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第1話

「あーー!こうちゃん!もう少し、ゆっくり歩いて!」


 海老茶の女袴、矢絣柄の風通ふうつう着物、結い流しの髪という、時代遅れの女学生スタイルに身を包む、色白で華奢な少女が、朝の移動で沸く雑踏をかき分けるように、ちょこちょこと先を行く友らしき少女を追っている。


 が、あっと声をあげ、路上にうずくまってしまった。


「美代!何をしている!学校に遅れるぞ!」


 セーラー襟のワンピース姿の少女が振り返り、座り込む少女へ向かって叱咤する。


「……煌ちゃん、だめ。私、これ以上、歩けそうにないわ」


 美代と呼ばれた少女は、今にも泣き出しそうな顔を怒鳴りつけてくる少女へ向けた。


「歩けないとは……?」


 洋装の制服を小粋に着こなす少女の弓形の眉が、ピクリと動く。


 流行りの短く切った髪。真ん中で分けた前髪には、緩やかなウェーブがかかっている。フィンガースタイルと呼ばれるパーマネントを当てた最先端の髪型は、上流階級に属する者にしかできないものだ。


 かたや、流行遅れ、よく見ると、色褪せた着物姿で、しゃがみこむ少女。しかもその袴の裾から見え隠れする編み上げブーツの先は、どうしたことか、ぱっくり口が開いていた。


「美代!なんだそれは!」


「お母様のお若い時のブーツ。まだ、履けそうだったから、もったいなくて取っておいたの」


「そんなに、傷んでみすぼらしい靴を取っておいた?!」


 ワンピース姿の小粋な少女は、鼻筋の通った端正な顔立ちを歪めつつも、切れ長の目元だけは鋭さを保ったまま、ビシリと背筋を伸ばし朗々と語り始める。


「美代!もったいなくもお前は、帝の妃を輩出する家系、三門みかど家の一人娘だぞ!つまりお前は、いずれ妃になるのだ!そのために、代々三門家を守る、門代かどしろ家当主である私が直々にお前を護衛しているのだ。しかし!そのしみったれた格好といい、ひ弱な精神といい!全くもって!」


「そんなこと言われても……。煌ちゃんも知っているでしょ?我が家は両親の浪費がたたって、財政難どころか、没落寸前だってことを。そもそも、女学校の学費って、結構なお値段だし、制服だって、お仕立てすると、かなりの出費だし……。お母様のブーツは、まだ履けると思って……。物を大切にして、どこが悪いの!」


 美代と呼ばれる少女は、しっかりとした口調で、頭ごなしに怒鳴り付けてくる従姉妹でもあり護衛でもある、煌なる少女に食ってかかった。


 その勢いに、何事かと往来の人々は視線を向け、女学生らしき二人の口喧嘩に、驚き半分、呆れ半分といった面持ちで、眉を潜めて通り過ぎた。


 時は、大聖たいしょうへと代わり、はや幾年。世の中は確かに様変わりしているものの、女子に求められるものといえば、しとやかさ、と、そこは変わっていない。


 そんな風潮で、屋外での女通しの口喧嘩。それも、いずれは、宮中にお仕えする、上流華族の子女が通う、華龍女学校の制服を纏う女子と、流行遅れの袴姿の女子という、妙な取り合わせとくれば、二人は十分に注目を集めた。


 それが証拠に、


「お嬢さん、何事ですか?」


 二人の姦しさを咎めるつもりなのだろう、男の声が流れてくる。


「ん?」


 煌が声の主を確かめるべく、視線を移す。


 いつの間にか、二人の側に、黒塗りの馬車が停まっていた。 扉に盾を形どった、日ノ本の国では見られない家紋、いや、紋章が取り付けられている。鎖国緩和と同時に流入してきた異国人だろうか。


 帝は、最新技術の導入のために、技師など、高等技術を身に付ける者の入国を認めていた。同時に各国の貴族達が彼らを引率する形で同伴し、自国の利益の為に交渉をあちこちで行っている。


 紋章付きの馬車に乗るということは、それなりの位を持った引率者なのだろうか。


 煌の読み通り、馬車の窓からは上品な身なりの金髪碧眼青年が二人を伺っていた。


「大丈夫ですか?どこか、お加減でも?」


 流暢にこの国の言葉を操る異国人に、煌は冷たくいい放つ。


「手出し無用。内輪の事だ」


 その少女らしからぬ物言いに、馬車の中ではため息が漏れた。


「ですが、そちらの女中さんが、弱っておられる。どこか、具合が悪いのでは?」


 青年は、心配そうに目を細め、うずくまる美代を見る。


「あっ、その、私は、大丈夫です!」


 具合が悪いのではないと、美代は、慌てて言葉を返した。


「美代!異国人だぞ!むやみに喋るな!」


 諸々の恩恵を受けているとはいえ、異国人めがと、流入者達は一線を引かれ、特に子女は、近づくと拐われるなどという噂を信じ、彼らと関わらないようにしている。


 なにより、美代も煌も、帝の為に率先して忠誠を尽くす立場にいる使命の家の者。それだけに、余所者である異国の人間と、しかも街中で男と言葉を交わすなど、言語道断なのだった。


「いや、レディ。私は、何も危害を加えませんよ。ただ、そちらの女中さんが、心配で……」


 煌の勢いに、馬車の中から困惑の声が流れる。


「異国人!貴様、美代の事を女中などと!何を言っている!」


「ああ、煌ちゃん!そんなに、叫ばないで!」


 女学校の制服を着る煌と異国人の組み合わせ。それは、通行人達の好奇心を刺激したようで、ちらほらと人が集まり始めた。


 美代は、恥ずかしさから、うずくまり、小さくなっている。


 一方、煌は、下等な者がと、息巻いて、金髪碧眼の青年を威嚇し続けていた。


「ああ、まったく、凄まじいな。特権階級の華族令嬢というのは」


 肩をすくめ、呟く異国の青年に、低く、どこか、背筋が凍りつきそうな冷えた男の声が被さってくる。


「……そこまでだ。おかしらを侮辱する者は、斬る……」


「あ!八代!助かったわ!」


 場をまとめられる人間が現れたと、美代は、安堵から立ち上がるが、すぐさま、何事かと周囲の皆が仰天するような悲鳴を上げた。


「きゃーー!靴が!ブーツが!ついに!!」


 美代が勢い良く立ち上がったせいで、履いているくるぶしまでの編み上げブーツは、靴底と甲の部分が完全に剥がれてしまい、靴という体が無くなっていた。

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