草を敷き詰めていたとはいえ、地面で寝ていたからか、体がバキバキに固まっていた。
「いてて、野宿なんてするんもんじゃないな」
せめて寝袋があればなぁ。もっと魔力があれば水魔法でベットが作れるんだろうけど。
身体のストレッチを終えると、今日のやることを確認していく。
一つ、島の探索をする。具体的には島の全貌が見える高台にまで行って、他にも島があるのか、人の痕跡はあるのかを探す。
出来れば、早く元の生活に戻りたい。俺は俺で大変だけど、クラーケンが現れてみんなが無事なのかを知りたい。
二つ、もし何の手掛かりも得られなかった場合のための、食料を見つける。ずっと魚じゃ免疫が下がってしまうだろうしね。
「と、いう訳で、行きますよフォルさんやい」
フォルも既に準備は出来ているようで、川の中で体を伸ばした。
よし、探索再開だ。
しばらくして、歩みを止めた。
「……臭い。これは血の匂いか?」
漂ってきた悪臭に思わず顔を顰める。
匂いの発生源は川から離れた森の中のようだ。
「もしかすると、人間の痕跡があるかもしれない。フォルはちょっと待っててくれ」
気になった俺は、慎重に鬱蒼と生い茂る森の中に足を踏み入れようとした。
「ぴぃ、ぴぃ」
「だから待っててくれ、すぐに戻ってくるし、危ないと思ったら全力で逃げてくるから」
川から上がり、必死にぺたぺたと付いて来ようとするフォルには申し訳ないが、陸上でのフォルはかなり遅い、俺が軽く走れば簡単に置き去ることが可能だ。
その速度でもし敵に見つかってしまえば、俺は逃げれたとしても、フォルとお別れになってしまうかもしれない。それは嫌だ。
「大丈夫、ただの人間の嗅覚で臭いって分かるんだ。そんなに遠くではないはずだよ。すぐに戻ってくる」
俺は一通りフォルを宥めた後、騙すようで悪いが、駆け足でフォルから離れ、森の中に入っていった。
姿が見えなくなる直前に見えたフォルの目は悲しそうな眼で、鳴いていた。
森の中を慎重に歩くこと数分、だんだんと匂いの元へ近づいているのが分かる。
もうすぐだ。そう思い草をかき分けているといきなり視界が開けた。
「うッ……これは――」
――絶対に人の痕跡じゃない。
辺りに散らばった肉片。腐りかけたそれは大岩の様な猪だったのだろうが、見る影もなく齧り取られて、骨までが剝き出しだ。
“魔物”その存在が俺に恐怖を思い出させた。
心臓のドクドクという鼓動が頭の中で響いてる。悪臭も葉の擦れる音も感じない程大きな音を鳴らしている。
額に汗が浮かぶ。狼達でさえギリギリであった。魔物に遭遇したところで勝ち目など――
まずいかもしれない。この辺はもしかしたら魔物の縄張りになっているかも。そう考えた俺は、素人ながらも出来るだけ気配を殺して、来た道を引き返した。
川の方へ近づくと、フォルは鳴きながらウロウロして俺を探していた。
フォルの姿が目に入ると、緊張していた身体が緩むのが分かった。
身体に力が入りすぎていた。そのことに初めて気が付き、少し警戒のハードルを下げた。
こんなに全身が強張った状態では、出来ることも出来なくなってしまう。
「フォル」
声を掛けると、一目散に俺の方へと寄ってきて身体を預けようとしてきた。
「危なッ!」
それをひょいッと躱して川の方へ近づき、乾いている鱗に水を掛けながら宥めてやると、次第に落ち着きを取り戻していった。
明らかに、独りになることにトラウマを抱えているようだった。
そういえば、お前はまだ赤ちゃんだったよな。そう思えば、先ほどの行動がより一層申し訳なくなってくる。
まだまだ、両親の愛情に甘えたい年頃だろうに。
などと勝手に人間の赤子を想うように考えていた。
そう、油断していた。――警戒を完全に解いたその瞬間を狙っていた。
“バサバサッ”
鳥の羽ばたきの音が聞え、ビクッと身体を震わせ、たまたま足元を川で濡れていた丸石で滑らせた。
直後、俺の頬を何かが掠めた。掠めただけだが、その衝撃は凄まじく、それだけで俺は川へ放り出された。
「プハっ、なんだ――」
幸いにもそこまで深くない場所で足はつく、顔を上げて俺は硬直した。
「ギェ?」
先ほどの大岩の様な猪の倍はある。雄鶏の身体に、尻尾は蛇。毒と石化の特技を併せ持つといわれるそいつは――
――コカトリス。
数舜目が合った気がする。その佇まい、威圧感。それだけで体が動かない。
果たして海竜と同じ魔物なのか? そう思わざるを得ない程、格が違う。野生として、この過酷な環境を生き延びてきたという強さが、分からされた。
たまたま、生きている。あそこで足を滑らさなかったら。今頃頭と体が離れて、即あの世逝きだった。
直後、ぶわっと強風が吹き、コカトリスは視線を逸らした。
「フォっ、フォル! 逃げろ! 逃げろ!」
同じく硬直していたフォルに叱咤する様に声を掛けた。
ハッとした様子でフォルは川に飛び込み、こちらに向かって全速力で泳ぎ始めた。
ほぼ同時にコカトリスもまたその凶悪な脚に力を溜め、こちらに向かって跳躍した。
俺を狙っていることなどその視線で分かり切っていた。
フォルはこちらに来なければ助かるだろう。それでも俺は「来るな」とは言えずに、小さな希望の灯りに縋ってしまった。
目前にコカトリスの脚が迫る。もうこんなところに。
“どんっ”
物凄い衝撃が体を突き飛ばした。何が起きたか分からない。ただ、視界の端で赤い鮮血が勢いよく舞いあがっていた。
そして高速に流れる風景。
身体は水上を滑るように動いている。
体に痛みはやってこない。
首だけ振り返る。
フォルが俺の服の襟元を咥え、川を全力で下っている。
その軌跡はフォルの胴から流れ出た血で、紅く染まっている。
激しく飛ぶ水飛沫が俺の顔にかかる。
コカトリスは追撃のために、大きく嘶きながら追いかけている。
「こっちにくんなよ! てめぇのシマに帰ってろ、ばか!」
情緒が不安定になっているのは自分でもわかっている。だけど、大きな声で叫びたい。泣きたい。なんでフォルが傷ついているんだ。
この子に手だしてんじゃねぇぞ。
水中では海竜に軍配が上がる。だんだんと引き離されていくコカトリスは、やがて追いかけるのを止めたようだ。