「あーー!
海老茶の女袴、矢絣柄の
が、あっと声をあげ、路上にうずくまってしまった。
「美代!何をしている!学校に遅れるぞ!」
セーラー襟のワンピース姿の少女が振り返り、座り込む少女へ向かって叱咤する。
「……煌ちゃん、だめ。私、これ以上、歩けそうにないわ」
美代と呼ばれた少女は、今にも泣き出しそうな顔を怒鳴りつけてくる少女へ向けた。
「歩けないとは……?」
洋装の制服を小粋に着こなす少女の弓形の眉が、ピクリと動く。
流行りの短く切った髪。真ん中で分けた前髪には、緩やかなウェーブがかかっている。フィンガースタイルと呼ばれるパーマネントを当てた最先端の髪型は、上流階級に属する者にしかできないものだ。
かたや、流行遅れ、よく見ると、色褪せた着物姿で、しゃがみこむ少女。しかもその袴の裾から見え隠れする編み上げブーツの先は、どうしたことか、ぱっくり口が開いていた。
「美代!なんだそれは!」
「お母様のお若い時のブーツ。まだ、履けそうだったから、もったいなくて取っておいたの」
「そんなに、傷んでみすぼらしい靴を取っておいた?!」
ワンピース姿の小粋な少女は、鼻筋の通った端正な顔立ちを歪めつつも、切れ長の目元だけは鋭さを保ったまま、ビシリと背筋を伸ばし朗々と語り始める。
「美代!もったいなくもお前は、帝の妃を輩出する家系、
「そんなこと言われても……。煌ちゃんも知っているでしょ?我が家は両親の浪費がたたって、財政難どころか、没落寸前だってことを。そもそも、女学校の学費って、結構なお値段だし、制服だって、お仕立てすると、かなりの出費だし……。お母様のブーツは、まだ履けると思って……。物を大切にして、どこが悪いの!」
美代と呼ばれる少女は、しっかりとした口調で、頭ごなしに怒鳴り付けてくる従姉妹でもあり護衛でもある、煌なる少女に食ってかかった。
その勢いに、何事かと往来の人々は視線を向け、女学生らしき二人の口喧嘩に、驚き半分、呆れ半分といった面持ちで、眉を潜めて通り過ぎた。
時は、
そんな風潮で、屋外での女通しの口喧嘩。それも、いずれは、宮中にお仕えする、上流華族の子女が通う、華龍女学校の制服を纏う女子と、流行遅れの袴姿の女子という、妙な取り合わせとくれば、二人は十分に注目を集めた。
それが証拠に、
「お嬢さん、何事ですか?」
二人の姦しさを咎めるつもりなのだろう、男の声が流れてくる。
「ん?」
煌が声の主を確かめるべく、視線を移す。
いつの間にか、二人の側に、黒塗りの馬車が停まっていた。 扉に盾を形どった、日ノ本の国では見られない家紋、いや、紋章が取り付けられている。鎖国緩和と同時に流入してきた異国人だろうか。
帝は、最新技術の導入のために、技師など、高等技術を身に付ける者の入国を認めていた。同時に各国の貴族達が彼らを引率する形で同伴し、自国の利益の為に交渉をあちこちで行っている。
紋章付きの馬車に乗るということは、それなりの位を持った引率者なのだろうか。
煌の読み通り、馬車の窓からは上品な身なりの金髪碧眼青年が二人を伺っていた。
「大丈夫ですか?どこか、お加減でも?」
流暢にこの国の言葉を操る異国人に、煌は冷たくいい放つ。
「手出し無用。内輪の事だ」
その少女らしからぬ物言いに、馬車の中ではため息が漏れた。
「ですが、そちらの女中さんが、弱っておられる。どこか、具合が悪いのでは?」
青年は、心配そうに目を細め、うずくまる美代を見る。
「あっ、その、私は、大丈夫です!」
具合が悪いのではないと、美代は、慌てて言葉を返した。
「美代!異国人だぞ!むやみに喋るな!」
諸々の恩恵を受けているとはいえ、異国人めがと、流入者達は一線を引かれ、特に子女は、近づくと拐われるなどという噂を信じ、彼らと関わらないようにしている。
なにより、美代も煌も、帝の為に率先して忠誠を尽くす立場にいる使命の家の者。それだけに、余所者である異国の人間と、しかも街中で男と言葉を交わすなど、言語道断なのだった。
「いや、レディ。私は、何も危害を加えませんよ。ただ、そちらの女中さんが、心配で……」
煌の勢いに、馬車の中から困惑の声が流れる。
「異国人!貴様、美代の事を女中などと!何を言っている!」
「ああ、煌ちゃん!そんなに、叫ばないで!」
女学校の制服を着る煌と異国人の組み合わせ。それは、通行人達の好奇心を刺激したようで、ちらほらと人が集まり始めた。
美代は、恥ずかしさから、うずくまり、小さくなっている。
一方、煌は、下等な者がと、息巻いて、金髪碧眼の青年を威嚇し続けていた。
「ああ、まったく、凄まじいな。特権階級の華族令嬢というのは」
肩をすくめ、呟く異国の青年に、低く、どこか、背筋が凍りつきそうな冷えた男の声が被さってくる。
「……そこまでだ。お
「あ!八代!助かったわ!」
場をまとめられる人間が現れたと、美代は、安堵から立ち上がるが、すぐさま、何事かと周囲の皆が仰天するような悲鳴を上げた。
「きゃーー!靴が!ブーツが!ついに!!」
美代が勢い良く立ち上がったせいで、履いているくるぶしまでの編み上げブーツは、靴底と甲の部分が完全に剥がれてしまい、靴という体が無くなっていた。