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第13話

「美代様!!!」


 八代は片膝をつくと頭を下げた。


「この八代、馬の一頭も扱えぬとは一生の不覚でございました。なんなりと、私に罰をお与えください」


 必死に謝る八代の勢いに、やや押されつつも美代は、やっと安心できた。


 正直、八代が何故ここまでかしこまっているのか美代には分からなかったが、もう、一人ではない。八代か適度にステファンの相手をしてくれるだろう。八代の登場は、非常に心強いものだった。


「八代!助かったわ!これで外交問題に発展しない!私、どうしようと、困っていたのよ!」


「……美代様、今、なんと仰せになられました?」


 八代の鋭い双眸が細められ、すっくと立ち上がると、腰に下げるサーベルに手をやった。


「異国人!貴様、美代様に何をしたっ!!」


 八代の気迫に驚いたステファンは、自分は何と答えるべきかと考えあぐねながら、この状況を把握しようと必死になっている。


「美代様をいきなり馬車に乗せ、人攫いの様なことをしでかし……外交問題と因縁を吹っ掛けてくるのか!馬車の中で、美代様を脅したとはっ?!なんという姑息なっ!!」


 卑劣極まりないと叫び、八代は、サーベルを抜いた。


 キラリと光る鋭利な切っ先に、ステファンは度肝を抜き、当然、言葉が出ない。正しくは、何故サーベルを向けられているのかという、この現状が理解できない。


「きゃーー!八代!やめて!そんな物騒なもの振り回さないで!」


 刃を抜かれては美代もたまらない。思わず、鞘に納めるように八代へ命じるが、


「私は、振り回してはおりません。確かに、どうゆう理由であれ、美代様の前でサーベルを抜くとは、由々しき事。大変失礼いたしました」


 八代は、はっとした顔をし慌ててサーベルを納めた。


 刃が仕舞われた事にステファンもほっとしたのか、ふうと小さく息をついている。


 が、美代は改めて思い出していた。


「八代!サーベルよりも、大事なものがあるでしょ!持って来てくれたわよね!」


 ステファンは、あれこれ居留地の中へ入る方法を語っていたが、そう、美代は、勘違いだらけの挙げ句、ステファンの屋敷に招待されてしまっている事になっている。手土産、いや、献上品を用意しなくてはならないと焦っていたことを、そして、八代が用意してくれるはずと信じていたことを思い出していた。


 八代は、切羽詰まった美代の訴えに、一瞬目を細めると、スッと背後に両手をまわした。


「こちらでいかがでしょうか?」


 差し出された八代の両手には、女性用の草履が乗っていた。


「ブーツも考えましたが、草履の方が、修繕費用も余りかからず、そして、簡単に修理できます。もちろん、通学用の袴にも合わせる事ができます。お履きになっている物よりも宜しいかと思い手配いたしました」


 一体どこに、草履を隠していたのか?と、思うほど、八代は手際よく美代へ草履を掲げ持って見せる。


「まるで、マジックのように、物がでてくるとは……」


 ステファンも八代の動きに驚きを隠せない。そして、美代はというと、眉間にしわを寄せていた。


「八代?!いくら異国の方への贈り物だからといって、ステファン様に、女物の草履を献上するのは、いかがものでしょう?!」


「美代様?少々、お気が、緩まれておりませぬか?異国人めを、ステファン様などと……故に、若干分かりにくい話になっているのでしょうや?!八代めには、どうも理解しかねるお言葉なのですが……」


 あれから八代は、暴走する馬の手綱をどうにかこうにか取り、美代の元へ戻ろうとしたのだが、途中、履物屋の前を通った。使い物にならない、あのブーツを履いている美代を思い、言葉通り後々の修繕ができる草履を購入したのだった。


 使い物にならない靴を履いたままというのは、けしからん、いや、忍びないという考えからだったのだが、いざ、美代へ差し出してみると機嫌が悪い。もしや、草履か気に入らないのかとも八代は思ったが、献上品などと口走っていた。一体全体……。


 八代にとっては、見えぬ事ばかりで、唖然としてしまったが、何より、どうしてステファンが美代の隣に腰掛けているのか、更に、馴れ馴れしくも、美代へ上着を貸し与えているわ、草履を差し出した時には妙なことを言ってくれるわ、とにかく、元々気に入らない上に、外交問題を盾に美代を脅すという暴挙的な事をやってのけてくれるわ……。


「異国人!貴様は黙っておれ!美代様、ひとまず、こちらにお召しかえを!傷んだ靴のままでは、なにかと不自由のはずです」


 八代は、ステファンを睨み付けながらも、美代へ向かって草履を差し出した。


 「あっ、そうね……ひとまず履きかえた方が……」


 動きやすさ、特に見た目の問題がある。ハンカチで縛った靴など、招待の場には絶対的に向いてない。献上品もだが、そもそも、靴がその様な状態では、笑い者以外何者でもない。現実に気が付いた美代は、袴の裾から覗く、ハンカチで補強したブーツを見た。


 やはり、八代が用意した草履に履きかえるべきと思った瞬間、隣に、ステファンが座っている事を思いだす。


 履きかえるということは、靴を脱ぎ、素足にならねばならない。八代は、常に、気まずい時は姿を消してくれるので、その点は心配ないが……。問題は、ステファンだ。


 しかも。乗る馬車はステファンのもの。ここは、美代が馬車から降りて、路上で履きかえる、これしかない。礼儀的には、そうなのだから。


 戸惑う美代に、八代が気付いた。


「異国人!美代様が、草履に履きかえるのだぞ!いつまで座っているつもりだ!」


「八代、それは、失礼なのでは?あの、ステファン様、どうかお気になさらないでください」


「美代様、何をおっしゃいます!」


 八代が苛立ちを見せるが、それを制するかのように、ピイーーと、高音の警笛が鳴り響いた。


「なにっ?!憲兵かっ!」


 ぼやく八代、そして、馬車では、ステファンも、厄介なことになりそうだと、渋い顔をしている。


 カツカツと、長ブーツを鳴らしながら早足で駆け寄って来る者がいる。


 八代の軍服とは異なる、カーキ色の軍服を纏う若い男が、警笛を鳴らしながら馬車へ向かってやって来ていた。


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