ぐいぐいと頭を押し付けてくるフィオナ、まるでマーキングをしているようだ。実際にその意図はあるんだろうけど、8割がた単なる自己主張だろう。フィオナは他の海竜よろしく綺麗好きなので、ほとんど匂いなんてしないも同然だ。強いて言えば、海の匂いがする。
「ずるいわ! 私にも触らせてよ!」
アイシャは自分の右手をそーっと出して、フィオナの頭を撫でようと試みる。
しかし、そうはさせないとフィオナは俺に頭を押し付けるのを止め、アイシャの方を向いたとと思ったら――
「グアアァオォ!」
吠えた。
うるさっ! 耳元で吠えないで! どうやらまだ心を許していないらしい。俺が寝ている三年間のなかで、他の調教師を背に乗せるという快挙を成し遂げたものの、流石に今日あったばかりの人はダメか。
「へ、へぅ‥‥‥」
アイシャは驚きのあまり、腰を抜かして口をあわあわと動かしているが、喉まで固まってしまったようで、うまく言葉になっていない。
あ、アイシャがまた泣きそうになってるぞ、フィオナさんは彼女がここらを収める大貴族の娘さんだと知らないらしい。というか知ったこっちゃないか。関係ないもんな。
「大丈夫だよ、いきなり触ろうとするからフィオナもビックリしちゃったんだよ。大丈夫、俺がいる限り襲われるなんてことにはならないから。‥‥‥だからトロンさんも俺を信じてその剣を収めてください」
いつの間に抜剣したのだろうか。へたり込んで女の子座りのアイシャの後ろで、目を爛々と輝かせ、鈍い光を放っているトロンが踏み込むための脚を踏ん張っている。
「ま、待ってください! フィオナは一番大人しいです! ほら、ちゃんと触らせてくれるんですよ! さっきのは、ちょっとした悪戯です、多分。ほら、悪戯好きなところがありますから」
イヴの加勢でなんとかトロンは剣を鞘に納めた。ふぅー危ない。それにしても俺に対する信用値より、イヴの方が高いことに一言物申したい気分である。
ありがとうイヴ、でもそんなにペタペタ触っていたら、またじゃじゃ馬っ娘が起きてくるぞ。ほーれ見てみぃ、あんなに大きく息を吸い込んで、今にも何か言おうとしてるぞ。
「なんで私はダメで、その女はいいのよ! ランディ! その女は当てつけなの!?」
俺かよ!?
「ち、違います。女の子じゃないし、当てつけでもありません! これは、その‥‥‥ランディ‥‥‥」
俺かよ!?
「じゃあこうしよう、今日の遊びは、第一回チキチキアイシャがフィオナに触れるようにしよ~。はい、どんどんパフパフ~」
「チキ? え、なんて?」
「どんどん、ぱふぱふ?」
伝わらんか、この有名なセリフと音頭。まぁあ流石に伝わったら怖すぎるけれども。カレーや風呂などの文化があるからワンチャンここら辺のノリも存在しているのかなと少し思っただけです。
「オッホン。要するに、アイシャが念願の海竜を触れるようにしようというわけさ」
「あ、内容はそのまんまなんだね」
その通り、付属された言葉には何の意味もございません。
「本当に、触れるように、なるのよね?」
内容を聞いてから、ご自慢のツインテールの先を指でくるくると遊ばせながら、チラチラとこちらを見るアイシャ。本当はやりたくて仕方ないけど、がっついて、子供みたいだと思われるのが嫌なのだろう。そんな事思わないのに。微笑ましいと感じるだけだ、子供みたいで。
「まずは、そうだな‥‥‥挨拶からだな!」
「え、挨拶?」
「挨拶なら得意だわ! 何度も練習して来たし、実際に何回もこなしてきたもの! 見てなさい」
俺はイヴの手を引いて、フィオナから離れて、一人と一匹の様子を伺う。どうやらイヴは分かっているようだ。挨拶なんていらないという事を。
そう、何を隠そうこの挨拶は、俺がアイシャをおちょくって楽しんでるだけなのだ!
そんなことを考えて必死に零れそうになる笑いを抑えていると、覚悟を決めたようにアイシャが踵を揃えて立つ。
「私の名前はハバールダ=リオネッツァ・アイシャですわ。ハバールダ辺境伯の長女で齢11となりました。是非お見知りおきくださいませ」
一歳年上だったのか。同じ年かそれ以下だと思ってたわ。
そう言って綺麗なカーテシーをして見せるアイシャ。それに対してフィオナの反応は‥‥‥あ、興味を無くして、鱗の手入れをしている。
沈黙が場に広がり、乾いた風が吹いた気がした。湿度の高いこの島で珍しい風だな。
恥ずかしさからか、赤面して固まってしまったので、流石に可哀そうになったので、助け舟を出してやる。なんか今日一日いいとこ無しだからね。なんでこうなってしまったのだろうか。
背後からイヴの視線が突き刺さる。そうですね、俺のせいですね。
「よ、よし、上手くいったみたいだな」
バッと首がもげるのではないかと言う勢いで、こちらを振り向いて、アイシャはぱぁっと顔を明るくさせる。
「ほ、ほんと? これで良かったのよね。か、簡単じゃない。で次は何をすればいいのかしら?」
あかん、こんな純粋やったんかわれ。罪悪感が津波のように押し寄せてくる。はやく助けてあげよう。