僕が第二王子殿下を乗せ、あの場から離れて少し経った頃。海中からズシンと低い音が響いていた。
「彼は大丈夫なのだろうか」
「彼‥‥‥ランデオルス君なら大丈夫です。一番、一番海竜との連携は上手いはずです。おそらくこの世界で一番」
ポツリと投げかけられた疑問はもしかするとただの独り言だったのかもしれない。でも否定せずにはいられなかった。
自分の心の中に生まれた懸念と同じ言葉だったから。否定することで自分が安心できるから。
「では信じるとしよう、君の友人を。ともあれ急ぐことに越したことはないな。そして助けを求め、増援を送ろう。‥‥‥彼に礼をしなければ、王族としての恥だからな」
「はい、急ぎます」
第二王子は振り返り、ランデオルスがいるであろう場所を見つめる。彼もまた建前で自分の心の安寧を図った。
王族としてではなく、一人の人間として、一回り以上年下の少年に命を救われ、今まさに命のやり取りを強いている現状に、生来より心優しき彼は、王族という強権のもつ運命力に縋った。
顔にかかる水飛沫がとても冷たく感じていた二人だった。
「やっと着きました! 私は急いで増援をお願いしてきます! 申し訳ありませんが、説明のために少しだけ付いてきてください! その後に学園の保健室まで案内します!」
ミランとサラブドトールは海竜から降り、駆け足で説明して、それを了承した。
「失礼します! 第六学年のミランです! ヒヅメ島の巡回中に要救護者を発見して、手当てをしたところ、第二王子殿下であらせられました! そしてこの学園までお連れしようとしたところ、海中から触手のようなものから攻撃を受けました! これを同行していたランデオルスが迎撃にまわり、無事殿下を逃がすことには成功しました! しかし、ランデオルスの現在の状況は不明! 至急、増援を求めます!」
職員室の扉を勢いよく開け、息継ぎも無しに大声で報告するミラン。
その内容に、職員室にいた教員たちは即座に緊張感をますも、荒唐無稽なその真相を測りかねていた。
「ミラン君、あなたのことを疑うようで悪いけれど、それは本当のことなのね?」
教員の一人がそう尋ねると、ミランは手招きをした。するとドアの外、廊下から一人の青年が姿を現す。豪華で煌びやかな服装に、赤髪の第二王子だ。
「っ‥‥‥」
本人登場こそが何よりの証拠となった。一斉に椅子から立ち上がり、膝まづく教員たち。
ただの海竜調教師育成学校の教員と侮るなかれ、全員が人に物を教えることのでき、軍事的武器の育成を任せられるエリートなのだ。貴族社会に明るければ、第二王子のご尊顔を見間違うはずもなく。
「みんな楽にしてくれ。今の話は本当だ、この俺が保証する。だからどうか、彼を助けてやって欲しい。命の恩人なんだ。この通り‥‥‥」
腰を深く曲げ、頭を下げる第二王子。それを見てすぐに頭を上げるように促す周りの人々。
第二王子として、公式の場ではないとはいえ簡単に頭を下げるなど褒められたことではないが、だからこそ、彼の親しみやすさと優しさが窺えた。
「早く、お顔をお上げください。上げてくださらないと、助けに行きたくても行けないですよ」
「ん? おぉ、カリファラ殿か。久しぶりだな」
廊下からコツンコツンと音を鳴らしやって来たカリファラは、どこか第二王子と親しげであった。その声で第二王子はハッと気づき、顔を上げた。
「実はな、助けて欲しいことがあるんだ!」
「あんな大きい声で報告してたんですから、隣の学長室まで聞こえていましたよ。さて、皆さん至急竜舎に向かい、各竜舎の一番早い海竜に乗って、ヒヅメ島に向かってください。数人は念のため‥‥‥海中を半潜水で捜索しながら進んでください。では、行動開始!」
パンと手を打つと、揃ったように職員室の出口になだれ込み、全員出払った。
ミランもカリファラに「僕が先生たちの先導をしてきます。カリファラ学長、すみませんが保健室までお連れして、王都の方に連絡を入れて貰ってもいいですか?」と言い残し、返事も聞かずに駆けだしてしまった。
ミランも助けたいと強く願う一人なのだと気づき、この状況で微笑むのも失礼かとは思ったが、数年見てきた少年の成長に嬉しく感じずにはいられなかった。
「で、また何も言わずに、一人で行動したのですか? 」
「まさか、こうなるとは思わなかったんだ。本当に申し訳ないとおもったよ。だから、生きて帰って来ないと困る」
「では、先に保健室で安静にしててください。一応外傷はないみたいだけれどね。そして、王都からの護衛が来たら、こんどこそ、一緒に帰ってくださいね」
連れてこられた保健室のベッドから、窓の外を見る。既に海竜たちは教員を乗せ海に出ていくところだった。
既に逃げてから半刻ほど過ぎただろうか、決着は恐らくついているだろう。人を乗せたまま逃げることはほぼ無理であろうから、生か死か、この時期にしては珍しいどんよりとした雲が空を覆っている。
第二王子は窓の外を眺めることしか出来なかった。