見慣れない街を駆ける。もう既に自分が街のどこにいるのかも分からない。所謂迷子と言うやつだ。しかし、躊躇うことなく足を動かし続けていた。
「どこだ‥‥‥」
流石にアイシャと言えど、薄暗い脇道に入ることは無いだろう。そこには見るからに怪しい商売をしているであろう悪人面たちの溜まり場になっているから、少女が一人でその道を利用するなんて、飛んで火にいる夏の虫に等しい。
流石にそんなところにいないだろう。しかし、俺はいつの間にか足を止めて、その路地を見つめていた。薄暗くなっており、表通りからは隔絶されたような雰囲気を纏うその道を。
「流石にな‥‥‥、そんなところには‥‥‥」
しかし、一度想像してしまうと、頭の中からその疑念を完全に払拭することは出来なくなった。気づけば、俺は先の見えないその小路に向かって足を進めていた。
「絶対にこんな場所にいるはずないだろ‥‥‥」
自分に言い聞かせるように、そう願いながら進んでいく。途中で道の横に背中をもたれかけている男の脇を抜け、怪しい取引現場は引き返して、ただでさえ訳の分からない道をやたらめったらに走り抜ける。
すると、薄暗かった小路から眩しいほどの明るさを伴った出口が見えた。
少しの安心感をもって、勢いよく表通りに出る。途端に顔に風が吹き抜け、前髪がひらりと乱れた。俺は少し感動した。不安を募らせた場所から脱出できたことでも、そこにアイシャがいなかったことでもない。
その風が久しぶりに嗅ぐ海の匂いを連れて来たことと、見覚えのある場所に来たことに。
「ハハ‥‥‥、奇跡が今起きないっていうならいつ起きるんだ?」
そこは、すぐ手前に見える角を曲がると、俺が初めてこの街に来た時、フォルと一緒に街を訪れ、多くの時間を過ごした場所。アイシャと初めて出会った場所。
あの船着き場の倉庫だ。
一歩、また一歩と逸る気持ちを抑えて、極めて冷静に歩を進める。
そして、見えた。あの倉庫だ。
「あ」
倉庫の扉は人が一人分通れるほどに開いていた。誰かが開けて中に入っていったのだろう。
俺はその扉の前に立った。俺の影が入り口の扉の溝を越えて中に侵入する。聞き耳を立ててみると、時折鼻を啜る音が聞こえてくる。
「アイシャ?」
俺は自分の影を眺めながら扉越しに声を掛ける。
鼻を啜る音が止んだ。
返事は返って来なかったけど、口を再び動かした。
「ゴメン‥‥‥、傷つけてごめん。嫌な想いさせちゃってごめん。‥‥‥俺、何が悪かったか分からないけど、アイシャを悲しませちゃったことを謝りたいんだ。出来れば許してほしいけど、とりあえず、謝らせてほしい。ごめん。‥‥‥俺このまま、仲違いしたまま終わるの嫌だから‥‥‥」
まだ返事は無い。
なんでか俺の喉元まで何かがせりあがって来た。鼻の奥もツンとしている。俺、一応大人なんだけどな。体に引っ張られてしまっているのだろうか。
「とりあえず、言いたいことはそれだけ。あと、ここにいると、皆が心配するから、一緒に帰って欲しい。後ろに付いてくるだけでもいいから‥‥‥」
「‥‥‥」
うんとも、すんとも言わない。これはだめかもしれないと思い、他の人を呼んで連れてってもらおうかと考え、背を向けようとした。
しかし、ちょうどそのとき、俺の影を踏む足が見えた。
「アイシャ‥‥‥」
「‥‥‥」
怒ってるとも、悲しんでるとも取れない。どちらかと言うと困っているような顔をしている。かといって全くそうではない、という訳でもないようだ。
お互いに顔を伏せ、気まずい空気が流れる。
今、掛けるべき言葉が見当たらない。と言うよりそんなものは必要ないのかもしれない。お互いに帰ろうと思っている。だったら黙ってでも一緒に帰るだけでいいじゃないか。
「じゃあ、行くよ」
俺はその一言だけ発すると、返って来ない返事を待つ暇も無く、背を向けて、大通りに向かって歩き始めた。
普段よりいくらか遅い足取りで歩く。背後に集中すれば、その足音でしっかりと付いてきていることはわかる。
ゆっくりと、着実に俺たちは領主館へ向かう。
人通りの多い所まで来ると、雑踏に足音がかき消されそうになり、時折後ろの様子をチラッと振り返っては、アイシャが目を逸らすのをくりかえしていた。
ふと後ろからの足音が止まったので、確認のためにアイシャの方を見やる。すると彼女はある一軒のお店のショーケースを見ていた。
「‥‥‥」
「アイシャ?」
おれに声を掛けられて、びくッと可愛らしく反応すると、再び俯きがちに歩き始めた。
俺もそれを確認して、再び歩き出す。
女の子の夢はもしかしたらどの世界でも共通なのかもしれない。ことさら、その実現が難しい物であるなら。
幼いながらに自分の将来を憂いているのだろう。貴族と言う立場が、それを許さないものと理解しているから。子供は馬鹿だけど馬鹿じゃない。叶わない夢に焦がれてしまうのはいけないことか。
「純白のドレスね‥‥‥」
好きな人と結婚する。平民であれば普通のこと。アイシャはどう思ってるのだろうか。