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第32話

 ──なにやら物騒な話が進んでいるとは露知らず、煌は馬上で八代に自分の策を説明している。


「なるほど。 それで、柳井町やないちょうへ」


 煌は、街の南西部に位置する、施工請け負いや大工が多く住む地域、柳井町やないちょうへ向かっている理由を八代へ告げた。


「そうだ。職人らは、時に居留地へ仕事に出向く……」


「確かに!居留地内の建物は、日ノ本の国が管理しております。修繕は、こちら側の人間が請け負う事になっております……」


 八代が神妙に返事をした。煌の策が、おおよそ掴めたようだ。


「八代。我が門代家に出入りしている施工請け負い、梶井屋は、確か、居留地での施工の元締めをしているだろう?」


「お頭。では、梶井屋を使って……」


「うむ。梶井屋の職人として、我らは居留地へ、ステファンの屋敷に先入する!」


 煌は、凛々しく声をあげた。同時に、馬が嘶いた。人気のない、裏路地を選んで進んでいたが、先に、乗り合い馬車が通る大通りが見えたからだ。馬車の馬に反応したのか、黒馬は、鼻先を揺らし始める。いくらか興奮しているようだ。


「あの通りを抜ければ、柳井町やないちょうだ。しかし……」


「お頭、かなり遠回りになりますが、人気ひとけのない路地を存じております」


 多少時間がかかっても、裏路地を行く方が良いだろう。黒軍服に黒馬の登場と騒ぎをおこしたくはない。煌はそう思い、八代の提案を受け入れた。


 こうして、馬一頭がやっと通れる裏路地を右へ左へと曲がり、煌と八代は目的の柳井町やないちょうに到着した。


 職人の町らしく、通行人も、ねじりハチマキに屋号の入った印袢纏しるしはんてん姿の男達が多かった。仕事場へ向かっているようで、道具箱を担いで足早に行き交っている。


「八代、馬から降りる」


 煌は、周囲の目を気にして八代へ命じた。


 やはり、皆は隠密と分かっているのだろう。チラチラと視線を向けて来るが、さっと反らして逃げるように歩んでいく。


「……お頭、目立ちすぎましたか」


 黒軍服姿の二人組。それも、少女に付き従う男、黒馬までいては、どうしても人の目を引いてしまう。


「八代、梶井屋までの辛抱だ。とにかく、騒ぎを起こすな」


「御意」


 煌と八代は、できるだけ目立たぬように往路の隅を歩き、目的の店、梶井屋を目指した。


 しばらく行くと、入り口に、丸に梶の文字が染め抜かれた暖簾がかかる店が見えた。


 「お頭。私は……」


 馬のことを考えてか、八代が煌へ外で待っているべきか尋ねる。


「馬は、外に繋いでおけ。八代、お前も一緒に来るのだ」


 煌は、意味ありげに口角を上げる。


 どう見ても何か策があるといった感じなのだが、そこから先が、八代には分からない。自分は何をすれば良いのだろうかと惑った。


 まあ、煌一人で店に入るよりは、八代という従者が居るほうか、どことなく、威圧感があり、店側も丁重な扱いをするだろうが、どうも、そうゆう問題でもなさそうだ。


 八代の疑問を感じとったのか、


「久しぶりに、お前の人心術をみさせてもらおう」


 煌は言うと、何食わぬ顔で梶井屋の暖簾をくぐった。


「後免!あるじは、いるか!門代家の者だ!」


 煌は声を張り上げた。


 広がる板の間に座り、奉公人と顔を付き合わせ図面を見ている客らしき者達が、一斉に声の主に注目する。


 そして、目を見開らくと気まずそうに、話はこれまでとばかりに腰を上げ、帰って行く。


 黒軍服の二人組、それも、少女と仕える男らしき珍客が現れたのだ。先に来ていた客達は、何かに巻き込まれてしまうと思ったようで、早々に逃げ出したのだった。

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