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第7話

 座る座席は心地が良い。紅色のビロードが貼られたそれは、美代の家にある中古の馬車とは雲泥の差で、揺れの一つも感じ得なかった。それは座席の作りが良いからか、はたまた、車輪を含め馬車の手入れが行き届いている為か、それとも、御者の腕が良いのか謎であるが、ガラガラと聞こてくる車輪の音と、足並み揃った馬の蹄の音が、どうしたことか、美代には気持ち良く感じられ、瞼が自然に閉じて行く。ついには、コクンと頭が揺れて座席で船をこいでしまった。


 いけない、眠ってはいけないと美代が焦れば焦るほど睡魔か襲って来て、大きなあくびまでしてしまう。


 殿方の前で、なんたることかと、美代の頬はほんのり染まった。


 向かい合って座っているステファンが、それを見逃す訳はなく、


「おや?美代さん?顔が赤い。ひょっとして熱があるのではないですか?」


「熱……?」


 そうではなくて!と、美代は言い返したかったが、すると、自分の失態を認めてしまうことになる。なにより、すでにステファンに見つかってしまっているのだ。これは、美代の無作法を遠回しに注意しているのかもしれない。そう思った美代は、更に恥ずかしくなり小さくなった。


「……いけないな。寒気もあるのか。熱と寒さ……あまり良くない兆しですね。医者に診てもらった方がよいですね」


 言いながらステファンは、上着を脱いだ。


「美代さん。遠慮はいりません。その様にかしこまって座らず、もっと楽になさい」


 そして、美代へ脱いだ上着を渡してくるが、驚いたのは美代で、少しタバコの香りがするステファンの上着をつい握りしめていた。


 柔らかな手触りは、それなり高級な生地で仕立てた物なのだろうと思いつつ、正直、もて余す状態の美代は、寒かろうと勝手に思われ手渡された、淡いネズミ色の上着をじっと見る。


「ああ、私は上着がなくても寒くない。だから、安心してください」


 遠慮はいらないから、羽織るようにと言われても、実際のところ寒いわけなどなく、むしろ、恥ずかしさから顔が火照って、少し熱いぐらいなのだが。


 しかし。


 この嫌みなのか好意なのかわからない申し出を断れば、そう、たちまち外交問題に発展する可能性が。ステファンは異国の伯爵。そして、当の美代も伯爵家の者。日ノ本の国の爵位持ち同士でも、申し出を断るといざこざが起こる。それが対異国となると……。


 美代は、いたしかたなしと、ひとまず握るステファンの上着を膝にかけた。


 さすがに、男性の上着を肩から羽織るのは勇気が行った。


 周知の仲ですら、相手が身に付けていたものを借りるというのは、それ相当の関係ということで、うら若き乙女である美代にとっては、言われるまま、異性の上着を羽織ることなどできなかった。


 膝にかけているだけでも、ドキドキと鼓動がうるさい。


 ますます顔が火照り、見られては不味いとうつむくが、ステファンの誤解は増すばかりだ。


「横になるには座席が少し狭い。私が隣に座りましょう。私にもたれかかりなさい」


 ステファンは腰を上げた。


「えっ?!ステファン様?!そ、そこまでは!」


「そこまでは、と言うのは?」


「えっと、そのぉ、男女が、いえ、目上の方の隣りに座るのは……なにかとぉ……」


 などと美代は、それらしい口実を言ってみるが……。


「美代さん?具合が悪い時に、目上だからなどと言っている場合ですか?」


 鋼鉄の思考というべき伯爵の勘違いさが美代を押し切る。


 そもそも、保護者はたまた従者がおらずで、他家の男子と馬車に二人きりというのも、いかがなものだろう。相手が高貴な身分ということもまずかろうに。


 美代の頭の中では、あれこれ思いが巡っている。すんなり、この状況は好ましくないと言えれば問題ないのだが。


「ですから、恐れ多く……」


 美代は抗ってみる。


「ああ、余計な遠慮は無用ですよ。あなたは、病人で、しかも、それなのに、虐げられていた!」


 妙に強い口調でステファンは言い切ると、美代の隣に腰を下ろした。


 窓ガラス越しの光が、ステファンの髪を照らす。キラキラと目映いくらいに輝く金色の髪に、美代は思わず目を丸くしたが、そんな美代の様子を怪訝に見つめてくる碧い瞳は、ビー玉のように、透き通っている。どこまでも清らかなそれに、美代は思わず吸い込まれそうになった。


 そんな目が離せない状況は、なぜか再び美代の鼓動を高鳴らせた。


 日ノ本の国では絶対に見られない伯爵の容姿に見惚ているのだと美代はすぐに気が付くが、それは全身を火照らした。少しばかり、はしたない感情を抱いてしまった事に美代は恥ずかしくなった。


(……これは好奇心!伯爵様のお姿に見惚れていたんじゃない!)


 心の中で、葛藤が起こる。なぜ、そのようなものが起こり、そして、言い訳がましい事を自身に言い聞かせているのかと、真っ赤になりつつ思うが、その時の美代には全く分からなかった。

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