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第34話

 親方ヤハチが馬の手綱を引き、その後ろに、風呂敷包みを持った丁稚でっちのこう助が続き、一行は、目的地の居留地へ向かっているのだが、梶井屋の主は、道々、到着したら門番に指定されている店が待つ通行証を提示すること。ヤハチやこう助のように、どうしても付き従わなければならない者がいる場合は、同行票というものに名前を記して、指定店が印を押し、身元を保証しなけるばならないこと。他にも許可証というものがある。等々事細かく、決まり事を説明した。


 煌と八代、もとい、こう助と棟梁のヤハチ親方は、なるほどなるほどと、相槌を打ちながら、その決まり事を頭に叩き込む。


 何かと後々役立ちそうな気がしたのは無論、二人とも知っているようで、実はそこまで深く知らなかったからだ。


 途中、顔見知りの商人に声をかけられるが、店主は、梶井屋のあるじぜんとして居留地で商談なのだと返事する。そのたび、相手は決まって、同情の眼差しを送ってきた。


「まあねぇ……、厳しい身元確認はある。無事に通過しても、商談先の異国人は、こちらを人とも思わず見下す一方。挙げ句、あーでもないこーでもないと、ごねつくす。最悪なのは、日ノ本の国の言葉が通じない時があることだねぇ。色々な国から集まっている訳だから、通詞つうやくを用意するといっても、誰でもという訳にもいかず……。なかなか面倒なんだ。それで、代金は叩かれるわ。こちらとしては、何の得もない……」


 店主は、溜め息混じりで、手綱を引き、先を行くヤハチ親方へ言った。


「へぇーー、どうりで、皆さん嫌な顔をすると思った。おっと、いけねぇや。余計なことを言っちまいました。旦那、申し訳ありゃーせん!」


 気にしていないと店主は言いつつ、ここだけの話と、こっそり語り出す。


「親方、確かに面倒ではあるんですがね、居留地内の仕事は、すべて、宮中、つまり、国の息がかかっている。まあ、お国に命じられ我々も協力しているんですよ……」


「へぇ、お上が出てきたら、そりゃあ、断りきれませんなぁ」


「そうゆうことです。だが、それで、宮中と何らか繋がりが持てる。つまり、国家事業に参加できるというわけでね、いずれは、宮中の内々の修繕やら増築やら、声がかかる可能性もあるのでは……なんて、取らぬ狸の皮算用ですよ」


 わははは、と、梶井屋の店主は、馬上で機嫌良く笑っている。


「なあーるほど、そりゃあー、損して得取れってやつですなぁ!」


「ははは!親方上手いこと言うねぇ。だからね、職人は余分にいた方がうちとしても心強いんだよ。小まめに動いて置けば、いつか、大きな仕事が来る。そのためにも、親方、頼りにしていますよ!」


 そういうことでしたらと、ヤハチ親方は、トンと胸を叩いた。


「あっ、着きましたよ!」


 こう助が声をあげた。


 確かに、先には小さな門の前に立つ憲兵の姿が見える。


「へえーー、憲兵なんぞがいるんですかい」


「そうなんだよ、親方。みだりに立ち入れない場所だからねぇ。警備も厳重なんだ」


 梶井屋店主の言葉に、ヤハチ親方とこう助は、へえーー、などと声をあげ、物珍しそうにしているが、互いに目配せをして合図を送った。


 あの門を通り抜けるのは、容易い。梶井屋という盾がいる。通行証に同行票なる物もある。正式な手続きを取って、大手を降って居留地へ踏み込める。


 問題は、そこからだ。


 四郎に美代がいるはずの、ステファンの屋敷への道順は聞いている。つまり、パン屋。白粉を扱っているような小間物屋。紙幣が存在する、銀行か役所か何かお堅い商い場所。そして、住宅街を過ぎ、曲がって、坂道──。


 それだけ分かれば、十分過ぎるが、ただ……。


 隠密の姿に戻り、ステファン邸に忍びこむか、鬱陶しいが、このまま、梶井屋を操り侵入するか。


 どちらが、得策なのか。


 ヤハチ親方が、物言いたげにこう助を見ている。


「あーー、旦那様!私は、異国の言葉はわかりません!どうすればよろしいのですか!」


「ははは、こう助。心配には及ばないよ。これから伺うミレーネ伯爵様は、日ノ本の国の言葉が大変ご堪能でね。しかも、お屋敷にお仕えする皆様も同様だから、商談はとても楽なんだよ」


 商いの話を書き留めておくようにと、梶井屋の店主は言いつけてくるが、こう助も、ヤハチ親方も、商談などどうでも良く、もっと、相手、すなわちステファンの情報が知りたかった。


「へえーー、日ノ本の国の言葉が分かるたぁー、そいつぁーすげーや」


「そうなんだ。どこの屋敷も使用人は本国から連れて来ている。訪ねて行っても、まず言葉が通じない。だから、肝心の主人へ取り次いでもらうのが一苦労なんだよ。それが、ミレーネ伯爵様のお屋敷は、使用人皆、言葉が分かる。これは、大助かりだねぇ」


「ほおおーー、異国人なのにですかい、そりゃー、大したものだ。ということは……もしや、日ノ本の国の人間も、中には雇われているということですかねぇ?」


 ヤハチの親方が、空々しく屋敷の内部について質問した。使用人まで、この国の言葉が分かるというのは、正直できすぎのような気がした。いくらか、ここの人間もまじっているのではないだろうか。そうならば、来客時に、日ノ本の国の者が出てくれば、言葉の壁などなく、簡単に取り次ぎが行われる。


「あー、それが、親方、日ノ本の国の人間は、雇われていないんだよ」


「ほほぉーーそりゃあ、また……」


 親方は、またもや、ちらりとこう助を見る。その仕草に、こう助も、小さく頷いた。


 四郎は、美代が女中になった。と、言っていたが、ひょっとしたら言葉のあやかもしれない。雇われていたら、梶井屋の主人が、日ノ本の国の女中がいると言うだろう。


 いや、しかし、それは、ついさっきの話だ。そんなにも早く美代の事が市井に伝わることは不可能だろう。仮に、美代が本当に、女中としてステファンの屋敷にいたとして、まずは、まだ世の中に知られていないはず……。


 こう助は、煌の顔に戻り、一人胸の内で考えた。


「旦那、なんだか、ミレーネ伯爵のお屋敷は、凄いですなぁーー。そんなら、使用人も多いんですかい?」


「いや、親方、それがだねぇ、そんなにも凄いのに、どうしたことか、使用人は数えるほど。普通、伯爵家となると、何十人も人がいるはずだろう?どうも人手不足らしいんだよ……」


 それで、美代を女中に?


 店主の言葉に、煌は、こう助の面持ちを崩さず考え込んだ。 


 やはり、ステファンという男、何か怪しい。


 ヤハチ親方である八代も、煌と同じ意見なのか、目を細め厳しい顔つきになっていた。


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