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6-6 華燭洞房(一)

 燎琉りょうりゅうはしばらく、ちゅ、ちゅ、と、軽くついばむような、触れるばかりのくちづけを幾度か繰り返した。一度くちびるを離して、吐息の交ざり合う距離で、瓔偲えいしと眼差し見交わす。相手の涼やかな目許は、いまはほんのりと薄紅に染まっていた。


かんざし……」


 燎琉は、ほう、と、吐息をこぼしながら言う。紅蓋頭こうがいとうをとってしまった後、あらわわになった瓔偲の艶やかな黒髪を飾っているのは、いつか燎琉が買って与えた白翡翠の簪だった。


 きれいに結い上げられた髪に挿してあるそれに、燎琉はそっと手を伸ばす。とろりと目を眇めながら触れた。


「婚礼なんだから……もっと華やかなものを挿せばよかったのに」


 そんなことを言いながらも、うらはらに、相手が己の贈った装身具で身を飾っていてくれるのが嬉しくてたまらない。


「殿下がくださったもの、ですから」


 簪に指を伸ばしながらどこか気恥ずかしそうに瓔偲が答えるので、燎琉はますます笑みを深めた。


「外してしまうの……なんか、勿体ない気がする」


 ほう、と、吐息しつつ言いながらも、瓔偲の髪からしずかに簪を抜いてしまう。はら、と、絹糸みたいな黒髪が背に流れる。それを丁寧に手櫛でいてから、ひと房とって、くちびるを寄せた。


「似合ってた。すごく、きれいだ」


「あ、りがとう……ございます、殿下」


 俯いてしまった衛士の戸惑うような声を聴きながら、燎琉は今度は、相手の頬に両のてのひらをそえた。 


 こつ、と、額と額を軽くぶつけるようにする。


 それからまた、どちらからともなく接吻を交わした。


 けれども、今度のそれはすこしだけ大胆だ。幾度か触れあわせたあとで、角度を変え、互いに深く重ねあった。燎琉は瓔偲の細い身体に腕を回し、いだくようにしながら、何度も相手のくちびるを貪った。


「ん……ん、ぁ」


 鼻にかかった甘い吐息が漏れ聞こえる。たまらない気持ちになって、燎琉は身を傾け、し掛かるようにして瓔偲をしとねに横たえた。


 とさ、と、軽い音がする。黒髪が褥にやわらかく広がった。


「瓔偲」


 一度、接吻をほどいて、燎琉は瓔偲を間近から見下ろした。潤んでゆらぐ黒曜石の眸が、こちらを見詰めている。はあ、と、息をつき、改めて瓔偲にくちづけた。


 褥に押し付けるようにして、指を絡め合う。し掛かった恰好で、燎琉はくちづけを続けた。うっすらと開いたくちびるの隙間から舌を挿し入れ、歯列を割って、相手の熱い口の中を探る。


「ん、ぅ……殿、下」


 中に入れた舌先で上顎をからかうようにすると、驚き、おびえるごとく、瓔偲の舌は口中で縮こまった。それを追いかけ、絡め、そのまま、ちぅ、と、軽く吸う。慣れぬ行為に戸惑うらしく、瓔偲の吐き出す呼吸いきはわずかに乱れていた。


 すこし苦しげな、荒い吐息。


 けれども、止められるはずもなかった。


 燎琉は瓔偲に覆い被さったまま、相手の身体からくたんと力が抜けてしまうまで、しばらく熱心にくちづけを続けていた。息継ぎの間にそっと窺うたび、瓔偲の黒眸を覗き込む。いつも理知の光を宿す眸が熱にとろりと潤んでいるのが、なんとも、かわいくてたまらなかった。


 ほう、と、相手が漏れこぼす吐息を聞くだけで、燎琉の身体の奥が熱くなる。


「瓔偲……瓔偲」


 繰り返し熱っぽく名を呼びながら、燎琉は瓔偲の着物のあわせに手指をかけた。もう片方の手では腰の帯を解き、急くようにころもを剥ぎ取って、そのまま瓔偲の素肌を探っている。


 首筋にくちづけをする。白くやわい肌を、ちぅ、と、吸うと、華のような薄紅の痕が散った。たまらなく昂奮する。鎖骨に、肩に、と、次々とくちびるを落としていった。その間も、手指は袷を開いて顕わに剥いてしまった胸元を愛撫し続けている。


「殿下……殿下、あ、の」


 そこで瓔偲が困ったようにちいさな声をあげた。


「どうした?」


 相手の身体を撫でる手を止められないまま、燎琉は熱い呼吸の下で問い返す。こちらを見上げる瓔偲の眸は、潤みつつも、どこか戸惑いに揺れていた。


「あの、もし、殿下がこれをつがいの義務とお思いなら……その、無理にまで、していただかなくても、だいじょうぶです」


 途切れ途切れに紡がれた言葉の意味がよく呑み込めなくて、燎琉は目を瞬く。


「どういう意味だ?」


「えっと、その……わたしはいま、発情期では、ありませんし……だから、御子を授かることは、ないと思いますので」


「……どういう意味だ?」


 問いを繰り返す声は、今度はすこし低くなった。


 この期に及んで、いったい、瓔偲は何を言っているのだろう。ようやく手を止めた燎琉は、すこしばかり眉をひそめて瓔偲を見た。


「それは……お前は、子づくりのため以外では、俺とはしたくないということか?」


 もしもそうなら、瓔偲を前にいま身体が熱をあげつつあるのを自覚している燎琉としては、つらい。けれども瓔偲は、妻になることも母になることもこれまでは想定外だったと言っていたし、もしも彼の心がいまこの場で身も心も燎琉の伴侶つまとなることに追いついていないならば、無理強いはしたくなかった。


「い、いえ! わ、たしの、ことは……よいのですが。殿下が……」


「俺はお前とむつみたい」


 瓔偲の言葉にかぶせるように、燎琉はきっぱりと言った。


 相手ははっと息を呑む。


「俺は、したい。子が出来る時期でなくとも、お前と、想いを交わすために、抱き合いたい。義務とかじゃなくて、お前のことが……好き、だから」


 だから膚を重ねたいと思う、と、そう言って瓔偲を抱き締める。


「殿、下……あの」


「俺はお前が好きなんだ。なのに、なんでいまさらお前は、義務だとか、無理をしているだとか、口にするんだ。俺の気持ちが伝わったから、今日、お前は俺のものに来てくれたんだと思ってたのに……ぜんぜんじゃないか」


 はあ、と、溜め息を吐く。


 それから燎琉は、瓔偲を見下ろしつつちいさく苦笑した。


 先程はお互いに夢中でくちづけを交わしたと思ったのに、ふとした瞬間に、瓔偲の中には、卑屈ともいうべき感情が芽吹くらしい。けれども。それにはきっと、これまで瓔偲が癸性だからと不当に扱われた経験の積み重ねが影響しているのだ。だったら、どれだけ時をかけてでも、燎琉は瓔偲の中のそうした想いを払拭してやりたかった。否、そうしなければならないのだ。


 邪魔などではない、お前が大事だ、お前が唯一だ、と、そう、燎琉が彼にそう伝え続けていけば、いつか、瓔偲がなんのてらいもなく、心の底から笑ってくれる日が来るだろうか。


 努めねば、と、そう思って、燎琉はひとつ大きく息をついた。


「俺はお前が好きだ」


 真っ直ぐに伝える。


「好きなんだ。だから、抱きたい。無理じゃないし、義務でもない。わかったら……おかしなことを言ってないで、黙ってこのまま俺に抱かれろ」


 そこまで言い、けれど、ちら、と、口の端に微苦笑を浮かべる。


「でも、な。もしもお前が厭だと思うのなら……俺は、やめるよ。お前に心をだいじにしたいから」


 蔑ろにはしたくないんだ、と、相手を真摯に見詰めると、瓔偲はこちらの直截な言葉に面食らったような表情を見せた。


 そのまましばらく、彼は黙り込んでしまう。


 けれどもやがて、恥ずかしそうに頬を染め、わずかに燎琉から視線を逸らしながら、言った。


「……いや、では……ありません、殿下」


 ちいさな、ちいさな、声だ。


 けれども、それはたしかに、こちらをゆるすことばだった。

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