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第30話

「ん?……呼ばれた……か?」


 煌と待ち合わせをしている八代は、先を望む。


 煌の姿はまた伺えない。


 なにやら、名を呼ばれたような気がしたが、空耳、気のせいだったかと思い直し、脇にいる黒馬の手綱を握りしめた。


 馬は、全力で走り続けていただけに、気分が高揚しているようで、先程から前足で地面を掻き、鼻先を揺らしている。それは、待ちくたびれたと言いたげなものだった。


 ここ、女学校の通用門前は、ほとんど人通りがない。しかしながら、長居するのは懸命ではない。黒軍服と黒馬が佇んでいては、異常に目立ってしかたないからだ。


「馬よ、もうしばらくの辛抱だ。お頭は、ここでは普通の女学生だからな。早退届けを提出しなければならぬ。おそらく事務処理に手間取っているのだろう……」


 馬を落ち着かせるごとで、八代は呟いた。


 手綱をしっかり握っている以上大丈夫だろうが、とにかく気が立っているようで、馬は今にも走り出しそうだった。


「……すまん、八代。待たせた」


 黒軍服姿の煌が、通用門から現れる。


「お頭!」


 八代は思わず叫んでいた。


「八代、見苦しいぞ。お前、先程から乱れすぎだろう。たしかに、美代みよの一大事だ。気が焦るのはわかるが、隠密という立場を忘れている!」


 煌に注意を受け、八代は黙って頭を下げた。


 だが、これは本当に一大事中の一大事ではなかろうかと八代は頭を下げながら思う。


 煌が、いつの間にか、参内や儀式の時にしか着ない軍服を身に付けていたからだ。しかも、腰には、さらにほとんど下げたことのない、短銃ピストルが……。


 煌の本気度が、かいま見える装いに八代の気持ちは引き締まる。


 そもそも、お頭である煌がこうして率先して前に出ることなどあり得ない。どのような時も現場に現れることはなく、後方から八代含め部下の隠密達へ指示を送るのが一般的で、それなのに、煌は、護身用の短銃ピストル持参、サーベルてはなく飛び道具を用意していた。


 並々ならぬ決意というより、美代みよを連れ戻すことが、危険と隣り合わせである、いや、危険を犯さなければ行えない事なのだと読み取れ、八代の表情は固くなった。


「……八代、もう一度だけ言う。いくら美代みよが心配だからとはいえ、校内で、腹をかっさばいてなどと……あそこまで動揺するとは何事だ!」


「お頭、申し訳ございません。この八代、隠密の本分を忘れておりました……しかしながら……」


「ああ、お前の言いたいことはわかっている。美代みよに何かあれば、それは、宮中を、いや、日ノ本の国を揺るがすことになりかねないのだからな。だからこそ!沈着冷静に!ではないのか?」


「御意!この八代、確かに動揺しすぎておりました。しかし、大切な美代みよ様を、よりにもよって、異国人に連れ去られてしまうとは、不覚も不覚。ゆえに、責任をばと焦ってしまったのです。美代みよ様は、たった一人の妃候補なのですから。仰有る通り、もしものことがあれば……。日ノ本の国は、正妃不在ということになりえます!」


「八代!声が大きいぞ!選出妃候補が美代みよしかいないということは、極秘だ。それに、まだはっきりとしている事でもない。他の妃選出家に探りを入れている状態だからな……」


「失礼しました!ここで話す事ではありませんでした。しかし……お頭、もしも、本当に他の二家に、女子がいないならば……」


「ああ。この学校に、他家の妃候補が通っていないということは、つまり、どちらの家にも、年頃の女子がいないということになる……」


「二家は、女子がいるように見せかけておりますが、未だ姿を見たことがありません。……本物がいなければ、影武者も出せませぬ。……やはり……、妃候補は美代みよ様しか、いないのでしょうか……」


 小声で語る八代へ煌は頷く。


「だからこそだ。八代。穏便に、人知れず美代みよを連れ戻さねばならん。正妃に確定しているに等しいからこそ、妙な事には捲き込まれてはならないのだ!」


 正論とも言える煌の言い分に、八代もしっかり頷き返した。


「うーん、やっと、そこんとこに気がついてくれたかぁー」


 か細い声が足元から聞こえてくる。


「四郎!来たか!」


「あい!来たよ!八代ちゃん!待たせてごめん!」


 黒馬の胴の下に、猫の四郎が座りこみ、煌と八代を見上げていた。


「煌ちゃん。妃のことは、ちゃんと調べた方がいい。他の二家には、女子がいないというのは、あくまで、猫情報だから、なんとも言えないからね」


「しかし、四郎。猫は、怪しまれず、どこにでも侵入できる」


 油断した人間の側で語られる秘密話を耳にできるはずだと言う煌に、四郎の返事は重い。


「そうだけどさぁ、煌ちゃん。くどいけと、猫は猫でしょ?」


「四郎、お前が、何か怪しいと言ったのではないか?」


「あー、煌ちゃん。よく聞いて。確かに言った。他の選出家の猫は黙秘権を使うって。でも、それは、妃候補の女子がいない。とは限らないでしょ?他に何か秘密があるのかもしれないし……」


 それよりも!と、四郎が興奮ぎみに言う。


「煌ちゃん!八代ちゃん!大変なんだよ!美代みよちゃんが、女中になっちゃった!」


 四郎の報告に、煌の右眉がピクリと動き、八代は目を見開く。


「四郎!どうゆうことだ!」


八代が身をのりだし、四郎を問い詰めた。


「うん!それが、話せば長くなるんだけど」


 四郎は、尻尾をピンと上げると、静かに語り始める。


「……というわけで、美代みよちゃんは、お屋敷の女中になった。あのステファンってのは、猫好きのくせに悪党かもしれないなぁ」


「なるほど……」


 報告を受けた煌は、平静を装おっているが、かなり衝撃を受けたようで、気持ちを押さえようとばかりに握っている拳をプルプル震わしている。


 それでも、煌は静かに四郎へ語りかける。


「四郎、話をまとめる。美代みよは、何故か、私の女中と思われており、そして、ステファンとやらの屋敷に連れていかれ、そこで言いくるめられ、女中として働くことになった。さらに、そのステファンとやらは、四郎、お前の写真を撮った。それも、見たこともない小型のカメラで……」


「うん。そうだよ。普通写真を撮る時って、ボンって大きな音がして、パッと光るじゃない?だけど、ステファンのカメラは手のひらに乗る位小さくて、カシャカシャ音がするだけなんだ。あっ、精密機械を販売したいって言ってたな。カメラも新型の商品だとか。おまけに、あたいへ、お座り、伏せ、鳴いてみろだよ?!挙げ句、美代みよちゃんに、あたいを抱かせて写真を撮ったんだ!」


「お頭っ!」


「八代!」


 煌と八代は、顔を見合わせる。


 二人とも困惑を隠せないでいた。


 「……ステファンとやらは、ただ者ではないかも……しれんな」


 煌が震える声で呟いた。


「四郎の写真を撮る振りをして、美代みよ、つまり、将来の正妃の写真を撮影したのだぞっ!」


「お頭!ステファンめは、初めから、美代みよ様が、妃選出家の子女だと知っていたのでは!」


「ああ!八代!その可能性が高い!そうでなければ、なぜ、通りすがりに声をかけ、美代みよを連れ去るのだ?!」


 煌の表情には焦りが見てとれた。自分が一緒にいながら、この様な失態を仕出かしてしまったのだから。


 国の上位に立つ者は、下々へ、みだりに姿を見せない。保安上の問題は確かにあるが、何より、威厳を保たなければならない。よって、軽々しく人前に現われないものなのだ。もちろん、写真などもってのほかだった。


 にもかかわらず、ステファンに、正妃になるだろう美代みよの姿を撮影されてしまった。


 これは、国家の秘密を盗撮されたに等しい。しかも、見たこともない特殊なカメラを使ってとは……。


 ステファンは、日ノ本の国の有り様を撮影し、本国へ報告している、情報提供者──、つまり、スパイなのでは?!


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