る。


 確かに、ここは、屋敷内の部屋ではなく別棟の小屋だ。


 屋敷に接する小さな一戸建てと言うのはどうか、という代物だが、ステファンが居ても美代は窮屈さを感じない程、空間、広さがある。壁のドアの向こうには、小ぢんまりではあるが、専用の手洗い、風呂も備わっている。


 一部屋与えられるよりも、はるかに自由があるだろうが、今は、そういう問題ではなく……。


 泣きじゃくる美代に、ステファンが手を焼いていると、コツンコツンと窓を叩く音がした。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?