(こんな時は、どうすれば!)
美代の気持ちだけが焦るその時、馬車が停車した。
が──。
ステファンは馬車から降りる気配をまるで見せない。一体、何がどうなっているのだろう。
「仕方無い……」
ステファンが呟く。
同時に、美代も何食わぬ顔をしつつ、心の内では、ひいいいい!と、叫びをあげていた。
来る時が来た。恐ろしくて仕方ない。震えてはならぬと美代は必死に身構えるが、カタカタ小刻みに体が勝手に揺れてくれた。
(八代!助けて!!)
ついに、ここにいない人間に助けを求めてしまうほど、美代の心は極限に達しつつある。
「無事に終われば良いが……」
ステファンがトドメのような事を言った。
(いやぁーーーー!やっぱり、無理!八代!!)
とうとう最期が来たのかと、美代はギュッと目を閉じ黙りこんだ。
すると、美代の名を呼ぶ者がいる。と、いうべきか、どこからか、名を呼ばれている。
「美代様ーー!!」
荒々しい蹄の音と共に、八代の叫びがした。
「や、八代?!」
美代の心の叫びが届いたのか。まさか。そんな。
美代は半信半疑で、馬車の窓から外を見た。
「美代さん!顔を出してはなりません!厄介なことになる!」
ステファンが慌てている。
何を言いたいのか美代にはさっぱり伝わって来ないが、確かに自分の名前が連呼されているのだ。八代が、やって来たのか、確めさせて欲しいとばかりに、美代は、ステファンの制止を無視して、窓ガラスを叩き八代に合図を送った。
美代の屋敷にも馬車はあるが、両親が乗り回している状態で、美代はまともに馬車に乗ったことがなく、窓の開け方を知らなかった。
八代に分かれば良いのだからと、美代は窓ガラスをコンコン叩いて合図を送ったのだ。
まあ、無作法、そして、今の状況では、実に不味い行動だろうが、勝手に馬車のドアを開けて外に出るよりは良いだろうと、美代なりのとっさの判断だった。
「いや、ですから、美代さん!止めてください。面倒なことになる。こちらは、穏便に通り抜けたいのに、隠密まで呼び寄せては、通り抜けできなくなる!」
ステファンが、慌てながら美代を制した。
「え?通り抜け?」
「はい。もう、居留地に到着しました。しかし、敷地は塀で囲まれており、出入り口は一ヶ所なのです。そこを通過しなければ、敷地内へは入れない。そして、そこには、門番として憲兵が立っている。必ず、出入りの確認があるのです」
曰く、日ノ本の国の人間が敷地に入るには、特別な許可書が必要なのだとか。
出入りする者もほぼ決まっている。つまり、身元がはっきりしているいつもの面々が、通り抜けるという具合なのだ。
しかし、美代は、許可書を持っていない。特例として、居留地の住人、つまり、ステファンが招待したならば、その時限りという縛りはあるが、敷地に入ることができる。ただ、それも、事前に許可を取っておかねばならない。
美代の場合は、許可書も事前の許可も取得していない。
ステファンは、自国、ドラムント王国大使館の客だと言い張り、どうにか通過しようと思っていた。
「最悪、床にしゃがんで頂いて、荷物のふりをしもらおうかと思っておりましたが、相手は、日ノ本の国の憲兵ですからね。なかなか、手厳しい。そんな子供騙しが通用するとも思えません」
やれることをやれるだけやってみようと、ステファンは先程から、あれこれ考えていたそうだ。
「えっ?じゃあ、ステファン様は、お怒りになっていた訳ではなく、私を手打ちにしようとも思っていなかった……」
「手打ち……ですか?」
ステファンが不思議そうな顔をする。
「はい。私はてっきり……」
安堵と勘違いしていた恥ずかしさから、美代はうつむきポツリと言った。