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1-3 下された婚姻の勅命

そう家の……たしか、名は清歌せいかと言ったか。家柄も申し分ないし、皇后も気に入っておるようだったが」


 そう口にしつつ、父皇帝はゆるく首を振った。またしても、ひとつ、ふう、と、相手のついた重たい嘆息が聴こえてくる。


「そなたも十八歳せいじんだ。婚姻の話があっても、早すぎるということもない」


 今度のそれは、どうも、独り言のようだった。父は、燎琉に下すべき処分に、あるいは、どこか迷いを拭い去れずにでもいるのだろうか。その声は、自らを納得させんとするかのような響きを帯びてもいる。


 父帝がいま口にしたとおり、燎琉りょうりゅうは今年、無事に加冠の儀を終え、成人を迎えていた。宋家令嬢の清歌と引き会わされたのは、その儀式から間もなくのことである。母皇后の勧めによるものだった。


 宋家は代々皇帝に仕えてきた所謂いわゆる名門の家柄である。現当主であるそう英章えいしょう――清歌の父――は官吏の人事を司る吏部りぶ尚書しょうしょ――長官――を勤める、朝廷の重臣だった。


 すなわち宋家は、皇族との婚姻の話が出ても何らおかしくはない権門名家なのである。その家の妙齢の令嬢と、我が腹の皇子である燎琉とを、敢えて逢わせた母后の思惑は、当然、機を見てこの娘を燎琉の妃に、と、そういうことであったのだろう。


 母はどうも、燎琉を皇太子に据えることを考えているらしい。


 そのために、代々高位を得、高官を排出してきた家柄である宋家を、ぜひとも身内に引き込みたいのだ。


 そうした母皇后の裏の意図を、燎琉とて、まるで知らないわけではなかった。


 だが、それとは別のところで、引き合わされた少女のたおやかでうつくしい様に、心惹かれたのも確かなのだ。彼女を伴侶つまに迎えられるならばさいわいだ、と、そんなきもちさえ抱いていた。


 このままいけば、近い将来、そういう流れになるのだろう、と、漠然と思ってもいた。


 だが、ここへきて、燎琉の淡い期待は、はかなくも打ち砕かれそうになっている。そのことを燎琉はひしひしと感じ取った。


「とはいえ、いまのところはまだ正式な婚約には至っておらなんだな」


 父帝は思い口調でそう言った。


「……はい」


 燎琉は力なく父の言葉に応じて、そのまま沈黙した。


 婚約はまだ、と、わざわざそう口に出した父の意図を思う。言うまでもなく、もちろんのこと、燎琉の婚約が、父の許可なく成るわけもなかった。


 なにしろ燎琉は、現皇帝の子のうち、唯一、皇后の生んだ皇子なのである。その婚姻は、当人といえど、母皇后といえど、一存で決められるものではありえなかった。


 必ず、国主たる父の許可が必要だ。しかし、父帝はもはや、燎琉と宋清歌の結婚を認めることなどはないだろう。ここまでの話の流れから、なんとなく、そう感じる。


「父上……陛下」


 それでも燎琉は、窺うようにじっと皇帝の顔を見た。相手は、悩ましげな表情はそのままに、額を軽く押さえて首を横に振った。


「一度結んだ婚約の破棄ともなれば、外聞が悪いといったこともあろうが……そうなる前であったのは、幸いと言うべきか」


 つぶやくように言うのは、またしても独白らしい。


 その後で父皇帝は、うむ、と、何かを決心したかのように、重々しくひとつ頷いた。


 それから、戸惑う燎琉を前に、手で軽く合図をして近侍きんじ官を招く。


「陛下……?」


 自分に下される処分はいったいどういうものなのだ、と、燎琉が問ういとまはない。皇帝の命を受けた近侍官は、すぐさま、燎琉の正面に立っていた。


 彼がいまうやうやしくささげ持っているのは、聖旨せいし――皇帝の下す勅命を記した書――である。


 いったい父帝は、燎琉に何を命じる気なのか。


 だが、それを考える間もなく、近侍官が聖旨を開いた。


 燎琉ははっとして、勅命それける際の形式に則り、深くこうべを垂れる。


 こちらが場にかしこまったのを確認して、官は勅書を滔滔と読み上げはじめた。


「天命をけて勅を下す。――とう国第四皇子・しゅ燎琉りょうりゅうは、加冠以来、朕をたすけ、申し分ない働きである。よってここに、朱燎琉と、戸部こぶ書吏しょりかく瓔偲えいしとの婚姻を、皇帝の名において、許可するものとする……欽此これをつつしめ


 読み終わると、近侍官は聖旨を再び巻子の形に巻き取り、燎琉に差し出した。


 許可する、と、文言こそそういうものだが、これは郭瓔偲と婚姻せよとの勅命だ。


 すなわち、燎琉はたったいま、不慮の事故によって意ならずもつがいになってしまった郭瓔偲を、自らの妃として迎えることを、父帝から正式に命じられたということだった。


 父は、それを以て、この件の収拾とするということだ。


「婚、姻……」


 燎琉は目をみはり、思わずそう、呆然とつぶやいてしまっている。


 しかし、いかに意に染まぬといっても、皇帝の聖旨を拒む術など、あるはずはなかった。たとえ燎琉に意中の者が他にあろうと、勅によって命ぜられた以上、もはや燎琉は、郭瓔偲とめあわうよりほかないのだ。


「どうした、皇子よ」


 不服があるか、と、父帝の視線はまるで言外にそう問うかのようだった。


「……いえ」


 燎琉はちいさく答える。それから、形式通り、その場に平伏した。


「聖恩に……感謝いたします」


 もはや燎琉に出来るのは、ただ規則さだめの通りに、父皇帝の勅を受け取ることだけだった。


 ひざまずいたまま、いっそう深くこうべを垂れ――父に見えぬところではきつく眉根を寄せながらも、何ら抗議の声を上げることもできずに――近侍官の差し出す聖旨をうやうやしく押しいただいた。

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