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第8話

 そんな乙女の心の内など、美代の隣に座ったステファンにも分かるはずがなく、変わらず自分に寄りかかり体を楽にするよう勧めてくれる。


「いえ、ですから、伯爵様!」


 男子の体に触れる、寄りかかるなどもってのほか。外交問題に発展する以前の話だ。


「ああ、美代さん、伯爵様だなんて、おおげさだよ。言っただろう?ステファンと呼んで良いのだよ?」


「いえ、でもやはり、伯爵の位をお持ちの方ですし……」


 言いながら美代は思った。そうか。相手は伯爵。爵位持ち。男性というよりも、そこだ。そこなのだと。


 爵位のある人間に、寄りかかるなど無礼千万だと美代は納得した。頬を赤らめている場合ではない。きっぱりと身分を示してさしあげれば良いだけなのだ。なぜ、鼓動まで高鳴らしていたのだろう、などなど、美代は自身を鼓舞した。


 まあ、勘違いが勘違いを呼んだのか、はたまた、文字通り、乙女の羞恥が表に出たのか、もはや、定かではなくなっているが、とにかく、伯爵家の馬車に乗り、その伯爵が寄り添おうと言い始めている事実は明確。


「あの、あ、あの、ご自分が、伯爵であることをお忘れではないでしょうか?」


 もっと威厳を持つべきだろうと、美代は、ステファンへ遠回しに意見した。ところが、ステファンは、少し顔を曇らせ、無理矢理口角を上げているだけだった。


「伯爵様?」


「……だからね、美代さん。どうして、伯爵様は無しだと私が言っているかということだよ」


 呟き、なお、ステファンは表情を強ばらせる。


「えっと……」


 伯爵へ、伯爵と声をかけただけなのに、どうしたことか、重い空気が流れている。場の空気はもちろん美代にも読めたが、何故なのかがさっぱりだった。


 自分には、失言はなかったはずだと、美代は自身の発言を思い起こしてみる。


「伯爵と言っても、私は美代さんが思っているほど立場はないのてすよ。名ばかり、いやそれ以下の伯爵家なんです」


「名ばかり以下の?でも、伯爵である以上……」


 美代はステファンの言葉に困惑した。何が名ばかりなのだろう。その名前、伯爵という名称が肝心なのだろうに。


 ステファンは、美代の困惑ぶりを察したようで、ポツリポツリと語り始める。


「つまり、私の家は、日ノ本の国に派遣されるほど、弱小、辺境伯爵家ということなんです。我が国は、厄介者を追い出したかった、とでも言うべきなのでしょう。こうして当主の私を名も無き小さな国へ追い払ったのだから」


「名も無き小さな国へ……」


 ステファンの立場とやらよりも、美代にとっては、日ノ本の国が、なんだかぞんざいに軽くあしらわれつつある事に驚いた。


 確かに異国とは今まで繋がりがなかった。だが、日ノ本の国は、帝を頂点とする立派な国であると信じている美代には、ステファンの言うところの小さな国、そして、嘆いているかの様な彼の口振は衝撃的だった。


 自分の国は、そのようなものだったのか?いや、ステファンが言っているだけで……。美代はますます困惑した。


「す、すみません!あなたの国を、日ノ本の国を侮辱するつもりではなく、つまり、外の世界は広い。そして、沢山の国と人がいる。そうゆう中では、どうしても、日ノ本の国は小さな国となってしまうのです……」


 美代の落胆ぶりに気が付いたステファンは、慌てて言葉を付け足した。


 聞かされたことは確かに美代には驚きを越えていたが、ステファンがこうして気遣ってくれている。そこまで慌てさせてしまったのは、美代の失態だと、今度は美代の方が慌てた。


「い、いえ、伯爵様……ステファン様。私こそ、世間知らすで……そして、ご事情も存じ上げず……」


 そこまで言って美代は口ごもる。この問題は、自分の様なものが触れてはならないものなのだと思ったからだ。


 確かに三門家の一人娘ではあるが、それは、ただ育って来ただけで、美代に三門家に対する発言権はない。没落寸前の家を何とかせねばと動いていても、それは、そこまでであり、世の中へ向かって三門家を立て直すとまで、美代に発言する力はなかった。


(もしかしたら……伯爵も、没落寸前?)


 そんな考えが美代に過る。


(なにかしら問題を抱えてはいるが、どうしようもない状態ということなのかも……?)


 ならば、ますます口を慎むべきで、これ以上は黙っておくべき事なのかもしれない。まかりまちがえば、そこからどうにかなって、ステファンを侮辱しただのと、外交問題へ発展する可能性もある。


 余計なことに首を突っこみ、拗れてしまうのも厄介だ。


 せめて外交問題に発展させない様にしなければ。それこそ、三門家の問題にもなる訳で、宮中に知れてしまうのは目に見えている。となると、美代の余計な一言で風前の灯の三門家は、いよいよ終焉を迎えるだろう。


 辛そうに口ごもっている伯爵のことも気になる。しかし、美代にも、美代の立場がある。


 本来ならばちゃんと話を聞くべきなのだろうが、やはり、こちらからは問いかけられない。


 ステファンが異国人というのが一番問題なのだ。ここは、申し訳ないが、いらぬゴタゴタを避けるためにも沈黙を通すべきなのだろう。


「ああ、申し訳ありません。病人のあなたに、おかしな話をしてしまいました。ご気分はどうですか?遠慮なさらず、私に寄りかかって体を少しでも楽になさるといい……」


 ステファンも、何か察したというか、切りがないと判断したのか、話を打ちきり、美代の病人扱いを復活させた。


「い、いえ、そ、その、そのようなことは、やはり……」


 病人になっていることをどうにかして否定したい美代だったが、この雰囲気でキッパリと物を言ってよいのかと悩む。


 間違えば、外交問題に発展する相手なのだ。はっきりとした言葉を使っても大丈夫なのか……。


 更に困りきる美代の物憂げな表情に、ステファンが反応した。

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