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3-1 淫夢の朝

「あ、あ、ぁ……っ」


 甘ったるいあえぎ声が、引っ切り無しに聴こえている。燎琉りょうりゅうは白い身体に覆いかぶさって、熱心に腰を振っていた。


 両腿りょうたいを抱え上げ、相手の身を押しひしぐようにしながら、繰り返し奥を攻め立て続ける。こちらが腰を動かす度に、と、粘度の高い、湿った音が耳を侵した。


「あ、っ……」


 広い寝台に押し倒され、しとねの上で燎琉に組み敷かれている相手が、また甘く濡れた嬌声こえを上げた。彼は、頬を薄紅に染めあげ、ふぅ、ふぅ、と、熱く荒い呼吸いきを繰り返している。


 白皙はくせきの美貌が、熱と快楽けらくとのために、うつくしくゆがんでいた。目許めもともほんのりと薄紅色に染まり、長い睫の密に縁どる黒眸は、いまは熱っぽく油膜が張ったようになっている。


 とろん、と、とろけきった眼差しが燎琉を見上げた。


「殿、下……」


 燎琉に深々と貫かれてたまらなさそうにあえいでいるのは、瓔偲えいしだ。したぎはすっかりはだてしまって、白くなめらかな素肌があらわだった。つややかな黒髪がしとねに散って乱れている。


 ふたりがこもって絡み合う、しゃとばりの下ろされた牀榻しょうとうの中には、いま、いっぱいに、百合の清冽な芳香が漂っていた。


 燎琉は瓔偲をき抱いた。


 瓔偲もまた白い腕を伸ばして、燎琉の背中にそっと回した。


「殿下……」


 耳許みみもとにこちらを呼ぶ声が聞こえる。それに誘われるように、あおり立てられるように、燎琉は荒い息をはいて、ますます深い律動を送り込んだ。相手の体奥を強く突き上げる。


「殿下……お種、を」


 あららぐ呼吸の中で瓔偲が言った。


「わたしの、はらに……殿下の、種を……奥に、くださりませ」


 そんなふうにねだられて、身体が一気に熱を帯びる。燎琉は相手をき抱くと、なおいっそう強く瓔偲の奥を突いた。


 甘い声。


 甘い吐息。


 そして――……百合に似た、高貴な、けれどもたまらなく甘ったるい香り。


 燎琉を誘い、とらえ、離すまいとからみつく、その芳香にうっとりする。


「瓔偲……っ!」


 万感極まって、相手の名を呼んだ途端だった――……は、と、燎琉は目を開けた。


 はた、はたり、と、緩慢に瞬きをする。見えているのは、見慣れた牀榻ねまの天井である。燎琉がいるのはたしかに寝台の上だったが、かといって自分は誰かとしとねを共にしてなどはいなかった。


 もちろん、瓔偲と抱き合ってなどいない――……では、いまのはすべて夢か。


 ああ、淫夢を見たのだ、と、そう気づいた刹那、瓔偲はかぁっと全身が熱くなるのを感じた。


 父皇帝に不本意ながらも婚姻を命じられ、その相手である人物を、叔父のもとから我が殿舎に迎えた。それはほんの昨日のことだ。


 まだいかほども相手と触れ合っていないというのに、なんという夢を見ているのだ己は、と、そう思う。情けなささえあって、燎琉はひたいを押さえると、きつく眉根を寄せた。


 身体の内で火照ほてって蜷局とぐろを巻く正体不明の感情を持て余す。燎琉はいらついた。頭を冷やそうと、牀榻しょうとうから出るなり、ねまきの上に褙子うわぎだけを引っ掛けて、正堂おもやの扉を引き開けた。


 そこには――……払暁ふつぎょうの空の下、まだ淡淡あわあわしい曙光しょこうばかりがただよ院子なかにわには、すでに、瓔偲えいしの姿があった。


 院子にわの、まだ濃緑の葉ばかりをつけたけい木の下に立つ瓔偲は、起き抜けのままの燎琉とは違い、すっかり身支度を整え終えてさえいる。身にまとうのは官吏然、あるいは書生・文人然とした落ち着いた紺青色の深衣きもので、その袖を身体の前で軽く合わせるような仕草とともに、彼は燎琉に朝の挨拶をした。


「おはようございます、殿下」


「お、はよう」


 戸惑いながらも挨拶を返すと、相手は応えて、ふわりとちいさく微笑する。


 ただそれだけのことに、けれども、夢の名残のせいもあって、燎琉は相手の表情を直視できなくなってしまった。


「ずいぶんと早いんだな」


 結果、すい、と、顔を背けながら、ぶっきらぼうに言っている。とはいえ、まだ夜も明けたばかりだというのにもう起きて、しかも身支度まで終えているのか、と、他意などなくそう思ったのも事実だった。


 昨日、正堂おもや正房いまでともに夕餉ゆうげをとった後、燎琉は瓔偲をひがし廂房しょうぼうへと下がらせていた。だから彼は、昨夜はそこで、燎琉とは別々にやすんだのだ。


 それだというのにあんな夢をみるなんて、と、燎琉は無言で顔をしかめた。


 これまで椒桂しょうけい殿でんでは、燎琉の暮らす正堂と、それから使用人たちの住む御座房ござぼう以外、東西の廂房は閉じたままで使用していなかった。このうちの東の堂宇を、昨日、瓔偲のために慌てて調ととのえさせていた。


「あとひと月もすればご一緒に正房で過ごされるようになるのに、わざわざ別の堂宇を開ける必要がありますか?」


 侍者の皓義こうぎはそんなことを言ったりもしたが、それは単に燎琉を相手にした冗談かるくちに過ぎなかった。つまりは、ここぞとばかりにからかわれたわけだ。


「正式な婚姻前に共寝が出来るものか!」


 昨日の燎琉は幼馴染に向かってそんなふうに言い張った。


「殿下はやはり生真面目きまじめなことで」


 そのときの皓義は肩をすくめて笑っていた。が、真面目云々うんぬんの問題ではなく、たぶん、すでに昨日の時点で、瓔偲と寝床を共にするなど燎琉には考えられないことだったのだ、と、いま改めて自覚する――……そう、結局は、別々に寝ていてさえ、あんな淫夢に襲われた。


 ついつい先程の夢を――燎琉に組み敷かれて、燎琉を受けとめ、甘ったるくとろけた表情かおあえいでいた瓔偲を――思い出してしまい、またしても顔が熱くなった。


 それで、ますます相手と正対していられずにそっぽを向いたのだが、それをいぶかったものかどうか、瓔偲のほうは、かえって燎琉の傍まで歩み寄ってくる。


 さらさら、と、涼やかな衣擦きぬずれの音がした。


 ふわりとやさしい百合のような香がただよい、それが、そっと鼻腔をくすぐった。


「わたしは、これでも官吏でございましたので……習いしょうでしょうか、ついつい早く目が覚めてしまって」


 ずいぶんと朝が早い、と、先程のそう言った燎琉の言葉に対して、瓔偲は苦笑のようなちいさな笑みを口の端にきつつ答えた。


 だが、その身体が、ふいに、くら、と、わずかにかしぐ。


 燎琉は慌てて、まだ数歩あった瓔偲との距離を瞬時に詰めた。細い身体を腕に抱きとめると、そのまま支えるようにこちらの胸にもたれかけさせる。


「すみ、ません」


「いや……大丈夫か? もしかして、よく眠れなかったりしたのか」


 足元をふらつかせた相手をいぶかって問うと、瓔偲は燎琉の腕に支えられながら気まずそうに視線を逸らした。


「いえ、その……」


 言いにくそうに口籠る。


 その様子を見た燎琉は、ふと、何とも言い難い不安に駆られていた。


「俺の殿舎では……落ち着いて眠れなかったか?」


 気付くと、込み上げた気持ちを、そんな言葉にのせて吐露している。


「え……?」


 瓔偲は燎琉を見あげて、はたはた、と、目を瞬いた。真っ直ぐにこちらを見詰める黒曜石の眸から、けれども燎琉は逃げるように視線を逸らしている。


「だって俺は……お前を無理に抱いて、無理に、つがいにまでした相手だ。怖い目をみせた。酷い目にあわせた。そんな相手だから……」


 瓔偲が実は燎琉を嫌悪していたり、恐れていたりしたって、ちっともおかしくはないのだ。燎琉はいまになって、そのことに、はた、と、思い至ってしまったのだった。

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