その間も、梶井屋の店主は、貴族といっても、支払いを滞納するのがほとんどだ、そのくせ、態度が横柄だ、挙げ句、払いを踏み倒すなどなど、居留地での苦い経験をぶちまけていた。
「あぁ!親方!大丈夫、大丈夫!あれこれあたしも言ってしまいましたが、ミレーネ伯爵様に限って、そんなことはありませんからね、いや、もしんば、そんなことが起こっても、この梶井屋は、ちゃんと請け負いさんへお支払しますからね。安心してくださいよ」
店主は、どこか重苦しい雰囲気のヤハチ親方に気が付いたよようで、それは、自分の愚痴が原因だと思ったのか、必死に、大丈夫だと言い張り始める。
「いやいや、もちろんでさぁ。旦那がいれば、大丈夫。あっしは何も心配なんぞは、しておりませんで……」
こう助に、ギロリと睨まれたヤハチ親方は、店主を誤魔化そうと必死になった。
「旦那様ーー。それで、伯爵様の処にはいつ到着するんですかぁ?なんだか、人通りもないし、建物もあまり、ありませんよぉ」
こう助が、ここぞとばかりに、話をすり替えた。
確かに、辺りは閑散としていた。今までは、すれ違う居留地の住人達にジロジロと見られていたが、それも、いつの間にか無くなっている……。
「あーー!坂だ!あそこを行くんですかぁ?!」
四郎が言っていた、坂が見えた。こう助は、歩き疲れた
「ああ、ずいぶん歩いた挙げ句、坂道だからねぇ。疲れてるとは思うが、ほら、こう助、よく見てごらん。御屋敷に着いたよ」
坂の上には、一軒の邸宅がある。
「旦那、かなり、大きな御屋敷ですねぇ」
「そうだろう?親方。あれだけの屋敷を数人で維持するのは、指南の技だ。お陰でなにかと、うちに声がかかるんだよ」
なるほどなるほどと、ヤハチ親方は、店主の言い分に相槌を打った。
そうして、喋りながら気を紛らわし、徒歩で進むにはややキツイ坂道を一行は登って行く。
「なんだか、道がでこぼこしてる」
「そうなんだ。こう助や。足元に気を付けない。転ぶんじゃないよ」
「はい!旦那様!」
元気に答えながらも、こう助は、息を切らせた素振りを見せる。
「すまないねぇ。私だけ馬に乗って。親方も、馬を引きながらの坂道だ、大変だろうに」
店主の労いに、ヤハチ親方は、いやいやそんなと、首を振る。
「そもそも、ここいら一帯、そう、ヲの区画は、人が住む場所じゃなかったんだ。狩場として使われる予定だったんだ」
「旦那、ひょっとして、あの雑木林……?」
ああ、そうだと答える店主に、ヤハチ親方は、ほぉと声をあげ、珍しそうに屋敷に隣接する雑木林へ視線を定めた。
こう助も、雑木林に注目していた。
二人とも潜伏するには、丁度良い場所だと思ったのだ。もちろん、そんな心の内など店主には、分かるはずもなく、得意気に、このヲの区域の事を語りだした。
「異国の貴族社会では、社交上、狩を行うそうなんだ。そして、居留地に屋敷を構えるのは、殆んど貴族だからね。狩がなければ話にならないと思ったようで、人工的に森を作り、動物を放ち、狩ができる様に整えようとした。だが、木を植えて森を作ろうにも、上手く育たない。おまけに、動物を放っても、敷地はぐるりと塀で囲まれている。つまり、行き止まりが現れる。動物は、巣作りも上手くいかずに死んでいく。なにより、そんな行き止まりがあるのなら、自由に馬で駆け、狩などできやしないと貴族達は気がついた。計画はおじゃんだ。残ったのが、見えている雑木林と伯爵の御屋敷なんだがね、あの建物は本来、狩の休憩小屋として作られたものだった。そう、ここいらは、元々人が住む場所ではなかったんだよ」
店主は、そこまで言うと異国人の考えることは分からないとぼやいた。
「旦那、なにやら、複雑怪奇な事情でありやすなぁ。塀に囲まれている場所で狩なんぞ、出来るわけないでしょうに……」
ヤハチ親方も呆れ、店主に同意する。
「まあねぇ、どこの国も、特権階級の人間は、世の中というものが分かってないんだろう」
店主の嘆きに、ヤハチ親方はなるほどと頷く。
「えっ?じゃあ、旦那様。あの伯爵様の御屋敷は……」
黙って聞いていたこう助が、ここぞとばかりに口を開いた。
「ん?ミレーネ伯爵様の御屋敷かい?あれは、あそこまで、屋敷の体になるように、伯爵様が増改築されたのだよ」
へえーーと、答えながら、こう助こと、煌は思う。
やはり、ステファンという男は、怪しい男だ。人が住むはずではなかった所に住み着いているのだから。いや、何やら居留地には、軋轢があるようだから、人が住む所ではない場所へステファンは追いやられたのかもしれない。つまり、信用がないということか……。
おそらく、それを根にもったステファンは、金の力で返り咲き君臨しようとしている……。
そう、ステファンなる者は、金のためなら何でも行う男なのだ。
その野心をなす為に、美代が選ばれてしまい拐われた。きっとすぐ、美代の写真と身代金の要求がやって来る。三門家だけになら、どうにかなるが、もし、美代が次の正妃候補と知られているなら、必ず宮中にも脅しをかけるはず。
さて、どう動けはよいのだろう……。非常にまずい。実にまずすぎる。
「こう助や。もうしばらくの辛抱だ」
坂道がキツく、こう助は黙りこくっていると勘違いした店主が、労って来る。
「ああ、そうだ。丁稚さん。もう少しだ。今は堪えな!」
ヤハチ親方も、どこか意味深に、こう助へ声をかけ励ます。
はっとした、こう助は、照れくさそうに、はい!と大きな返事をした。
同時に、ヤハチ親方が鋭い眼差しを送ってくる。
こう助は、それに答えるかのように、頷いた。