親方ヤハチが馬の手綱を引き、その後ろに、風呂敷包みを持った
煌と八代、もとい、こう助と棟梁のヤハチ親方は、なるほどなるほどと、相槌を打ちながら、その決まり事を頭に叩き込む。
何かと後々役立ちそうな気がしたのは無論、二人とも知っているようで、実はそこまで深く知らなかったからだ。
途中、顔見知りの商人に声をかけられるが、店主は、梶井屋の
「まあねぇ……、厳しい身元確認はある。無事に通過しても、商談先の異国人は、こちらを人とも思わず見下す一方。挙げ句、あーでもないこーでもないと、ごねつくす。最悪なのは、日ノ本の国の言葉が通じない時があることだねぇ。色々な国から集まっている訳だから、
店主は、溜め息混じりで、手綱を引き、先を行くヤハチ親方へ言った。
「へぇーー、どうりで、皆さん嫌な顔をすると思った。おっと、いけねぇや。余計なことを言っちまいました。旦那、申し訳ありゃーせん!」
気にしていないと店主は言いつつ、ここだけの話と、こっそり語り出す。
「親方、確かに面倒ではあるんですがね、居留地内の仕事は、すべて、宮中、つまり、国の息がかかっている。まあ、お国に命じられ我々も協力しているんですよ……」
「へぇ、お上が出てきたら、そりゃあ、断りきれませんなぁ」
「そうゆうことです。だが、それで、宮中と何らか繋がりが持てる。つまり、国家事業に参加できるというわけでね、いずれは、宮中の内々の修繕やら増築やら、声がかかる可能性もあるのでは……なんて、取らぬ狸の皮算用ですよ」
わははは、と、梶井屋の店主は、馬上で機嫌良く笑っている。
「なあーるほど、そりゃあー、損して得取れってやつですなぁ!」
「ははは!親方上手いこと言うねぇ。だからね、職人は余分にいた方がうちとしても心強いんだよ。小まめに動いて置けば、いつか、大きな仕事が来る。そのためにも、親方、頼りにしていますよ!」
そういうことでしたらと、ヤハチ親方は、トンと胸を叩いた。
「あっ、着きましたよ!」
こう助が声をあげた。
確かに、先には小さな門の前に立つ憲兵の姿が見える。
「へえーー、憲兵なんぞがいるんですかい」
「そうなんだよ、親方。みだりに立ち入れない場所だからねぇ。警備も厳重なんだ」
梶井屋店主の言葉に、ヤハチ親方とこう助は、へえーー、などと声をあげ、物珍しそうにしているが、互いに目配せをして合図を送った。
あの門を通り抜けるのは、容易い。梶井屋という盾がいる。通行証に同行票なる物もある。正式な手続きを取って、大手を降って居留地へ踏み込める。
問題は、そこからだ。
四郎に美代がいるはずの、ステファンの屋敷への道順は聞いている。つまり、パン屋。白粉を扱っているような小間物屋。紙幣が存在する、銀行か役所か何かお堅い商い場所。そして、住宅街を過ぎ、曲がって、坂道──。
それだけ分かれば、十分過ぎるが、ただ……。
隠密の姿に戻り、ステファン邸に忍びこむか、鬱陶しいが、このまま、梶井屋を操り侵入するか。
どちらが、得策なのか。
ヤハチ親方が、物言いたげにこう助を見ている。
「あーー、旦那様!私は、異国の言葉はわかりません!どうすればよろしいのですか!」
「ははは、こう助。心配には及ばないよ。これから伺うミレーネ伯爵様は、日ノ本の国の言葉が大変ご堪能でね。しかも、お屋敷にお仕えする皆様も同様だから、商談はとても楽なんだよ」
商いの話を書き留めておくようにと、梶井屋の店主は言いつけてくるが、こう助も、ヤハチ親方も、商談などどうでも良く、もっと、相手、すなわちステファンの情報が知りたかった。
「へえーー、日ノ本の国の言葉が分かるたぁー、そいつぁーすげーや」
「そうなんだ。どこの屋敷も使用人は本国から連れて来ている。訪ねて行っても、まず言葉が通じない。だから、肝心の主人へ取り次いでもらうのが一苦労なんだよ。それが、ミレーネ伯爵様のお屋敷は、使用人皆、言葉が分かる。これは、大助かりだねぇ」
「ほおおーー、異国人なのにですかい、そりゃー、大したものだ。ということは……もしや、日ノ本の国の人間も、中には雇われているということですかねぇ?」
ヤハチの親方が、空々しく屋敷の内部について質問した。使用人まで、この国の言葉が分かるというのは、正直できすぎのような気がした。いくらか、ここの人間もまじっているのではないだろうか。そうならば、来客時に、日ノ本の国の者が出てくれば、言葉の壁などなく、簡単に取り次ぎが行われる。
「あー、それが、親方、日ノ本の国の人間は、雇われていないんだよ」
「ほほぉーーそりゃあ、また……」
親方は、またもや、ちらりとこう助を見る。その仕草に、こう助も、小さく頷いた。
四郎は、美代が女中になった。と、言っていたが、ひょっとしたら言葉のあやかもしれない。雇われていたら、梶井屋の主人が、日ノ本の国の女中がいると言うだろう。
いや、しかし、それは、ついさっきの話だ。そんなにも早く美代の事が市井に伝わることは不可能だろう。仮に、美代が本当に、女中としてステファンの屋敷にいたとして、まずは、まだ世の中に知られていないはず……。
こう助は、煌の顔に戻り、一人胸の内で考えた。
「旦那、なんだか、ミレーネ伯爵のお屋敷は、凄いですなぁーー。そんなら、使用人も多いんですかい?」
「いや、親方、それがだねぇ、そんなにも凄いのに、どうしたことか、使用人は数えるほど。普通、伯爵家となると、何十人も人がいるはずだろう?どうも人手不足らしいんだよ……」
それで、美代を女中に?
店主の言葉に、煌は、こう助の面持ちを崩さず考え込んだ。
やはり、ステファンという男、何か怪しい。
ヤハチ親方である八代も、煌と同じ意見なのか、目を細め厳しい顔つきになっていた。