「失礼!」
言って、美代の額に手を置いた。
「熱はなさそうだ……」
続けて首筋に手を当てる。
「うん。大丈夫そうだが……なぜだろう。まるで高熱を出したかの様に顔が赤い……」
首をかしげながら、ステファンは美代を見ている。
もちろん、美代の異変は、ステファンが原因なのだが、まさか、面と向かってやめてくれ!とも言いにくい。
うら若き乙女が、異性に額と首筋を触られたのだ。どうにかなるのは当然で、美代は、恥ずかしさから真っ赤になっているだけなのだが、そこが分からないのがステファン。気くばりが、行き過ぎていることをまるっきり理解していないようだった。
「美代さん。なにか重篤な病気なのかもしれません。やはり、医者に診てもらいましょう。駐在員を診る医者がおります。彼ならあなたの病も治せるはずだ。失礼ながら我が国は技術もだが、医療分野でも長けている。日ノ本の国の医者よりも腕は上なのです」
「……あ、あの……あ、あの……分かりましたから、手を……」
切々と訴えるステファンへ美代は、必死に言葉を発した。何だかんだと言いながら、ステファンは、美代の首筋に手を当てたまま。もちろん、素肌を触られているのだから、美代は言葉も発せられないほど動転している。
「ああ、熱をはかるのには必要ですからね、何も驚くことはないのですよ。これは医療行為なのですから」
美代の恥ずかしがる様子は、ステファンも何とか分かったのか、むきになって意見してくれるが、そう言っている間に手を首筋から離してくれというのが、美代の本心。しかし、それが言えない。
恥ずかしさも当然あるが、とにかく、騒ぎにしてしまってはいけない。三門家の行く末を思いつつ、美代は耐えた。
一方で、どうしてこんなことになったのかと、思いつつもその理由がまるっきり分からない。心の中で叫びながら、とにかく、ステファンが引き下がってくれることを待つしかないのかと、美代は耐えに耐える。
「そろそろ、居留地に到着する。私の屋敷は言った通り、立場的に色々とあり、一等地とは言えない、地域の隅に当たる場所ではありますが、幸いなことに病院と近い。ですから、もう暫くのしんぼうです」
もう暫く。それを聞き美代は、安心した。同時にステファンの手が離れたのもあった。しかし、別の不安が美代を襲って来た。
「あの、居留地……ですか?」
「ええ、私の屋敷は当然、居留地内にあります。私達は、居留地で暮らさなければなりませんからね」
ステファンは、朗らかに言った。しかし、その居留地とは、異国人を閉じ込める為に作られた居住空間だと美代達は認識している。
異国人との不用意な交流を避けるために、彼らは、居留地と呼ばれる一角に住まわされているのだ。
美代を含めて日ノ本の国の人間は、むやみに足を踏み入れることは出来ない場所で、異国人が詰め込まれている所と思われている。
ステファン一人だけでも、異国人といるのだと思えば、どぎまぎする。それが、詰め込まれている場所、そして、立ち入り禁止に近い場所へ行くと聞けば、美代が不安になるのも仕方ないといえるだろうが、隣に座るステファンは、さも当たり前のように、招待するのだからとか、医師に診てもらうべきだとか、まだ言っていた。
「あ、あの、ステファン様。あのですね、私達は、居留地などとても足を運べる場所ではないと……あ、あの、そう聞かされていて……」
そんな恐ろしげな所には行けないし、禁止区域に近い場所なのだと、美代は声をあげたかったが、何しろ、外交問題に発展しかねない相手。思ったことを言えないという、なかなか、厄介な事になりつつある。これは、まずいのではないだろうか?さすがに、美代も焦っていた。居留地という、世間から隔離された場所へ放り込まれるのだから……。
(八代!煌ちゃん!)
美代は、未知の世界に連れていかれたくはないと、心の中で助けを求めた。
しかし、八代は現れず、煌も当然姿を見せない。なかば、泣きそうになりつつ、美代は、ステファンへ口を開いていた。
「あ、あの、ステファン様。居留地は異国人が詰め込まれている場所で、とても恐ろしいところだと聞いております。そして、私達は、立ち入ることを禁止されているのです!」
「ああ、そういう風評が流れていますね。美代さん?私の事は恐ろしいですか?」
ははは、とステファンは、呑気に笑った。
恐ろしいかと面と向かって聞かれ、はいとも答えられず、また、ステファンのことは、どう相手すれば良いのか分からないだけで、美代にとって、恐ろしい相手とは思えない。自然、美代は首を振り、恐ろしくはないと意思表示していた。
「では、問題ないでしょう。確かに、日ノ本の国の住人が、居留地へ足を踏み入れるの事は、表だっては禁止されている。ただ、例外は何事にもあるでしょ?生活に必要な物を扱う商人や、特別な人間は自由に出入りできるのです」
「……そうなのですか?居留地に?」
「ええ、そうですよ。そして、美代さん、あなたは、特別な人扱いになる。私の招待を受けているし、日ノ本の国の医師では治せない病にかかっているのだから」
ステファンは、いたずらっ子のように、ニンマリ笑いパチリと目配せした。
「え?!」
どうやら、居留地の住人の招待があれば、日ノ本の国の住人でも足を踏み入れることができるらしく、更に、ステファンは美代を奇病に仕立てあげ、規則を掻い潜るつもりのようだった。