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限界集落ツアー:後編


 翌日。




 ツアー三日目の朝。前回よりさらに早く起き出したケイは、まだ眠っている哲朗を横目に手早く着替えを済ませると、部屋を出て非常階段に向かった。哲朗には起きたら食堂に向かうよう昨日の夜寝る前に伝えてある。


 階段の踊り場に出て旅館の周辺を見渡す。広場で落ち葉を掃除している従業員の姿が見える他は、海岸沿いの道や旅館前の通りにも人影は見えない。




(よし、まだ全員が旅館内にいるな)




 ケイは今日、ツアー客の全員に声を掛けて記念撮影を持ち掛ける予定を立てていた。昨日までの工作の成果も見定める。


 旅館の出入り口を見張れる玄関ホールの休憩所にやって来たケイは、ソファーに陣取って人の出入りを監視し始めた。


 それからしばらくして、最初に客室から下りて来たのは恵美利と加奈だった。休憩所にいるケイを見て「あら?」と反応を示す。




「二人ともおはようさん」


「おはよー、ケイ君」


「おはようございます」




 とりあえず挨拶を交わしたケイは、二人の様子をさっと観察する。恵美利はいつもと変りなく、元気そうだ。加奈は昨日、部屋の前で別れた時のような奇妙な雰囲気は、今のところ感じない。




「ていうか、ケイ君はここで何してるの?」




 小首を傾げた恵美利が問う。




「ちょっと食堂でサプライズを考えててね。その下準備」


「え……サプライズって……」




 一瞬、強張った表情を浮かべた恵美利に対し、ケイは『皆で記念撮影計画』の事だよと明かして、恵美利が今『心に懐いたであろう不安』を解消した。




(昨日の今日だし、恵美利は多分、加奈に対する謝罪の機会について思い浮かべたんだろうな)




 あからさまに『なぁ~んだ』と安堵して見せる恵美利の隣で、加奈はキョトンとしている。こうして並んでいる姿は、本当に仲の良い友達に見える。




「今日はまた後で一緒に洞穴を見に行こうな~」


「うんっ。それじゃあたし達は先に食堂行くね」




 恵美利は小さく会釈した加奈と連れ立って食堂へと向かった。それから5分ほどが経過し、次に下りて来たのは不倫カップルだった。


 ケイに気付いた杵島が、にこやかに挨拶をして通り過ぎる。彼の後ろに続いていた城崎はケイに何か言いたそうな雰囲気を残しつつも、会釈して去って行った。




(もうそろそろ接触して来そうだな)




 出来るだけこちらのペースに巻き込むようにしなければと、ケイは城崎と話す時のネタを頭の中で反芻する。正直なところ、不倫カップルに対するケイの立場は、双方どちらの味方にもなり得ない。どう転んでも良い結末に至れるとは思えないアドヴァイスをする事になるが、今はこのツアーを平穏無事に乗り切る事を優先すると決めていた。




 不倫カップルを見送って直ぐ後に、哲朗が下りて来た。




「あれ? 相棒、何してるんだ?」


「ちょっとな、例の計画の事で思案中」




 恵美利と加奈も食堂に居るので、二人と同席しててくれと席の確保を頼んでおく。哲朗は緊張でギクシャクした歩き方になりながらも「わ、わかった」と頷いて食堂へ向かった。




 それからさらに数分が経った頃。ペッタンペッタンとスリッパを鳴らす足音と、男女の駄弁る声が廊下に響いた。




「なんだよー、まだアタマ痛いのかよー?」


「んー……二日酔いだと思う……」




 朝から騒々しい雰囲気の不良カップル、牧野 梨絵と戸羽 清二が最後に下りて来た。梨絵は昨晩深酒をしたらしく、調子が悪そうにしている。


 休憩所のソファーに座っているケイを見て、一瞬ギクっとなる梨絵。清二はそんな梨絵の様子に気付く事も無く「俺のペースに合わせたせいかもなー」と、自分の酒の強さをアピールしている。


 二人が通り過ぎた後、ケイはゆっくりとソファーから立ち上がると、彼等の後に続いて食堂に向かうのだった。




 ケイの積極的な行動により、今回の三日目の朝は、全員が食堂に集まっていた。




 恵美利と加奈は、前日に恵美利がケイと朝から一緒に行動をする約束をしていたため。


 杵島と城崎は、杵島が部屋以外では二人きりになる事を避ける行動を取ったので、城崎が杵島を雑木林に誘えなかった。そしてケイの事が気になる城崎は、一人で部屋に残る事はしなかった。


 梨絵と清二は、昨晩の件で動揺した梨絵が、不安を打ち消そうと飲み過ぎて二日酔いに。二人が予定していた早朝の散歩には出られなかったようだ。




 食堂の出入り口に立ったケイは、全員が揃っているその光景を見渡して、ふと足を止める。




(そうだ、ここを区切りにしよう)




 恵美利達と向かい合わせに座っている哲朗が、こちらに気付いて手を振っているが、ケイは哲朗に『ちょっとスマン』というゼスチャーをして足早に食堂を後にした。


 玄関を出て旅館前の通りを走り抜け、広場にある古い小さな祠にやって来たケイは、石神様にお呪いの言葉を念じる。




(この状態で石神様に念じておけば、次に何かあってもここから始められる)




 "石神様が響いた"のを確認したケイは、食堂に急ぎながら現時点で感じ取れた、一つの可能性について考えていた。


 今日、三日目に死亡者を出さずに乗り切れば、何とかなるんじゃないかという予感。タイミングや原因に多少の違いはあれ、死者が出るのは決まって三日目だった。


 この旅行で殺人を計画していた者が居たと仮定して、事前に下見をするなど、よほど念入りに計画を立てていたのでもなければ、初日や二日目は近辺の地理なども覚えなくてはならないし、事を起こすには早急過ぎると考えられる。




(恐らく、迷いもあったはず)




 もし、計画は立てていたが踏ん切りがつかず、なかなか実行に移せずにいた場合。現場に慣れ、迷いを断ち切って行動を起こすとすれば、三日目は丁度良い頃合いだったのではないか。


 明確な裏付けは無いが、これまでの経験の記憶と集めた情報の欠片から勘でそう判断した。




 食堂にやって来たケイは、哲朗の隣の席に着いた。既に料理も用意されている。




「おかえり相棒。何か朝から忙しそうだね」


「いやー悪い悪い、ちょっと野暮用を済ませて来た」




 哲朗に軽く詫びたケイは、朝食に口を付けながら食堂全体の様子を窺う。恵美利と加奈は対面の席で静かに食事中。不倫カップルは城崎がこちらを気にしている以外は、いつもと変わりない。不良カップルも普通に食事をしている。




(あの二人が普通に飯食ってる姿は珍しいかもな。……さて、それじゃあ――)




 全員の様子を確認し、一つ深呼吸をしたケイは、考えていた"サプライズ"を実行に移す事にした。おもむろに立ち上がって食堂全体を見渡せる窓際まで移動すると、皆に向かって一言告げる。




「みなさん、食事中失礼します。そのままでいいので少し聞いてください」




 全員の注目を集めたケイは、記念撮影の話を持ち掛けた。




 ツアーも三日目で約半分を過ぎ、残すところ四日となりました。こうして同じツアーに参加し、同じ旅館で一緒に食事を取っているのも何かの縁。お急ぎの用事が無ければ、今日はみんなで一緒に記念撮影をして回りませんか? ――そんな内容を語る。




「友人がカメラマンをやってくれる事になっているので」




 そう言って哲朗を指し示すと、哲朗はキョドリながらも頷いて見せた。ケイはそのまま恵美利と加奈には既に了解を得ている事も付け加える。




「今のところ、樹山さんと御堂さんが参加してくれる事になってます。皆さんもどうですか?」




 と、ケイはここで戸羽 清二に視線を向けながら言った。これまでの言動から考えて、彼は目立ちたがり屋タイプだと思われる。撮影会のようなイベントになら、乗って来る可能性が高いと判断した。そしてそれは当たっていた。




「おー、面白そうじゃね? 俺らも参加すっべ」


「じゃあ、戸羽さんと牧野さんも参加で。杵島さん、城崎さんもどうですか?」




 すかさず二人の参加を決定したケイは、気が進まなさそうな顔をしている梨絵から異論が出る前に、不倫カップルに話を振った。こちらは杵島が城崎と一緒に写るのを嫌がって参加は見送られるかもしれない。


 だが、今回の杵島は城崎と二人きりで人気の無い場所に行かないように注意しているので、心中の発生は避けられる。城崎も旅館内で凶行に及ぶとは思えない。


 心中を断念した城崎が一人で首を吊るという可能性も無くは無いが、『殺意ありき』はまだ限りなく正解に近いであろう『仮定』に過ぎないのだ。あまり推測で悩んでも仕方がない。


 と、そんな事をつらつら考えていたケイだったが――




「いいですね、ぜひ参加させてもらいますよ」




 意外にも、杵島が撮影会に賛成した。城崎も反対する理由は無いようだ。これにより、ツアー客の全員が今日の記念撮影に参加する事となった。




「それじゃあ9時頃に皆で玄関ホールに集合するという事でいいですか?」




 特に異議も上がらず、記念撮影会の予定が決まった。ケイが自分の席に戻って来ると、哲朗が見ているだけで緊張したと言って『相棒スゲーわー』を連発していた。恵美利達もうんうんと頷いて同意を示す。




「あんな風に仕切るの、自分には絶対無理だわ……」


「ははは、馴れれば結構どうにかなるもんだよ」




 その後、朝食は平穏に進み、食べ終えた人から順に部屋へと戻って行く。時刻は8時を過ぎた頃。食後のお茶で一息吐いていたケイは、席を立ちながら食堂内を見渡して現状を確認した。


 哲朗は撮影準備のため、先に部屋へと戻った。恵美利と加奈も既に食堂を後にしている。そして今し方、不良カップルの清二と梨絵が出て行った。


 食堂に残っているのはケイと同じく、お茶で一息吐いていた不倫カップルの杵島と城崎だけだ。やがて、城崎が一人で席を立ち、やはりケイの事を気にする素振りを見せながら食堂を後にした。ちらっと聞こえた二人の会話内容から、着替えの準備のために先に部屋へ戻ったらしい。


 丁度良い機会だと、ケイは杵島になぜ撮影会の参加に賛成したのか訊ねてみる事にした。




「杵島さん」


「ああ、どうも曽野見さん」




 ケイが声を掛けると、杵島はにこやかな挨拶で応じた。やけに上機嫌な様子を訝しみつつ、ケイは疑問に思った事を訊ねる。




「持ち掛けておいて何ですけど、撮影会の話、良かったんですか?」




 彼女と一緒の写真を撮られるのは不味くないんですか? と聞いてみたところ、杵島は含み笑いをしながら声を潜めると、城崎の変化について語った。


 杵島は、ケイにアドバイスを受けた夜から、城崎と行動する時は常に人の居る場所を選んで移動するようにしており、必然的にどこへ行くにも杵島が行き先を決めるようになっている。


 その影響なのか、城崎が『以前のように』素直になって来たという。




「志津音は付き合い始めた頃は、僕の言う事を何でも聞いてくれるいい子だったんですよ」




 最近の彼女の我儘は、少し甘やかしていたせいかもしれないと笑う杵島。どうやら彼は城崎との関係で主導権を握った気分になって、少々浮かれているようだ。


 杵島が自分から動く事でそれが自己主張という形になり、城崎は彼の決定に従う。杵島は、その状態を『志津音が自分に従順になった』と勘違いしているらしい。




「これも曽野見さんのアドバイスのおかげですよ。今の志津音なら、僕も彼女の事をちゃんと愛してやれます」


「そ、そうですか……」


「おっと失礼、いい歳をしてちょっと惚気過ぎちゃったかな。はははっ」




 城崎が大人しくなった事に気分を良くして、また今までのように愛人関係を続けられると思っているようだ。




(ダメだこの人……)




 これはもはや擁護出来ないと判断するケイ。死なれるのは寝覚めが悪いので、心中は回避させる方針で進める。だが今後、不倫カップル彼等との交流で有利になりそうな情報を吹き込むのは、城崎の方にしようかと考えるケイなのであった。




(さて、俺も撮影会に向けて部屋に戻るか)














 三周目・其の二










 部屋で着替えをしたり、荷物を整理したりする内に良い時間になった。ケイは時計を確認しながら哲朗に声を掛ける。




「そろそろホールに下りようか」


「そうだね。みんな集まってるかも」




 カメラを首から提げた哲朗が同意する。二人で部屋を出ると、ちょうど恵美利と加奈も隣の部屋から出て来たところだった。




「あ、ケイ君達もこれから?」


「うん、タイミング良かったね」




 それじゃあ一緒に行こうかと、四人で一階に向かう。玄関ホール前までやって来ると、杵島と城崎が休憩所のソファーで待機していた。ケイはとりあえず二人に声を掛ける。




「杵島さん」


「ああ、どうも」




 相変わらずにこやかな杵島と挨拶を交わしたケイは、城崎にも挨拶をしておく。




「城崎さんも、今日はよろしくお願いします」


「あ、はい……こちらこそ」




 自分に対する戸惑いと警戒の色が交る城崎の視線をスルーしたケイは、梨絵と清二もそのうち下りて来るだろう事を見越して、皆でソファーに腰かけ待つ事にした。


 その間、撮影会の予定について話し合う。




「今日は砂浜海岸、洞穴と周辺、雑木林、旅館内を巡って、それぞれ集合写真を撮るって事で」


「いいですね、素晴らしい思い出の写真が撮れそうだ。綺麗な若い子も居て華やかですなぁ」




 杵島はすっかり不倫問題を忘れているようだ。機嫌の良さゆえか恵美利達にも気さくに話し掛けている。


 恵美利と加奈は、これまでほとんど接する事のなかった『大人の男性』でもある杵島に気後れしているのか、人見知り的な距離感が見て取れた。


 雑談には応じても、ケイと話す時に比べて態度に遠慮が見られる。杵島の隣に座る城崎の頬が、心なしか引き攣っているようにも見えるのが原因かもしれないが。


 そうこうしている内に、梨絵と清二がホールに下りて来た。




「よぉーっす、おまったー?」


「全員揃ったようですね。それじゃ行きましょう、今日は皆さんよろしくお願いします」




 清二のおちゃらけ挨拶を華麗にスルーしたケイは、そう言って皆に出発を促した。






 砂浜海岸へ続く道をぞろぞろ歩く。途中、先行ダッシュした哲朗が道の先に三脚でカメラを立ててタイマーをセット。走って列に戻って来ると、砂浜海岸に向かう集合写真を撮影した。




「自分もしっかり写り込んでいくスタイル」


「ははは、上手い事考えたな」




 カメラマンは手だけとか、影だけとか、誰かと交代して写されるという、昔ながらのお約束を破る用意周到な哲朗であった。




「これも技術の向上でカメラの性能が上がったお陰だよ」


「ああ、確かにな」




 一昔前のカメラでこの方法を使っても、上手く撮影出来ていない可能性が高かったであろうが、今はほとんど全自動でピントから構図にまで補正が掛かって良い絵が撮れる。




「ところで、風で倒れそうになってるぞ?」


「のわあーーーー!」




 三脚のカメラが今にも倒れそうなほど傾き、哲朗が再び猛ダッシュして行く。そんなコミカルな光景に、思わず皆から笑い声が上がった。




(いい雰囲気だ。このまま和やかな空気で最終日まで進んでほしいところだけど……)




 ケイは密かにそんな事を願っていた。






 その後は砂浜で海をバックに撮影。旅館と海岸の道をバックに撮影と、一ヶ所に付きアングルを変えて二、三枚の集合写真を撮る方針で撮影が続けられた。




「じゃあ次は洞穴の上の丘になってる崖で」




 順番に回るなら砂浜海岸、洞穴の上の丘、洞穴内部、そして雑木林を巡って旅館へと戻る。


 最後は旅館前の広場で撮るのが妥当だろうと順路を告げるケイに、恵美利達や杵島達は特に異論もなく頷いた。のだが――




「……あそこ、上がるのか」


「ええ、風が心地いいし、見晴らし良いですよ」




 清二が洞穴の上の丘を見ながら問うので、ケイがそう答える。




「お、おう、そうだな」


「……?」




 何やら清二が少し挙動不審になった。ケイはそれを訝しむよりもまず、その態度の意味について考える。あの場所に行きたくない理由でもあるのだろうかと。




(単純に考えれば、高いところが苦手とか……? いや、それは無いか)




 ケイは前回のこの日の夜に、あそこから梨絵に落とされた。『清二が崖から落ちて途中にしがみ付いている』と、梨絵に助けを求められ、ついて行った先の出来事だった。


 それを踏まえて考えると、高いところが苦手な人間が夜中に崖の上まで足を運ぶとも思えない。と、そこまで考えた時――




(……あれ? いやまてよ……?)




 何かがケイの記憶に引っ掛かる。だが、今はじっくり考えている時ではないと判断して、撮影会を優先した。皆でわいわいと丘の道を登って行き、やがて丘の天辺に到着する。


 心地よい潮風と地平線まで続く大海原。開放的で広大な景色は、気持ちを高揚させる。




「ああ、これはいい。素晴らしい景色だ」


「ここから見える景色をバックに撮りましょう」




 まだここに来た事がなかった杵島が、額に手をかざしながら周囲を見渡している。その傍に立つ城崎も、心なしか絶景に心惹かれているように見える。ケイに対する視線の頻度が落ち着いている。




 哲朗がカメラをセットしながら、砂浜海岸の入り江と海の地平線、雑木林の森がバランス良く背景に入るベストな立ち位置を模索する。




「もう少し左側に、ケイの位置を中心に――あれ?」




 ファインダー画面を覗き込んで並び位置を指示していた哲朗が、ふいに顔を上げてキョロキョロと見渡し、目的の人物を見つけて声を掛けた。




「あの、戸羽さん、列に入ってくれません?」




 皆がカメラの前に並んでいる中、カメラマンである哲朗の後方で一人うろうろしている清二。何をしているのかと全員の視線が集まる。




「セイジ? どうしたの?」


「ん? いや、別に……おう、もう撮るのか」




 梨絵に促された清二がもたもたとやって来る。そんなに崖側に寄っている訳でもないのに、しきりに足元を気にしながら恐る恐る歩く。その様子を見て、もしやと思ったケイはストレートに訊ねてみた。




「戸羽さん、もしかして高いところ苦手なんですか?」


「えっ? あ、いやまあ、別に、今日はちょっとな……」




 引き攣った笑みを浮かべながら誤魔化そうとしているが、彼が高所恐怖症である事はその態度からもはや明白だ。




「あー、苦手な人は本当にダメみたいですからねー、無理はしない方がいいですよ」




 杵島がそう言ってフォローする。今回は人の目の多さからプライドでここまで上って来られたが、本来ならこの丘に近づく事すら拒否する重度の高所恐怖症らしい。




「え……セイジってそうだったの?」


「いやぁ、まあ……昔からな」




 この時、梨絵は初めて清二が高所恐怖症だった事を知ったらしく、意外そうに驚いている。


 ケイはそのリアクションから、前々回、梨絵がサロンで清二を詰っていた『苦手なモノ』とは、これの事だったかと察した。しかし――




(あれ? おかしい)




 その場合、ケイを崖の上におびき寄せてスタンガンを使った、前回の夜の行動に矛盾が出て来る。ケイの脳裏に色々な可能性が浮かんでは消え、事件の全体像として一連の流れがシミュレートされていく。




 昨晩の検証で三日目の夜に見える例の光が、洞穴の横穴から見えていた事が分かっている。つまり、前回ケイが崖から落とされたあの前に、梨絵は洞穴内でスタンガンを使った事になる。




(あの時点で、梨絵が清二の高所恐怖症を知っていた場合……)




 そこにピンと来るケイ。あの夜、梨絵は咄嗟にケイを崖上に誘い込んで、スタンガンを使って落とした。




(あれって、あの瞬間咄嗟に一連の計画を思いついたのか? 元々崖の上でスタンガンを使う計画があったんじゃないのか?)




 清二が高所恐怖症だったので、崖の上に誘えなくなった。なので別の手に切り替えた。それが、洞穴での使用だったのでは?




 崖の上からは、下の洞穴の中が見える。昨日、洞穴の一番奥から天井の穴を見上げて確認した、崖の先端部分が、今自分達の立っている場所だ。




 やはり、何かがケイの心に引っ掛かる。




(思い出せ、梨絵と清二の行動に、この違和感を解く鍵がある)




 一周目の三日目では――


 食堂の隣にあるサロンで、駄弁っている梨絵と清二を見つけた。




『えーっ、それはちょっと意外ていうか、男としてどうかだよー』


『いやマジ苦手なんだって、だいたい行くイミねーじゃん』




 あの会話は、清二の高所恐怖症を知った梨絵がそれを詰っていたもので間違いないだろう。清二の『行く意味が無い』とは、崖の上に行く意味を指していると考えられる。




 二周目の三日目では――


 ケイは非常階段の踊り場から海岸の方を見渡し、梨絵が洞穴方面の崖上の道を一人で下りて来る姿を見ている。その時の清二は、旅館に戻る道のずっと先を、梨絵を振り返りながら歩いていた。




 つまり、恐らくあの日は梨絵が一人で崖の上まで行ったが、清二は途中で引き返したと思われる。そして、その日の昼のサロンでは――




『それでよー、オレがそいつに言ってやったんだよ』


『へぇ……』




 梨絵が清二を詰る姿は無く、かわりに清二の自慢話が聞こえていた。梨絵はどこかぼんやりした雰囲気で、清二の自慢話に適当な相槌を打っていた。


 この時のケイは、苦手なモノの話題はもう終わったのか、あるいはこれからなのかと特に気にせず流した。




 三周目の現在、ケイはあの時の事を疑問に思う。なぜ、二周目は梨絵の雰囲気が違っていたのか。一周目と同じ流れだったのなら、清二の高所恐怖症を詰っている場面だったはず。




(あの日の梨絵は、確か崖の上から下りて来ていた。つまり、この崖の先端まで来ていた?)




 あの時、ここから洞穴の中を見ていたとしたら。そしてあの時間、そこには恵美利と加奈が居た可能性。


 そしてあの日、加奈は一人で先に旅館に帰って来て――その後、恵美利の遺体が砂浜海岸に打ち上げられた。




(くそ……っ 嫌な繋がり方だ)




 その時、哲朗の呼び掛ける声が、ケイを過去の記憶の迷路から呼び戻す。




「ケイ、とりあえず場所を少し下にずらそう」


「ああ、分かった」




 推理を一旦保留にしたケイは、撮影場所を清二に配慮して少し坂を下った辺りに設定すると、そこで改めて記念撮影を続けた。


 背景の海や砂浜がしっかり入るよう、哲朗が構図の工夫に走り回っていた。何だか生き生きとした様子だったので、哲朗にも良い思い出作りにはなったようだ。


 その後は予定通り順番に洞穴と雑木林を巡り、朝の撮影会は無事に終了した。




 最後に集合写真を撮った旅館前の広場にて、解散した一行はそれぞれ自由行動に移る。哲朗はさっそく部屋に籠って、撮影した画像ファイルの編集作業に入った。


 恵美利と加奈、杵島と城崎は食堂に昼食を取りに向かった。梨絵と清二はサロンに直行。プチ酒盛りをやるつもりらしい。旅館内を巡っての撮影は午後からになる。




 ケイは、この自由行動の時間で恵美利に加奈への謝罪の機会を作ろうと予定していた。




(けど、その前に……)




 朝の記念撮影会で得た情報から、色々と考えの整理を済ませておく事にした。今後の加奈と恵美利への接し方にも影響する、重要な課題になる。




(とりあえず、石神様のところで考えるかな)












 誰も居なくなった静かな広場の、古い小さな祠前にて。ケイは"石神様"の波動を感じながら、考えを整理していく。




 一周目の夜、加奈に刺されたのはなぜか。


 最初の三日目の夜、洞穴に向かう道で梨絵と遭遇した時の状況を思い出す。彼女は明かりも持たず、ボンヤリした様子で歩いていた。ケイと出くわした事に酷く動揺していたが――




(今思えば、あの時の彼女の反応って、昨日の夜サロンで仕掛けた時に見た"素顔"だったよな)




 『傍若無人な不良女』という仮面が剥がれた、本来の彼女だったと思える。


 その直後に、加奈に刺されて時間を遡る訳だが、あの時の梨絵と加奈の様子、最後の瞬間に見たわずかな記憶を慎重に掘り起こす。




(梨絵は、加奈の接近に気付いて驚いた表情を浮かべてたけど)




 ケイが刺された後の、彼女達の行動を冷静に振り返ってみると、梨絵は加奈の行動に驚きこそすれ、恐怖の悲鳴を上げたり、その場から逃げ出すといった当たり前の行動を取らなかった。


 急速に意識が薄れゆく中だったので、ハッキリとは聞き取れなかったが、梨絵は加奈に説明を求めるような口調で咎めていたように思う。


 本当の非常時には肝の据わった行動が取れる人だった、という説は、これまでに見た梨絵の様子、本来の梨絵の反応を考えるに、今回のケースには当てはまらないと思われる。


 目の前で人が刺されるという非常時に、冷静な行動が取れる人ならば、まずは救命処置を優先するはずだ。しかし、梨絵の反応は驚きと困惑の中で説明を求めながら批難するという内容だった。




(例えば……あの時点で梨絵は、自分が加奈に攻撃される事は無いという確信があったとか?)




 この推測で考えた場合、まず思いつくのは二人の共犯説。だが、これまで見てきた限り、梨絵と加奈に元々の面識があったとは思えない。




(予め示し合わせて来たってわけじゃないとして、このツアーの最中に知り合う機会があった?)




 しかし、あの二人が親しくしている姿は、ここまでのループの中でも見た事が無い。単にケイが見掛けなかっただけ、という事もありえない。


 一周目の時ならともかく、二周目は心中事件の発生を防ぐ為に加奈と恵美利には積極的にアプローチを仕掛けていたのだから、加奈が梨絵と親しくなれば気付く。何より、二周目で恵美利が死んだ後、食堂での会話で加奈は明確に梨絵達との交流を否定している。


 三周目となる今回に至っては、初日から全員の動きを追って把握しているのだ。




(まあ、今回はとにかく不穏な空気を潰すように動いてるから、不倫カップルからも奇妙な雰囲気が消えてるわけだし)




 今回は色々と流れが違っているので、過去二周分の情報と比べてもあまり参考にならないかもしれない。


 少し飛躍させて考えるなら、ケイが刺されたり崖から落とされたりする直前までに知り合った、という事も考えられる。


 恵美利が死亡した日の夜からの足取りは、一周目、二周目ともに把握していないのだから、ここは判断しきれない部分だ。




(加奈と梨絵の関係については一旦置いて、まずは順番に考えよう)




 一周目で、加奈が恵美利の人柄について嘘を吐いたのはなぜか。




(恵美利が心中に巻き込まれて死んだから? いや、だからと言ってあんな嘘を吐く理由が無い)




 昔虐められた恨みを持っていたとしても、わざわざあんなタイミングで恵美利を貶めるような事を言うだろうか。二周目の時は、恵美利の本当の姿を語っていた。その違いは何なのか。




(一周目に比べて、二周目は親密さが増してたから? いや、まてよ……)




 二周目の三日目の夜、部屋で『何かおかしい』と考え込んでいた時に、加奈に対して恵美利の死に関わっているのではという疑惑を抱いた。


 そして、今日の撮影会で崖の上から洞穴を見下ろした時に浮かんだ『嫌な繋がり方』を思い出す。




(……もし、加奈が恵美利を手にかけていたと想定した場合――)




 不倫カップルが心中したとされる雑木林の奥で、ケイは現場を見ていないが、あの時確認に行った旅館の男手作業員達の話によれば、杵島も恵美利も、刺されて死んでいたらしい。


 城崎による突発的な無理心中で、恵美利はそれに巻き込まれた。最初に事件が起きた時はそう思っていた。




(刺される……そういや、最初は加奈に刺されて時間を遡って来たわけだけど……)




 人を刺す等という行為は、そんなに簡単に出来る事では無い筈だとケイは考える。まして加奈はごく普通の、一般人の女子高生だ。素人は刃物を人に向けるだけでも躊躇してしまうだろう。


 よほどの覚悟なり、強い想いなりがなければ、あるいは一度経験した事があるなどの特殊な経緯が――と、適当な例を思い浮かべたところで、唐突に一つの答えが浮かんだ。




(そうか、逆だ。加奈が嘘を吐いた理由は、恵美利の死因にあった)




 恵美利の『男癖の悪さ』という人物像は、加奈にとって、恵美利が不倫カップルの心中に巻き込まれる為に必要な『設定』だった。




 この推測に基づいて考えた場合、雑木林での心中発生の原因とされる、恵美利と杵島による性的な交流という事実は無く、恵美利は心中が起きた現場で、心中とは関係ない理由で殺された。


 そして、遺体には心中に巻き込まれたかのように、その原因になったかのように、衣服を乱すなどの偽装が施され、杵島達を探しに来た旅館の従業員によって発見された。




(恵美利を殺したのが加奈だったとすれば、偽装した本人だから、辻褄を合わせようとして咄嗟にあんな嘘を吐いた?)




 あの時、哲郎が何気なく口にした疑問『あの男の人って結構歳いってそうだったけど』に対して、加奈は軽く息を吐きながら『そうですよね』と呟き、微かに自嘲するような笑みを浮かべた。




(違和感を覚えたあの自嘲のような笑みは、本当に自嘲の笑みだった?)




 二周目で恵美利を探しに行く時、一緒に出掛けなかったのは、ボロを出さない為か。それとも、恵美利の水死は本当に事故だったのか。




(いや、加奈に不審な点はある。だけど……)




 疑い始めたらキリが無いが、二周目の三日目の朝。恵美利と洞穴に行った後、一人で帰って来た加奈の、あの妙にスッキリした雰囲気の表情をしていた意味は。




(実は和解していた、という訳ではない?)




 恵美利は常々、加奈に謝りたいと思っていたようだし、今回はその事をケイに相談しているが、二周目では前日に学校の話題が出た事を切っ掛けに、朝の洞穴で謝罪を切り出した可能性もある。




(だから、二周目の時の加奈は、恵美利の人柄について貶めるような事を口にしなかった?)




 色々と可能性を考えてみるものの、現時点では決定的な証拠となるような要素を見つけていないので、まだ判断はしきれない。


 だが、一周目の加奈の嘘と恵美利の死については、何となく当たらずとも遠からずではないかという手応えは感じていた。




(加奈が要注意対象なのはとりあえず確定、次いで梨絵の事を探っていくか。城崎さんについては、分かり易いというか心中確定だから、こっちの問題の処理も最優先事項だな)




 今後、注視しておかなければならない相手は、杵島を刺して首を吊る無理心中の城崎しろざき 志津音しづね。 


 スタンガンでケイを崖から落として殺した、恐らく戸羽とば 清二せいじの命を狙っている牧野まきの 梨絵りえ


 そしてケイを刺殺し、もしかしたら恵美利も殺しているかもしれない御堂みどう 加奈かな




(……三人とも女ってどういう事だよ)




 とりあえず、この三人の動向を注視しつつ、死者が出るような事件が起こらないよう立ち回る。




(よし、現状確認と今後の方針はこんなもんだな)




 今日を乗り切れば、明日、ツアー四日目からは完全に未知の領域。いつ何が起こるか分からない。もう一度撮影会のお誘い演説をする羽目になるのも面倒なので、ケイは現在の状態を記録しておくべく石神様に念じる。


 そうして石神様が響いたのを確認すると、祠前を後にした。






(さて、まずは場所の選定からだな)




 加奈と恵美利の問題解決に向けて。ケイは先の推測からイザという場合を考え、外ではなく旅館内にその舞台を用意しようと考えた。


 ループを含めたこの数日間に、旅館内の構造や施設は概ね把握している。思わぬ邪魔が入らないよう、なるべく人気ひとけが無い場所で、かつオープンな空間として、一階廊下の突き当りにある休憩所を舞台に選ぶ。


 旅館が元々学校施設だった事もあってか、客室から離れた場所はほぼ昔の校舎そのままなので、何だか学校に居るかのようにも錯覚する。






「哲郎、ちょっといいか?」


「うん? どうしたの?」




 201号室に戻って来たケイは、画像編集が一段落して寛いでいる哲郎に、加奈と恵美利の事情をかいつまんで話し、協力を依頼した。




「ええー……加奈ちゃん達にそんな過去が……」


「一応これ、解決するまでは二人の前はもちろん、他所でも話題にしちゃダメだぞ」




 旅行先で知り合っただけの、他人の問題とは言え、思いがけず重い話に緊張する哲郎。ケイは、哲郎にしか協力を頼めない問題としてサポートを求めた。




「わ、分かった、協力するよ」


「助かる、じゃあさっそくだけど――」




 ケイは哲郎を指定の場所に向かわせると、次いで恵美利達を探しに部屋を出た。一応、二人ともまだ部屋には戻っていないようなので、食堂から順に回る。




「お、加奈ちゃんみっけ」


「あ、曽野見さん」




 一階ホールの休憩所に加奈の姿を見つけたケイは、彼女をキープしておくべく声を掛けた。




「今からちょっと付き合ってもらっていいかな? 多分、三十分くらい」


「え? 私、ですか?」




 キョトンとした表情を浮かべた加奈に、ケイはとりあえず準備を整えたら呼びに来るので、それまで待っていて欲しいと告げる。




「いいですけど……」


「そっか、よかった。じゃあまた後で」




 加奈との予定を取り付けたケイは、恵美利を探しに玄関ホールを後にした。


 旅館を出て広場の方から順に、建物を囲む散歩道沿いをぐるりと巡ると、旅館の裏口辺りを歩いている恵美利を見つけた。




「恵美利」


「あ、ケイ君」


「加奈ちゃんへの謝罪イベント、実行するぞ」


「えっ、い、今から?」




 いきなりの実行宣言に動揺する恵美利だったが、心構えは出来ていたようだ。日や機会を改めようとする言葉は出てこない。




「今が一番頃合いかと思ってね。覚悟は出来てる?」


「う、うん! 大丈夫」


「よし、じゃあそこの裏口から旅館に入ろう」




 ケイはそう言って、恵美利を廊下の突き当りにある休憩所へと案内する。玄関ホールを通らないので、ホールの休憩所にいる加奈とは顔を合わせずに済む。


 割と重要な話になるだけに、謝罪前に本人と顔を合わせるのも気まずかろうと配慮した。




「ここに加奈ちゃんを呼ぶから、待機しててくれ。その後は恵美利次第だ」


「分かった」




 奥の休憩所で恵美利を待たせ、玄関ホールの休憩所にいる加奈を呼びに行く。廊下の途中に待機している哲郎に『今から始める』と目配せしつつホールへと向かった。




「加奈ちゃん」




 休憩所のソファーでボ~としていた加奈に声を掛けたケイは、「実は恵美利の事で話がある」と切り出す。




「恵美利の……?」


「彼女から話しは聞いた。恵美利は、いじめの事を謝りたいんだってさ」




 ケイの言葉を聞いた加奈から、表情が消えた。ケイは加奈の反応を見ながら、慎重に言葉を選びつつ、恵美利が真剣に悩んでいる事などを告げる。すると加奈は、警戒を滲ませながら問うた。




「……恵美利から、何を聞いたんですか?」


「具体的ないじめの内容までは聞いてない。ただ、恵美利は本当に後悔してるって事と、当時の人間関係には裏があったらしい事くらいかな」


「裏?」


「詳しくは恵美利から直接、謝罪と一緒に聞くといい。謝罪を受け入れるかどうかは別に、真相は知っておいても悪くは無いと思うよ」




 ケイのそんな言葉に、加奈は意外そうな表情を浮かべた。




「てっきり、『赦してやれ』的な事を言われるかと思ってました」




 加奈が警戒していたのは、謝罪の押し付けによる受け入れの強要だという。ケイは、そんな加奈の気持ちに理解を見せる。




「他人が簡単に判断していい事じゃないからね。俺に出来るのは双方に話し合う機会を作るくらい。当事者同士でしか解決できない問題もあるっしょ」


「……」




 加奈の表情から警戒の色が薄れた。加奈は少し、ケイを信用してみる事にしたようだ。




「あ……その前に、ちょっと部屋に寄っていいですか?」




 荷物を置いて来たいと言う加奈に、ケイは頷いて答える。




(加奈にとってもいきなりのイベントだしな。部屋で一旦気持ちを落ち着けてから、恵美利の謝罪の場に臨むのもいいだろう)




 それから五分ほどで戻って来た加奈を廊下の突き当りにある休憩所へ案内したケイは、そこから哲郎が待機している場所まで離れて見守る事にした。


 二人の声が聞こえるか聞こえないかくらいの距離。直ぐ傍に立ち会うのは、謝罪を受け入れろという圧力にもなり兼ねず、反感を買う恐れがある。


 加奈には最大限の配慮をしつつ、暴発が起き無いよう安全も考慮した距離だ。何かあれば直ぐに駆けつけられる。






 そわそわしている哲郎と廊下の壁にもたれ、休憩所からぼしょぼしょと聞こえてくる話し声に耳を傾ける事しばらく。




「あ、出てきた」




 加奈と恵美利が休憩所から並んで出て来た。二人とも目元を赤く腫らしていたが、スッキリした表情をしている。




「決着ついた?」


「うん、ついた」


「つきました」




 二人して微笑みながら答える。どうやら無事に和解出来たようだ。もらい泣きで涙目になっている哲郎をネタにしたりしつつ、『よかったよかった』と和やかな雰囲気で談笑しながら、四人で玄関ホールの休憩所に場所を移す。




(とりあえず、これで加奈と恵美利の問題は片付いたかな)




 と、ケイは心の中で一つ安堵の息を吐いた。これでもう恵美利が死亡するような事件は起こらない筈だ。――加奈が犯人だった場合は、だが。




「あ、それで午後の撮影会の事なんだけどー」




 恵美利がこの後に予定している、『旅館内での撮影会』について話題にしたその時、隣に座る加奈が姿勢を直そうと身じろぎした拍子に、服の隙間から何かを落とした。


 ゴトリと、若干重そうな音を立てて転がった物体を見て、ケイは一瞬目を瞠る。黒っぽい長方形をした箱状で、先端に短い金属の突起が二本。テレビのリモコンにも似たソレには見覚えがあった。




(ちょっと待て、なんで加奈がそれを持ってる)




 もしや自分の把握していないところで、既に梨絵と接触があったのか。あるいは、最初の推測で前提から外した共犯説。二人は元々知り合いで、示し合わせてこのツアーに参加しているのか。


 ケイの頭の中で目まぐるしく思考が巡る。何故、加奈が今このスタンガンを持っているのか――そんな、ケイの硬直した気配を敏感に感じ取った恵美利が、慌てたようにフォローを入れる。




「あ、それは加奈がいつも持ち歩いてる護身用のやつで――」




 別に深い意味は無いからと、恵美利は加奈が物騒な物を持っていた事について擁護しようとした。しかし、その証言はケイにさらなる混乱をもたらせる。




(っ! いつも持ち歩いてる……? それはつまり――)




 このスタンガンは梨絵の物ではなく、加奈が持ち主だという事になる。少し混乱を残しながらも、ケイは恵美利のフォローに応えてこの場を取り繕うべく、ネタを口にした。




「いや、何故テレビのリモコンを持ち歩いてるのかと思って一瞬フリーズしちゃったよ」


「……きゃはははっ」




 ツボにハマったらしく、恵美利がソファーでお腹を抱えて笑い転げている。加奈も恥ずかしそうに、スタンガンを服の下のホルスターに仕舞いながら笑顔を浮かべている。哲郎も雰囲気につられて笑っている。


 ケイは、この和やかな空気に仮面の笑顔を装いながら、新たに判明した事実と謎について考え込んでいた。












 お昼からの撮影会には旅館の従業員達も誘いたい、という恵美利の提案は、元々そうする予定だったので問題無く採用。


 昼食後にそのまま食堂から撮影を開始した。




「や~~もう~照れるわ~、美人に撮れた? とか言っちゃったりして、あっはっは」




 と、食堂のおばちゃんは結構ノリノリな様子で撮影会を楽しんでいた。食堂の料理人もちらっと顔を見せた際に写り込んでいる。


 おばちゃんの話では、特殊な観光地だけに普段から客足も少なく、こういったお客さんと一緒に楽しむイベントには憧れる気持ちがあったらしい。


 皆でわいわいとコミュニケーションを取れる機会はあまりないので、素直に嬉しいそうだ。その後も遊技場やサロン、廊下や受付などを巡り、受付の奥に居る事務の人、旅館の周りを掃除しているおじさん達、裏方で働いている若い衆、それぞれ旅館の従業員達と一緒に記念撮影をおこなった。




 そうして午後の撮影会が終わったのは、昼の三時ごろであった。




「それじゃあこれにて解散です。皆さんお疲れ様でした」


「お疲れさま~」


「おつかれー」


「部屋で一服するかー、リエー酒選んできてくれよ」


「それじゃあ僕らも部屋に戻ろうか」




 ケイが撮影会の終了と解散を告げると、皆それぞれの部屋に戻って行った。




「いや~撮った撮った」


「お疲れ、哲郎」




 一度にこれだけ多くの人を撮影したのは初めてだと言って、玄関ホールの休憩所でソファーに埋まりながら『やり遂げた感』を醸し出している哲郎に、缶コーヒーを奢りながら労うケイ。




 その後、編集作業に入るという哲郎を部屋まで送ったケイは、他のツアー客全員が各自の部屋に居る事を確認してから広場の祠を訪れ、石神様に念じた。




(さて、ここまでは概ね順調だ)




 旅館の一階ホールへと戻ったケイは、ソファーに背を預けながら考える。加奈と恵美利はもう大丈夫だろう。しかし、事件の起きそうな種はまだ二つも残っている。


 梨絵と清二。


 杵島と城崎。




(とりあえず、梨絵が使っていたスタンガンが、加奈の持ち物だった事から考えるか……)




 ケイは改めてここ数日のループで知り得た情報から推理に入った。まず、梨絵はどうやってあのスタンガンを手に入れたのか。




 加奈がどこかに落としたのを拾った? 


 あるいは盗んだ?


 どうやって?


 お風呂場の脱衣所で加奈の荷物の中に見つけたとか?




(いや……それだと、一周目で加奈に刺された時に感じた、梨絵と加奈の繋がりを説明できない)




 梨絵と加奈に繋がりがあると考えるなら、梨絵はスタンガンを加奈に借りたと判断するべきだ。その場合、どういう経緯でそうなったのか。




(同じ目的を持つ者同士で共感を得たとか? だとしても、いつどこで交流したんだ?)




 一つ一つ疑問点を挙げては、推理でその答えの仮説を立てていく。仮説すら立てられない場合は一度棚上げにして、その先にある疑問点への仮説から考える。




(一周目の経緯は一先ず脇に置いて……二周目の経緯について考えよう)




 実は二周目の方が手掛かりが多い。今日の朝の撮影会で崖の上に立った時に浮かんだ、二周目の恵美利の水死事件に関わる『嫌な繋がり方』から導き出した推測。




 二周目の三日目の朝。洞穴の奥の様子を見下ろせる崖の淵に梨絵が立っていた時。洞穴の中には、恵美利と加奈が居た。その時も、加奈はスタンガンを持っていたはずだ。




 恵美利の遺体を調べた時、首筋に虫に刺されたような小さな赤いあざがあった。




(あれは、スタンガンの痕だったんじゃないのか?)




 洞穴の奥で、加奈が恵美利にスタンガンを使うところを、梨絵が崖の上から目撃していたとしたら。それをネタにして、加奈からスタンガンを借りたのだとしたら。




(梨絵がスタンガンを手にする二周目の経緯がそうだったと仮定して、一周目はどういった流れで借りたのか)




 ケイは一周目の時の梨絵の様子を思い出す。心中事件が知らされた夜。清二は動揺からニヤニヤへらへらとした態度でつまらない冗談など口にしていた。


 梨絵はそんな彼に相槌を打ちながらも、どこか上の空で、普段より大人しい感じだった。梨絵が上の空でボーとしている場面は、二周目の時にもあった。


 三日目の昼の食堂にて、一周目の時は清二の苦手なもの、すなわち高所恐怖症に対して詰っていた梨絵は、二周目の時は上の空で、清二の自慢話を聞き流していた。




(二周目のあの日は、昼食をとってすぐ後に、俺と哲郎が砂浜で恵美利の遺体を見つけたんだ)




 野次馬根性を出して何があったのか訊ねて来た清二に、恵美利の事故死について伝えた時、梨絵は一瞬はっと驚いた様子を見せた後、何だか複雑な表情を浮かべていた。


 ケイはそんな憂いを帯びた雰囲気の梨絵に、違和感を覚えたのだ。




(やっぱりあの時の梨絵は、崖の上から洞穴の中の出来事を一部始終見てたんじゃないのか?)




 加奈が恵美利にスタンガンを使うところを目撃。そして、恵美利の遺体が見つかり、水死として扱われた。事件性を疑う声も無かった。


 そんな時、清二が高所恐怖症だった為に、崖から突き落とす計画が使えなくなっていた梨絵が、加奈に犯行の相談に行った?




 自分と同じように仲良い振りをして、相方の殺害を狙っていたのかもしれない。そう思った梨絵は、加奈に探りを入れた。




『あたし、見てたんだよね』


『……』




 崖の上から見た事について話がしたいという梨絵を部屋に招いた加奈は、護身用のスタンガンを取り出して梨絵に向ける。そして梨絵は、加奈の犯行を黙っているから、それを貸してくれと頼んだ。


 もしかしたら、梨絵はその時に清二の殺害を狙っている事を明かして、加奈の信用を得ようとしたかもしれない。


 二周目の裏でそんな出来事が起きていたという仮説を基に、一周目でも同じような流れがあったと仮定するならば、一周目の梨絵はどこで何を目撃したのか。




(一周目の事件の舞台は雑木林だよな……)




 ケイが知る限り、梨絵と清二が雑木林に向かった事は一度も無かったはずだ。三日目の朝に砂浜海岸に出掛けていた以外は、殆ど部屋に籠もっていた。




(梨絵が加奈に接触を試みようとするような何かが、旅館内であったと見るべきか)




 そんな事を考えていたケイは、ふと、旅館の裏口から雑木林に繋がる小道があった事を思い出す。人目を避けて雑木林に出入り出来そうな田舎道、という印象を持った覚えがあった。




(確か、一階のトイレの窓から見えたんだったな)




 その後すぐ、誰かが階段を下りてくる足音を聞いてトイレを後にし、サロンに入っていった杵島にアプローチを仕掛けたのだ。




 ケイが推理した一周目の事件の概要では、雑木林を歩いていた加奈と恵美利が心中現場を発見し、その場で加奈が恵美利を殺害、心中に巻き込まれたかのように偽装した。


 その辻褄合わせの為に、加奈は恵美利について『男癖が悪い』と嘘を吐いた、という事になっている。


 心中のあった現場で恵美利を殺して、さらに発見者に杵島と恵美利の不義を疑わせるような細工をしたとなれば、刺されていた二人に細工を施す際、加奈の手や衣服に血痕が付着していてもおかしくない。


 雑木林から誰にも見咎められず部屋に戻るなら、旅館の裏口に続く小道を使うのが自然だろう。




(梨絵は、サロンのお酒を漁りに度々一階まで下りて来てたみたいだし)




 その時にたまたま、血に濡れた手を隠しながらとか、血痕のついた服を気にしながらこそこそと旅館の裏口を通る加奈の姿を目撃したかもしれない。




 一周目で心中事件が発覚した夜、食堂で梨絵がぼんやりしていたのは、昼間に雑木林から出て来る加奈の怪しい行動を目撃していたから。


 二周目の昼の食堂で梨絵がぼんやりしていたのは、朝に崖の上から加奈の犯行の一部始終を見ていたから。




(その後、恵美利の遺体が見つかり、水難事故として扱われた)




 梨絵は加奈の犯行である事を確信し、自らの犯行計画を進める為の武器を手に入れるべく、加奈の元を訪れる。


 そしてあのスタンガンを手に入れ、その夜に清二を洞穴まで誘い出して使用する。その時の光を、ケイが部屋から目撃した。




 一周目で加奈に刺されたのは、梨絵の犯行がバレると自分も危ういと思った加奈が、暴走して口封じに動いたとも考えられる。




(……こんなところか)




 ほとんどが仮定と推測に基づく、憶測も入り混じった仮説だが、ある程度の『こうだったのであろう』という出来事の道筋を定める事が出来た。




「ふう……まあ、こっちは一先ずこれで様子を見よう」




 加奈と恵美利の事件が起きなければ、梨絵も事を起こす切っ掛けを掴めず、行動を躊躇するかもしれない。また別の手を考える可能性もあるので、ツアーが終わるまでは油断は出来ないが。


 今後も梨絵と交流するチャンスはあるのだ。その中で彼女が抱える問題に触れて、犯行を思い止まらせるよう働き掛ければいい。




 一つ溜息を吐いて推理を一段落させたケイは、不倫カップルの問題処理に思考を切り替えた。




(夕食の時間まではまだ余裕があるな)




 杵島はすっかり上機嫌で少々危機感が薄れてきているようだったが、城崎はケイに対する警戒心がかなり強くなっている様子だった。




 ケイは当初、城崎からの接触を待つつもりでいた。旅館の中では凶行に及ぶ事もあるまいという推論から、杵島と二人きりで人気の無い場所へ行かせさえしなければ、大丈夫だろうと考えていたのだ。


 今は杵島の態度の変化に戸惑っている事もあってか、城崎に不穏な空気は感じられない。しかし、今日は事件が起きていた三日目。万が一という事もある。




(やっぱり、今の内に仕掛けておいた方がいいかな)




 彼女から心中という選択を遠ざけ、別の道を選ぶよう誘導する。ケイはとりあえず、客室の並ぶ二階の廊下へと足を運んだ。


 階段を上がってすぐの201号室では、現在哲郎が記念撮影画像の編集作業をしている最中だろう。自分達の宿泊部屋を素通りし、一番奥にある206号室の前まで歩く。




(さて、どうやって会うか……)




 ケイが城崎を説得するために用意している話のネタは、杵島には勿論の事、他の人達にも聞かれてはまずい内容だ。なので、城崎と二人きりでじっくり話せる時間と場所が必要になる。


 しかし、城崎はある意味杵島にベッタリなので、梨絵と清二達のように二人で一緒に行動している場合が多い。




 旅館の外を出歩く城崎に、偶然を装って近づくのがもっとも無難な接触方だが、前二周を含む、ケイのここ九日間分の記憶の中でも、城崎が一人で行動している姿は見た覚えがなかった。




(杵島さんが一人でサロンにでも行ってる間に、部屋を訪ねるとか? でもなぁ……)




 直接部屋を訪ねるのは、客室同士が近い事を考えると他の人達に見られるリスクも高い。杵島と城崎は、旅館の従業員からも不倫旅行疑惑を持たれているのだ。


 そんな訳有り感のあふれる城崎に、ケイがこっそり会っているところなど見られようモノなら、たちまちあらぬ噂が立ち兼ねない。




(それでツアーが平穏に終わるなら構わないんだけど……まだ『牧野 梨絵』の問題も残ってるからなぁ)




 加奈と恵美利という、二人の若い女の子とも親しくなっている現状で不倫疑惑の噂が付いてまわるのは問題がある。まず間違いなく梨絵にも警戒されて、後々動き難くなるだろう。


 そんな事を思いながら廊下で考え込んでいると、206号室の扉が開いて杵島が現れた。旅館の浴衣姿にタオルなど肩に掛けている。




「おや、曽野見さん」


「あ、どうも」




 杵島は夕食前に一風呂ひとふろ浴びに行くらしい。朝の撮影会では潮風に当たり、旅館内の撮影でも割と歩き回っていたので、結構汗を掻いたのだそうだ。




「いやぁ~やはり大浴場は旅行の醍醐味ですねぇ。志津音も誘ったんですがね、部屋でゆっくりするそうです。しかし混浴じゃないのが残念ですな」


「ははは……」




 何だか一方的に喋りまくった杵島は『それではまた』と、スリッパをぺたぺた鳴らしながら一階の大浴場へと向かった。


 それを見送ったケイは、周囲に人の気配が無い事を確認すると、206号室の扉をそっとノックした。




「はい……」




 城崎の気だるそうな声がして扉が開かれる。




「幸弘さん? 忘れ物でも――っ!?」




 少し乱れた髪と、はだけた服の胸元を抑えながら顔を出した城崎は、ノックの主がケイだった事に気付くと、ギョッとなって固まった。


 ケイの方も一瞬目を瞠ったが、先程の杵島がやけに饒舌だった理由が分かった気がして納得すると、気を取り直して用件を伝える。




「杵島さんの事でお話があります。少しお時間頂けませんか? 今夜辺り、杵島さんには内緒で」


「え……? 一緒にじゃ、無いんですか?」


「城崎さん一人でお願いします。この話は、城崎さんの意思確認になるので」




 ケイの言葉に、警戒を滲ませた表情で逡巡していた城崎は、やがて静かに了承した。




「……分かりました」


「ありがとうございます。では今夜、杵島さんが寝静まったら一階のサロンにでも来てください」




 城崎と会う約束を取り付けたケイは、軽く頭を下げて206号室を後にしたのだった。












 夕食の時間は全員が顔を揃えて、滞りなく終わった。撮影会の影響もあってか、皆がバラバラに動いていた時とくらべて和気あいあいとした、良い雰囲気の夕食だった。


 皆の様子を注意深く観察しているケイから見て、加奈と恵美利の二人は会話量が若干増えている気がする。杵島と城崎はあまり変わりなく、機嫌の良さそうな杵島に付き従っている印象の城崎。梨絵と清二は周りを威圧するような言動もみられず、少し静かになっていた。




 部屋に戻って来たケイと哲郎。時刻は17時を少し回ったところだ。早速PCの前で画像編集の続きを始める哲郎に、ケイは少し仮眠を取ると伝えた。




「仮眠? 早目の就寝じゃなく?」


「ああ、まだちょっと用事が残ってるからな」




 他のツアー客と積極的に交流を図って記念撮影会を企画したり、恵美利と加奈の仲を取り持ったりと、ケイが色々動き回っている姿を見て来た哲郎は、流石に疲れただろうと納得した。




「4時間程で起きる予定だから、寝過ごしそうな時は起こしてくれ」


「分かった。おやすみ相棒」




 半分襖を締めた隣の部屋に布団を敷いたケイは、時計のアラームもセットしつつ横になった。






 目が覚めたのは21時になる頃。ケイは腕時計のアラームが鳴る前にオフにすると、「ぬおー」と一つ伸びをして布団から起き上がった。




「おはよう相棒」


「おはよう」




 哲郎が「寝覚めの一杯」と言って缶コーヒーを差し出す。わざわざ買って来てくれていたようだ。ありがたく頂戴しながら座椅子に腰かける。


 哲郎のPCを覗き込むと、記念撮影会の画像編集も大分進んだようだ。




「良い感じに撮れてるな」


「でしょ? でしょ?」




 むふふと笑う哲郎は褒められて嬉しそうにしている。このまま良い旅の思い出にして行きたいところだ。その為にも、城崎との交渉は成功させなければならない。


 窓の外に目をやると、既に真っ暗闇が広がっている。例の光を見た時間は、大体22:50から23:15の間頃だった。現在の時刻は21:20を回る頃。




「さて、ちょっと出掛けて来るよ。もしかしたら戻るまでに0時回るかもしれないから、その時は先に寝ててくれ」


「分かった。いってらー」




 特に目的や場所は聞かず送り出してくれる哲郎に、空気の読める良い相棒だなどと心の中で称賛を送りつつ、ケイは一階の玄関ホールに向かった。


 今回はあらかじめ玄関ホールに待機しておく事で、梨絵の犯行の機会を潰す。


 もし梨絵と清二が出掛けようとしていた場合、声を掛けてあからさまに『二人が出掛けるところを目撃した者アピール』をするのだ。それで梨絵に犯行を思い止まらせる。


『洞穴は水没するみたいだから危ないらしいですよ』とか言っておけば大丈夫だろう。




 静かな深夜の玄関ホール。時折旅館の従業員が通りかかるくらいで、客室から誰かが下りて来る気配もない。ケイはソファーに身を沈めてじっと時間が過ぎるのを待つ。


 今回のループでは初日から時間の限り動き回っていたので、こんな風に待つのは久しぶりだ。しかし、焦れる気持ちはない。


 今宵、城崎に話す予定の内容を反芻しつつ時計を見る。




「もうこんな時間か……」




 23:00を過ぎた時点で、梨絵と清二は下りて来ていない。やはり、今日は出掛けないようだ。


 ケイの推測通りなら、恵美利が死ななかった事により、加奈のスタンガンも梨絵の手には渡っていない筈。それによって、梨絵が清二を洞穴に誘い出すというこれまでの流れも変わったのだ。




(よし、これで三日目の恵美利の死亡と、不倫カップルの心中もひとまず防げたぞ)




 そこへ、城崎がホールへの階段を下りて来るのが見えた。ケイは周囲に人影が無い事を確認しつつソファーから立ち上がると、彼女に向かって歩き出す。




「あ……」


「こんばんは」




 ケイに気付いた城崎が足を止める。自然に会釈したケイは、そのまますれ違いながら小声で話し掛けた。




「このまま一度サロンに向かって下さい。それから裏口を出て、俺達が最初に出会った砂浜海岸に下りる土手の裏で待ち合わせましょう」


「……分かりました」




 話をする場所を指定したケイは、夜の散歩に出掛ける風を装いながら玄関から外に出た。旅館の海側の土手の向こう。初日に杵島と城崎が言い争いをしていた付近。


 あそこなら旅館から死角になっているので目立たないし、人に聞かれる心配も少ない。旅館の外から各部屋の窓を見上げると、201号室以外はすべて明かりが消えている。




(哲郎はまだ起きてるのか)




 前回、前々回と光の正体を確かめに出た時も、他の部屋の明かりは消えていた。そんな事を考えながら目的の土手までやって来る。そうして待つこと暫く、城崎がやって来た。




「改めましてこんばんは、城崎さん」


「……こんばんは」




 相変わらず警戒の眼差しを向けている城崎に、ケイは無難に挨拶をして話に入る。




「杵島さんの事で単刀直入に聞きます。城崎さんは、彼と別れるつもりは無いんですね?」


「ありません」




 いきなり核心から突くケイに、城崎はキッパリと答えた。




「では、このツアーに参加する前、どうして彼と別れる事を約束したのか教えて頂けますか?」


「……そんな約束、してない」




 表情を翳らせた城崎は、若干俯き加減にそう呟く。




「では、別れるという約束は、杵島さんの勘違いだったという事ですか?」


「……今の関係について考えると言っただけ……別れるなんて約束してない」




 ふむと唸ったケイは、自分は杵島さん側の話しか聞いてないので、城崎さんの話も聞いて二人の事情や立場をまず明確にしたい旨を告げると、もう少し詳しく聞き出すべく言葉を続けようとした。しかし――




「無駄だから! もう遅いからっ!」




 突然激昂してそう叫んだ城崎は、既に不倫の証拠を杵島の家に送り付けていると言う。




「あなたが何をしたって、もう手遅れなんだからっ!」


「落ち着いてください城崎さん。その話をもっと詳しく教えてくれませんか?」




 ケイは努めて冷静に宥めながら語りかける。




「わ、別れさせようたって……っ! 私は――」


「別れたくないという城崎さんの気持ちは確認済です。今確かめたいのは、その先です」


「……え……?」




 ケイの思わぬ言葉に、虚を突かれた城崎の激昂が止まる。




「単なる惚れた腫れたの浮気話ではない、何か複雑な事情があるのでしょう?」


「……」




 実態は単なる不倫に始まる痴情のもつれに過ぎないのであろうとケイは推察しているが、理解者を装う事で信頼を得て、詳しい事情や内心を聞き出し易く出来る。そうして、城崎からぽつぽつと語られた内容。




 彼女は、この限界集落ツアーが携帯も圏外である事を見越して、これまでの杵島との不倫の証拠などを集めた資料を、ここに来る途中に杵島の家族宛に送っていた。


 不倫旅行なので杵島は自分の行き先を家族に伝えておらず、城崎も当然、周囲に情報を漏らしていない。


 今日のお昼頃には杵島の家に届く筈なので、城崎は背水の陣で杵島との関係に決着を付けるつもりでいたのだ。


 もし、杵島がこの旅行中に自分と添い遂げる事を選んだなら、このまま逃避行しようと思っていたそうな。




(なるほど。それが叶わなければ、杵島の家族に不倫の証拠資料が届くタイミングで、心中を図る計画だった訳か)




 何とも深い情念を感じると思いつつ話の続きを促す。城崎がケイに対して警戒心を持ち始めたのは、ケイとの接触後に杵島の態度に余裕を感じられた事などから、自分の計画がすべてバレているのでは? と不安になったから。


 城崎は、ケイが杵島と自分を別れさせようとしている、そういう方面の仕事をしている人間だと思っていたようだ。




「杵島さんのご家族は、城崎さんとの関係を?」


「薄々は、気付いているみたいです」




 杵島は、数年前から今の奥さんと上手くいかず、不仲になっていた。杵島が勤める会社の取引先に勤務する城崎は、夫婦仲が良くない事を嘆いていた杵島と交流を重ねるうちに不倫へと発展。


 しかし、最近になって奥さんとの仲が修復されたので、この旅行を最後に別れようと言い出されたそうだ。


 実は、城崎は一度杵島との子供を堕胎している。その理由が、今の奥さんと別れて一緒になってから、ちゃんと二人の子供を作ろうと説得されたからだったらしい。




「だから……今さら別れるなんて考えられない」


「……」




 話を聞いた限り、城崎は堕胎した頃から少し気持ちが不安定になり、度々思い詰めては我が侭を言って杵島を困らせる事があったようだ。


 そして城崎が欝気味になった事も、杵島が今の奥さんとの関係を修復しようと思った切っ掛けになっていると思われる。




(予想以上に酷い事になってるな)




 結構ハードな内容に、幾分気持ちが重くなるケイ。しかし、他人の人生に介入する事で、自らを含めて相手とその周囲の人々の運命を変えるという覚悟を持って干渉しているのだ。既に心構えは出来ている。


 伊達に何度も死に戻りはしていない。




(このまま杵島さんと二人きりにさせるのは危険かもしれないな。ここで手を打っておこう)




 ケイは当初、今日は詳しい事情を聞くだけに止め、本格的な介入は明日以降に予定していた。


 だが、既に不倫の証拠資料が杵島家に届いているであろう事や、城崎の精神状態が今も不安定である事を踏まえ、今夜中に確実な心中回避の策を打っておくことにした。


 もはや城崎には後が無い。杵島も家に帰れば破滅が待っている。


 まだこの状況を把握していない杵島は、旅行が終わるまでは現状維持で大丈夫だが、将来に希望を見出せない城崎は、いつ心中を実行に移してもおかしくない。




 城崎に、将来への希望を持たせる事が、心中回避の要となる。




「なるほど、城崎さんの事情は良く分かりました。意思の確認は出来たので、貴女と杵島さんとの今後の事についてお話しましょう」


「私と、幸弘ゆきひろさんの、今後の事……?」


「杵島さんは、夢を見ています。今の家庭を保ったまま、貴女の事も手元に置こうと考えている」




 しかしそれは叶わぬ夢――ケイは、そんな論調で城崎の関心を引きつつ、懐柔と思考の誘導を始めた。














 三周目・其の三










「このまま行けば、杵島さんは離婚に追い込まれる可能性が高い。その場合、今の仕事も失うかもしれません。城崎さん、貴女は全てを失った杵島さんを支えていく覚悟はありますか?」




 ケイは城崎に不倫の清算を説き、高確率でこうなるという例を挙げると、その上で杵島を支えられるのか覚悟を問う。


 離婚したからとて、前の奥さんやその家族との繋がりが切れる訳ではない。破局から離婚、失職。子供との面会。慰謝料や養育費の支払いは大変だ。その状態で、彼を愛し続ける事が出来るのか。




「杵島さんは、精神的に幼い部分が残っている。あの年齢で人生を踏み外すと、自力では立ち直れないまま、ずるずる堕ちて行く可能性も高い。貴女は、彼を最後まで支えてやれますか?」




 ――そんな美談調にする事で、城崎の気持ちを『二人で困難を乗り越える』方向へ奮い立たせるようコントロールする。




「わ、私は……」




 城崎の目が泳ぐ。背水の陣で挑んだこの不倫旅行。恐らく『恋愛の成就か、さもなくば心中』の二択しか考えていなかったであろう彼女は、現実的な『その先の生き方』について示された事で、気持ちが揺れているのだろう。


 そう推察するケイは、慎重になりながらも城崎の背中を押すべく一言を紡ぐ。




「昔からよく言うじゃないですか『人は死ぬ気になれば何でも出来る』って」


「っ!」




 死という表現は城崎が計画している心中を連想させるので避けたいキーワードだが、ここは敢えて鼓舞する目的で口にした。動揺による揺さぶり効果も狙っての判断だ。


 城崎は、ハッとした表情を見せた後、何かを考え込むように沈黙した。そのまま暫く俯いていた彼女は、やがて顔を上げる。




「分かりました……」




 そう呟いた城崎からは、どこかほっとしているような雰囲気が感じ取れた。




(……彼女自身、自分の決意に追い詰められていたのかもしれないな)




 城崎の呟きに覚悟を決めたものと頷いて応えたケイは、今後の杵島との接し方を少し話し合った。アドバイスという形で、従順に振る舞って見せるよう伝えて部屋に戻らせる。彼女が立ち去った後、ケイも時間をずらして旅館に足を向けた。


 時刻は既に0時を回っている。これにより、三日目に起きていた『恵美利の死』と杵島、城崎による『心中事件』、それに洞穴で起きていたであろう『梨絵と清二の事件』も防ぐ事が出来た。




(よし、一先ずこれで様子を見よう。石神様は……明日でいいか)




 今夜はもう何も起きないとは思うが、万が一、今この瞬間までに何か不都合な事件などが起きていた場合、本当に取り返しが付かなくなる。


 石神様の祠には、明日の朝、全員の生存を確認してから祈りに行く事にした。






「ただいまー」


「おかえり相棒」




 201号室に戻って来ると、まだ作業を続けていた哲郎が伸びをしながら出迎えてくれた。ケイは一階の自販機で買って来た缶コーヒーを奢り返したりしつつ、座椅子に腰を下ろして一息吐いた。




「ふーやれやれ」


「お疲れ。用事は済んだのかい?」


「ああ、一通りはね。留守中、何か変わった事は?」


「不良カップルがちょっとバタバタしてた以外は特に無しかな」




 寛ぎモードに入っていたケイは、それを聞いて一気に緊張モードに切り替わる。思わず身を起こしながら訊ねた。




「哲郎、それ何時頃だ?」


「え、さ、三十分くらい前だったと思うけど……」




 ケイの剣幕に気圧されながらそう答える哲郎。彼の話によると、ドアが乱暴に開かれる音がして「おいっ! リエ!」という清二らしき怒鳴り声が響き、誰かが廊下を走り去って行ったらしい。


 足音の感じから、恐らく牧野梨絵ではないかとの事だ。




「廊下を駆け抜けていったのは梨絵だけか?」


「た、多分……その後も暫く耳を澄ませてたけど、特に物音とかも聞こえなかったし……」




 つまり、ケイと城崎の話し合いが終盤に差し掛かっていた頃、牧野梨絵と戸羽清二の間に何かがあって、梨絵が部屋を飛び出して行くという出来事が起きていた、という事だ。




「スマン哲郎、ちょっと出掛けて来る。遅くなると思うんで先に寝ててくれ」


「わ、分かった」




 ケイは念の為、昨日も使った備え付けの懐中電灯を手にとると、上着を羽織り直して部屋を後にした。




(既に日付は変わってるけど、問題の三日目はまだまだ平穏には終わりそうにないな……)




 廊下に出たケイは、梨絵と清二が泊まっている204号室の様子を探り、梨絵が戻っていないか確かめる。扉の前で耳を澄ませるが、特に物音は聞こえない。




(ここは戻っていない事を前提に動くか)




 一階まで下りて来たケイは、とりあえずサロンや食堂を見て回る。いずれの部屋も消灯していて、梨絵の姿は見当たらない。どういった理由や状況で部屋を飛び出したのかは不明だが、旅館内には居ないのかもしれない。


 外を探す事にしたケイは、玄関を出た所で一旦足を止めた。まず何処へ向かうべきか考える。




(雑木林は……明かりも無しに入って行けるような場所じゃないな)




 哲郎の話に聞くその時の様子を考えると、わざわざ明かりを用意して出て行ったとは思えない。着の身着のままで飛び出したなら、寒さも凌げる場所として洞穴辺りが一番可能性が高い気がした。




(中まで入らなくても、出入り口付近なら月や星の明かりでどうにか見えるし、行ってみるか)






 もうすっかり通い慣れてしまった海岸沿いの田舎道を小走りで駆け抜け、崖の上の丘方面と洞穴方面への分かれ道にある電柱の街灯下までやって来た。


 洞穴方面に続く道を進もうとしたケイは、ふと香水の匂いがした気がして風上に視線を向ける。




(……丘の上に人影? 梨絵か?)




 そこでピンと来る。清二は高所恐怖症であの丘の上まで来られない。それを見越して、あそこに陣取っているのではないか。


 ケイは周囲を見渡し、他に人影が見当たらない事を確認すると、丘に続く道を登り始めた。




 朝方撮影会をした場所まで登って来ると、しゃがんで震えている梨絵が振り返った。その姿に、二周目の最後に見た光景が重なる。




「何だ、あんたか……」




 梨絵は疲れた表情でそう呟くと、海の方へと向き直った。ノースリーブのワンピース姿は流石に寒そうだ。ケイは黙って上着を掛けてやり――




「うおーさっぶ!」




 ここは風が寒過ぎるので下りようと促した。




「……ぷっ、何やってんのよ」




 格好つけて上着を貸しておいて寒がっているケイに、吹き出した梨絵は肩を震わせて笑う。とりあえず、街灯の所まで下りて来る二人。


 ケイの上着を羽織った梨絵は、両手でその襟を寄せながら、おもむろに口を開いた。




「あんたさあ、さっき土手の所で……」




 梨絵は丘に向かう途中、旅館からは死角になる土手の裏側で、ケイと城崎が向かい合っている姿を目撃したと言う。




「あの人と、何してたの?」


「ああ、不倫の清算とその後の人生について相談に乗ってました」




 ケイはこの状況を『梨絵が抱える問題を聞き出す最大のチャンス』と考えた。


 単に口の軽い人間と思われては不味いが、梨絵の秘密を聞き出す為に、敢えて杵島と城崎の関係を少し明かす。杵島が既に詰んでいる状態にある事までは話さない。




「へ~、あの二人って、やっぱ不倫だったんだ?」


「ちょっと込み入った事情があるから、少なくともここにいる間は話題にしちゃダメですよ?」




 一応このツアーが終わるまで誰にも喋っちゃダメだと釘を刺したケイは、梨絵が自分の事を話し易くなるよう、彼女が今現在直面しているであろう問題をストレートに訊ねた。




「で、そっちは何があったんです?」


「……そう言えばあんた、相談に乗ってくれるって、言ってたよね」




 二日目の夜、サロンでケイが仕掛けた策が効いて来たようだ。梨絵は、遠くに視線をやりながら独り言のように呟くと、軽く息を吐いておもむろに語り始めた。




「あたしの、友達……親友の話なんだけどさ――」




 家庭に問題があった為に早くに家を出て、夜の店で働いていたその親友は、常連客だった悪い男に騙されて捨てられ、自ら命を絶った。


 その男は、親友に対して法的に罪を問えるような事はしていない。しかし、己が原因で自殺した親友の事を侮辱した。それがどうしても赦せないので復讐したいと思っている。


 梨絵はそこまで語って一息吐くと、ケイに向き直って言った。




「あたしの復讐を手伝う気、無い?」




 少し軽い調子でそう言いながら、羽織っていた上着を半脱ぎ状態っぽくずり下ろして見せた梨絵は、両腕で寄せた胸元を強調しつつ上目遣いのポーズで囁いた。




「手伝ってくれるなら、何でもしてあげる」




(そう来たか。しかしこれは……)




 誘惑という手段に出た彼女だが、その肩が微かに震えているのは寒さからか、緊張からか。少し自棄になっているようにも見える。


 復讐の協力依頼などという、なかなか物騒な相談事を持ち掛けられたケイだったが、いたって冷静に問い質す。とりあえず、今の話に出て来た復讐したい相手が、戸羽清二である事を確認した。




「その男の人って、戸羽さんという事で良いんですよね? 具体的には?」


「具体的?」




 ケイの反応があまりにも平然としていた事に戸惑ったのか、梨絵は若干素に戻って小首を傾げた。ケイは、そんな彼女の表情を注意深く観察しながら、復讐の例を挙げる。




「単に酷い目に遭わせたいとか、反省させたいとか。あるいは――殺したいとか」


「っ……」




 思わずといった様子で、息を呑んだ梨絵の表情が強張る。暫しの沈黙後、彼女は絞り出すように呟いた。




「……出来るなら、殺してやりたいとも、思ってる……」


「ふむ……」




 誘惑の演技も忘れて視線を落としている梨絵を観察した限り、その復讐心は根深そうではあるが、それほど強い殺意までは感じられない。


 恐らく梨絵は、清二を明確に殺そうとまでは思っていないのだろう。それを確かめるべく、ケイはもう少し詳しい背景を聞き出そうと質問を続ける。




「そこまで恨んでる相手と、どうしてこんな場所まで旅行を?」


「……人に見られたくなかったのよ」




 邪魔が入らないように考えたという梨絵のシンプルな答えに、ケイはなるほどと納得する。今の梨絵は、戸羽清二に気に入られる為に『傍若無人な不良娘』を演じているのだ。


 自殺したという彼女の親友が余程遠い町で働いていたならともかく、家が近かったり、地元の町での出来事だった場合は、梨絵の他の友人や知り合いに見つかる危険性が高い。


 梨絵と清二の事を知る者がおらず、手っ取り早く親睦も深められる環境を求めるなら、なるべく人の少ない閑散とした観光地に旅行するのは中々悪くない方法だと思えた。




 復讐目的で清二に近づき、自分に十分惚れさせてからこっ酷く振る。梨絵の復讐計画はその程度の内容だったのかもしれない。


 しかし、このツアー中に心中事件や、事故死に見せ掛けた殺人を目の当たりにして、本気で清二の殺害を考えるようになった――恐らくそんなところだろうと、ケイはループした前二周の流れから分析した。




(梨絵の犯行は、元々誰かに協力を求めるパターンだった? その相手が、これまでは加奈だった、という事か?)




 今回は心中事件も恵美利の事件も起きていないので、加奈のスタンガンは梨絵の手に渡らず、清二を洞穴に誘い出す計画も立てられる事が無かった。


 代わりに、清二と何らかのトラブルを起こして一人で飛び出した梨絵は、こうしてケイに協力を求めている。


 ケイは更に詳しく、何があって部屋を飛び出して来たのかを問うた。すると梨絵は、半脱ぎにしていたケイの上着を羽織り直しながら、少し顔を赤らめて言い難そうに説明する。




「あいつ……その、求めて来ちゃったから……それであたし」


「あー……」




 なるほどねとケイは察した。これまで三日目の夜に梨絵が動いていたのは、清二に身体を求められたからなのだろう。


 旅館内では声が部屋の外に漏れるので嫌だ、洞穴でしようよ等と言って誘い出し、そこで加奈に借りたスタンガンを使っていた。今回は求められ、追い詰められた梨絵は、逃げ出した。




 何事も無く平穏に、とはいかないようだが、完全に新しい流れが出来ている。死者を出す事無く全員無事にツアーを終えるという目標に向けて大きく前進した。


 ケイはそう確信する。




(それなら、多少面倒事を引き受けても構わないかな? せっかく記念撮影会で和んだ空気を崩す事になるけど……)




 梨絵にも一度殺されているケイとしては、復讐心を燻らせた梨絵をそのままにしておく方が危険だと判断した。条件さえ調ってしまえば、梨絵も殺人という行為を選択してしまえる人間なのだ。勿論これは梨絵や加奈、城崎達に限った話ではないが。




(哲郎に説明しておくのは当然として、杵島さんと城崎さん、加奈や恵美利達にも根回しが必要になるかもしれないな。まあ、とりあえず今やるべき事は――)




 ケイは梨絵の復讐がなるべく穏便に終わるよう画策し始めた。




「内容次第では手伝う事もやぶさかでは無いけど、復讐の着地点は決めてるんですか?」


「え……? ち、着地点?」




 何それ? と戸惑いを浮かべた梨絵に、ケイは手慣れた風を装いながらじっくりと説明する。




「どういう状態をもって復讐を完了とすべきか、その線引きですよ」


「そ……そんな事言われても、よく分からないわよ……」




 梨絵との会話で完全に主導権を握ったケイは、このまま思考を誘導する。




「例えば、旅行先で女を取られた情けない男という惨めな状況を作るとか、修羅場を演出して皆の前で彼が振られる形にする事でプライドを圧し折るとか、そういう具体的な方針や内容です」




 分かり易く説明しながら参考例を並べる事で、復讐内容が穏便なものになるよう選択肢を絞っていく。やるなら効果的にやった上で、後腐れの無いようきっちり終わらせる。


 尾を引くと、後々拗れて厄介な事にもなり兼ねない。




「実行中はお互いに身の安全も図らなくちゃならないし、旅館の従業員や他のツアー客にも迷惑が掛からないようにしないと」




 それを聞いてハッとなった梨絵は、神妙な表情で頷いた。




(やっぱり根は善人なんだな)




 なりふり構わず周囲の事など顧みない、という行動に出られない辺り、やはりこちらは加奈や城崎と違って、『殺意有りき』では無かったのだろう。ケイは改めてそう確信した。




「じゃあ、この後旅館に戻ってからの行動と、明日からの活動について、ある程度の方針と計画を立てておきましょう。とりあえず、私物はいつでも持ち出せるよう纏めておいてください」


「わ、わかったわ」




 テキパキとしたケイの取り仕切りにすっかりお任せモードとなった梨絵は、ケバさも目立つ『傍若無人な不良娘』な見た目とは裏腹に、とても従順な『ささやかな復讐を狙う娘』と化していた。












 丘の上から戻る道中、梨絵には旅行に来るまでの流れも詳しく聞いておいた。清二とは、ここに来る三日前に知り合った事になっているようだ。


 清二がよく訪れる繁華街などで待ち伏せして、ナンパを誘発。まんまと乗って来た清二にツアー旅行の相手を探していると偽って誘った。




「そんなあっさり誘発とか出来るもんなの?」


「ゲームセンターとかで目が合っただけで声かけて来たわよ?」




 クレーンゲームの前で所在無さげに立っているだけで、複数のナンパ師が寄って来るそうな。


 梨絵は親友関係で清二の事を知っていたが、清二は梨絵とはその時が初対面。実質、知り合って一週間も経っていない関係という事になる。




 それなら、『即席カップルが旅行先で破局した』、くらいの出来事に収められる。清二が梨絵にストーカー並みに執着しなければ、後々拗れる事もないだろう。


 ――というのが、ケイの見解であった。






 丑三つ時な深夜過ぎ。広場の祠で手を合わせるケイ。石神様が響いたのを確認すると、梨絵に声を掛けた。




「じゃあ行こうか」


「何か御利益でもあるの?」




 梨絵はハテナ顔で問う。




「まあ、願掛けみたいなもんだよ」




 ケイはそう言って歩き出すと、梨絵に次の行動を促した。


 旅館内に戻った二人は、梨絵と清二が泊まっていた204号室の前までやって来る。頷き合い、梨絵はケイに借りた懐中電灯を手に、こそーっと部屋に入って行く。


 やがて、私物を持った梨絵がそそくさと出て来た。清二は寝ていたそうだ。




「よし、それじゃあ部屋に行こう」




 とりあえず、梨絵を連れて201号室に戻ったケイは、彼女を部屋へ招き入れた。




「おじゃましまーす……」




 部屋の寝室側では哲郎が寝ているので、奥のソファーがある小部屋に案内する。時刻は午前3時を回っていた。このまま夜明けまでの数時間を過ごす。


 ケイは仮眠を取っていたので平気だが、梨絵は昨日から起きていたので眠そうだ。




「布団と毛布はこれつかって。ソファーで大丈夫?」


「うん、ありがと」




 そうして、梨絵はケイ達の部屋で朝まで眠る事になった。






 明けて翌朝。


 今日は珍しく早起きな哲郎が、寝ぼけ眼で挨拶する。




「おはよー相棒――え、なんで居るの……?」


「おはよう哲郎。ちょっと事情があってな」




 朝起きたら部屋に梨絵が居た事に、びっくりの哲郎。ケイは哲郎にも協力してもらうべく、まだソファーで眠っている梨絵の事を説明する。


 彼女の親友が昔、清二と付き合っていたのだが、女癖の悪い清二に裏切られて酷く傷付けられた。梨絵はその報復目的で正体を偽り、清二に近づいた、という内容にしておく。


 梨絵の親友が自殺したという部分は伏せた。




「そんな訳で、ちょっと戸羽さんと揉める可能性があるんだけど」


「な、何かドラマみたいだなっ」




 哲郎はそう言いながら、協力する事に快く了承してくれた。この後、加奈と恵美利にも根回しして協力して貰う予定だ。


 流石に男二人の部屋に寝泊まりさせるわけにもいかないので、彼女達の部屋に泊めて貰えるよう頼む方針で考えていた。


 そんな話をしていると、梨絵が目を覚ました。




「おはよう」


「あ……おはよ~」




 毛布に包まったままソファーから起き上がった梨絵が「はふぅ」と欠伸を出しながら伸びをする。単なる寝起きの一コマでしかないのだが『若い女性の寝起き姿』に耐性の無い哲郎が緊張していた。




 そろそろ恵美利達が部屋から出て来る頃かと、ケイは廊下に出て待機に入る。すると予想通り、お隣の203号室から加奈が現れた。




「加奈ちゃん」


「あ、曽野見さん、おはようございます」


「おはよう。ちょっといいかな」




 加奈に声を掛け、恵美利も出て来たところで二人を自室に呼び込む。


 ケイに「部屋で話したい事がある」と誘われた加奈と恵美利は最初、戸惑っている様子だったが、ケイ達の部屋に梨絵が居るのを見て『一体何事か』と思ったらしく、話し合いに応じてくれた。


 そうして、二人にも哲郎にしたのと大体同じ内容の事情を手早く説明し、協力を求める。




「へぇー、牧野さんにそんな事情が……分かった、あたしも手伝うよ」


「……私も、かまいません」




 恵美利は「ケイ君には借りもあるし」と言った具合に、結構ノリノリで手伝いを申し出た。加奈も何か思うところあってか、協力する事に反対はしなかった。




「じゃあ、みんなで朝食に行こうか」


「賛成ー」




 こうして加奈と恵美利を味方に付けたケイ達は、揃って食堂へと向かうのだった。






 食堂にやって来ると、杵島と城崎が既に席に着いていた。戸羽清二の姿は無い。ケイはこれ幸いと、年長組みの二人にも事情を話して根回しをしておく。


 配膳に来た食堂のおばちゃんも、ケイの話に興味津々で耳を傾けている。おばちゃんに情報を与えておけば、そこから旅館の他の従業員達にも伝わるだろう。


 この時、梨絵はおばちゃんに先日までの非礼を詫びていた。




「この前は、失礼な態度を取ってすみませんでした。今回また、ご迷惑をお掛けしますが……」


「いいのよー、大丈夫よー、そんな気にしなくても。癖の悪い男は懲らしめてやんないとー」




 事情を聞いた杵島が若干、引き攣っている。城崎は昨日までとはうって変わって穏やかな様子。二人ともケイ達の活動に協力する事を約束してくれた。


 といっても、杵島と城崎には特にこれという役割は無い。大人グループである彼等には、事情を知った上で見守ってくれていれば十分だ。




 その時、食堂に清二がやって来た。梨絵を見つけると、険しい表情を浮かべながら足早に近付いて来る。


 梨絵の両隣は加奈と恵美利、城崎で固められ、対面にはケイと哲郎、それに杵島が座っている。テーブルで一塊となった、グループバリアーとも言うべき全員の視線が清二に向けられる。


 そんなプレッシャーを物ともせず、清二は梨絵を連れ出しに掛かった。




「リエ、ちょっと来い」


「いかない」




 梨絵はぷいっとそっぽを向いて拒否する。すると清二は、梨絵の腕をつかんで強引に連れて行こうとした。




「いいから来いって!」


「ちょっと――放してよっ」




 力付くで席を立たせようとする清二に抵抗する梨絵。隣に座っていた加奈達が小さく悲鳴を上げて身を縮める。


 これはまずいと思ったケイが宥めに動こうとした時、杵島が立ち上がって横から清二の腕をつかんだ。




「およしなさい」


「ぁあ?! んだくらぁ!」




 俄かに物々しくなる食堂。杵島と清二の膠着した睨み合いで緊張が高まっていく。そこへ、旅館の従業員を纏める爺さんが、若い衆と共に現れた。おばちゃんに呼ばれたらしい。




「お客さん、暴れられっと困るけぇ、落ちつきゃんせ」


「……ちっ クソが」




 流石に分が悪いと悟ったのか、清二は悪態を吐きながら食堂を出て行った。緊張が解かれ、皆がほっとした様子で肩の力を抜く。




「えっと……皆さんありがとうございました」




 梨絵は、自分を庇ってくれた皆に感謝を述べた。


 恵美利と加奈は「どきどきしたねー」と手を取り合ってはにかみ合い、哲郎は「連帯感が半端無かった」と興奮気味に緊張していた。食堂のおばちゃんも「青春だわー」などと楽しそうだ。


 城崎が杵島に「素敵だった」と褒めると、杵島は満更でもなさそうに照れながらも得意になっている。家に帰れば、彼には破滅が待っている事を知るケイは、少し微妙な気分になったが。




 ともあれ、不良女の演技を辞めた梨絵の、清二との最初の接触は無難に乗り越えられたようだ。食事を済ませたケイ達は、梨絵の荷物を取りに一度201号室に集合すると、これからの事を相談し合う。


 現在201号室には、ケイと哲郎の他、梨絵と加奈、恵美利がテーブルを囲んでいる。大人組の杵島と城崎は自室に戻っている。


 部屋の女性率の高さに哲郎が緊張しているが、それはさておき――




「とりあえず、戸羽さんにはこのまま振られ男になって貰うか」




 今後はなるべく清二と顔を合わせないように立ち回る事で、相手を刺激しないよう気を付けつつ、残りの日程を平穏に終えるという方針を掲げるケイに、梨絵や加奈と恵美利、哲郎も賛同した。


 梨絵が外出する時には、必ず集団行動を心掛ける。最終日まで加奈と恵美利の部屋に泊めて貰える事になっているので、今日からは女性三人組で行動する。


 加奈と恵美利に都合が付かない時は、ケイや哲郎、もしくは杵島と城崎に頼る。




「後で杵島さん達にも話を通しておこう」


「何から何まで……お世話になります」




 梨絵はそう言って恐縮しきりだった。


 その後、今日はこれからどうしようかと予定を話し合っていると、私物の整理をしていた梨絵が怪訝な表情を浮かべて鞄の中をごそごそし始めた。気になったケイが声を掛ける。




「どうしたの?」


「え? ああ、ちょっとね……」




「何か無くなってるとか?」


「う、うん……」




 どうやら昨晩、梨絵が部屋を出て行った後、清二は梨絵の荷物を漁ったらしい。隣で聞いていた恵美利が、思わずといった感じで毒吐く。




「うわ、それさいてー」




 女性陣からの評判がますます下がっている清二。何が無くなっているのかケイが訊ねるも、梨絵は詳細をはぐらかした。




(まあ、個人の持ち物とかあまりプライバシーに突っ込むのも良くないか)




 それが生死にかかわる重要アイテムだったりするなら話は別だが、と、ケイは梨絵の無くなった私物について無理に聞き出す事をやめた。




 結局、今日は外出を控えようという話になり、皆で部屋に籠もって過ごす事に決まった。哲郎のPCにボードゲーム系のソフトも入っているので、それを使って遊ぶ。




「それじゃあ一度解散しよう。俺達は下の風呂に入って来るから、また後でここに集合って事で」


「うん、分かった」




 梨絵の事をよろしく頼むケイに、加奈と恵美利は快く引き受けてくれた。梨絵は今日からツアー最終日の明々後日まで、二人の部屋に泊めて貰う。


 加奈、恵美利、梨絵の三人がケイ達の部屋を後にすると、ケイは哲郎と連れ立って入浴道具片手に一階の大浴場へ向かった。




「いや~、この旅行で相棒と知り合えてほんとに良かったわ~」




 哲郎は「今まで生きて来た中で最も充実した時間を送れている気がする」と上機嫌だ。


 これまでは家でも旅行先でも一人で行動するのがほとんどで、女性グループと同じ部屋でゲームをして楽しむなど、もはや別世界の領域だという。




「まさかのリア充デビュー! 持つべきは高レベルコミュスキル持ちの友!」


「ははは、でもあんまり浮かれて羽目外し過ぎると、スベるぞ~?」


「それは怖い」




 そんな調子で哲郎と会話を楽しみつつ、ケイは久方ぶりにゆったりした時間を満喫出来た。何せ、ループを含めてここ数日、ずっと気を張り続けていたのだ。流石に精神的にも疲労が溜まる。


 ようやく一段落つけたという事で、少々長湯をして大浴場を後にした。






 ケイと哲郎が大浴場から戻って来ると、恵美利と加奈がケイ達の部屋の前でうろうろしていた。加奈がこちらに気付き、隣に立つ恵美利に声を掛ける。




「恵美利、曽野見さん達戻って来たよ」


「ああ、ケイ君!」


「加奈ちゃん、恵美利、どうしたの?」




 少し焦っている様子の二人に、ケイは嫌な予感を覚える。そして、その予感は当たっていた。




「牧野さんが――」




 梨絵が清二に連れ出されたらしい。恵美利の話によると、部屋で梨絵を含め三人で過ごしているところへ、清二が訪ねて来たという。


 応対した梨絵と何事か小声でやり取りをした後、二人で出掛けて行ったそうだ。加奈がその時のやり取りを少し聞いていた。




「微かにですけど、『お前、ヤナセの――か?』と訪ねているのが聞こえました」


「ヤナセ……? 人の名前か何かかな」




 覚えの無い名称が出て来た事に、ケイは困惑する。




(もしかして、梨絵の自殺した親友の名前とか……?)




 何れにせよ、あまり良い状況とは思えない。ケイが後を追う事を告げると、加奈と恵美利が手掛かりを教えてくれた。




「二人は海岸線の道を真っ直ぐ進んでました」


「あたしら、外の階段から見張ってたの」




 梨絵が連れ出された後、恵美利達は非常階段の踊り場からこっそり見張っていてくれたそうだ。足取り情報に礼を言ったケイは、入浴道具を哲郎に預けて直ぐさま駆け出した。






 旅館を出たケイは、二人が向かう先を推察する。丘の上には登れない筈なので洞穴、もしくは海岸沿いの道の、右側に広がる雑木林か。




 砂浜海岸には人影が無い事を確認しながら洞穴まで行ってみたが、誰も居なかった。


 ならば雑木林かと海岸沿いの脇道から踏み入り、旅館前までの小道を辿って来たものの、二人の姿は見つからなかった。


 もう一度雑木林の小道を戻り、奥に踏み入れられそうな場所が無いか探して歩く。




(確か、城崎さん達が心中してた場所がある筈だ)




 ケイの推測では、一周目の心中事件の現場で恵美利が死んでいたのは、加奈と恵美利がその場所を見つけたからだと見ている。つまり、二人が見つけられる程度には分かり易い道がある筈だと考える。


 小道の右側に注意しながら進んでいると、海岸線の脇道から入って直ぐの場所に、獣道のようになっている部分を見つけた。先程は小道の先ばかり見ていたので見落としていたようだ。


 よく観察して見れば、道を覆う背高草が所々折れている。人が通った痕跡のようだった。獣道に分け入り、薄暗い雑木林の奥へ進んで行くにつれて、何処からか生臭いニオイが漂って来る。




(……血のニオイか?)




 暗澹たる気分になりながら草を掻き分け、進む事しばらく。少し奥まった辺りで、開けた空間に出た。




(居た……けど――)




 そこには、血濡れでうつ伏せに倒れている梨絵の姿があった。ゆっくりと近付き、周囲を見渡す。清二の姿は見当たらない。近くに潜んでいる可能性もあるが、ケイは特にそちらは警戒せず、梨絵の容態を調べた。




「ひどいな……」




 既にこと切れている梨絵は、頭部が砕かれており、凶器に使われたと思われるソフトボール大の石がめり込んだままになっている。


 大きく争ったような跡は見られないが、梨絵の遺体の周囲には幾つか小物が散乱していた。梨絵の手元に、財布か手帳のような物が落ちている。




(ん、これは?)




 よく見れば、それは定期入れだった。表面には『藍澤愛美』と名記されている。開いて中を確かめると、都内の電車の定期券の他に、仲良く並ぶ姉妹のような女性二人の写真。


 片方は梨絵によく似ているが、写真には『愛美&絵梨香お姉ちゃん』と書かれている。




(姉……家族の写真? しかし藍澤?)




 他に何か書かれていないか調べてみたが、定期券とこの写真の他には特に何も見つからなかった。"ヤナセ"というキーワードも見当たらない。




(どういう事だ?)




 梨絵はなぜこの場所まで清二に付いて来たのか。何を聞いて連れ出されたのか。そもそも、ここまでのループで見てきた限り、清二は意外と小心者である印象が強かった。


 例え梨絵が報復目的で近づいていた事を知ったとしても、それで腹いせに殺人を犯すような人間だとは思えない。それも、ここまで残虐な方法で。




(突発的な行動、と考えられなくもないが――)




 ケイがそこまで考えた時だった。背後で茂みが揺れる音がして落ち葉を蹴る足音が迫り、後頭部に衝撃が走った。相手は確かめるまでもない。


 避ける気も無かったケイは、そのまま前のめりに倒れる。その際、足元に見えた靴やズボンから、背後の襲撃者が清二だと確認出来た。




「お前もっ! お前が――」




 錯乱や狂乱と言えるような清二の喚き声を聞いたのを最後に、ケイの視界が暗転した。






 意識が遠退く。




 石神様が木霊する。




 混濁した意識が覚醒を始め、暗闇に浮かび上がる無数のぼんやりとした光は、やがて枝葉の隙間から見上げる星空に定まる。微かな夜風と、月明かりに照らされる冷えた地面の感触。


 その時、頭上から梨絵の声が響いた。




「ちょっと!? どうしたの、大丈夫!?」




 突然倒れたケイに、驚いた梨絵が駆け寄ったのだ。ここは三日目の深夜過ぎに訪れた、広場の祠前である。




「ああ、大丈夫」




 とりあえず起き上がったケイは、頭に付いた落ち葉を払いながら考える。


 梨絵と清二の関係の他に、梨絵のプライベートな人間関係についても、把握しなければならない情報があるようだ。




「じゃあ行こうか」


「え? う、うん……あんた、ほんとに大丈夫なの?」




 梨絵に心配されたりしつつ、彼女の私物を確保しに204号室へと向かうケイは、この後の行動予定を再構築すると、梨絵を救う為のシミュレートを始めていた。














四周目










 梨絵にはもう少し突っ込んだ事情を聴く必要がある。


 そう判断したケイは、私物の回収を済ませた梨絵を一旦201号室に招き、荷物を置かせてから大事な話があると言ってもう一度外へと連れ出した。


 今度はしっかり防寒対策で上着も羽織って、ある意味安全な丘の上まで戻って来る。




「なんでまたここに……大事な話って何?」




 わざわざこんな場所まで連れて来られて困惑気味な梨絵は、若干不審そうに問う。ケイは真剣な面持ちで梨絵に向き直ると、おもむろに訊ねた。




藍澤あいざわ愛美あいみ絵梨香えりかという名に心当たりは?」


「っ!? な、なんであんたが」




 目を見開いて驚く梨絵。


 現時点で自分が知っているはずの無い情報を出して踏み込んで行くやり方は、相手に不審感を抱かせるリスクも大きいので悪手寄りだ。


 しかし、ここは少々怪しまれてでも、梨絵のプライベートに突っ込んで事情を把握しておく必要があると判断した。


 単に清二と接触させないようにして、殺傷事を回避するだけではダメだ。このままでは、旅行が終わった後も、梨絵は清二に命を狙われ続ける可能性がある。




「あと、"ヤナセ"について何を知っているのかも聞いておきたい」


「……」




 清二が梨絵を連れ出せたキーワード。


 梨絵が部屋を飛び出した事を切っ掛けに、彼女の私物を漁った清二は、何かを見つけてそれを懐に入れた。梨絵が荷物から無くなっていると言っていた物。


 恐らくそれが、清二が梨絵を殺害する切っ掛けに結びついていると思われる。




 加奈達から聞いた、梨絵が連れ出された時の状況を察するに、清二は梨絵の荷物に見つけた物から、彼女が"ヤナセの〇〇"の関係者だと考え、問い質した。


 そして身に覚えがあった梨絵は、彼の連れ出しに応じたのだろう。


 今の時点で、清二は梨絵の荷物の一部を手に入れて、彼女が"ヤナセの〇〇"に関わっている人物であると認識している。


 事件は既に始まっているのだ。


 清二が梨絵を殺害するにまで至った動機、彼が抱える問題を明らかにして処理してしまわなければ、この事件は終わらない。




「あんた……本当に何者なの?」


「今はまだ言えない。教えてもいいけど、多分、荒唐無稽な話としか思えないだろうから」




 ケイの答えに、梨絵は眉を顰めながら胡乱げな目を向けて沈黙する。しばらくそのまま見つめ合っていたが、やがて小さく溜め息を吐いた梨絵が、視線を逸らしつつ口を開いた。




「……『あいみ』じゃなくて『あみ』」


「え?」


藍澤あいざわ愛美あみは、あたしの名前。柳瀬やなせ絵梨香えりかはあたしのお姉ちゃん」




 牧野まきの梨絵りえ――本名・藍澤あいざわ愛美あみから聞いた話はこうだ。彼女には柳瀬やなせ絵梨香えりかという一つ年上の姉がいた。


 性が違うのは、彼女達姉妹の両親が離婚したから。原因は、母親の浮気だったらしい。




(つまり、加奈が聞いた『お前、ヤナセの――か?』は、『お前、柳瀬の妹か?』って事か)




 当時、高校三年生だった愛美は父方に引き取られ、これまでと同じく父の家で暮らしていたが、母方に引き取られた絵梨香は、母の再婚相手と折り合いが悪く、間もなく家を出た。




「その内、生活難で夜の店に勤めるようになってね……あたしは時々会ってたんだけど」




 その姉が熱を上げていた男が戸羽清二。姉が働く店の常連客だったらしい。この時点では愛美と清二に面識は無かった。


 そんな姉は、ある日、住んでいたアパートで首を吊った。




「ようは、弄ばれて捨てられたっていう、よくある話よ」




 愛美は、姉の荷物整理をしている時に見つけた携帯のメールを読んで、失恋が自殺の原因らしいと思ったそうだ。


 姉が単にそういった経験に乏しかった為、深いショックを受けたのかとも考えていたが、姉が勤めていた店に挨拶に行った際、携帯画面で見た清二の姿を見掛けた。


 その時の清二は、店の女の子を侍らせながら、「遊びの女に飽きたから捨てたら自殺した」と、笑いながら吹聴していた。




 あの男は姉を侮辱した。苦しい境遇の中、少女のような笑顔で彼氏の事を惚気ていた姉の、最期の姿が、愛美の中でフラッシュバックする。




『あの男、許さない』




 そうして復讐を決意した愛美は、清二が好みそうな軽い女を演じて近づいた。




 始めこそ殺意を秘めていた愛美だったが、話してみると気さくな人柄で、粗暴なところもあるが小心者。一生懸命見栄を張ろうとしているのが分かってしまい、あの時のあの態度も、姉の自殺にショックを受けているがゆえの空威張りだったのでは? と思うようになった。


 姉の事を聞いてみたいとも思ったが、復讐目的で近づいている身である以上、今さら姉の妹だと名乗り出るのも何だか憚られた。


 流石に身体の関係にまでなるつもりは無かったので、求められた時は本当に困ったそうだ。




「――で、今に至るってわけ」


「ふむ……なるほどね。色々話し辛い事まで言わせちゃってごめん」


「……まあ、いいけど……」




 真摯に謝罪するケイに、梨絵――愛美は、視線を逸らしながらそれを受け入れた。






 旅館に戻って来たケイ達は、201号室に直行して夜明けまでの時間を過ごす。前回同様、愛美はソファーを借りて仮眠に入った。


 前回よりは少し睡眠時間が短くなるが、概ね同じ流れを辿っている。現状をそう推測するケイは、この後の展開も出来るだけ前回と同じ流れにするよう考えていた。


 少し危険だが、清二があの現場で何を話したのか知る必要がある。愛美を殺害するに至った理由。




(タイムスケジュールで変更する箇所は、哲郎が起きてからと、朝食後の風呂のところからだな)




 やがて珍しく早起きな哲郎が目覚めると、自殺云々の話や梨絵=愛美という部分は伏せつつ事情を話し、協力を取り付ける。愛美には、もうしばらく偽名である『牧野梨絵』でいて貰う。




「ところで哲郎、ボイスレコーダーとか持ってないか?」


「あ、持ってる」


「おお、流石」




 無ければ携帯の録音機能でも使おうと思っていたケイだったが、哲郎は写真つき旅行ブログなど開設しているだけに、カメラの他にもそういった小道具を一通り揃えているようだ。




 そうこうしている内に愛美も目を覚ましたので、哲郎のボイスレコーダーを渡しておく。




「常に持ち歩くようにして、もし戸羽さんと二人きりになりそうな時は起動させるように」


「……これ、どうやって使うの?」




 愛美は、寝起きでボーっとしているところによく分からない機械を渡されて呻く。




「哲郎、出番だ」


「え」




 ボイスレコーダーの使い方レクチャーを哲郎に丸投げしたケイは、そろそろ加奈達が部屋を出て来る頃だと廊下に向かう。


 ふと振り返れば、操作法を教わる愛美は哲郎の隣に身を寄せ、手取り足取りの指導になっており、哲郎が緊張しまくっていた。




「じ、自動録音の時は、う上のスイッチをすすスライドさせて――」


「ここ?」




(テンパってる、テンパってる)




 ケイはそんな平穏な光景に和みつつも、この後に来る修羅場に備えて、気持ちを引き締めながら廊下に出た。


 そこからは、加奈と恵美利を部屋に呼び込んで協力を取り付け、食堂で杵島と城崎に根回しを行い、食事中にやって来た清二とのイザコザと顛末まで前回と同じ流れが展開された。


 愛美を加奈と恵美利の部屋に泊めて貰うという話も纏まり、愛美の荷物から物が無くなっている事が明らかになるところまで事態が進んだ。




「それじゃあ一旦解散しよう。俺達は下の風呂に入って来るから、後でまた集合って事で」


「うん、分かった」




 いよいよ、大きく流れを変えるポイントが訪れる。現在ケイは、哲郎と連れ立って大浴場に向かうべく、入浴道具を持って部屋を出たところだ。




「哲郎、ちょっと用事があるから先に行っててくれ」


「ん? いいけど、相変わらず忙しいな、相棒は」




 哲郎はそう言いながら「荷物を一緒に運んでおくよ」と申し出たので、ケイは自分の入浴道具を預けて走り出した。


 今の時点で、愛美は加奈、恵美利達と共に203号室に居るのが確認出来ている。この後に愛美は清二に連れ出されるはずなので、そのタイミングを見越して手を打っておくのだ。


 広場の祠までダッシュしたケイは、石神様に念じて現在の状態を記録した。




(これでよし、次に何かあったらここからだ)




 石神様が響いたのを確認すると、予定通り大浴場へ向かった。






(ん……?)




 大浴場の入り口まで来たケイは、周囲を注意深く観察していてそれ・・に気付いた。


 廊下の奥の休憩所、加奈と恵美利の和解をセッティングした場所に、清二らしき人影が見えた。壁の向こうからこちらの様子を覗っている姿が、奥の窓に映っていたのだ。




(なるほど、この時に俺達の動きを見張ってたのか)




 ケイは気付かぬふりをして、そのまま大浴場へ入って行く。




「おー、来たか相棒」


「またせた」




 一応、手早く湯をかぶって汗を流すも、湯船に浸かる間もなく直ぐに出る。時間にして約五分。まさに『カラスの行水』であった。




「早いよ相棒!」


「悪い、実はまだ用事の途中なんだ。哲郎はゆっくり入っててくれ」




 ケイはそう言って詫びると、急いで着替えを済ませて大浴場を後にした。連れ出される愛美達と鉢合わせにならないよう、慎重に客室へ向かう。


 客室の並ぶ廊下までやって来たケイは、非常階段の出入り口前に立つ加奈と恵美利を見つけた。




「あっ、ケイ君! 加奈、ケイ君が戻って来たよっ」




 恵美利がこちらに気付き、出入り口から顔だけ外に出していた加奈の背中をぽんぽん叩く。二人はケイに、愛美が連れ出された事を訴えた。


 どうやら清二は、ケイが大浴場に入るのを見届けてから直ぐに行動したらしい。




「今、海岸沿いの道を歩いてます」




 加奈がそう言って、非常階段の出入り口から外を指差す。見れば、遠くに愛美と清二の姿を確認出来た。走れば直ぐに追いつける距離だ。




「加奈ちゃん、君のスタンガンを貸してくれ」


「え!? あ、は、はいっ!」




 加奈と恵美利は、一瞬驚いた様子を見せるも、何か納得した表情を浮かべた。部屋に駆け戻った加奈が例のスタンガンをホルスターごと持って来る。




「どうぞ。充電はしてあります」


「ありがと」




 ケイは短く礼を言ってそれを受け取ると、ベルトの後ろに装着しながら旅館の玄関に向かった。場所は分かっているので、愛美が殺される前に割って入れるはずだ。




(失敗したら出来るだけ情報を聞き出して、自殺でやりなおしだな)




 ケイとしては、自殺して時間を遡る方法は、正直なところあまり使いたくはない。


 しかし今回は愛美が危険な目に合うと分かっていて、情報収集の為に流れを変えなかったので、自分もその責任を負う覚悟でこの問題に臨む。




(愛美を、ちゃんと生かして返すようにしないと)




 旅館を出たケイは、砂浜海岸を左手に見ながら海岸沿いの道を駆け抜けていった。












 海岸沿いの道から雑木林に繋がる脇道に入ったケイは、そこからぱっと見では分かり難い獣道に分け入った。姿勢を低く取りながら、足音を立てないようにそっと進む。


 そうして少し奥まった場所にある開けた空間の手前までやって来ると、愛美と清二の会話が聞こえて来た。




「ヤナセに聞いたんだろ?」


「聞いたって、何を?」




 清二は何かを確認するように問い質し、愛美は困惑した様子で何の事かと聞き返している。ケイは腰のスタンガンに触れて確認しつつ、息を潜めて二人のやり取りに耳をそばだてた。




「トボけんなよ! 輪姦まわされたってチクッたんだろ!」


「マワ――? なに、言ってんの……?」




 声を荒げる清二が焦りを募らせているのとは対照的に、愛美はますます困惑を深めているようだ。




「先輩の事……ポリにチクられるとマジヤベーんだよ」


「ちょっと、どういう事よ? お姉ちゃんと何があったの?」




 愛美は、自分が知っている情報の擦り合わせをするので、始めからきちんと全部話すよう清二に要求している。直ぐ近くに潜んで二人の様子を覗っているケイは、今のは良い誘導だと頷いた。


 彼女の手がさり気なく上着の胸元に触れたのは、恐らく内ポケットに哲郎のボイスレコーダーが入っているのだろうとケイは推察する。


 ちゃんと起動させていれば、ここでの会話が記録されているはずだ。






 そうして清二から語られた内容は、愛美を絶句させるものだった。彼女の姉、柳瀬絵梨香が自殺した原因は、清二に弄ばれて捨てられたという、失恋によるショックなどではなかった。


 当時、柳瀬絵梨香と付き合っていた清二は、自分の住むアパートを訪れた素行の悪い先輩から、無理難題を要求された。




『お前の女抱かせろや』


『フーゾクで働いてんなら別にいいだろ?』




 清二はこれを断れず、絵梨香を呼び出した。何も知らずにアパートにやって来た彼女は、清二の見ている前で襲われた。その二人は部屋を去る際――




『なかなかええ具合やったわ。二千円でええやろ?』


『また溜まったら頼むで』




 これにへらへらと頭を下げながら金を受け取る清二の姿を見た絵梨香は、強姦された挙句恋人に裏切られた事に絶望して、自殺に至ったのだ。






 清二は、絵梨香に妹が居る事は聞いていたが、顔は知らなかった。『梨絵』の荷物から定期入れとその中の写真を見つけて、梨絵が愛美である事、そして絵梨香の妹だという事に気付いた。


 愛美が絵梨香から事情を聞いていると思っていた清二は、それで先輩達の情報を探りに来たのではと疑ったらしい。




 勿論、愛美はそんな事があったなど全く知らなかった。姉が受けた仕打ち、自殺した本当の理由を知ってショックを受けた愛美は、清二を厳しく批難した。




「あんた、彼氏の癖に何してたのよ! 何でお姉ちゃん守らなかったのよっ!」


「しょーがねーだろっ! あの人ら、マジでキレてんだぞ! 逆らったら殺される!」




「……っ! こんな、根性無しの男の為に……――最っ低!!」




 遣る瀬無さに憤る愛美が、吐き捨てるように罵倒する。しかし保身に走る清二は、事件が周囲に露見して先輩に睨まれる事ばかり気にしていた。




「なあ、他の人に言うなよ? お前の親とか、あの店でも喋るなよ? 先輩にバレたらマジでヤバいからな」




 そんな清二の言葉を聞いた愛美の顔から、表情が消えた。これはマズいと判断したケイは、ここで茂みから立ち上がる。この後の展開は容易に想像出来る。恐らく前回は、ここで警察に訴えると言い出した愛美に、焦った清二が保身と隠蔽目的で殺害に至ったのだろう。


 愛美が何かを言う前に、ケイは二人の前に姿を見せた。




「お、お、おまっ! なんでっ 今の、聞いて……っ! リエお前、こいつにっ」




 ケイが現れた事に目を剥いて驚いた清二は、かなり動揺した様子で意味不明な言葉を喚く。




「まあまあ、落ち着いてください。二人ともとりあえず旅館に戻りましょう」




 人の多い場所に移ってしまえば滅多な事は出来まいと考えたケイは、清二より語られた衝撃的な話からひとまず愛美の意識を外すべく、双方を宥めに掛かった。


 愛美は何か言いたそうに、訴えかけるような表情を向けて来る。ケイはその目を見つめ返しながら、もう一度ゆっくり諭す。




「みんな、心配してますよ」




 この場所は良くない。今ここで清二を追い詰めるべきではない。そういう気持ちを込めたケイの眼差しが伝わったのか、愛美は少し眉尻を下げた。


 彼女が胸中の憤りをひとまず収めたのが分かり、ホッとしたのも束の間。清二の様子を見やると、彼は気忙しげに手を彷徨わせながら、周囲や足元に視線を這わしている。


 その動きにピンと来たケイは、そっと自分の腰裏に手を回してスタンガンのホルスターカバーを外した。あれは、『武器を探している』のだ。




 やがてソフトボール大の石塊を見つけた清二が、それを拾い上げる。同時に、ケイはスタンガンを抜いた。


 ケイが突然黒っぽいテレビのリモコンのような物を手にした事に、愛美はきょとんとした表情を浮かべたが、ケイがじっと見つめている視線の先、清二を振り返って息を呑む。




「っ……!?」




 血走った目をした清二が、大きな石塊を手に、にじり寄ろうとしていた。思わず後退る愛美。


 その時、カカカカッという乾いた音が響き渡り、閃光が瞬いた。ケイがスタンガンのスイッチを押して電極に放電を発生させ、威嚇したのだ。


 ケイのスタンガンを見た清二が動きを止める。不穏な空気が漂い、緊張が高まる中、ケイは清二と正面から向かい合った状態のまま、愛美に旅館へ戻るよう促す。


 臨戦態勢の男二人が無言で睨み合う間に立つ愛美は、交互に視線を向けて戸惑いながらも、ケイの指示に従いこの場から離れて行った。




 愛美の姿が完全に見えなくなるまでの間、清二は今にも襲い掛かって来そうな雰囲気を醸し出していた。


 恐らくその内心では、自殺した元恋人の妹が正体を隠して自分に近づいて来た事に対する不安と、それに動揺するあまり余計な部分まで喋ってしまった後悔や、焦りに苛まれていたのだろう。


 清二は、愛美の口から先輩達の所業が公に曝され、それによって自分が先輩達に報復される事を恐れている。ケイはそう推察した。




(ここは説得して収めるか)




 ケイは、清二の不安を和らげる事で落ち着かせようと試みる。今の清二は、追い詰められて切羽詰まった興奮状態にある。基本的に小心者であるが故の暴走。


 一度冷めてしまえば、愛美を殺害して口封じなどという短絡的な選択は取れなくなるはずと見ていた。


 特に、第三者であるケイに詳しい事情を知られたという現状は、清二の心理に大きく影響する。これにより、旅行が終わった後も愛美が命を狙われ続ける可能性は低くなった。


 愛美に何かあれば、ケイが動くという図式が出来たからだ。




「とりあえず、少し話をしましょうか。まずはその石を捨ててください」


「お、お前のソレも捨てろや!」




「これは借り物なので」




 清二の動揺から来る反論にもなっていない戯言は流しつつ、ケイは諭すように語りかける。




「不安なのはわかりますが、状況を悪化させない方がいい。今なら過去の事で済ませられる」




 ケイは、状況的に警察は動かないであろう事を挙げ、しかし今ここで傷害などの事件を起こせば、原因となった過去の出来事にも捜査が及び、芋づる式にその先輩達もあぶり出されると示唆する。




「今回のケースの場合、告訴した側が柳瀬さんの自殺の原因との因果関係を証明しなければならないので、立件は難しいでしょう。愛美さんは簡単には納得しないでしょうけど、説得は出来ます。ただ、柳瀬さんのご両親の耳に入ればどう動くかは未知数です。その先輩方に何らかの社会的制裁が下される事を望まれるかもしれません。戸羽さんは、その先輩達とは縁を切れないんですか?」




「え、え? 縁切るつっても、オレん家知られてるし……電話番号も……」




 ケイの唐突な理詰め質問攻めに怯む清二。ケイは特別難しい事を言っている訳ではないのだが、清二にとっては専門用語満載で捲し立てられているかのような圧力を感じていた。――それを狙っての長口上であった。




「繰り返しますが、まずは状況を悪化させない事です。とりあえず一度、旅館に戻りましょう」




 愛美ともきちんと話し合い、今後の身の振り方を考える事で自分の身の安全も計れると促すケイに、清二はみるみる闘争心を萎ませる。


 清二の手に握られていた石が、ポトリと地面に転がった。






 ケイが旅館に戻って来ると、玄関ホールのところに愛美と哲郎、それに加奈と恵美利も集まっていた。ケイの姿を見るなり皆が駆け寄って来る。




「ケイ君っ 大丈夫だった?」


「ああ、問題無いよ」




 恵美利がケイの後ろにいる清二を気にしながらも声を掛けて来たので、ケイは特に大事には至らなかったと答えて皆を宥める。


 ふと愛美の様子を見ると、胸元に組まれた手の中に哲郎のボイスレコーダーがあった。恐らく、先程の雑木林でのやり取りを皆に聞かせていたのかもしれない。


 ケイは愛美と清二に、奥の休憩所に向かうよう促した。




「一度しっかり話し合って、双方の考えを纏めておこう。他の皆は……」


「……一緒でいいよ」




 哲郎や加奈、恵美利の顔を見渡しながらどうするべきかと考えるケイに、愛美は他の三人も同席させるよう訴えた。




「巻き込んじゃって、悪いけど……」




 そう呟く愛美に、三人は揃って了承の頷きで答える。どうやらケイが清二と対峙している間に、愛美達の方でも話が進んでいたようだ。彼女に協力する意向で結束が固められているらしい。


 味方が多いのは結構な事だが、それが『強気』を招いて話を拗らせる要因になっても困る。清二は事情を知る者が一気に増えて、かなり居心地が悪そうだ。




(なるべく穏やかな対話になるよう心掛けるか)




 ケイは皆と奥の休憩所に向かいながら、この問題を如何に軟着陸させるかを考え始めていた。












 奥の休憩所にやって来たケイ達は、六人でテーブルを囲って話し合いを始めた。今回の件に関して、まずは情報を整理する。




「まず、愛美――藍澤さんの事情については、ここにいる全員が既に把握してると思う」




 ケイが居並ぶ面々を見渡しながら言うと、各々が頷いて肯定した。愛美の偽名についても、既に説明済であったようだ。




「じゃあ戸羽さんの事情について説明する」




 ケイはまず、清二にとって件の先輩達は、逆らう事の出来ない恐怖の対象である事を前提として、元恋人を守れなかった事を含め、先程の雑木林で愛美を襲いそうになったのも、先輩が怖いという我が身可愛さによる彼自身の保身である事を説明した。




 愛美を始め加奈や恵美利、哲郎達による批難の視線に曝され、清二は黙って俯いている。神妙な面持ちにも、不貞腐れているようにも見える。




(まあ、流石にこの内容を自分の口からは言えないわな)




 ケイは話し合いがただの糾弾会にならないよう、清二の立場にもフォローを入れた。




「確かに彼は、今さっきも許されない行為をしでかしそうになった。過去の出来事も情けないとは言えるが、戸羽さんの不安や保身行為その物は否定できないと思う」




 清二が俯き加減のまま、少し驚いたような表情をケイに向けた。清二の行動に理解を示すような事を言うケイに、愛美と加奈は眉を顰め、恵美利が反発する。




「否定できないって……そんなの」


「うーん……」




 哲郎も腕組みをして難しい顔をしている。それぞれ予想していた反応に、ケイは続けてこう言った。




「誰だって自分が精神的、肉体的な暴力の矢面に立たされるのは怖いさ。それは子供同士のいじめレベルであってもそうだし――」




 ケイのこの言葉に、ハッとなった恵美利は、発し掛けていた糾弾の言葉を飲み込む。彼女には身に覚えがある分、少々耳が痛いだろう。


 さらにケイは、起きた事実を常識的な価値観に基づいて判断して見せ、それを淡々と述べる事で、皆の不安を煽って思考を誘導する。




「――ましてやこの件に関わっている戸羽さんの先輩達がやった事は、堅気の範疇を超えている。一般人ではない人達寄りだと考えた方がいい」




 真っ当? な暴力団員であれば、自分の属する組織に迷惑が掛かるので、今時こんな無茶は出来ないだろう。ならば特定の組織にも属さない社会のはみ出し者か。


 モラルを著しく欠いた暴力的な人間というのは、良心の呵責もなければ、世話になっている組織への面子や仁義にも縛られないという面で、かなり危険だし厄介だ。


 一般人がそういう野放しのアウトローから身の安全を図るには、関わらないようにするのが一番である。




「だから、戸羽さんにも早く縁を切る事を勧めているんだけどね」




 清二にも被害者的な側面があるという論調を匂わす事で、四面楚歌状態にある清二からの信頼を得る。そうする事で、清二にこちらの要求を通し易くなる。


 他の皆も、ケイの説明には感情面では不本意ながら、確かに一理あると納得してくれた。




「でも、じゃあ……どうしたらいいの?」




 ポツリと呟いた愛美に、ケイはこの旅行で『姉の死の真相を知る事が出来た』という一点を成果として、ひとまず収めてみてはどうかと促す。




「色々納得いかない部分はあると思うけど、一度お姉さんのお墓参りに行くとかしてさ、気持ちに整理を付けるのも良いんじゃないかな」


「……そうだね」




 愛美は、納得はしていないが致し方なしといった様子で頷いた。ここで清二を糾弾したところで、何も報われやしないというケイの論調には、一応理解を示しているようだ。


 ケイは愛美から『ひとまずここで収める』という同意を得た事を軸に、この話し合いの最終的な纏めに入る。




「まず、全員この件に関しての真相は口外しないこと」




 愛美の両親に明かすのも、時期を見定めた方がいいかもしれないと促す。


 そして清二には、この件を大事にしない条件として、今後一切この事は喋らない。『柳瀬絵梨香』を侮辱するような発言をしない。愛美にも接触しない。


 そしてなるべく速やかに、件の先輩達とは距離を取って疎遠になるように努力する。という旨の制約に基づいた生活を心掛けさせる。




「どこか遠いところへ引っ越すのが良いかもしれません」


「ひ、引っ越しかー……」




 誰にも行き先を告げず、新天地でひっそりやり直す。これまで清二と交流のあった親しい人達から「夜逃げをした」と思われるような醜態を晒す事になるが、そのくらいの報いを受けるだけの事は、ついさっき雑木林でもやらかしている。




「それじゃあ、藍澤さん。ひとまずこれで手打ちという事にしていいですね?」


「うん……他にどうしようもないし」




 いい案も浮かばないし、と愛美は小さな溜め息を零しながら了承した。




「戸羽さんも、ここで決めた『条件』の履行をお願いします」


「お、おう……でも、引っ越しかー……」




 清二は厳しい糾弾を覚悟していただけに、穏便な話し合いとその結果には安堵している様子だが、仕事や金銭的な負担も掛かる引っ越しには不安を感じているようだ。




「他の皆も、今日ここで話し合った内容は他言無用。厳守をよろしく」


「うん、分かった」


「分かりました」




 恵美利と加奈がそう返答し、哲郎もうんうん頷いて了解の意を示す。




「では、これにて話し合いを終了、解散とします。皆さんお疲れ様でした」




 ケイがそう言って礼をしながら締め括ると、皆もつられて「おつかれさまでしたー」とお辞儀を返す。これをもって、愛美と清二の問題もひとまず片付いた(片付けた)のだった。






 休憩所での話し合いを終え、解散した足で広場の祠前にやって来たケイは、恐らくこの場所では最後になるであろう石神様への祈りを奉げていた。




(流石にもうこれで、ツアーの終わりまでは何も起きないだろう)




 城崎と杵島の無理心中。それに誘発される加奈の恵美利殺害。そこから派生する愛美の清二殺害という死の連鎖。哲郎を除いて、訳アリ旅行者ばかり集まってしまったこの限界集落ツアー。


 三度ほど死に戻りをする羽目になったが、どうにか大元から防ぐ事が出来た。ケイがここ三日間、実質十日余りの出来事を振り返っていると、愛美が声を掛けて来た。




「あの……曽野見くん?」


「ケイ、でいいよ」




 ケイは背中越しにそう言って愛美を振り返る。「じゃあケイくん」と言い直した愛美は、ケイに改めて礼を言った。




「ありがとね。ケイくんが声を掛けてくれなかったら、あたし……どうなってたか分かんなかったと思う」




 姉の真相の扱いや、清二の事についても、ケイが段取りをつけて取り仕切ってくれたおかげで、話し合いもスムーズに進める事が出来たと、愛美は感謝を述べる。


 その上で、愛美はどうしても気になっている事があるのだという。




「ケイくんってさ、やっぱりお姉ちゃんと知り合いだったの?」




 愛美は『牧野 梨絵』としてこのツアーに参加し、『藍澤 愛美』という正体に関しては、一切明かしていなかった。


 にも拘わらず、昨夜のあのタイミングで姉や自分の本名を出して来たケイに、本当は自分達姉妹の事を知っていたのではないかと訊ねる。




「んー……その件に関しましては、また後日説明の機会を設けたいと考えている次第であります」


「ぷっ、何ソレ」




 どこかの政治家みたいと笑う愛美。笑顔が戻って何よりだと思うケイは、一応彼女にはこのツアーが終わってから自分の秘密を話すつもりでいた。信じる信じないは別として。


 今回のような死に戻りが発生する事態に巻き込まれた時は、問題の解決を図る際、さかのぼりの記憶を駆使して周囲の人々に干渉し、自然な流れを作り出して解決に導くのがケイの基本的なやり方だ。


 だが愛美のケースのように、重要な情報を聞き出せるほど親密な関係を築く時間的な余裕が無く、しかしヒントになる手掛かりは持っている、というような状況になった場合。


 手っ取り早く情報を得る為に、その時点で自分が知っている筈の無い手掛かりを対象に突き付けて聞き出すという強引な方法を使う事もある。


 そういう方法を使った相手には、『自分のプライベートな情報を知るケイは何者なのか』という疑念がずっと残る事になるので、問題が解決して安全が図られてから、遡り能力の事を教えるようにしていた。


 反応は様々で、納得する人も居れば、余計に猜疑心を募らせる人も居る。




「帰りのバスとか、電車が同じ方角なら電車の中なり駅近くの喫茶店ででも説明するよ」


「ふーん? ……まあいいか。それじゃ、あたしの連絡先教えとくね」




 愛美はそう言って、ケイにメールアドレスと携帯番号が記されたメモを差し出した。






 201号室に戻って来たケイは、PC作業を一段落させて寛いでいる哲郎に迎えられた。




「おかえり相棒。なんか色々おつかれ」


「ただいま。本当にやっと一息つけそうだよ」




 ケイが初日から忙しなく動き回っていた事を知る哲郎は、改めてケイの社交性の高さを称賛した。加奈や恵美利と親しくなる事から始まり、バラバラだったツアー客を纏めて、全員で記念撮影会を敢行するにまで至ったケイの手腕を称える。




「ほんとに、ケイが言ってた通りになったよね」


「まあ、ちょっと色々トラブルも入ったけどね」




 流石に褒め過ぎだと少し照れるケイは、PC画面をのぞき込んでそこに表示されている写真画像に目をやった。


 哲郎のブログ用写真は既に旅館や周辺の景色も撮り終えているので、今後の撮影の予定は無い。記念撮影会の方は、今の状況で行うのは微妙なところだ。清二だけ省いて続行というのも憚られる。




「残りの記念撮影会は中止だな、やっぱ」


「まあ、そうだよねぇ」




 写真画像をスライドしながら告げるケイに、哲郎も妥当だと同意する。結局、全員集合した写真は丘の上近くで撮った一枚が最初で最後になった。


 集合写真に写っている皆の表情は和やかだ。この時は、ケイも今のような状況になるとは思ってもいなかった。




(けど、誰も死なせずツアーを終えるって目標は達成できそうだ)




 後は残りの日程をつつがなく、平穏に過ごして行けばいい。清二にとっては、愛美を襲い掛けた件もあって針のむしろ状態が続く事になるだろうが、あれは完全に自業自得なので仕方が無い。




「相棒、そろそろ昼食にいこう」


「お、そうだな」




 この波乱に満ちたツアー(主にケイにとって)で、唯一『訳有り』では無い普通の旅行者である哲郎と連れ立って食堂に向かう。




「哲郎は癒しだよ……」


「何それ怖い」




 急におホモ達を連想させるようなセリフを向けられると構えてしまうわと怯む哲郎なのであった。














エピローグ










 色々と訳有りな人が集まってしまったこの限界集落の国内旅行ツアーも、無事に最終日を迎えた。


ケイの推測通り、あれからはこれといったトラブルも起きず、平穏な時を過ごす事が出来た。




 皆で揃って朝食を済ませると、各々部屋に戻って帰り支度を始める。食堂を出る時、おばちゃんを始め食堂で働く全ての従業員達が顔を出して見送ってくれた。




「また来てね~」


「お世話になりましたー」




 最後にそんなやり取りをして、感慨深い気分に浸りつつ旅館を発つ準備が整えられる。出発前に玄関ホールへ下りると、ここでも旅館の従業員達が総出で御見送りに集合していた。


 旅館の周りを掃除していたおじさんや、裏方の若い衆が一堂に会してのお別れと御見送りという演出に、加奈と恵美利が感極まったり、哲郎と清二が貰い泣きしたりと賑やかな出発となった。




「いや~これ、有名な旅館とかでも来た時と帰る時のおもてなしって結構やってくれるけど、ここまでは出来ないだろうなぁ」


「確かに、客は俺達ダケだもんな」




 哲郎が旅館側の対応に感心しつつも、こういう特殊な環境にあるからこその大演出だろうと推察すると、ケイもそれに同意する。


 一般庶民の感覚としては、ここまでされると少々気後れしてしまうが。




 やがてバスがやって来た。帰りは全員が同じ便に乗り、麓にある田舎町の小さな駅へと向かう。そこから隣町の大きな駅に着くまでは、皆一緒に行動する事になっていた。




 対向車も滅多に通らない、高い木々に囲まれた山林の道をバスに揺られながら小一時間。麓の町に近づくにつれて、圏外だった携帯にも電波が入るようになり、メールが届き始める。




「うわっ、数百件とか入ってる」


「六日分だもんなぁ」




 哲郎が自動受信したメール数を見て呻く。その殆どはスパムメールであろうが、大事なメールも交じっているかもしれないので、処理が大変そうだ。


 皆で揃ってメールの処理に携帯と睨めっこを始めたりしつつ、一行が隣町の大きな駅に到着したのは、お昼になろうかという頃だった。


 この駅から、それぞれ自分達の住む町へと別れて行くのだ。




「それじゃあ皆さん、僕達はこれで失礼します。道中お気をつけて」




 杵島はそう挨拶すると、傍でお辞儀をした城崎と共に帰りの列車に乗り込んだ。


 ホームに残ったケイ達は、手を振って彼等を見送る。杵島と城崎は、ケイに感謝を込めたにこやかな表情を向けて去って行った。




(杵島さんは帰ってからが地獄だな……)




 ここまでの道中でメール処理大会になった時、特に動揺しているような様子も見られなかった。家族からの不倫に関する問い合わせメールは来ていなかったと思われる。


 城崎の話では、杵島の奥さんは薄々気付いているらしいとの事だったので、逃げられないように準備万端で待ち構えているのかもしれない。




 後日、哲郎から記念撮影会で撮った写真画像が全員のメールアドレス宛に送られる事になっているのだが、この二人はそれどころではなくなっていそうだ。






「じゃあね、ケイ君、栗原君。また今度連絡するから」


「失礼します」




 加奈と恵美利は、駅でお弁当を買って次の列車で帰って行った。帰りの車内で昼食にするらしい。




「駅弁も旅行の醍醐味だもんな」


「確かに」




 活発な恵美利と大人しい加奈の印象はそのままに、二人は本当の仲良しになったように感じる。ケイはそんな風に思った。




(愛美の件も、良い方に影響したのかもな)






 哲郎と清二は、さらに次の列車で帰るようだ。ケイは念の為、清二に条件履行に関する注意事項として、引っ越しする際のアドバイスを伝えておく。清二は引っ越しの費用や借家の保証人に両親を頼るそうなので、彼の両親は引っ越し先や連絡先も把握する事になる。




「どんな人間が訪ねて来ても『息子が何処に居るのか分からない、連絡先も分からない』で通して、後で誰が訪ねて来たのかこっそり教えて貰うようにしてください」




 件の先輩達が清二をどういう立ち位置に見ているのかは不明だが、もし金づるや良いカモとして見ていた場合、逃げた事を悟って追って来る可能性もある。




「突然姿を消した事で、何かの事件に巻き込まれたと思われるかもしれませんが、退屈しのぎに探りを入れて来たり、弱みを握って付け込むチャンスと考えたりするような人達もいますから」


「ああ……それはあると思う。あの人ら、知り合いで困ってる奴が居たら、何があったかしつこく聞き出そうとするし、大体そこから儲け話に持って行こうとするし……」




 清二はそう言って顔を曇らせる。例えば知人に対人トラブルがあった時、相手を脅す等して手を引かせ、「追っ払ってやったぞ」と恩を着せて謝礼を要求する。


 勿論知人はそんな事を頼んでいないし、トラブルのあった相手とも単なる口喧嘩程度で、いつも直ぐに仲直り出来る関係だったのが、それが原因で疎遠になってしまったり。


 その事を抗議したところで、「助けてやったのに恩知らずが」と逆切れで慰謝料を請求し始める。そんな人達なのだと。




「うわ~……性質悪いなぁ」




 隣で話を聞いていた哲郎が恐々としていた。






「じゃあ、相棒。またなー」


「おう、気を付けてな」




「お前には世話んなったな。引っ越して落ち着いたら、いつか連絡するわ」


「ええ、良いところが見つかると良いですね」




 駅のホームにアナウンスが流れ、哲郎と清二が乗り込んだ列車のドアが閉じられる。出入り口近くの座席に座った哲郎が軽く手を振った。


 清二は向こう側の席に座ったようだ。現在ケイの傍には愛美が立っているので、顔を合わせ難いのだろう。






 哲郎と清二を乗せた列車が、ホームを出て行く。これで愛美と二人きりになったケイは、彼女を誘って近くのファミリーレストランでの昼食を提案した。




「一応簡素にするけど、結構長い話になるんで」


「ふーん? ちゃんと説明してくれるんだ?」




 愛美には、ケイが彼女の本名や姉の事を知っていた理由について、遡り能力の事も含めて明かすつもりでいる。




「それを聞く為に、最後まで残ったんでしょ?」


「まあね。じゃ、いこっか」




 本来なら、愛美も先程の哲郎と清二が乗った列車で帰る予定だった。残ったのはケイからの説明を期待しての事である。






 愛美と連れ立って駅近くのファミリーレストランに入り、奥の席に座ると、軽い昼食を注文して対話の準備が整った。




「さて、聞かせて貰いましょうか。あたしとお姉ちゃんの事を知ってた理由」


「そうだね……」




 ケイは比喩や遠回しな言い方をせず、ストレートに語り始めた。




「まず、俺には特殊能力がある」


「……へ?」




「詳しい仕組みは俺にも分からないけど、特定の手順を経る事でセーブポイントみたいにその時間を記録するんだ。で、死亡すると記録した時間に遡る。そういう能力があるんだわ」


「え、えーと……ケイくん?」




 愛美はあからさまに戸惑っているが、こういう反応にも既に慣れきっているケイは、構わず話を続けた。




「実は今回のツアーで三回ほど死んでまして、四周目にしてようやくここまで辿り着けたんだ」


「……ふざけてるの?」




 戸惑いから不満気な表情になる愛美に、ケイは極めて真面目な話である事を告げた。


 今までにも何度か死に戻りをするような事件に巻き込まれる事があり、その都度、問題を解決するなり、これから起こりうるトラブルを避けるなりして対処して来たと説明する。




「大抵の場合は、前回の流れで覚えた知識を駆使して先手先手を打つように立ち回る事で、事件そのものを起きないようにして収めるんだけど――」




 ある問題の解決に必要な手掛かりを前回の記憶でつかんでいるものの、本来ならその手掛かりを得る為には、特定の対象と深い信頼関係が結ばれなければならない。だがその対象と親睦を深める時間的余裕や手段が無く、しかし今その手掛かりを使って問題の解決を図らなければ、その対象が死亡するなどの被害を負う。


 そんな切羽詰まった状況になった場合は、手順を飛ばして手掛かりを使い、問題を解決に導く。そして、そういう強引な方法を使った相手には、自分の秘密を明かして説明する事にしているのだと語る。




「今回の場合は、俺が藍澤さんの本名とお姉さんの名前を出して、その名前に関する情報を得たという部分がそれに当たる」


「……つまり、どういう事?」




 愛美は胡乱げに眉を顰めつつも、ケイの語る内容には耳を傾けている。




「つまり、俺が藍澤さんの本名を知ったのは、三週目の四日目の昼前、あの雑木林で――藍澤さんの遺体の傍に落ちていた定期入れを見つけて、中の写真を見たからなんだ」




 ケイは初めから順を追って話す前に、なぜ彼女の本名を知っていたのかという結論部分から先に明かした。




「え、な、なにそれ? 遺体ってなに? 定期入れの写真って……セイジがあたしの鞄から持ち出してたやつ? なんでその事知って――」




 姉とのツーショット写真の入った定期入れは、清二と雑木林の奥に入って直ぐに取り返したので、他の誰にも見せていないはずなのだ。


 少し混乱気味になる愛美に、ケイは三週目の終わりと四周目の始まりについて説明を続けた。




「まず、三日目の深夜に丘の上で上着を貸して話をしたよね? あの時点ではまだ三週目。で、その後荷物を取りに部屋へ行く途中、広場の祠に寄ったでしょ」


「う、うん……そう言えば、あの時ケイくん、急に倒れてたけど」




 あの夜の事を振り返りながら何気なく問う愛美に、ケイはあそこが切り替えポイントだと語る。




「その倒れた時点から四周目に入ったんだ。三週目の時はあそこで状況を記録して、部屋に荷物を取りに行って、そのまま俺達の部屋に招いて朝まで過ごした、という流れ」


「ん? あの後、もう一度丘の上に行ったよね?」




「うん、それは今回の四周目。三週目の時はまだ藍澤さんの本名も、お姉さんの事も知らない状態だったから、翌朝の朝食後に長風呂して、雑木林に到着したのは犯行の後だった」


「犯行……」




 雑木林でのやり取りを思い出した愛美は、大きな石塊を握り締めてにじり寄ろうとしていた清二の姿から犯行の意味を悟る。




「それって、あたしが……殺されてたって、こと?」


「うん、そこで遺品を調べて、定期入れと写真を見つけた。その後、俺もその場で」




 少しの間、俯いて沈黙していた愛美は、ふっと一つ溜め息を吐くと、眉を顰めたまま上目遣いで言った。




「それ、冗談だとしたら性質が悪いよ?」


「この件に関しては、どう思ってくれてもいいと思ってる。こうして秘密を明かして説明するのは俺のポリシーというか、単なる自分ルールだからね」




 にわかには信じられない様子の愛美に、ケイはさらりと言い放つ。態々説明するような類の話ではないとは思っているが、『知る筈の無い事を知っている人間に対する疑念』がずっと残り続けるであろう相手に考慮しての処置なのだと。




「んー……あ、四周目って言ったよね。死んだら戻るって、まさかセイジに三回も?」


「いや、加奈ちゃんに一回、藍澤さんに一回、戸羽さんに一回の順かな」




「え、加奈って、あの子に!? っていうかーあたしにも!?」




 一体何があったの!? と、まだ信じきれないながらも、衝撃的な事実を聞かされて驚く愛美に、ケイは詳しい死因やその時の状況も覚えている限り話した。




「加奈ちゃんに刺されたのは、自信をもってこうだろうって推測は出来ないけど、多分口封じだったのかなぁ。藍澤さんに崖から落とされたのもその類だと思う」


「あ、あたしとあの子が……?」




 正確な動機までは分からないまでも、大体こうだったのであろうというケイの出した推測を交えつつ、他者のプライベートにも関わるので口外しないよう念を押しながら、四周目までのループの間に何があったのかをじっくり語って聞かせる。




 杵島と城崎の心中事件。その真相は、恋愛の成就かさもなくば心中という城崎の背水の陣だった事。加奈と恵美利が抱えていた過去の傷と心の闇。そして、加奈が動く事で条件が揃ってしまい、実行される愛美の復讐。




「このツアーの裏で、そんな事が起きてたんだ……」




 ケイがやたらと要領よく動いていたのも、遡りによるアドバンテージだと聞かされた愛美は、何だか詐欺にあった気分だと零す。




「はは、あながち間違いでもないかな。ツアー中、俺の言動を好意的に捉えられたのは、あらかじめ相手の性格とかを把握して好ましく思われるように意識してやってたからね」




「ふぁー……じゃあ、今のケイくんは?」


「今この瞬間は全部初めて経験する新しい時間だけど、ここまでに相手の事をある程度把握してるからね」




 特に意識しなくても、愛美の好む話し方が自然に出て来るのだ。




「以上、説明終わり」


「うーん」




 予想していた内容とは随分かけ離れた説明というか話をされたなぁと、愛美は軽く息を吐いて、すっかり冷めてしまった料理に箸をつける。


 ケイも列車が来る時間を気にしつつ、昼食にありつくのだった。






 昼の二時を回る頃、ケイと愛美は少し長引いた昼食を終えてレストランを後にした。二人の会話をこっそり聞いていたらしき店員さん達からジロジロ見られてしまったが。




「ちょっと長居しちゃったね」


「混んでなかったからセーフ」




 二人してそんな他愛ない話をしながら駅に戻る。間もなく帰りの列車がやって来る。


 アナウンスが流れ、ケイの乗る列車と、愛美の乗る列車は、ほとんど同時に反対方向からホームの両隣に入って来た。


 ケイと愛美は、ここで別れる。




「それじゃあね、ケイくん」


「ああ、愛美さんも気を付けて」




「ちょっ、このタイミングで名前で呼ぶ?」


「あ」




 ケイは「つい、いつもの癖で」と誤魔化し笑いしつつ帰りの列車に乗り込んだ。愛美もホームの向こう側の列車に乗り込み、振り返って小さく手を振る。


 やがて二人を乗せた列車は、それぞれの向かう町へと離れて行った。




(これで、このツアーもほぼ終了だな)




 一息吐いたケイは、ガラガラに空いている車内の適当な座席に腰を下ろす。


 哲郎から記念撮影会の画像が送られて来るまでは、何となく皆との繋がりは感じていそうだが、その後は再び会う機会も無いだろう。


 日々の生活の中で過ぎ去った記憶として埋もれ、いずれ忘れ去られていく。




「でもまあ、良い出会いだった」




 そう呟いて目を閉じる。線路の音を聞きながら、列車の揺れに身を任せる。こうして波乱の旅を終えたケイは、平穏で退屈な、しかし貴重な日常へと帰っていくのだった。










 限界集落ツアー編 ― 完 ―












次回:廃線の町編



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