竜舎の外に出ると、春の朗らかな日差しが俺の顔に振り注がない!? 頭上に日陰になるようなものはないはず‥‥‥。
あ、フィオナさんじゃないですか。やっぱりなんか悪戯しようと企んでたな。ふふ、ちょっと気づくのが早すぎたかな?
「ごめんごめん」と不機嫌そうな顔をするフィオナを撫でてやる。よーしよーし。
フィオナはそれでも悪戯心が収まらないのか、はむはむと俺の腕や頭を甘噛みする。少しチクチクする程度で済んでいるのは、ちゃんと人間の脆弱性を理解している老竜だからこそだろう。
“――――”
ふと、甘噛みの嵐が止んだ。どうしたのかとフィオナを見る。
細めていたフィオナの瞳がカッと開かれ、これでもかと力んでいる。鱗は臨戦態勢の如く逆立つ。筋肉は硬直して動かない。歴戦の英雄の闘争本能を剥き出しにした顔が、目が、俺を真っすぐに見つめる。
なんで、そんな顔をする。そんな目で俺を見ないでくれ。嫌な汗が額に滲む。どうして――
ッ! この状態!
「誰ですか! 眠り笛を吹いたのは!」
額の汗が振り払われるほどの勢いで、竜舎の方を振り向く。
そこには、眠り笛を咥えた状態のオレガノ先生、ともう一人‥‥‥。
フィオナまであと一歩とというところに、俺の怒号に驚いたのか、手を伸ばした状態で固まっている生徒がいた。
彼は‥‥‥俺のことを良く思ってないボンボンたちの内のひとりだったか。
「ッ!! すみません、大きな声を出して。‥‥‥オレガノ先生ありがとうございます」
言い終わるとほぼ同時に、フィオナの身体は脱力しきったかのように地面に倒れた。
「ああ、生徒の安全を守るのも、教師の務めだ。気にするな。それと、ウェロードだったか、それ以上海竜に近づくな。すぐに離れなさい」
オレガノ先生に悪い点は一つもなく、むしろ称賛されるべきであった。
あと一歩、彼が近づいてフィオナに触れていたのなら、本能的に、反射的に、驚いた海竜は容赦なくその牙を彼に向けていたことだろう。
ウェロードとか言う生徒は、戸惑い困惑しながらも、俺の方をキッと睨み、その後海竜から離れていった。
「すみません、フィオナを少し遠くまで連れていきます」
「あぁ、頼んだ」
竜舎から離れて、砂浜で海の向こうを見る。
“ぴぃーーぴぴーぴぃーー♪”
今は更衣室に置いておいた笛を持ってきて吹いている。フィオナは俺の背もたれになっていて、ぐるっと首を曲げて顔はこちらを向いている。
目を閉じて、笛の音に耳を傾けているようだ。
さっきのは、俺が悪かった。初めて至近距離で海竜を見た生徒もいただろうに、見せつけるかのように触れ合っていた。
そんな様子を見れば、海竜の怖さを知らないものならば自分も触れると思ってしまうことも致し方ないだろう。
特にそれが敵対心を持っている俺が触れあっているのであれば対抗心を燃やすこともあるか。
大人であれば、海竜に後ろから驚かすように触れるなんてことは絶対にしない。俺でさえもフォルやフィオナにしないし、俺に懐いていない海竜なんてもってのほかだ。
「ごめんなフィオナ、俺があんなところで構ってしまったばっかりに‥‥‥。怖い思いをさせてしまった。ごめん」
尻尾がパシンと砂浜を叩いた。気にするなとでも言ってくれているようだ。
「さて、俺はそろそろ戻るよ」
立ち上がるとフィオナが片目を開けて、俺の姿を確認する。
俺はフィオナの身体を抱きしめるように体重を預けた。
「ごめんなぁ」
思いだすのは、初めて眠り笛を吹かれた海竜を見たとき。父の物憂いている顔。海竜たちの一瞬の恐怖が芽生えるという表情。直後の全てを諦めた生物として絶望の状態。これまでに何度も何度も見てきた。
俺の行動が、回りまわって眠り笛を吹かせてしまった。他の生徒を巻き込まないようにしよう。皆が経験を積んで、海竜と言うものを皆が知っていれば起こらなかったことだ。
心の中でそう決めると、俺はフィオナから離れ、竜舎に戻った。
「納得いかないですよ! なんであいつはいいんですか! 俺だって仲良くできますよ!」
竜舎の方に近づいていくと、トラブルの予感の匂いが香り立つ。
さて、一体どうしたものか、さっきのウェロードとその一派がオレガノ先生に抗議をしているようだ。内容は‥‥‥ま、俺だろう。
「なんで俺たちだけ怒られて、あいつは怒られないんですか! 贔屓じゃないですか!」
「海竜が危険なことなら知ってます。俺の父さんは海竜騎士やってました! そういう話なら耳に胼胝ができるくらい聞いてきました」
「‥‥‥まず一つ」
詰め寄ってくる生徒たちに、オレガノ先生は小さく、静かに制止させ、話し始めた。
「お前たちは、海竜の怖さを知っては、いない。知っていたなら、後ろから近づいて何も言わずに触れるなんて自殺行為はしないはずだ」
「危機感が足りなかった非は認めます。ですがそれはさっき知りました。他に注意点があれば言ってくださいよ! それに注意したらいいじゃないですか」
多分、そういうことじゃないし、そこじゃない。
「本当の危機感とは、長いこと身を持ってその環境にいないと身に付かないものだ。この学校ではそれを安全に、緩やかに教えるために六年という長い歳月を設けている。あいつは事前に現場でそれを知っているから許している」
「そんな! 歳は同じですよ! 大して変わらないですよ!」
「‥‥‥ちょうどいい所にいたな、ランデオルス、服を脱げ」
あ、見つかった。
「‥‥‥分かりました」
俺は作業着を脱ぎ、その下のシャツも脱ぎ、上裸になった。