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纏わりつく感触

ドサッ。スッと目の前を横薙ぎに振られたゴブリンのナイフに息が荒くなる。


 思わずついたしりもちが、俺の命を取り留めた。しかし、体勢的には不利な状況のままだ。すぐさま、魔力を練って、水をゴブリンの鼻の中に入れて、喉を塞ぐ。


 一瞬の出来事にゴブリンは驚いた様子で、喉を掻きむしる。しかし、その後ろに隠れていたもう一匹が、怒りの表情で、俺に飛びかかってきた。


 それを足蹴にすることで、二匹目をいなす。早く、立ち上がらないと‥‥・。


 しかし、立ち上がろうとするも、脚が上手く動かない。地面を滑らせるだけで、立ち上がることが出来ない。


 そこで気づく、足が震えている。


 恐怖しているんだ。“俺”と相手の命のやり取りに。ここに来て改めて意識させられる感情に、少し落ち着きを取り戻す。


「大丈夫、大丈夫」


 誰に伝える訳でもなく、視線はそのままに、うわごとのように呟くと、右手に持っている鉈を支えにして、よろよろと立ち上がる。


 集中が切れてしまったことで、俺の魔法も途切れてしまい、咳き込んでから呼吸を整えたゴブリンと、俺に足蹴にされたゴブリンが、体勢を整えて、二匹してじわじわと俺との間合いを詰めようとしている。


「そうだ、俺の目的は鉈を試すこと。使わなきゃ意味ないじゃん‥‥‥」


 とは言え、命の危機が目の前に訪れた記憶は鮮明で、足を踏み出せない。

 それでも、そんな状況をどこか他人のように、客観的に見ている自分のお陰で、冷静になれている。


 この恐怖は当たり前だ。ここで熱くなるようなバトルジャンキーではない。弱者で才能が無くて、たまたまで今日ここまで生きてきた凡人だ。


 だからこそ、出来ることは全てして、安全策で、改善策を探して、俺のやり方でやる。


「‥‥‥ふぅー」


 よし、落ち着いたな。足は竦んで、へっぴり腰なのも分かっている。けれどメンタル面は平静を保てている、はず。


 相手のゴブリンはしびれを切らしたのか、助走を付けて、ナイフを大きく振り上げて突っ込んできた。

 たかがゴブリン、五歳児程度の知能とは言ったものの、命の取り合いを何も思わない倫理観と、経験値の数は比にならない。


 上からジャンプで飛び込んできたのと同時に、下から姿勢を低くして、這いずるように。連携を取って、俺に向かってきた。


 それに対し大きく下がって、回避し、追撃がくる前にこちらから打って出る。


「先ずは一匹」


 もう一度、魔法を発動して、上から来るゴブリンの一匹の呼吸を塞ぐ。肺から口の中でさえ空気の移動が出来ないのは気持ちが悪いだろう。


 自身の異変に気付いたゴブリンが、空中で体勢を崩してそのまま着地に失敗して倒れる。


「よし、二匹目は‥‥‥これだな」


 倒れたゴブリンがもがき苦しんでいるのを横目に、鉈を前に出して、半身を取る。


「さて、一応イヴのところの訓練所で鉈の扱いについてはおしえてもらったけど‥‥‥」


 鉈はその他一般の刃物の武器と比べて重心が先にある。重力に従った振り下ろしや、遠心力を用いた振り払いが有効手段。


 それに刃が厚いことも、耐久性として長所にあげられる。


 てことで、馬鹿正直に真正面から向かってきたゴブリンに、牽制の横薙ぎをお見舞いする。


 ‥‥‥さすがに、そんな簡単には当たらないか。


 俺自身の攻撃も重さに引っ張られて、攻撃に緩さが出てしまった。しかし、それ以前に、俺の予想より、ゴブリンの動きが俊敏だった。


 くそぅ、魔法だったら俺の思うままなのに。


「もう一回」


 今度は俺から攻撃にうってでる。脚の長さのリーチを生かして、ゴブリンの間合いの外から一歩で詰め込み、振り下ろす。この長さなら、敵のナイフは届かないし、俺の鉈は届く。


 ゴブリンは鉈の脅威から逃れるために、横にひらりと避けようとする。


 しかし、そうは問屋が卸さない。


「すまんな、俺は弱いんだ。だから、生きるためには姑息な魔法も使うんだ」


 誰のための言い訳だろうか。


 密かに紡いだ魔力糸が、相手のゴブリンの踝に纏わりついている。それに引っ掛かったゴブリンは体勢を崩して、倒れる。


 流石にそれを見逃すほどお人好しじゃない。

「‥‥‥」

“ぐちゃっ”


 思いっきり、鉈を振り下ろした。

 初めて俺の手で、直接手を下した。


 魔法ではなく、俺の手で。その感触が指の先から、手の平、腕、肘と次第に嫌な感触が伝わって来る。


 体中がなにか汚いものと、嫌悪感、醜悪なモノそれらをごちゃ混ぜにした何かに侵略されているような感覚に、耐えきれなくなって、こみ上げてきたものを吐き出した。


「おえぇえぇっ‥‥‥」


 魔法とは違った。命のやり取りとはかくなるものであった。前世の倫理観も相まってだろう。この世界での住人がどうかは分からないが、食べる目的でもなく、ただ純粋に殺意で殺す。


 常人では耐えきれない気持ち悪さが、べっとりと張り付いていた。


「はぁ、こういう感じだったのか。‥‥‥慣れる日がいつか来るのだろうか」


 来なければ冒険者としてやっていけない。支払いは大丈夫だろうか。そうだ、お金のためにも慣れないと。それに、もしダンジョンに行ったとき、フォルだけに生命の重さを背負わす訳にいかない。


「進むか」


 色々なものを理由にすることで、俺の足はやっと前に進むことが出来た。

 つくづく凡人なのだと思い知らされる。

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