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第23話

 たまたま拾った猫を育て上げた。初めは気まぐれになんとなく、あれこれ芸を教えて見たら、案外覚えが良い。そして、思いきって隠密の訓練を行ってみたのだが、四郎は思いのほか力を発揮した。


 以降、細々な繋ぎとして重宝しているが、今回は、流石にこれまでとは話が異なるだろう。


 何より、四郎は八代の愛猫でもあるのだ。手塩にかけて育て上げたのは良いが、その分、可愛さも並大抵ではなくなってしまっていた。


 もし、あの異国人が猫嫌いなら。美代ともども四郎までも……。


「まずいっ!!四郎に何かあれば、許さん!!い、いや、そうてはなく、美代様が一番なのだ!!」


 動揺した八代は思わず、手綱を引いてしまった。


 ひひぃぃぃーーんと馬が嘶き、その走りが乱れる。


「うっわっ!!」


 振り落とされそうになった八代はなんとか堪え、体制を保つ。


 ここで、落馬してはそれこそ元も子もない。何をやっているのだと、八代は自分に発破をかけると同時に、もしも、四郎に何かあっても隠密としての誇りと役目を忘れてはならないと自らを戒めた。


 自分は、隠密なのだ。ましてや、影として生きる自分達の、光でもある三門家の危機、美代が連れ去られた……。なぜ、最初に止められなかったのか。そして、追い付いたにも関わらず、どうして、この様な結果になってしまったのか。


 馬は、八代の焦りを代弁するかのように、鼻息荒く駆けている。


 煌が居るであろう、華龍女学校の門構えが見えてきた。


「お頭!!この八代、一生の不覚!!」


 八代は、呟きぐっと喉を鳴らす。


 煌の逆輪に確実に触れるだろう。しかし、やらねば。自分はどうなろうとも、隠密の意地にかけて、美代を無事に奪還しなければならないのだ。


 それに伴う数々の枷……、外交問題の危機回避という、煌に多大な負担をかけてしまうのも事実であるし、とにかく、あってはならないことをしでかしてしまっているのだ。


「……この八代、命にかけても美代様を必ず!!」


 八代はキリリと顔を引き締め、馬の胴を蹴る。


 受けるであろう、煌からの叱責は、正直恐ろしかったが、それは、自分の力不足と、いたらなさが起こしてしまった事。ここで小さくなっていては、男として如何なものだろう。そう心を奮い起こし、八代は馬を走らせる。


 同時に、煌へどのように報告すればよいのかと考えをめぐらし、心の奥底では煌の怒りに、やはり怯えていた。 


「……この場に及んで何をっ!!しっかりしなくてはっ!!」


 恐れている場合ではない。事情を掴んでいるのは、八代のみ。そして、この仕事は、八代にしかやり遂げられないもののはず。


 決意を決めるが如く八代は、再度ぐっと手綱を握りしめ、再び馬の胴を蹴る。


 バテかけている馬は、勢い良く嘶くと、速度を上げた。


「よし!お前も美代様のことが心配なのだな!大丈夫だ!この私が必ず!」


 八代は、腹をくくったのか、どこか自信に満ちた表情を浮かべ、見覚えのある長く続くレンガ塀にそって馬を走らせる。


 華龍女学校に到着したのだ。


 日ノ本の国でも、上位の身分の者しか入学出来ないだけはあると知らしめる為なのか、広大な敷地を取り囲む塀……。どこまで続くのかと思えるそれが、途切れる。


 正門に来た。見える門柱には、木板に、流れるような文字で、校名が刻まれている。


 八代は馬を止め、ひらりと降りると門を潜った。


 あとは、煌の居る教室へ向かえば良いだけなのだが、人の気配はない。おそらく授業中で皆、教室内にいるのだろう。


 今すぐ知らせるべき事があるが、しかし、授業中の教室へ踏み込むのは、まずかろう。


 これは、穏便に進めなければならないことだ。決して外部に漏れてはならない話なのだ。


 考えあぐねていた八代の目に、腰の曲がった老人の姿が飛び込んで来た。


 校舎の棟をつなぐ渡り廊下を、白髪の老人が一人、鐘を鳴らしながら歩いている。


 どうも、授業の終わりを知らせているようだ。


 休憩時間に入るという知らせだろう……。


(行くか……)


 つっと、不自然に口角を上げた八代は、渡り廊下を歩む老人、おそらく、学校の雑用をこなす用務員だろう男の所へ向かった。


「ん?あなた様は?ここは部外者は立ち入りならん所です」


 用務員の老人は、突然現れた八代に目をしかめ、眺めている。どうも視力が悪いようだった。


 お陰で、八代の正体も分かっていないのか、


「お迎えの従者様でしたら、あちらの校舎の控え室でお待ちいただくはずですが?と、言いますか、まだ本日の授業は終わりではありませんけれど?」


 用務員の老人は、八代を、学生を送り迎えする従者と勘違いしているようだった。よほど視力が悪いのだろう、隠密の印、黒い軍服が、どうやら、ここに通う子女達に仕える執事らが纏う洋装に見えているようだ。


(なるほど、分かっておらぬのか……まあ、それは好都合。騒ぎにもなるまい)


 ふっと、小さく笑いながら八代は、


「ええ、急ぎの御用で、お嬢様をお迎えに……」


 などと、声色まで変えて、迎えの執事の振りをした。

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