――幼少の頃、人の死を言い当てる不吉な子とか、霊感があるとか言われていた。
「あれ? ばあちゃん、車にひかれたんじゃなかったの?」
「まあ、なんて事いうのこの子は!」
また母に叱られる。夏休み、家族で田舎のばあちゃん家に来てから、母はずっと機嫌が悪い。
昨日、ばあちゃんと田んぼの横を通る道を歩いていたら、バスが突っ込んできた。そこから先の記憶が無いのだが、今さっき仏壇が置いてある部屋で目が覚めた。
人の話し声が聞こえる居間にやって来たら、家族や親戚の人達とお喋りしながらお茶を飲んでるばあちゃんを見つけたので、思わず声を掛けたのだ。
ばあちゃんは、プリプリ怒っている母を宥めながら問いかけてきた。
「おばあちゃん、車にひかれたんか?」
「うん」
昨日の出来事を話すと、母や親戚の人達がざわざわと戸惑うように顔を見合わせている。いつもニコニコしているじいちゃんの、真剣な顔がちょっと怖い。
ばあちゃんも真面目な顔になると、ゆっくりした口調でこう言ってきた。
「よう聞きや? ケイちゃんの中には石神様があるんや」
「いしがみさま?」
「石神様の響く所でなら、ケイちゃんの記憶を持って行ける。よう、覚えときや?」
「? いみわかんない」
腕組みをしながら首を傾げてみせると、ばあちゃんはいつものニコニコ顔になる。
「わからんでええ」
そう言って頭を撫でてくれた。それから数日後、近くでバスが田んぼに突っ込む事故があった。その日は家族揃ってばあちゃん家に居たので、ばあちゃんも自分も無事である。
あの時、昨日の出来事だと思っていたバスの転落事故は、実は三日後に起きる出来事だったのだ。
当時は一度見たはずのテレビ番組がもう一度流れたり、捕まえておいた虫が居なくなっていたり、食べたはずのお菓子が丸々残っていたりと、不思議な事が立て続けに起きたように感じていた。
日付と記憶が一致せず少々混乱もしたが、子供の適応力なのか、しばらくすれば忘れてしまった。
やがて月日は流れ、都会の高校に通う事が決まった俺は、家を出て一人暮らしの生活を始めた。
時々不意に思い出しては、あれは何だったんだろう? と物思いに耽っていた『石神様』の事を、強く意識し始めたのは、その頃からだった――
一周目
意識の奥に、鐘の音のような響きが木霊する。既に感じ慣れた不思議な響き。混濁する意識が覚醒を始め、薄すら白くぼやけていた視界に、色と輪郭が戻る。
樹木の枝葉に縁取られた水色の朝空と、まだらに浮かぶ灰色の雲。それらの風景を覆い隠すように、彼の頭上から現れる人の顔。
「あの、大丈夫ですか?」
心配そうな表情で声を掛けた少女が、仰向けに倒れている青年の様子を覗き込む。肩まで伸びる栗色の髪をそっと抑える何気ない仕草が、少女の愛らしさをかもし出している。
艶のあるサラサラとした髪は、よく手入れされている事が分かる。少しおっとりした感じの彼女を視界に認める青年。彼がまず最初に思い浮かんだのは、疑問だ。
「……なぜだ?」
「え?」
唐突な問い掛けに、少女は戸惑いを浮かべる。その時、彼女の隣に居たもう一人の少女が、その腕を取って引き離しに掛かった。
「何やってんのよ、加奈! 危ないから離れなさいってっ」
「え、でも……」
警戒感を露にするその少女は、少し癖のついた明るい茶色の髪をポニーテールでまとめている。良く言えば活発そうだが、初対面の相手に配慮の無い視線を向けるその態度は、少々ガサツと言えなくもない。
加奈と呼ばれた少女は、祠のそばに倒れていた青年の事を気にしつつも、連れの少女に腕を引かれて急かされるように去って行く。
半身を起こした青年は、そんな彼女達の後ろ姿を目で追いながら一人呟いた。
「理由はなんだ……?」
少し落ち葉の混じる地面から立ち上がった青年は、一つ溜め息を吐いて土を掃うと、直ぐそばに立つ灯篭風の古い小さな祠に手を合わせた。
「……とりあえず、旅館に戻るか」
先ほどの少女達が去って行った方向に歩き出す。疎らに並ぶ木々の向こうに木造の旅館が見える。今居る場所は、古い祠がポツンと立っているだけの、旅館の前に設けられた小さな広場であった。
限界集落と呼ばれる地域がある。
過疎化と高齢化が進み過ぎて、社会的共同生活を維持するのが困難になってしまった集落を指すのだが、そういった地域の中にも、再生に向けて活性化の事業を試みている集落が存在する。
ここはそんな限界集落の一つで、山奥にありながら海辺にも近いという特徴的な土地柄を活かし、自然観光を売りにした旅館を経営している。
地域活性化事業の一環として、旅行会社を通じたツアー客を呼び込んでいるのだ。
広場の出口までやって来た青年、『
今年で十八歳になる彼は、実際の年齢より二年ほど長く生きている。
彼には、時間を遡って同じ期間をやり直す機会が何度かあった。そのやり直した時間の総計が、おおよそ二年分になるのだ。
肉体の年齢は十八歳のままだが、やり直した記憶が保持されているので、実質二十歳相当になる。彼がこの能力に目覚めたのは、幼少の頃だった。
「まずは、部屋の確保からだな」
これからどう行動すべきかを考えながら旅館の玄関に向かって歩き出したケイは、ついさっき、目を覚ますまでの出来事を思い起こしていた。
* * *
海と山に囲まれた限界集落の自然を満喫しよう。そんな一風変わったキャッチフレーズに惹かれ、連休を使って参加した国内旅行ツアー。
このツアーの為だけに走っている旅行会社のバスに揺られ、舗装もされていない山奥の道を進んで着いたのは、古めかしい旅館が一軒だけ立つ小さな集落。他に民家らしき建物は見え無い。
旅館の周辺には落ち葉で埋め尽くされた白樺の雑木林と、子供の背丈ほどの古い小さな祠しか無い広場。パンフレットの案内によると、旅館の裏の土手を下れば砂浜海岸や洞穴があるらしい。
バスを降りたケイは、今日から一週間ほどお世話になる旅館を右手に見上げながら玄関に向かおうとして、ふと覚えのある波動を感じ、そちらに足を向けた。
「これか……」
旅館前の広場にぽつんと佇む古い小さな祠。ここに『石神様』の波動を感じる。石神様は、ちゃんとした社や祠、お地蔵さんに埋め込まれている場合もあるが、ただの岩の下や古い家の庭先など、何でも無い所にあったりもする。
石神様に関する由来など、詳しい事まではケイにも分からない。ただ、その恩恵を受ける為の能力と、使い方を知っている。ケイは祠に手を合わせると、幼少の頃に田舎のお婆ちゃんから教わった、お
すると、意識の奥に一瞬の耳鳴りにも似た、透き通るような鐘の音が響いた。
「これでよし。さて、旅館の受付に行こうかな」
"石神様が響いた"のを確認したケイは、そう呟いて広場の祠を後にした。
元は小学校だったという木造の旅館。彼方此方に修繕や増改築の跡が見られるが、これはこれで中々趣を感じられる。しかし、着いて早々トラブルに見舞われた。
「はいはい、曽野見 景さんね~。お連れの方はもう部屋にいらっしゃいますよ~」
「え? 俺、連れ居ませんけど?」
「えっ?」
受付のおばちゃんは、ケイの言葉に驚いた様子で予約客の名簿と睨めっこを始めると、聞いた事の無い名前を挙げて確認を取る。
「栗原さんとは……お知り合いじゃ……?」
「知らないです。ていうか、俺今日は一人で予約取ってる筈ですけど」
「えー、ちょ、ちょっと待ってね」
おばちゃんは慌てた様子で電話の受話器を耳に当てると、内線ボタンを押して誰かと話し始めた。そのまま待つこと暫く、申し訳なさそうな表情を浮かべたおばちゃんから事情を説明される。
どうやら旅館側のミスで先ほど名前の出てきた栗原という人とのペア客として登録してしまっていたらしい。他の宿泊客も皆がペア客だったので、勘違いがあったようだ。
そしてさらに困った事に、空き部屋がもう無いという。
「申し訳ないですけど、ここは相部屋という事に……」
両手を合わせて平謝り状態のおばちゃんの提案に、ケイは相手方がいいのであればと了承する。
よく当て所も無い一人旅を楽しむケイは、飛び込みで安宿に泊まる時など、他の旅人や外国人のバックパッカー達と相部屋になる事も、珍しくなかった。
受付のおばちゃんは早速、内線電話で栗原さんに連絡を入れると、相手からも了承が得られたと部屋番号のついた鍵を渡してくれた。
「201号室か……」
この旅館の客室は全て二階にある。鍵を持って階段を上がり、最初の客室が201号室だ。
ちなみに、二人部屋である201号室、203号室、204号室、206号室は海に面した部屋で、土手を下った先にある小さな砂浜海岸と洞穴のある丘が見渡せる。
それらの部屋と対面にある202号室、205号室は家族客や団体客用の大部屋である。
コンコンと一応ノックしてから扉を開ける。部屋の真ん中辺りに茶色で光沢のある横長の卓子と座椅子があり、相部屋となる栗原さんらしき人物が座っていた。
ケイと同い年くらいで、少々恰幅の良い眼鏡の若者。銀色のノートPCを開いて作業中のようだった彼は、部屋に入って来たケイに気付くと、少し顔を上げて会釈する。
「あ、どうも……」
「こんばんは」
ケイは挨拶をして部屋を見渡した。二人用とはいえ結構広く、四人くらいで使っても手狭に感じる事はなさそうなほど余裕がある。奥は障子を挟んで板の間の空間にテーブルとソファーが並び、一面ガラス戸の向こうには海が見える。
「お仕事ですか?」
「え? あ、いえ……旅日記というか、ちょっと今日の分のレポートを」
「あ~日記でしたか。という事は、ブログとか?」
「ええまあ、ただここってネット環境がないんで……携帯も圏外だし」
リアルタイムで記事を上げられないので書き溜めているという。圏外と聞いたケイは自分の携帯を取り出し、圏外表示を確認して納得した。
「本当だ、パンフレットには書いてなかったような」
「だよねっ、書いてなかったよねっ! いくら限界集落つっても、今時無線LANくらいはあると思ってたからもうビックリしちゃってさっ、ツアーの申し込みとか旅行サイトでやったのに旅館のオーナーがネットの事よく分かってないとかマジで唖然だったよー」
急にまくし立てるようにそう語った栗原さんは、デジカメを取り出してPCに繋いだ。写真つきの旅行ブログなので、道中の風景なども画像ファイルとして保存しているという。
最初は人見知りにも感じられた彼だが、根は社交的で、共通の話題を持つと饒舌になるようだ。
ちなみに、見せて貰ったPCのデスクトップには複数の女の子アニメキャラが大集合している。自分で作った壁紙らしく、リアル時間に合わせて背景も朝、昼、夕、夜と変化するそうな。
ケイが『よく出来てるなぁ』と感心すると、彼はとても喜んでいた。趣味を同じくする友人以外からはほとんど興味を持たれる事もなかったので、褒められたのは嬉しかったらしい。
「いや~、ケイって名前が女の子っぽかったからさ、てっきり若い娘と相部屋になるのかと思って緊張したよ」
「なんだそれ、もしかして哲郎があっさり相部屋OKしたのって、そこか」
「いやいや~そんなコトハナイヨ」
「なぜ後半棒読み」
割と気の合う二人であった。
今回のツアーは六泊七日。この旅館では朝食は取るも取らないも自由。昼食は部屋に届けて貰う事も出来る。夕食は全員が食堂で取る事になっていた。
ツアー客は朝と昼の送迎バスで各々がバラバラにチェックインしている。観光コースなどは特になく、限界集落の自然を各自が好きに計画を決めて楽しむ内容になっているので、夕食の時に皆が顔を合わせる事になる。
現在時刻は16時30分を回るところ。ケイは哲郎と連れ立って一階の食堂に向かっていた。
「で、そいつの妹さんがまた黒髪ショートの美人さんでさー、巫女衣装のコスプレ写真とかすげー可愛いでやんの」
「へー」
駄弁りながら食堂にやって来ると、他のツアー客らしき若い女の子二人組みが端っこの席で食事を取っていた。女子高生くらいだろうか、艶のある栗色セミロングの大人しそうな子が、ケイ達に気づいて会釈する。
彼女の対面に座る少し癖のついたポニーテールの子がちらっと振り向き、そのまま興味無さそうに食事に戻った。そしてセミロングの子に何やらヒソヒソと話しかけている。
ケイ達も適当に席に着こうと移動する間、哲郎がこそっと耳打ちした。
『ポニテ感じ悪い。セミロングの子かわゆす』
『ははは』
その後、食堂にはいかにも遊び人風なチャラい格好の男女や、一見すると親子にも見える初老の男性と若い女性のカップルがやって来て席に着く。
『リア充カップルと歳の差カップル』
『この場合、どっちもリア充じゃないの?』
『いやあ、片方は枯れかけてる風だし』
『ひでぇ』
哲郎とそんな話をぼしょぼしょ交わしつつ夕食を終えたケイは、食後の腹ごなしにパンフレットに載っていた旅館の施設を、適当に見流して歩く事にした。哲郎はそのまま部屋へと戻った。
旅館の施設には食堂の隣にバーと共用のサロンがあり、大浴場の向かい側に遊戯室もある。古いゲーム機や卓球台が置いてあった。一階と二階の階段脇には値段高めの自動販売機。
小さいエレベーターも設置されていて、これは車椅子や杖をつく年配者に配慮した設備らしい。一通り見て回ったケイは階段を上って部屋へと戻る。
「おかえりー」
「ただいまー」
哲郎は備え付けの冷蔵庫に入っているジュースを飲みながら、ノートPCで今日の日記を纏めている。彼の向かい側に座ったケイは、メモ帳を取り出してテーブルに広げた。就寝前に明日以降の観光計画を立てるのだ。
「どこを観て回ろうかな、哲郎の予定は?」
「ボクは砂浜海岸と洞穴の写真から撮るつもりだよ」
それぞれ昼と夜、満潮時と干潮時も撮る予定なのだそうだ。小さな入り江になっている砂浜海岸は、潮が引いてる時は入り江の入り口付近まで砂浜が伸びるらしい。
洞穴は横穴も多く、それほど密閉された空間ではないので、蝙蝠などは生息していない。
「洞穴は満潮時に水没するらしいから、今回は海岸がメインかな」
「面白そうだな」
「一緒する?」
「そうだな。邪魔じゃなかったらついて行こうかな」
哲郎は『ノーボッチ、イエスフレンド!』とか言って歓迎している。長閑な田舎の自然を一人で観て回るのも趣きはあれど、せっかく親しい友人が出来たのだから一緒に歩くのも悪くない。
そんな訳で、明日は哲郎と砂浜海岸と洞穴を観て回る事にした。
※ ツアー二日目。
「哲郎~朝飯にいくぞ~」
「すぐ行くー……」
低血圧を自称する哲郎は、未だ眠そうにしながらモソモソと服を着替えている。
「先に行くぞー」
「うー……」
返事だか呻きだか分からない声を返す哲郎に一声かけて廊下に出たケイは、昨日食堂で見た女の子二人組みの片方と鉢合わせた。栗色セミロングの子だ。
「おはよーございまーす」
「あ、おはようございます……」
ケイが気軽な挨拶をすると、その子は控えめにお辞儀をしながら挨拶を返す。その上品な立ち振る舞いに育ちの良さがうかがえる。
その時、一つ隣の部屋の扉が開いてポニーテールの子がバタバタと飛び出して来た。
「
「あ、
髪留めのゴムを口にくわえ、頭の後ろで髪を纏めながら廊下に踏み出した恵美利は、はたと立ち止まって目の前のケイを見上げた。しばし無言で見詰め合う。
顔が近いからか、無防備な姿を見られたからか、恵美利の頬が仄かに赤面する。とそこへ――
「やー、わりーわりーお待たせー……うん?」
やっと着替え終えた哲郎が現れ、廊下でお見合いをしているケイと恵美利に首を傾げる。ハッと振り返った恵美利は、くわえていた髪留めで手早くポニーテールを結うと、加奈の手を引いて歩き出す。
「いこ、加奈」
「え? あ、うん」
そうして二人が立ち去るのを見送ると、隣にやって来た哲郎が何だか自分が出て来た途端に移動されると、避けられているみたいで気分悪いと悪態をつく。
「やっぱりポニテ感じ悪い」
「ははは……」
数字の3を反転させたような口にしてぶつぶつ言っている哲郎を宥めながら、ケイ達も食堂へと向かうのだった。
食堂に入ると、昨日よりも若干賑やか――というより、少しざわついているような雰囲気だった。何事かと食堂内を見渡したケイ達は、直ぐにその原因が分かった。
「なんかしょべーよなー」
「キャハハッ はっきり言うー?」
哲郎がリア充カップル認定していた二人組みが、食事の内容に文句を言っているらしい。食堂のおばちゃんが困ったような愛想笑いで応対している。
「ニク無いのかよニクー」
「パックの焼肉でも買っときゃ良かったねー」
「うーん、調理の人に言っといてみるね~。あ、ここ禁煙だから吸う時はサロンでお願いね~」
おばちゃんはなかなか手馴れた感じであしらっていた。喫煙を注意された若い男は、テーブルの上に煙草の箱を置いて、その横でライターをカンカン鳴らしながら舌打ちする。
若いカップルの傍若無人な態度に、他の客達も目は合わさないが眉を顰めているようだ。哲郎が旅館の料理を擁護しながら、件の二人をリア充カップルから不良カップルに認定した。
『山菜のおひたし美味しいのになー』
『同意する』
彼等の居る席を避けるようにして隅の座ったケイと哲郎は、今日の撮影予定などを話し合いながら朝食を済ませたのだった。
「それじゃあ撮影に行こうか」
「ああ、海岸からだっけ?」
哲郎と食堂を出ようとしたケイは、視界の端に違和感を覚えてふと隣のテーブルに視線を向ける。そこには哲郎認定の『歳の差カップル』の姿があった。
テーブルで向かい合っている二人は、特に会話も無く、黙々と食事を続けているようなのだが、若い女性の方はどこか恍惚とした表情で、じっと初老の男性の顔を見つめている。初老に見える男性の方はと言えば、殆どうつむき加減で機械的に箸を動かしている感じだ。
食欲旺盛でがつがつ食べる彼氏の姿に見惚れている彼女のような構図、と捉えられなくも無いが、二人の様子はそんな微笑ましい空気とは程遠く感じられた。
何だか奇妙な雰囲気だなと思うケイだったが、あまりジロジロ見ている訳にもいかない。他人の観察はさっさと切り上げ、海岸の撮影に出掛ける哲郎の後に続いたのだった。
砂浜海岸で写真を撮り終え、次は洞穴へ向かおうとデコボコ道を歩いていたケイと哲郎は、途中で少女の二人組みと遭遇した。彼女達は洞穴を見に行った帰りらしい。
会釈してそのまますれ違おうとしたケイ達だったが、意外にもポニーテールの子が話し掛けてきた。
「やっ、君達も洞穴いくの?」
「え? ああ、うん」
「へぇー、洞穴好き?」
「ああいや、特別好きって訳じゃないけど、観光で……」
「そっかぁ、あたし洞穴とか廃墟とか好きなんだー。そう言えば、君の名前は?」
これまであまり友好的とは言い難い立ち振る舞いだったので、突然のフレンドリーな接し方には少々面食らってしまう。
どうやら彼女は廃墟や洞穴が好きらしく、ここの洞穴を見て回った事でテンションが上がっているらしい。
「あー、俺は
「あ、ボ、ボクは栗――」
「ケイ君って言うんだ? あたし
とりあえず名乗るケイ。哲郎も名乗ろうとしたが、被せられた。樹山 恵美利と名乗ったポニーテールの子は、彼女が『加奈』と呼んでいるセミロングの子に行こうと促して去って行く。
セミロングの子は苦笑しながらケイ達に会釈すると、恵美利の後を追っていく。その時――
(うん……?)
ケイは一瞬、彼女の表情に違和感を覚えた。加奈が恵美利の方を振り返る僅かな瞬間に垣間見えた、鋭く、突き刺すような視線。嫌悪の眼。
海岸の方へと去って行く二人の後姿を見送りながら、ケイは今し方感じた違和感について哲郎にも話を振ってみようとして――
「何やってんだ哲郎?」
「エア・カベドン」
何か槍の中段付きみたいな事をやっている哲郎。『ドンする壁がなかったんだ……』とか言っている。
「なんだそりゃ」
二人で御馬鹿なネタで笑い合う内に、少女達の違和感の事も忘れてしまった。
その後、道なりに進んで洞穴にやって来ると、中を探索しながら写真を撮る。所々に開いた穴から外の景色が窺える。
「水流が強くなければ、水没中にダイビングとか楽しめそうだな」
「ちょっと怖いけどな」
洞穴での撮影を終えて外に出ると、そのまま出入り口の隣にある緩い坂を登り始める。洞穴の上の崖には、少し開けた空間があるのだ。丘のような斜面を登り、やがて天辺まで辿り着く。
「風つえー」
「でも気持ちいいな、ここ」
ここからは砂浜海岸と旅館、周辺の林や山などが一望出来る。周囲には民家を含め、建物らしき施設が何も無い。山に囲まれたこの一帯が如何に辺境であるかを実感出来た。
崖の上から海岸を見渡していると、さっきの少女二人組みが旅館に戻る道を歩いてるのが見えた。ケイと哲郎もそろそろお昼なので戻るかと、緩い斜面を下り始める。
「昼飯食ったら、夕方また撮影にくるぞー」
「おうー」
旅館に帰って来たケイと哲郎は、一度部屋に戻って荷物を置くと、昼食を取りに食堂までやって来た。他に客の姿は無く、食堂に昼食を取りに来たのは二人だけのようだ。
「あらー、二人分ねー? 直ぐ用意するからねー」
「あ、お願いします」
食堂のおばちゃんは厨房に入ると、食器を並べて鍋の間を行ったり来たりしている。折角なので食堂のおばちゃんと談笑しながらの食事にしようと、用意された昼食の席について誘ってみる。
「あらそ~う? じゃあ一緒しようかしら~」
おばちゃんはケイ達の申し出に嬉しそうに応じると、向かいの席に座った。『賄い』程度の食事を用意してニコニコと話し相手になってくれる。
この辺りの土地について、色々な話を聞かせて貰えた。
「あの海岸はいい雰囲気ですよね」
「そうーでしょー? 夏なら泳げたのにねぇ」
砂浜海岸の一帯は洞穴やその上の岸壁など、絶景ポイントが一纏めになっている珍しい観光の地として、地元の人にとっても自慢の場所らしい。
「でも、洞穴とか上の崖を歩く時は気をつけてね?」
少し声を潜めたおばちゃんは、その昔、洞穴で人身事故があった事なども教えてくれた。水没する時は水が満ちるのも結構早いので、満潮時には近づかないようにした方が良いと言う。
「夜中に探検しにいって、水没に巻き込まれちゃったりねー」
「あー、それは怖いですねー」
「暗いし波の音が結構大きいから、水が入ってくる音にも気づき難いんですかねー」
旅館周辺の雑木林は、夏場など不埒なカップルが夜な夜な如何わしい行為に及んだりして、その後始末をするのが大変だとか。
「ちゃんと持って帰ってくれればいいんだけどねー、そのままにしてあるからもうー」
「ははは……」
「色んな意味で迷惑ですねー、それ」
旅館前にある広場の祠は、ここに集落が出来るまえからあったモノらしいという。建物は何度か建て替えられているそうだ。
あの祠が歴史あるものだという事は、ケイは石神様の関係で深く理解していた。
「ずーっと昔には、巫女祭りがあったんだけどねぇ」
「うわー、その祭り見てみたかったー」
「祭りじゃなくて巫女さんを、だろ?」
ケイがツッコミを入れると、哲郎は『祭りも込みでこそ衣装は生きる』などと謎の力説をする。何故かおばちゃんがうんうんとニコニコ顔で頷いていた。多分、意味は分かっていないだろう。
そんな調子で楽しく昼食の時間を過ごしたケイ達は、夕方まで適当に時間を潰そうと、それぞれ部屋でPCに取り込んだ写真画像の編集を行ったり、広場を散歩したりと別行動をとった。
その後、陽が翳って来た頃に部屋へ戻ると、準備万端で待っていた哲郎と夕方の撮影に出かけた。夕日に染まる海岸や岸壁は、昼間の青々とした雰囲気とはまた違った優美な趣き感じさせる。
「これは、いい絵が撮れそうだなっ」
「ああ、なかなか綺麗な景色だね」
ケイと哲郎は海岸と岸壁を行ったり来たりしながら、陽が沈む頃まで撮影を続けたのだった。
星の瞬き始めた時間。旅館に戻って来たケイ達は、部屋に荷物を置いて夕食をとりに食堂へ向かう。
「ちょっと遅くなっちゃったな」
「太陽が沈みきるまで撮ってたもんな」
食堂にやって来ると、既に他の客達は食事を始めていた。割と広い食堂でペア毎に固まり、バラバラに座ってそれぞれの空間を作っている印象だ。
初日の時は皆、特に交流は無くとも普通に旅行仲間という雰囲気だったが、今は何か壁があるような、妙な空気が感じられる。
どこに座ろうかと見渡していると、ポニーテールの娘、恵美利が手を振り振り声を掛けてきた。
「ケイくーん、こっちこっち」
恵美利は対面の席に座るよう促している。哲郎と顔を見合わせたケイは、別に断る理由も無いかと、彼女達の対面に座る事にした。昼間に少し話をしたので、顔見知りカテゴリに入ったのかもしれない。
食堂のおばちゃんが、「直ぐ持って行くね~」と厨房から顔を出す。
彼女達の席へ移動中に他の客達の様子を窺うと、不良カップルは端っこの方でイチャイチャとちちくりあいながら何か駄弁っている。彼等には近寄りたくないし、彼等も他の客達と馴れ合おうとする気はないようだ。
歳の差カップルは何だか空気が重い。初老の男性は相変わらず黙々と食べており、若い女性はそれを眺めている。が、やはり二人の姿に微笑ましさは感じない。不良カップルとは別の意味で近寄り難いものがあった。
そうこうしている内に、少女二人組が待つテーブルの対面に到着。席に着くなり、恵美利が話し掛けてきた。
「ねー、あんた達ってずっと写真撮ってるじゃない?」
「あーうん、俺達というか、哲郎がね」
ケイがそう言って哲郎に話題を投げると、哲郎は慌てて写真の事を説明しようとした。
「え? ああ、ブログに、旅の記録で――」
「でもさー、おんなじ風景何枚も撮っても意味なくない?」
しかしまた言葉を被せられ、『あうっ』となっている哲郎。中々失礼なお嬢さんだが嫌味っぽくは無く、サバサバした性格なのだろう。ケイは恵美利の事をそう認識した。
「何枚も撮った中で、最高の一枚を見出せるのが良いんじゃないか。な、哲郎」
「そ、そうそう、サンプルは多い方がいいっていうし」
微妙にズレた哲郎の返答。女の子二人と食事という慣れないシチュエーションに、テンパっているようだ。とりあえず、ケイは『がんばれ、哲郎』と内心で応援などしておいた。
そんな感じで、この日の夕食は少しぎこちないながらも、若者同士の親睦を深めたのだった。
その夜。ケイが風呂上りに部屋の窓際で涼んでいると、飲み物を買いに出ていた哲郎が一時間くらいして戻って来た。
「おかえり、遅かったな」
「ああ、ちょっと食堂のおばちゃんと駄弁ってた」
何でも今回のツアー客は気軽にお喋り出来る相手がおらず、噂好きなおばちゃんとしては話し相手が欲しかったらしい。
「不良カップルは論外だし、女の子二人組みはあんまり話題が合わないし、歳の差カップルは何か訳有りっぽくて近寄り難いんだと」
「訳有り?」
旅館のおばちゃんによると、歳の差カップルは夫婦かと思っていたら違っていたそうで、きっと訳有りだろうなぁという事らしい。
「推定年齢やら苗字が違う事から、親子でもなさそうだし、不倫旅行とかかもしれないってさ」
「発想豊かだな……でも、あんま他人の詮索するのも良くないな」
「それもそうだし、もし訳有り旅行なら下手に首突っ込まないが吉だよ」
ケイの懸念に哲郎も同意する。哲郎の話では、何かネットにその手の話を集めたまとめサイトがあって、そういう人達の体験談記事を読むと、かなりドロドロしてるらしい。
「そんなサイトがあるのか……」
「帰ったらお勧めサイトのアドレス、まとめて紹介するよ」
ここはネット環境がないからなぁと、哲郎は今日の出来事をPCの旅日記に記していた。
※ 翌日、ツアー三日目。
「哲郎ー、朝食に行くぞー」
「お、おう~……もうちょっと」
昨日と同じようなやり取りをするケイと哲郎。若干、哲郎の覚醒が早いのは、昨日の夕食時に女の子二人組みと親睦を深められたので、朝食も一緒しようと気合で血圧を上げているらしい。
「よ、よし、準備おっけー」
「じゃあ行くか」
期待に胸膨らませる哲郎と連れ立って部屋を出る。食堂に向かう廊下で彼女達と鉢合わせる事は無く、食堂にも居なかった。他の客の姿も無い。代わりに食堂のおばちゃんが出迎えてくれた。
「あら、おはよう曽野見さん、栗原さん」
「おはようございます」
「おはよう、おばちゃん。あの……女の子二人組はまだ?」
哲郎がさりげなく訊ねる。おばちゃんによれば、あの二人なら三十分は早く食事を終えて出かけたとの事だった。
「マジでー」
「まあ、七時起きくらいは普通だろうな」
そう言って納得したケイは、脱力している哲郎の肩をポンポンしながらテーブルに着くのだった。その後、朝食を済ませて部屋に戻ったケイ達は、今日の予定を話し合う。
「砂浜と洞穴は結構撮ったと思うけど、今日は何処に行く?」
「今日は旅館の写真を撮っておこうかと思う」
周辺の景色は十分に撮影出来たので、遅ればせながら趣のある旅館の建物も撮影するという。昨日は散々歩き回ったので、それもいいなと、ケイは今日も付き合う事にした。
哲郎が旅館の置物や廊下などを撮影している間、ケイは建物の外に張り出した形で設置されている非常階段の踊り場から、外の景色など眺めていた。
ここからだと、海岸と洞穴の上の崖に続く道がよく見える。
「ん? あれは、樹山さん達か」
洞穴のある岩場の道に件の少女二人組、恵美利と加奈を見つけた。ふと見ると、同じ道を砂浜海岸に向かう不良カップルの姿もあった。あのカップルは昨日、一昨日と殆ど部屋に居たようだ。
二組のペアの様子を何となく眺めているところに、旅館前の落ち葉を掃除する音が聞こえて来た。階段の手摺にもたれながら階下を見下ろせば、広場の付近を歳の差カップルが歩いている。彼らの向かう先には白樺の雑木林。
ケイは同じツアーの客が、ここまでバラバラに行動するのも珍しいかもしれないなと思いつつ、哲郎に声を掛ける。
「哲郎、雑木林の撮影はしないのか?」
「うーん、なんか写りこみそうで怖いんだよなぁ、あの林」
「はははっ、確かに雰囲気はあるけど」
しかしそれなら洞穴も結構そういうのがありそうじゃないかと振ってみると――
「いや、あっちは海水の塩が清めてくれてそうな感じするじゃないか」
「ええ~~何だそれー」
ツッコミどころ満載の答えが返って来た。二人でそんなお馬鹿話をしながら、旅館の各所を回っている内にお昼になった。
「今日は画像の編集したいから、昼飯は部屋で食べよう」
「分かった。哲郎の分も持って行くから先に戻っててくれ」
「おっ、わるいな」
昨日の飲み物の借りだよと、ケイは哲郎を部屋に帰して自分は食堂に向かう。食堂のおばちゃんに昼食を運ぶ為の
「えーっ、それはちょっと意外ていうか、男としてどうかだよー」
「いやマジ苦手なんだって、だいたい行くイミねーじゃん」
なにやら男性に苦手なモノがある事が分かって、女性が軽く幻滅している、というような雰囲気のやり取りが聞こえる。
(そういえば、昼前は砂浜海岸の方に行ってたよな。船虫でも出たのかな?)
海辺の生き物は、割とグロテスクな見た目のモノも多い。普段から釣りなどで慣れていなければ、都会の若者には生理的に受け付けないという事もあるだろう。ケイはそんな事を考えつつ、岡持ちを受け取って食堂を後にした。
部屋に戻る途中、二階への階段を上がったところでパタパタというサンダルの足音に振り返ると、恵美利と加奈が一階の廊下を横切って行った。二人は食堂に向かうようだ。
(哲郎、みごとに擦れ違ってるな)
部屋に戻ったケイが、件の二人組は食堂で昼食を取っている事を教えてやると、PCに向かって作業をしていた哲郎はそのまま横にゴロンと一度転がって、今の心境を表した。
「七転八倒?」
「七転び八起きっ」
『一文字ちがーう!』と抗議しながら作業を続ける哲郎をイジって遊ぶケイ。哲郎曰く、夕食時には全員が揃う事になるので、その時また御呼ばれする事を期待しようとの事だった。
哲郎の随分と受身なアプローチ策に、ケイは能動的なアプローチを勧めてみる。
「あの二人、しょっちゅう洞穴を見に行ってるみたいだから、一緒に撮影とか誘ってみたら?」
「頼む、相棒」
「ええっ、そこは哲郎が誘わないと」
「
ならば偶然を装って二人が洞穴に赴いたタイミングで撮影に行くか、などとアイデアを出しては作戦を考えたりする。
本格的に彼女を作ろうとか、ナンパしようとか言う話ではないが、同年代の友人とこういったやり取りをするのも、なかなか楽しいものだ。
この日の昼間は、部屋で哲郎の作業を手伝ったり邪魔したりつつ、雑談などしながら過ごしたのだった。
西の空が茜色に染まり始めた頃。部屋も暗くなってきたので、電気を点けて夕食に向かう準備を始めるケイと哲郎。
「しかし三日目で撮り尽くすと、残りは何もする事が無くなるな」
「ああー、本来ならツアー客同士の交流とかで色々イベントがありそうなんだけどな」
今回のツアー客の面子で親睦を深め合っている場面など、想像がつかない。本当に各ペアそれぞれがバラバラに行動している。唯一、少女二人組とはそれなりの交流が持てそうな所が救いだ。
「じゃあ残りの滞在期間を退屈な日々にしない為にも、頑張ってアプローチだな」
「頼む、相棒」
「うをいっ」
そんなやり取りで談笑しながら、ケイと哲郎は食堂に向かった。
二人が食堂にやって来ると、不良カップルが何時ものテーブルの端に陣取り、サロンから持ち出したらしき酒をちびちびやっている。彼らの他に客の姿はなく、少女二人組も歳の差カップルも見えない。今日は自分達が早く来過ぎたのかなと、適当なテーブルに着く。
暫くすると、少女二人組みの片方、セミロングの加奈が一人でやって来た。近くに座ったので、ケイが声を掛けてみる。哲郎が小声で『いいぞ、相棒』とか言っているが、スルーしておく。
「御堂さん一人? 樹山さんは?」
「あ……恵美利とは昼食の後にまた洞穴に出かけたんですが、急用を思い出したとかで――」
先に戻ると言われてそこで別れたのだが、夕方前に加奈が部屋に帰るも、姿が無かったという。着替えや小物の入ったバッグもそのまま手付かずだったので、部屋には戻っていない様子だったとか。
「そうなんだ? って事は、まだどっか出歩いてるのかな」
「そうかも、しれません」
その後、夕刻17:00を回っても恵美利はやって来る気配が無かった。彼女の他にも、歳の差カップルが二人とも食堂に顔を出していない。
『どうしたんだろうね?』と、気に掛けるケイや哲郎に加奈、それに食堂のおばちゃんも交え、呼びに行くべきか、館内アナウンスを使おうかと話し合う。
「おーい、イイから先に食おうぜ」
「オナカ空いたよねー」
不良カップルが酌に使っていたグラスを御つまみのナッツでチンチン叩く。時刻は17:20分を過ぎた頃だ。確かにあまり遅くなっても料理が冷めてしまうという事で、この場は先に頂く事にした。
昨日もケイと哲郎が遅れて食堂にやって来た時は、既に皆箸に手をつけていたのだから、夕食は全員揃って、という取り決めにも今更感がある。
そんな訳で、自然にケイと哲郎、加奈が一つのグループになって夕食を始めたが、加奈はあまり食欲が無いらしく、少しだけ口をつけて部屋に戻ってしまった。
「なんか顔色悪かったな」
「体調崩したとか?」
心配そうに見送る哲郎の言葉にケイも同意する。あまり活発そうな娘ではなさそうだし、元気な恵美利に引っ張りまわされて疲れが出てるのかもしれないと。
「あ、もしかして、それで気を使って一人で動いてるとか?」
「うーん、それじゃあ夕食にも帰って来ない理由にはならんだろう」
哲郎の推測にツッコミつつ、夕食を終えたケイ達も部屋へと戻った。途中、二階の廊下で歳の差カップルを呼びに来ていたおばちゃんと会った。
「ごちそーさまでした。どうでした?」
「あら、お粗末さまでした。いやそれが居ないみたいなのよー」
ケイが夕食のお礼を言って件のカップルの様子を訊ねると、おばちゃんもそれに応える。恵美利と同じく、こちらの二人もまだ帰って来ていないらしい。
ふと、昼間に歳の差カップルが雑木林に向かって歩いていた事を思い出したケイは、何となく聞いてみた。
「ここの雑木林って、奥まで入ったら迷ったりします?」
「うーん、そうねぇー、夜中に山の近くまで行くと、ちょっと迷っちゃうかもねぇ」
しかし相当距離がある上に途中でかなり道が険しくなるので、迷いそうな所まで踏み入るのは大変だろうとの事だった。
「でもそうねぇ、暗くなるとちょっと入った所でも、迷う人はいるかも……」
何せこの辺りで建物と言えばこの旅館くらいしかないので、日が落ちる頃には雑木林の中は真っ暗になるという。明かりになるモノでも持っていなければ、立ち往生してしまうかもしれない。
おばちゃんは、旅館の放送用スピーカーで周辺に呼び掛けてみる事も検討すると言って、一階の管理室へ相談に下りて行った。
「旅館の近くだと結構木の間隔とか広く見えるけど、やっぱり奥に行くと旅館の明かりも見え難くなるのかな」
「そうかもしれないな」
ケイと哲郎は『俺達も撮影に行く時は気をつけないとな』というような事を話しながら、部屋へと戻った。
――それから暫く経った頃。
旅館の中が俄かに騒がしくなった。外で誰かが叫んでいるようだ。時刻は20:30分過ぎを指している。部屋で駄弁っていたケイと哲郎は、その声に顔を見合わせると、部屋を出て非常階段の踊り場から声のしている方向を注視した。
懐中電灯を手にした旅館の男手従業員が数人、雑木林の方から大声で何か叫んでいる。
「何て言ってるんだろう?」
「うーむ……たいやっちゃ、たいやっちゃ?」
「訛りかな? けあうにれんらく?」
「けあうにれんらく……けえさつに連絡、か?」
ケイの翻訳に、哲郎が『それだ!』と指を指す。しかし警察に連絡しなければならない事態とは穏やかじゃ無いなと、二人して下の様子を見守った。
そのうち雑木林の奥から戻って来た男手従業員が、旅館の玄関前で現状を報告し合っていたので、ケイ達もそれに耳を傾ける。
「三人じゃ」
「三人? 三人ともか」
「三人ともじゃ。一人吊ってる。女の方。んで二人刺されとる。男の方と女の子」
「熊じゃないんか?」
「違う。ありゃ違う」
そんなやり取りが聞こえた。ケイと哲郎が一階のホールに下りると、食堂のおばちゃんが居たので詳しい話を聞いてみた。
おばちゃんの話によれば、件の三人が夜になっても帰って来ないので、旅館の人が付近の捜索に出ていたらしいのだが、雑木林の奥でその三人の遺体を発見したのだそうだ。
「えぇーマジすか……」
「今刺されてるとか聞こえたんですけど、まさか殺人ですか? 事故とかじゃなく?」
愕然としている哲郎とは対照的に、ケイは更なる詳しい情報を求める。もし殺人事件なら、付近に危険な犯人がいる事になる。
顔見知りに降りかかった突然の死という事態に、驚くよりもまず状況確認をしようとするケイ。それは特異な能力を持つが故に、これまで色々な経験を積んで来たケイの、身についた習慣だった。
「いやー、それが……どうも心中じゃないかねって話でね――」
声を潜めるおばちゃんの言葉に、ケイは歳の差カップルに感じていた違和感を思い出す。先日も訳有りらしいという話が出ていた。だが、もし二人が心中したのだとして、そこに恵美利が絡む理由が分からない。
(心中に巻き込まれた?)
先ほどの男手従業員達の会話内容からは、女性一人が首を吊っており、男性と女性が刺されて死んでいるという状況が読み取れる。そして、刺された女性の方を"女の子"と表現していた。
そこから推測出来るのは、歳の差カップルの女性が恵美利と初老の男性を刺した後、自ら首を吊った、という流れだ。
(男性を刺すところを、樹山さんが目撃したとか?)
その時、哲郎が軽くケイの腕を突いた。振り返ると、階段を下りて来る加奈の姿。外の騒ぎを聞きつけたらしく、不良カップルの二人もその後ろから下りて来ている。
「御堂さん……」
「こんばんは。あの、恵美利は……?」
どこか不安気な表情で訊ねる加奈に、ケイは哲郎、おばちゃんと顔を見合わせると、とりあえず今現在で分かっている情報を掻い摘んで説明するのだった。
※ 三日目、夜。
その後、加奈は恵美利と思われる少女が本人かどうかを確認する為に、旅館の関係者数人と現場まで出掛けた。部外者は同行出来ない。
ケイと哲郎は、何となく部屋には戻らず、一階ホールにある休憩所で加奈達の帰りを待っている。ホールの休憩所には不良カップルの姿もあった。
彼らの男の方は、何かニヤニヤへらへらした態度ではあったが、それらは動揺から出ているのがケイには何となく分かった。女の方は男のつまらない冗談に相槌を打ちながらも、どこか上の空で、普段より大人しい感じがする。
「はい、お茶でもどうぞ」
「あ、ども」
「すんません、いただきます」
食堂のおばちゃんが休憩所に屯しているケイ達ツアー客や、旅館の従業員にお茶を出して回る。一息ついた気分で一緒に添えられていたお茶菓子など齧っていると、おばちゃんがケイ達のところにやって来て、今回の事件について少し話してくれた。
「大きな声では言えないけど……何でも、女の子の方は格好が乱れてたらしくて」
「え」
おばちゃんの話によって、痴情の縺れである可能性も示唆された。
それから暫く、受付の窓上に設置されている時計が21:00過ぎを指す頃、旅館の男手従業員と加奈が現場から戻って来た。
おじさん達が話している内容を聞いた限り、歳の差カップルが心中したらしき現場で死んでいた少女は、恵美利で間違い無いようだ。
加奈は顔色も悪く、おばちゃんに支えられるようにしながら廊下の奥へと消えた。部屋に一人で帰す前に、食堂の方で少し休ませるらしい。
ケイは哲郎と『どうしようか?』と顔を見合わせると、ちょっと様子を見に行く事にした。
食堂では、俯いて座っている加奈の傍におばちゃんが付いている。が、元々あまり加奈達とは喋っていなかったので、おばちゃんは少しでも二人と接点のあったケイ達に慰め役を託した。
何か暖かい飲み物を淹れて来ると言って席を外したおばちゃんの代わりに、ケイと哲郎が加奈の対面に腰掛ける。
「御堂さん、だいじょうぶ?」
「……」
気遣うケイ達に、黙って俯いていた加奈は、やがてポツリポツリと話し出す。
「いつか、こんな事になるんじゃないかと思ってました」
実は恵美利は、昔から男の人にだらしないところがあって、よくトラブルを起こしていたのだと言う。今回の旅行でも、ケイや歳の差カップルの男性に目をつけていたらしい。
「でも、あの男の人って結構歳いってそうだったけど……」
哲郎が何気なく疑問を口にすると、加奈は軽く息を吐くような調子で『そうですよね』と呟いて、微かに自嘲するような笑みを浮かべた。
「ありがとう、私もう部屋に戻ります。ごめんなさい、変な話聞かせちゃって」
「いや、気にしないでいいよ」
部屋へ戻る加奈を見送り、ケイ達はそのまま食堂でおばちゃんと話をする。警察が来るのは明日の朝になるという。何せ山奥も奥の辺境なので、直ぐには来られないとの事。
男手従業員達は現場の保存などで、立ち入り禁止用のロープを張りにまた出掛けているそうだ。
「多分、あなた達もお話聞かれると思うけど……」
「でしょうね、大丈夫ですよ」
「事情聴取か~、何か緊張するな」
ケイは諸事情で慣れているが、哲郎のような普通の一般人にはあまり馴染みの無い経験だろう。『相棒、肝座ってるなぁ』とか感心されつつ、ケイ達も部屋へと戻った。食堂の時計は22:40頃を指していた。
廊下の自販機で買った缶コーヒーなど啜りながら部屋で話を続けるケイと哲郎。
「大変な事になったなぁ」
「だな。歳の差カップルの二人は、何となく違和感はあったけど……」
まさか心中騒ぎに至るとはと、ケイも哲郎に同意する。
「でも貴重な体験だよ。これなら修羅場スレに書き込めそうだし、今のうちにまとめておこう」
「修羅場スレ?」
聞けば、人生の修羅場とも言える経験をした人々が、その時の体験談を書き込む匿名サイトがあるのだそうな。中には創作もあるが、人に言えない秘密を抱えていたり、誰かに聞いて欲しい人達が色々な体験を綴っているらしい。
「そんなサイトもあるのか……」
「それにしても意外だったよ。やっぱ
「うん? 何が?」
「樹山さんのこと」
『死んだ人を悪し様に言うのはアレだけど』と前置きしながら、哲郎は彼女に感じていた印象について語る。
「ちょっとツンツン態度だったけど、身持ち堅そうに思えたのに……まさか男癖悪かったとは」
「ふむ……。確かに、あんまり遊んでるって雰囲気は無かった気もするな」
まあ彼女に限らず、人は見掛けによらないモノなのだろうと、二人でそんな結論に至る。PCに向かっている哲郎と背中越しに話ながら、ケイは部屋の奥のソファーに身を沈めた。
そうして、窓からほとんど見えない海辺の夜景を眺めていた時だった。
「ん?」
「どうした?」
ケイは、遠くに何か青白い光が浮かぶのを見た。ほぼ一瞬だったが、カメラのフラッシュにしては光の位置が限定的で、拡散してない割りに結構な光量だったように思える。
「今なんか、向こうの方に光が見えた」
「旅館の人じゃないの?」
「いや、懐中電灯とかの明かりじゃなかった。何か青白くて丸い大きめの光」
「何それ、超常現象?」
人魂とかじゃあるまいなと、奥のスペースにやって来た哲郎に、あの辺りだと窓向こうを指差す。人魂のイメージにあるようなボンヤリした光ではなく、やけにハッキリとした光だった印象がある
「あっちは確か、洞穴のある場所だと思うけど」
洞穴には照明設備などは無かった。昼間でも横穴からの光で十分中を見渡せるし、そもそも水没するのだから、危険なので夜は立ち入り禁止になっていた筈だ。
「何か気になるな……ちょっと見てくるよ」
「レポートよろ」
「はいはい」
哲郎から『相棒、やっぱ肝座ってるなぁ』とか言われつつ小型のカメラを預かり、ケイは上着を羽織って部屋を後にした。
ここ三日の間に結構通い慣れた感のある、海岸沿いの田舎道。砂浜海岸と洞穴に続く暗い夜道を小走り気味に駆けて行く。
やがて洞穴方面に向かう道と、洞穴の上の崖に続く分かれ道までやって来た。道の脇にぽつんと立つ電柱には、申し訳程度の街灯の明かり。殆ど真下しか照らせていないが、目印にはなる。
「光は結構低い位置だったから、洞穴の方だな」
洞穴に向かう道へ進んでいると、前方に人影が見えた。不良カップルの片割れで、女の方だ。
明かりは持っておらず、暗いせいか足元を見ながらボンヤリ歩いている様子だった彼女は、ケイの姿に気付くと立ちすくむように足を止めた。
(こんな時間にこんな場所で何を……?)
さっきの光は、彼女達が花火か何かでもやっていたのだろうかと考えるケイだったが、見たところ一人のようだ。とりあえず、このままお見合いをしていても仕方ないので声を掛けてみる。
「こんばんは」
「え? あ、うん、こんばんは……」
何だか酷く動揺している様子に、幽霊でも見たのだろうか? などと思っていると、彼女は一瞬息を呑むように肩を竦めながら、驚いた表情を浮かべてケイの後方に視線を向けた。
ケイが何事かと振り返ると、何かが身体にぶつかって来た。
「え?」
タックル気味な勢いでケイの胸に飛び込んで来たのは、加奈だった。ふわりと舞うセミロングの髪から、シャンプーの香り。腹部に焼けるような痛み。鈍く光る銀色の刃物が刺さっている。
「あ、あんた何やってんのさ!」
不良カップルの彼女が叫んでいる。身体から力が抜けたケイはその場に倒れ込んだ。微かに見上げた視界には、血塗れの包丁を手に見下ろす加奈の姿。彼女の表情は、翳っていて分からない。
意識が遠のく。鐘の音のような響きが木霊する。混濁する意識が覚醒を始め、薄すら白くぼやけていた視界に、色と輪郭が戻る。
樹木の枝葉に縁取られた水色の朝空と、まだらに浮かぶ灰色の雲。それらの風景を覆い隠すように、頭上から現れる人の顔。
「あの、大丈夫ですか?」
加奈が、心配そうな表情で覗き込んでいる。ケイはそのまま疑問を口にした。
「なぜだ?」
「え?」
唐突な問いに戸惑いを浮かべる加奈。その時、彼女の隣に居た恵美利が、加奈の腕を取って引き離しに掛かった。
「何やってんのよ、加奈! 危ないから離れなさいってっ」
彼女達のやり取りを聞きながら、ケイは理解する。
(ああ……)
やはり戻っていたかと。ここは三日前、ツアーの初日に訪れた、旅館前にある広場の祠。石神様が奉ってある場所だ。
「理由はなんだ……?」
半身を起こしたケイは、去って行く彼女達の後ろ姿を目で追いながら一人呟いた。少し落ち葉の混じる地面から立ち上がり、溜め息を吐いて土を掃うと、直ぐ傍に立つ石神様の祠に手を合わせる。
「……とりあえず、旅館に戻るか」
まずは哲郎と親睦を深める所からやり直しだ。
二周目
「お仕事ですか?」
「え? あ、いえ……旅日記というか、ちょっと今日の分のレポートを」
旅館側のミスで相部屋になり、そこで栗原哲郎と出会う。一日目は概ね前回の流れをなぞるように辿った。哲郎と親睦を深め、明日は一緒に撮影に行く。
(問題は二日目からだな)
恵美利との距離を縮めて、彼女の死亡を回避する。そうする事で、歳の差カップルにもトラブルは起きないだろう。ケイは今後の流れをそう推測した。
加奈が自分を刺した理由は分からないが、飛躍した推理をするなら、不良カップルが恵美利や歳の差カップルの死に関わっていて、それを知った加奈が復讐を決意。暗かったので不良カップルの男と間違えた、という可能性などが挙げられる。
(まあ、正確な情報も無い内に色々考えても、際限無いだけで無意味だな)
まずは目の前の問題から対処する。各人の行動が大きく変わらないように、出来る限り前回と同じ流れを作るのだ。
翌朝。
「先に行くぞー」
「うー……」
眠そうにモソモソと服を着替えている哲郎に一声かけて、返事だか呻きだか分からない声を聞きながら廊下に出たケイは、計算通り、丁度廊下に出て来ていた加奈と鉢合わせた。
「おはよう」
「あ、お、おはよう、ございます……」
ケイが挨拶をすると、加奈は若干、戸惑いながら挨拶を返した。昨日の朝、祠の前に倒れていて、謎の問い掛けをして来た得体の知れない人物から当たり前のように声を掛けられれば、戸惑いもするだろう。
だが、同じツアーの客同士。朝の挨拶をしても特におかしい事は無い。彼女達と親睦を深める為、ケイはその辺りから積極的に話し掛ける方針を取っていた。
その時、隣の部屋の扉が開いて恵美利がバタバタと飛び出して来る。
「
「あ、
髪を頭の後ろで纏めながら髪留めのゴムをくわえている恵美利が、はたと立ち止まる。目の前のケイを見上げてしばし固まっている恵美利に、強く印象を与えるべく、ケイは行動に出た。
「クスッ」
「っ!」
ケイに『面白い子だな』というような視線と笑みを向けられ、動揺を浮かべた恵美利の頬が仄かに赤面する。そこへ、予定通り哲郎が登場。
「やー、わりーわりーお待たせー……うん?」
「よーし、朝飯に行こう」
廊下でお見合い状態のケイと恵美利に哲郎が首を傾げたが、ケイはここで恵美利が動き出す前に哲郎を連れて食堂へと移動を始めた。今回は哲郎にも恵美利には良い印象を持って貰う必要がある。
哲郎が恵美利のツンツンに悪印象を持つ前に、彼女達に興味と期待を懐くよう誘導するべく、一言吹き込んでおく。
「哲郎、上手くやればさっきの子達と仲良くなれそうだぞ」
「えっ、ケイって女の子口説いたりするの?」
「別にナンパ師みたいな事はしてないさ。旅慣れると、普通に人と話して仲良くなれるだけだよ」
「な、なるほど……」
食堂では、哲郎にリア充カップル認定されていた二人が不良カップルに認定された。問題の歳の差カップルも前回と変わりなく、奇妙な雰囲気を醸し出している。
(とにかく心中騒ぎの切っ掛けを潰してしまえば、このツアーは平穏に終わるはずだ)
一つ向こう隣のテーブルについている加奈と恵美利達の様子も窺いつつ、ケイは次の接触ポイントでのアプローチを考えていた。
食事を終え、この後の撮影予定について哲郎と話し合う。
「それじゃあ撮影に行こうか」
「哲郎、海岸は後回しにして先に洞穴に行こう」
「へ? なして?」
「出会いの予感がする」
ひそひそと声を潜めて告げるケイに、哲郎も声を潜めながら『マジでー』とノリで返す。洞穴から回る事には特に異存はないらしく、それじゃあ準備しようと一旦部屋に戻る。
食堂を出る際、ほんの一瞬視線を向けて視界の端に捉えた恵美利は、チラチラとこちらを窺っている様子だった。
出発前、哲郎にはカメラに廃墟とか洞窟関連の画像を入れておくようアドバイスをしておいた。撮影に行く洞穴と同じカテゴリの画像を用意しておけば、そこで出会った人と共通の話題が出来る。
わざわざ洞穴を見に来る人は、そういうのに興味がある人だろうから話題になると。
「なるほどー」
と感心した哲郎は、PCから他の旅行先などで撮影した洞窟の写真を、カメラのメモリに移していた。そうして撮影を始めて暫く経った頃――
「わー、もっと真っ暗かと思ったけど、こういうのもいいね」
「なんだか抜け道みたいね」
恵美利が加奈と連れ立ってやって来た。
「ここって、一番奥は――あ……」
「やあ、君達も洞穴を見に来たんだ?」
加奈とお喋りをしながら奥までやって来た恵美利が、ケイ達を見つけて足を止める。すかさず声を掛けたケイは、そのまま会話をする流れへと持っていく。
「二人は友達? あ、もしかして姉妹とか」
「クラスメイトだけど……あたしと加奈ってそんなに似てる?」
「いや、全然」
「ちょっ……」
前回、僅かながらも恵美利と加奈とはコミュニケーションを交わしていたので、そこから覚えている限りの、恵美利が好む話題の振り方、会話の繋ぎ方を駆使して興味を引く。
哲郎はカメラを胸に『出会いが』『マジで』とオロオロしていて使えないので、全面的にケイがリードしていくのだ。
「俺と哲郎は旅館の手違いで相部屋になってさ。結構気が合ったんで、結果的には良かったよ」
「え、そんな事ってあるんだ?」
旅先でのハプニングが良い結果に転がった、というような話に良い反応が得られる。恵美利も旅行にはよく出かける方らしい。加奈と旅行に来たのは今回が初めてのようだ。
「へ~、中学からの友達なのかー」
「うん……まあね。そういえば、ケイ君ってなんであんなところで寝てたの?」
ケイは恵美利と加奈の関係を話題にして親睦を深めようと試みたが、恵美利は昨日の広場での話を振って来た。ケイが石神様が奉っある祠前で目覚めた時の事だ。
恐らく一周目の時は、二人は祠前で手を合わせているケイの姿を見ていたと思われる。二周目の今回、倒れているケイを見つけて加奈が声を掛けた。
もしくは、石神様に記憶を運ばれたケイがあの時間に戻った瞬間、その場に倒れた筈なので、倒れるところを見て駆け寄って来たのかもしれない。
「んー、寝てたというか何というか――」
ケイは答えながら、ちらっと加奈に視線を向けた。「ん?」と、ケイの視線を追って恵美利が加奈を振り返る。あの時の事についてコメントを求められていると感じた加奈は、自分が見たままを語った。
「えっと……曽野見さんが、急に倒れるのを見たから」
「あれ? そうなんだ?」
加奈はあの時、恵美利に腕を引かれながら、さっきの
今回のファーストコンタクト時の正確な状況を上手く聞き出せたケイは、早速その情報に基づいて話を作りつつ、恵美利達と親睦を深めるネタにする。
「酸素が濃かったのか、寝不足だったせいか、急にフラ~となってね。しかしそうか~、加奈ちゃんが気付いてくれたのに、恵美利はスルーしたのかー」
「えっ! あ、いや、だって何か怪しかったじゃんっ」
「基準が分からん」
そんな会話で盛り上がりつつ、ケイは哲郎が置いて行かれないようネタを振って、恵美利が話題逸らしに使うように誘導する。
「そういや哲郎、あの祠は撮影するのか? 何か"廃墟"っぽい絵になりそうだけど」
「え? あ、ああ、あの辺りも後で、旅館と纏めて撮るつもりだよ」
「哲郎君て、廃墟とかも写してるの?」
「う、うんまあ、一応」
狙い通り、廃墟好きな恵美利が話題逸らしも兼ねてそのネタに食い付く。恵美利は、哲郎がブログ用に旅行先で色々と撮影している事を聞いて、興味を懐いた。
「軍艦島とか行った事ある?」
「む、昔、ツアーで行った事あるかな」
「恵美利って、そういうの好きなのか」
「うん、あと洞窟とか」
上手く話題が繋がった、と内心でガッツポーズなど浮かべたケイは、ごく自然な流れで仕込んでおいたネタへと導く。
「あーそれで
「え? どこの洞窟? 見せて見せて」
恵美利に急かされるようにしながら、カメラのウインドウに洞窟画像を呼び出した哲郎は、ケイに尊敬の眼差しを向けた。ケイは軽く目配せしてそれに応える。
洞穴で洞窟の画像を閲覧するという、妙なコミュニケーション。しかしこれで一気に、恵美利、加奈達と親睦を深める事が出来た。
(よし、明日も一緒に行動すれば、歳の差カップルとのトラブルも防げる筈だ)
ケイは目論見通り事が進んでいる状況に、ひとまずホッとする。恵美利と歳の差カップルの男性に間違いが起こらなければ、突発的な殺人や心中も発生しない。
後は無事にツアーが終われば、同年代の気の良い友達が増えて平穏な日常に戻れる筈だ、と。
その後、ケイ達は洞穴の上にある岸壁や砂浜海岸を一緒に回りながら撮影を続け、昼頃には旅館へと戻った。食堂で昼食も一緒に済ませると、哲郎は部屋で画像の整理、ケイは旅館の施設巡りなどで夕方までの時間を過ごす。
(ん? あれは恵美利か)
ケイは一階にある遊戯室の窓から、旅館前の広場をぶらぶら歩いている恵美利を見かけた。彼女達も今は別行動をしているようだ。
哲郎の様子でも見に部屋へ戻ろうかと廊下を歩いていると、大浴場の出入り口前で加奈と出くわした。こちらはお風呂に入っていたようだ。
「あ……」
「やあ」
ケイが軽く手を振って声を掛けると、加奈は着替えなどが入った鞄を胸に小さく会釈する。少し湿った髪が揺れ、微風に乗ったシャンプーの香りがケイの鼻孔をくすぐる。
一瞬、加奈に刺された時の事を思い出したケイは、前回の加奈に感じた違和感の事を考えた。
加奈が恵美利を振り返る僅かな瞬間に浮かべた、あの突き刺すような視線、嫌悪の眼。今回はまだ、あの時の表情を見ていない。
(単なる見間違いか……あるいは、向けられた対象が俺だったか)
「?……あの?」
急に黙り込んでじっと顔を見つめて来るケイに、加奈は戸惑いながら小首を傾げる。
「ああ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「か、考え事ですか……」
人の顔を凝視しながら考え事というのもおかしな行動である。加奈に不信感をもたれないよう、ケイは探りも兼ねたフォローを入れてみる。
「正確には、君に見とれてた、かもしれない」
「な、なに言ってるんですか急に」
ふわっと、加奈の首元が上気したのは、お風呂上りで体温が上がっている為か。少なくとも、冷たい視線を向けられる事は無いようだ。
「はっはっは、冗談冗談」
「もう……曽野見さんって、実は結構軽い人なんですか?」
ちょっと"警戒の眼差し"で上目遣いにそう訊ねて来る加奈。今回は前回とは状況が違っているので、一概には断定できないが、やはりあの時の視線は恵美利に向けられたモノと考えて良いのかもしれない。
「フレンドリーなだけさっ」
「ふふっ 確かに、曽野見さんってお話し易いですね」
(……ま、前回の記憶ってアドバンテージがあるからなぁ)
相手が好む話題や、安心する距離というものを最初から知っているので、第一印象を最良のものにする事が容易だ。
風呂上りに廊下で長話するのもなんだからと、部屋に帰る途中だったケイは加奈と連れ立って客室のある二階へ移動。部屋の前で別れた。
部屋に戻ると、哲郎がカメラを繋いだPCの前で作業を続けていた。
「ただいまー」
「おかえり、ここともー」
「何それ?」
「心の友よの略」
哲郎の妙な造語に、略す必要があるのかそれはと突っ込むケイ。恵美利や加奈達と仲良くなれた事で、哲郎のテンションが上がっているようだ。
「なぜ略した……それより哲郎、夕食の時に多分、恵美利達と一緒になると思うから、明日の予定について打ち合わせしておくぞ」
「明日の予定?」
明日も一緒に行動するよう話を持ちかける。今日は主に風景の写真を撮ったので、明日は"ツアーで知り合った友人"という名目で恵美利や加奈を被写体にするのだ。
「撮影OK貰えたら、昼から一緒に行動。ダメ元で誘ってみよう」
前回の記憶では、明日の加奈と恵美利は、かなり早い時間に起きて活動していた。そして昼食時には、二人で食堂に向かっていた。朝が弱い哲郎は起きられない可能性がある。よって、確実に接触出来る昼の時間を狙うのだ。
(歳の差カップルとの接触も、出来るだけ阻止するようにしないとな……)
ケイは前回、恵美利が歳の差カップルの男性と問題を起こしたのは、三日目の昼過ぎから夕方にかけて、加奈と別れた後だと推測していた。
したがって、今回は哲郎の編集作業を早めに終わらせ、明日の昼に時間を作って、恵美利達と行動出来るよう画策する。
「朝は旅館の撮影、昼からは上手くいけば恵美利や加奈ちゃんをモデルに撮影会だ」
哲郎は『おおうー』と、どこか緊張気味に感嘆した。
「わ、わかった。ここともに任せる」
「……"相棒"にしないか?」
やはり"こことも"は違和感があると、前回の呼び名を提案するケイなのであった。
§ § §
夕食時。ケイと哲郎が食堂にやって来ると、恵美利がこっちこっちと手を振っている。前回の時よりも親しくなっているので、ごく自然に彼女達と対面のテーブルに着いた。お茶を配っていた食堂のおばちゃんが「すぐ用意しますねー」と厨房に入って行く。
恵美利達と互いに「そう言えば何処から来ているのか」と言うような話題で雑談を交わしつつ、ケイは明日の昼から撮影会をやらないかと持ち掛けた。
「旅の思い出的な感じでさ、出会った人の写真も記念に撮っておきたいじゃないか」
「うーん、どうしよっかな~」
恵美利は満更でもなさそうにしながら、加奈に「どうする?」と相談している。ツアー客同士で記念撮影をするなどの交流は、特に珍しい訳でもない。加奈も少しくらいならと、撮影される事には同意した。
「あ、写真画像は、後で纏めて、ネット環境が……」
「なるほど、アドレス交換しておけば後でメールで送って貰えて便利だな」
哲郎のたどたどしい提案をケイがフォローする。恵美利と加奈は、昼間の洞穴での画像鑑賞で哲郎がPCを使ってカメラの画像を編集している事も聞いていた。その為、特に躊躇する事もなく連絡用のアドレスを教えてくれる事になった。
「そう言えば、二人はクラスメイトだっけ?」
「う、うん……」
(……ん?)
少し言いよどむ恵美利の様子に、ケイは洞穴で話した時も同じような反応を見た事を思い出した。学校の話題を避けたいのなら、別の話題に切り替えようとするケイだったが――
「小学生の頃から一緒の学校だったんですよ」
加奈が、そう言って割と長い付き合いである事を明かす。恵美利は、若干の戸惑いを浮かべながら加奈の顔を窺っている。二人は確か、中学の頃からの友達だったと聞いていた。
「へ~、じゃあ小学校の頃も顔を会わせる事はあったわけだ。一応、幼馴染になるのかな」
「ま、まあ、そんなとこかな」
ケイは二人の表情を注意深く観察してその心情を探り、慎重に言葉を選ぶ。恵美利が学校の話題を避けるのには、何か事情がありそうだ。加奈の様子を窺う恵美利の表情からは、何かを気遣っているような雰囲気が感じ取れた。
「なんか、いつも加奈ちゃんが恵美利に振り回されてる図が浮かぶ」
「そ、そんな事無いわよ」
「ははは、でも一緒に旅行が出来るような友人がクラスメイトに居るのはいいね」
ケイがそう話を振ると、加奈が今回の旅行は恵美利が自分に付き添ってくれたようなものである事を明かす。
「こういうツアーには以前から興味はあったんですけどね。私、一人で旅行とかしたことなくて」
「へえ、そうだったのか」
「……加奈が、熱心にパンフレット見てたから。あたしに出来る事をしてあげたいなって、思ったのよ」
恵美利は少し照れるように視線を逸らしながら、「大事な友達だから」と呟いた。ケイは、なるほど照れ隠しの類だったかと内心で推察する。それなら無理に話題を避ける必要も無い。
「いい友達を持ったね」
「……そうですね」
ケイの言葉に微笑む加奈。
(……?)
一見すると照れているようにも見えるが、ケイは直感的に加奈の表情に違和感を覚えた。恵美利の表情からは、どこかほっとしたような心情が読み取れる。しかし、加奈の微笑みは、目だけ笑っていない。
ケイは、二人のプライベートに触れる話題には今後も注意が必要だなと、心のメモ帳に刻んでおくのだった。
「じゃあまた明日」
「うん、またね」
夕食を終え、まだしばらく食堂でゆっくり過ごすつもりらしい恵美利、加奈達と分かれたケイと哲郎は、自販機で食後のコーヒーなど買って自分達の部屋へと戻る。
「相棒、やっぱすげーわー」
「そうか? 哲郎もいいタイミングの提案だったと思うぞ?」
哲郎は、ケイのフォローで恵美利と加奈のメールアドレスをゲット出来たと、心底感心している。自分一人だったら彼女達と仲良くなれる機会さえ無かっただろうと。
「何にせよ、明日も平穏に過ぎるよう楽しもう」
「ボクにとっては平穏どころか刺激に満ちてるよ」
そう言ってニコニコしている哲郎は、就寝するまでずっとご機嫌な様子だった。
三日目。
何時もより少し早起きした哲郎と共に、朝から旅館を撮影して回る。ケイは前回より早めに非常階段の踊り場に出ると、そこから周囲を見渡した。
恵美利達が砂浜海岸から洞穴への道を移動しているのが見える。そして、旅館前の道を不良カップルが下りて行く姿があった。これから砂浜海岸に向かうのだろう。
(なるほど、この日の恵美利達は最初、砂浜海岸を見に行って、その後洞穴に向かったのか)
恵美利達と、ついでに不良カップルの正確な足取りを確認したケイは、広場の方を見下ろした。そこには、歳の差カップルが旅館前の小道を歩いている。あの二人はこの後、雑木林へ向かう筈だ。
(……大丈夫だよな?)
一抹の不安も覚えつつ、ケイは散歩する彼等を見送った。
早めに旅館各所の撮影を済ませた哲郎は、昼の撮影会に間に合わせるべく部屋でPCに向かって編集作業に入っている。
ケイは作業の邪魔をしないよう部屋を出ると、非常階段の踊り場から周囲を見渡して各人の動きを観察する。前回、この時間はまだ撮影をして回っていた。
広場の一角には、掃除で集められた落ち葉の山が幾つか並んでいる。歳の差カップルの姿は既に見えない。今は雑木林の中を散歩している頃だろうか。
海岸の方を見れば、不良カップルの女が洞穴方面の崖上の道を下りて来ている。男の方は旅館に戻る道のずっと先を、時々女を振り返りながら一人で歩いていた。
(そういえば、前回の夜のあれは何だったんだろう?)
前回、深夜に見た謎の光。夜道で遭遇した不良カップルの彼女から話を聞く前に、加奈に刺されて戻って来てしまった。なので、あの光の正体や不良カップルがあの時間、あそこで何をしていたのかは分からず仕舞いだ。
(まあ、単なる"カップルの不埒な行為"なら、特に気に掛ける必要もないだろうけど)
食堂のおばちゃんに聞いた"夏場の不埒なカップル"という困った客のカテゴリに入るだけだろう。
(ああ、そうだ。今回はおばちゃんとあまり交流してないから、今の内に適当に喋っておくか)
他の客達に関する貴重な情報源だ。親睦を深めておけば、重要な情報も聞き出し易い。あの事件が起きた夜に色々詳しい事情を知れたのも、おばちゃんの話し相手になっていたからこそである。
部屋の哲郎に一声かけて食堂に向かったケイは、昼食の下準備を済ませて一休みしているおばちゃんに、サロンなど施設の使い方を訊ねながら雑談に持ち込む。旅館の歴史や困った客の話など、概ね前回哲郎と共に昼食を一緒しながら聞いた内容が殆どだった。
哲郎が夜中に飲み物を買いに行った時に聞いたという、歳の差カップルの不倫疑惑についても、若干詳しい内容を聞く事が出来た。
(男性の方は、
『杵島さんは五十代くらいに見えたけどなぁ』などと考えつつ、おばちゃんとの雑談を終えたケイは食堂を後にした。そろそろ昼前になる。
「おや?」
部屋に戻ろうと廊下を歩いていたケイは、階段前まで来たところで、玄関脇の休憩所に加奈が一人で居るのを見つけた。一応、声を掛けてみる。
「加奈ちゃん、一人?」
「あ、曽野見さん。はい、恵美利はまだ洞穴にいるみたいです」
先に帰って来たという加奈は、何だか肩の力が抜けているような、妙にスッキリとした表情をしている気がした。
「そうなんだ? 恵美利は本当に洞穴好きなんだなぁ」
「そうですよね」
微笑んで同意する加奈。ケイは、前回とは随分違う流れだが、今日までの経緯が色々変わっているのだから、行動も変化して当然だろうと考える。
「恵美利が、お昼からの撮影会を楽しみにしてましたよ?」
「そっか、哲郎にも言っておくよ」
良い流れになったのなら問題無い。ケイはそう納得しておいた。
正午になる頃。そわそわと落ち着きがない哲郎と連れ立って食堂にやって来たケイは、食堂内を見渡して恵美利達を探した。が、まだ二人とも来ていないようだ。先に席についておこうと、いつものテーブルへ向かう。
ふと見れば、向かいのサロンに不良カップルの姿があった。前回、昼食を受け取りに来た時は、男に何か苦手なものがあり、女がそれを軽く詰るなどのやり取りが見られた事を思い出す。
「それでよー、オレがそいつに言ってやったんだよ」
「へぇ……」
今回は女の方がどこかぼんやりした雰囲気で、男の自慢話に適当な相槌を打っている。苦手なモノの話題はもう終わったのか、あるいはこれからなのか。
(ま、どうでもいいか)
特に気にする事でもないなと、ケイは不良カップルから意識を外した。
それから暫く経った頃。おばちゃんが持って来てくれた昼食を前に、ケイと哲郎は先に頂こうかと話しているところへ、加奈が食堂にやって来た。恵美利の姿は無い。
「あれ? 加奈ちゃん、こっちこっち。恵美利は?」
「あ、曽野見さん、栗原さん。それが、まだ帰って来ないんですよ」
困ったような表情をしながらテーブルまでやって来た加奈は、恵美利が直接食堂に来ているかもしれないと思って下りて来たのだそうだ。
「ど、どうしたんだろうね? まだどこか歩いてるのかな?」
「うーん、どうなんでしょう?」
頑張って会話に参加して来た哲郎の言葉に、加奈は呻りながら小首を傾げている。ケイは、そんな哲郎のフォローに回るよりもまず、食堂内を見渡して今現在、確認出来る人物を把握する。
そして加奈にもテーブルにつくよう促すと、そのまま席を立つ。
「哲郎、ちょっと厨房行って来るから後頼む」
「え? ああ、そっか、分かった」
哲郎は、ケイが加奈の昼食を用意してもらえるよう、食堂のおばちゃんを呼びに行くのかと納得して送り出す。
――ケイは、内心で嫌な予感を覚えていた。
(食堂には俺達だけ。サロンに不良カップル。恵美利は洞穴? 歳の差カップル――杵島さんと城崎さんはどこだ? まだ雑木林か?)
厨房の入り口にやって来たケイは、配膳の準備をしているおばちゃんに加奈が来た事を伝えると、恵美利と歳の差カップルの二人の事も訊ねてみる。
「あらあら、じゃあすぐ持っていくわねー。樹山さん? う~ん、朝食の後は見てないわねぇ~。杵島さん達は、今日は朝も食べに来なかったし」
「そうですか……」
食事を運ぶおばちゃんと一緒にテーブルまで戻ったケイは、とりあえず昼食を終えたら恵美利を探しに行こうと提案した。
「撮影会は中止だな。もしかしたら、どこか変な道に入って迷子になってるかもしれない」
「ああ、近道しようとして遠回りになったりとか」
「それじゃあ、行き違いにならないように私は部屋で待機してますね」
ケイの提案に哲郎と加奈も同意し、ケイと哲郎は洞穴から旅館方面に伸びる小道などが無いか付近を捜索。加奈は部屋で待つ事になった。
洞穴に続く道は向かって左側に砂浜海岸が広がり、反対側には雑木林が広がっているので、ケイはそちらを優先して探すつもりでいた。
今さっき哲郎が言ったように"近道"をしようとして雑木林に入った恵美利が、そこで歳の差カップルと遭遇する可能性もある。だが今回は早い段階から恵美利、加奈の二人と行動を共にしていたので、恵美利が歳の差カップルの男性、杵島さんにアプローチをする暇は無かった筈だ。
もし雑木林で遭遇しても、同じツアーの客として挨拶するくらいだろう。偶々、歳の差カップルの女性、城崎さんが席を外していて、僅かな時間に恵美利と杵島さんが意気投合し――などという事もありえなくはないが……。
今日の朝方、旅館前を行く歳の差カップルを見送った時に覚えた"一抹の不安"を改めて胸に懐きつつ、昼食を済ませたケイは、一度部屋に戻って準備を済ませると、哲郎と連れ立って洞穴方面へと出発した。
§ § §
ケイは雑木林方面を優先的に調べたかったが、一応近い場所から順番に見て回ろうと、砂浜海岸にやって来た。
そして、それを見つけた。
潮が引いて広くなった砂浜に、寄せては返す
「あ……あ、相棒……あれ……あれって……」
「……」
立ち尽くすケイ達の、三メートルほど前方。砂浜にうつ伏せで横たわっていたのは、恵美利だった。衣服の濡れ具合や絡みついた海草などの様子から見て、海から砂浜に打ち上げられたらしい。
「哲郎、旅館に連絡して、人を呼んで来てくれないか。それと、カメラを貸してくれ」
「え? と、撮るのか?」
「警察の鑑識向けに現場写真を撮っておく」
「ああ、そ、そうか」
ケイの説明に「なるほど」と納得してカメラを預けた哲郎は、よたよたしながら旅館への道を戻って行く。砂に足を取られまくっているのは、動揺のせいもあるのだろう。
「足元に気をつけろよ?」
「う、うん」
哲郎を見送り、恵美利の遺体に向き直ったケイは、順番に写真を取り始めた。周囲に足跡などは無く、他の漂着物も見当たらない。離れた位置からぐるりと移動して全景を収めたケイは、恵美利の遺体にゆっくり近づいた。
一応、脈の確認も行ったが、やはり亡くなっているようだ。ぼんやりと目の見開かれた横顔は、石の彫刻のように冷え切っていた。
なるべく触れないように気をつけながら、全身を撮影していく。首筋に虫に刺されたような小さな赤い痣があるくらいで、特に外傷は見当たらない。服も乱れておらず、指先は爪も綺麗なままだった。
(事故か、事件か……)
色々考えているところへ、哲郎に通報を受けた旅館の人が駆けつけた。遺体を観察していたケイに、旅館の年配従業員が注意を促しながら走って来る。
「にいちゃん、触っちゃいかんよ!?」
「ええ、まだ触れてないですよ。脈は調べましたけど」
カメラを手に遺体の傍で佇むケイに、若い男手従業員達が訝しそうな目を向けるも、警察に提出する現場写真を収めていた事を説明すると納得していた。
地元で事故死した人を何人も見て来た経験を持つ年配従業員が、これは溺死だと死因を推定する。とりあえずここに置いておくとまた流されてしまうので、旅館まで運ぼうと担架が用意された。
仰向けになっても、恵美利の遺体にはこれといった外傷は無かった。その事から、崖から落ちたわけではないと推測される。
運ばれて行く恵美利。ケイは遺体を乗せた担架の後に続きながら、色々と考えを巡らせる。
(そういえば……今は潮が引いてるけど、今日の満潮は朝方で洞穴は水没していた? 洞穴の水没に巻き込まれた? それで、ここまで流されてきた?)
しかし、前回はそんな事は起きなかった。昼食時に加奈と一緒に帰って来ていたのだ。なぜ、今回は途中で別行動を取ったのか。
(今日も、朝から一緒に行動しておけばよかったかな)
ケイはそんな後悔を浮かべながら、旅館までの道程を歩いたのだった。
旅館に戻ると、入り口の所で哲郎が待っていた。入って直ぐの休憩所には、食堂のおばちゃんと加奈の姿もあった。既に事情は聞いているらしく、加奈は青い顔で担架を見つめている。
「加奈ちゃん……」
「……」
ケイが声を掛けると、加奈は静かに会釈した。そして、おばちゃんに支えられるようにしながら、恵美利の遺体が安置される別室へと、運ばれる担架の後に続いた。
今は話を聞ける状況ではない。そう判断したケイは、隣で所在無さ下げに立っている哲郎に部屋へ戻るよう促す。
「これ、中身PCに移してくれないか。あと、画像の確認もさせて貰えると助かる」
「あ、ああ、そうだね。警察が来るまでに纏めといた方がいいかも」
カメラを哲郎に返し、二人で部屋へと戻る。階段の上には不良カップルの姿があった。男の方は『何か事件が起きたらしい』という周囲の空気に、野次馬根性を出しているらしい。そわそわニヤニヤしながら何があったのか訊ねて来たので、ケイはツアー客の女の子が事故死した事を伝えた。
「砂浜に流れ着いてたのを見つけたんです」
「うぇーマジかよ、水死体かっ」
その配慮の無い物言いに、哲郎は眉を顰めると、そのまま黙って部屋へ向かった。女の方は一瞬はっとしたような顔を向けて来たが、何だか複雑な表情を浮かべて視線を一階ホールに戻す。
(……?)
ケイは、そんな彼女の様子に少し違和感を覚えた。これまで相方の男と、傍若無人な振舞いをしていた人物とは思えないような、憂いを帯びた雰囲気。
(そう言えば、前回の時も事件が起きた夜はやけに静かだったな……)
動揺がハイテンションになって表れていた男とは対照的だったので、印象に残っている。見た目はケバイ系だが、根は良識を弁えた普通の感覚を持つ人なのかもしれない。ケイは彼女に対して、そんな風に思った。
部屋に戻ると、哲郎がカメラを繋いだPCの前に陣取り、画像ファイルの転送を行っていた。専用フォルダを用意して、そこに恵美利の現場写真を纏めている。
「なんだあのドキュン男め」
藪から棒に不良カップルの男を非難する哲郎。
「ああ、あれは動揺してるんだと思うぞ」
基準がよく分からないプライドを守る為、自分を強く見せようと厳粛な場で不謹慎な言動を行う輩は珍しくない。ケイは憤懣やるかたない様子の哲郎にそう言って宥めながら、彼の隣に並んで座ると、纏められた画像をチェックする。
「……特に不審な所は見当たらないな」
「彼女、泳げなかったとか、だったのかな……」
昨日今日に知りあったばかりとは言え、楽しくお喋りもした相手に降りかかった、突然の不幸。哲郎はすっかり消沈している。
「明日の朝には警察が来るらしいから、詳しい事が分かるのはそれからだろう」
もっとも、少し親しくなった程度の関係でしかない自分達に、事故の詳しい内容が語られるとも思えないが。ケイはそう言って、画像のチェックを終えた。
夕方前。ケイと哲郎は、まだ少し早い時間だったが、夕食を取りに食堂へと繰り出す。
「あ」
食堂には、一人ぽつんと座っている加奈の姿があった。哲郎が食堂の入り口から踏み出せず躊躇してしまっている。ケイは哲郎を促しつつ、そのまま加奈の居るテーブルへと向かう。
「加奈ちゃん」
「……曽野見、さん」
「大丈夫?」
「はい……」
加奈は「部屋に一人で居るのが辛いから」と、食堂まで下りて来ていたらしい。恵美利の事故について、一人で先に帰って来た事を悔やんでいる様子だった。
ケイが加奈と話している間に、哲郎が食堂のおばちゃんとお茶を持って来てくれた。食堂のおばちゃんは『その子の事よろしくね』と言いたげな目配せをして、厨房へ戻って行く。
前回の時と同様、おばちゃんは加奈達とはあまり会話もしていなかったので、自分では彼女の力になれないと思ったようだ。傍について慰める役回りを、少しでも親しくしていたケイと哲郎に任せたらしい。
「恵美利のご家族には?」
「旅館の方が、連絡してくれました……明日、警察の方と一緒に来るそうです」
「そっか」
ゆったりと湯気の上がるお茶を前に、ほとんど会話も無く並び座る三人。無理に会話をする必要もないと、ケイはただ静かに加奈の傍らに寄り添い、哲郎もそれに倣った。
食堂の壁に設置されている時計は16時40分頃を指している。秒針の音がやけに大きく聞こえる。そんな食堂の静寂を破るように、無粋な声が響いてきた。
「おーい、サロンから酒持って来いよ酒、リエもやるだろ?」
「んー、あたしは今はいいよ」
不良カップルが夕食を取りに下りて来たようだ。彼等はいつものテーブルの端に陣取ると、男は女にサロンから酒を持って来させて、小さいグラスでちびちびやりはじめた。
ケイは、あからさまに不機嫌になる哲郎を宥めつつ、食堂内を見渡す。厨房では、おばちゃんが配膳の準備を始めている様子が窺えた。
(歳の差カップルが来てないな……)
朝方、旅館前の小道を散歩する歳の差カップルを見送った時に感じた、一抹の不安を思い出す。厨房の流し台の音と、不良カップルのぼしょぼしょ喋る声が響く食堂で、ケイは嫌な予感を覚えながら、一定のリズムを刻む時計の秒針を眺めていた。
やがて時刻は17:00を回った。歳の差カップルはまだ食堂に現れない。厨房のおばちゃんが内線電話で誰かと話している。その表情が驚きから困惑に変わったのを見て、ますます嫌な予感を募らせたケイはおもむろに席を立った。
「相棒?」
「ちょっと、おばちゃんと話してくる」
戸惑う哲郎にこの場を任せ、厨房の入り口に向かったケイは、おばちゃんが電話を終えるのを待って声を掛けた。
「杵島さんと城崎さんが、まだ来て無いみたいなんですけど……何かありましたか?」
「曽野見さん、いやそれがね、今内線で連絡があったんだけどね」
おばちゃんは声を潜めるように口元で手をパタパタさせながら、旅館の男手従業員が雑木林で大変なものを見つけたらしいと、連絡の内容を教えてくれた。
恵美利の件で警察が来るので、その事を知らせておくべく手の空いた従業員がツアー客全員に連絡を取って回っていたのだが、夕方になっても歳の差カップルの所在が掴めなかった。
部屋には帰っておらず、朝方に雑木林へ向かう姿が目撃されていたので、道に迷っているのではないかと探しに出かけた従業員が、奥まった場所で二人の遺体をみつけたのだという。
「なんかね……心中じゃないかって話でねー」
おばちゃんはそう言うと「まだ他のお客さん達にはナイショよー?」と人差し指を立てる。その時、食堂から苛立つような声が響いて来た。
「おーい、イイから先に食おうぜ」
不良カップルの男が、酌に使っていたグラスを御つまみのナッツでチンチン叩く。
夕食はツアー客全員で、という決まりだったが、実質、今食堂にいる者で全員揃った状態になっていた。おばちゃんや厨房の人達は、とりあえずこのまま夕食をとってもらう事にしたようだ。
ケイは加奈と哲郎の待つテーブルに戻りながら、内心で疑問を浮かべていた。歳の差カップルの心中は、恵美利と男性の浮気による突発的な事件ではなかったのか? と。
(恵美利の事故は、本当に事故なのか……?)
外傷は見当たらなかったと思うが、詳しく調べたわけではない。とりあえず席に戻ったケイは、夕食をとりながら加奈に恵美利の行動について聞いてみる事にした。
「加奈ちゃん、恵美利と一緒に行動していた時、彼女が他に誰か親しくしていた男性って知らないかな?」
「え? 男性、ですか……? さあ……」
加奈は覚えが無いといった感じで首を傾げた。質問の意図を測りかねている様子だ。ケイは、まさかとは思うが念の為に、不良カップルの男と話したりはしていないかとも訊ねる。
「あの人達とは話した事無いです……それに、恵美利はあまり男の人と親しくなりませんから」
恵美利は人と打ち解けるのは早いけれど、根は真面目で通しているので、男の友人はいても深い関係になる事は無く、クラスメイトからも男っ気が無いと言われていると、加奈は答えた。
(……あれ?)
ケイはその言葉に違和感を覚える。しばし言葉に詰まるケイに、加奈は訝しむような視線を向けると、静かに席を立った。
「あの……気分が優れないので、休んでいいですか」
「ああ、ごめん」
軽く会釈して食堂を後にする加奈の背中を見送るケイは、内心で疑問を浮かべる。
(男癖が悪いんじゃなかったっけ? 前回と言ってる事が違う……恵美利の名誉の為に黙ってる? いやしかし――)
「相棒~、今のは良くないよ……」
「ああ、そうだな。気をつける」
親しい友人を亡くしたばかりの相手に根掘り葉掘り聞くのはどうかという哲郎の指摘に、ケイも同意して反省して見せた。
その後、夕食の時間も終わって日が暮れた頃。旅館の玄関ホールがにわかに騒がしくなった。歳の差カップルの心中の件で、確認に出掛けていた従業員達が戻って来たのだ。
遺体を運ぶか、現場保存しておくかとういう相談を始めている。ケイは従業員のおじさん達が現場から戻って来るのを知っていたので、予め玄関ホールの休憩所で待っていた。
哲郎もケイに付き合ってこの場に居る。哲郎は「部屋で一人でいるのも息が詰まるから」と言っていたが、実は先程の加奈の事で、ケイに非難めいた言葉を投げかけたのを気にしてるが故の付き合いであった。ケイの様子が何となくおかしいのを誤認している。
おじさん達の話し声に耳を傾けると、やはり女性は首を吊り、男性は刺されて死んでいるようだ。騒ぎを聞きつけて休憩所に顔を出していた不良カップルの男が、呆然とした表情で呟く。
「マジかよ……どうなってんだよ、これ……」
(ああ、まったくだ)
動揺している不良男の零した言葉に、ケイは密かに同意した。
「哲郎、部屋に戻ろう」
「え、ああ、うん……」
今この場で得られる必要な情報を確認したケイは、哲郎を促して部屋へと戻る。哲郎は、少しだが親しく話した相手が事故死。交流は無かったが、同じツアーのカップルが心中。立て続けに不幸が起きてショックを受けているようだ。
部屋に戻ってきた哲郎は、修羅場スレ向けに今日の出来事を纏め始めた。何かしていないと気が滅入るといった様子だ。
必然的に会話も少なく、ケイは奥のソファーに身を沈めて色々と考察を深めていた。
(何かおかしい……)
洞穴。事故。心中。加奈に感じた違和感。前回、彼女に刺されたのは、洞穴前の道だった。
(まさか、加奈が?)
暗い窓の外を注意深く眺めながらそんな事を考えていたケイは、洞穴方面に例の青白い光が浮かび上がったのを見た。今回は初めから注視していたので、よりはっきりと見る事が出来た。やはりカメラのフラッシュのような、僅かに瞬く閃光のようだった。
ソファーから立ち上がったケイは、上着を手に部屋の扉へと向かう。
「相棒?」
「ちょっと出て来る。それと哲郎、警察が来るまで恵美利の画像ファイルは隠しておいてくれ。他の誰にも見せないようにな。後、絶対一人で行動するなよ? 加奈ちゃんが相手でもだ」
「え? な、なんだよそれ」
困惑する哲郎に、念の為だと言って納得させると、光の正体を調べに部屋を出た。加奈達が宿泊していた隣の部屋を見ると、扉の下の隙間に明かりは見えない。
既に眠っているのか、明かりを点けていないだけなのか。ケイは足音を立てないよう、そっと廊下を移動する。その隣にある不良カップルの部屋も静かだ。さらに隣の歳の差カップルの部屋は言わずもがな。玄関ホールの休憩所も、今は静まり返っている。
外から旅館の窓を見上げて見たが、やはりこの時間に部屋の電気が灯っているのは、ケイと哲郎が泊まる201号室だけのようだった。
ふぅっと一息、深呼吸して気持ちを整えたケイは、海岸沿いの夜道を駆け足気味に歩き出した。砂浜海岸に下りられる一帯を通り抜け、やがて目印となる電柱の街灯が見えてくる。
洞穴方面に向かう道と、洞穴の上の崖に続く分かれ道だ。呼吸を整え、一度後ろを振り返ったケイは、誰も居ない事を確認して再び歩き出す。
すると、街灯の下を不良カップルの女が歩いて来るのを見つけた。前回と同様、ケイの姿を認めた彼女は、一瞬息を呑むように立ち竦む。
「こんばんは」
「え? あ、うん、こんばんは……」
「こんな時間にどうしたんですか?」
「え……あっ、い、今、人をっ 人を呼びにいこうとしてたの! 彼が崖から落ちちゃってっ、途中にしがみついてて!」
ケイの問いかけで我に返ったかのように、彼女は酷く取り乱しながらそう訴える。
「ちょっと来て!」
そう言って走り出した彼女は、崖上に続く坂道を上り始めた。ケイは前回、彼女が洞穴方面から歩いて来ていたような気がしたが、とにかく後を追う事にした。一応、後ろを確認、加奈は来ていない。
「セイジ! 人を呼んで来たからっ」
洞穴の上の崖の端で、四つん這いになっている彼女は、崖から身を乗り出すようにして声を掛けている。
(男の名前は"セイジ"っていうのか。この人は"リエ"って呼ばれてたな)
ケイは"リエ"の隣に並んで崖下を窺うが、真っ暗で何も見えない。風と波飛沫の音が響く中、ケイがどの辺りに"セイジ"さんが居るのか尋ねようとしたその時――
バチバチッ
「ッ!?」
青白い閃光と共に、ケイの脇腹から全身に衝撃が走った。ぐらりと揺らぐ身体を両腕で支えながら脇腹に視線を向ければ、テレビのリモコンにも似た黒い箱状の物体が押し当てられている。先端には短い金属の突起。
(スタンガン? 光の正体はこれか?)
ケイは直感的にそう悟った。スタンガンを握り締めている両手は、微かに震えているのが分かる。その腕を伝うように視線を上げて、持ち主の顔を見上げると、必死の形相の彼女からもう一撃。
今度こそ完全にケイの身体から力が抜ける。崖から落ちる最後の瞬間、ケイが見た光景は――
「ごめん、ごめんなさい……」
スタンガンを握り締めて、震えながら泣いている"リエ"の姿だった。
意識が遠のく。
石神様の響きが木霊する。
やがて混濁した意識が覚醒を始め、白くぼやけていた視界に、色と輪郭が戻る。樹木の枝葉に縁取られた水色の朝空と、まだらに浮かぶ灰色の雲を見上げながら、落ち葉の匂いに包まれた。
(どういう事だ……?)
そして、頭上から現れる加奈の心配そうな顔。
「あの、大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない」
ケイはそう言って身体を起こした。急に起き上がられて驚いた加奈が「きゃっ」と後ずさると、その腕を掴んだ恵美利が加奈を庇うようにしながらケイに警戒の視線を向ける。
既に痛みの感覚など無い脇腹を少し押さえながら立ち上がったケイは、そんな二人に声を掛けた。
「俺は
「え、あ……み、
「ちょっ、加奈、こんな怪しい人に名乗る事なんてないんだってばっ」
突然名乗られたので思わず名乗り返してしまった加奈に、恵美利が慌てて割って入る。そんな"仲の良い二人"の姿を見て、ケイは少し吹き出すように笑うと、旅館に向かって歩き出した。
(恵美利をどうにかするだけじゃダメだ。根本的に全体の流れを把握しないと、悲劇は避けられない)
今度は不良カップルと歳の差カップルとも接近して、彼等の事情なども知る必要がある。ケイはそんな事を思いながら、旅館の扉を潜るのだった。
三周目
三回目となるツアー初日。ケイは予定通り旅館側のミスで哲郎と相部屋になると、201号室に向かいながらこれから取るべき行動を思案していた。
今回のツアーは、思った以上に訳ありの人々が集まってしまった、ややこしい状況なのかもしれない。
(前回、前々回の流れではダメだ)
恵美利、加奈の二人とはもっと親しくなって、彼女達の間に潜む問題を探り出す。同時に、不良カップルとも接触の機会を増やし、特に"リエ"についての詳しい情報が必要だ。歳の差カップルの事情も知っておかなければならないだろう。
社交的な参加者を装い、全員と最低一回の会話を試みる。帳簿から名前なども把握しておき、覚えている限りの情報を参考に、効率よく接触して周る。
そうして各人の行動に思い切った干渉をする事で、違う流れを作り出す。
(とりあえず、この方針で行くか)
ケイの記憶と経験の上では、既に六日余りが経過する。すっかり通いなれた201号室の扉を開けながら、まずは初対面の
「おおー、PCで旅の日記ですか。良いカメラお持ちですね、高そうだ」
「え、ええまあ……一応、二十万クラスです」
最初からフレンドリーに話しかけ、ネット環境をネタに会話を繋ぎ、デスクトップの壁紙を褒めて好感度アップ。手早く哲郎との親睦を深めていく。
ふと窓の外に視線を向けると、砂浜海岸へ向かう道に歳の差カップルを見つけた。夕方までにはまだ時間がある。
(初日で会える人には全員に会っておくか)
ケイは「ちょっと他のツアー客と親睦を深めて来るぜー」と言って部屋を出る。哲郎は「行動派だなー」と面白がっていた。
砂浜海岸に下りる土手までやって来ると、歳の差カップルの言い争うような声が聞こえてきた。ケイは土手を挟んだ向かい側に潜んで、そっと耳を欹てる。そこでは男女の修羅場が繰り広げられていた。
「来る前にちゃんと約束したじゃないか」
「別れたくない」
「だから、ちゃんと話しただろう?」
「別れるのはイヤ」
彼等のそんなやり取りから、ケイは大体の事情を推察した。どうやら、この旅行を最後に別れる約束をしていたが、女性側がそれを反故にしようとしているらしい。
女性、
「奥さんと別れればいいじゃない!」
「だから、それは出来ないと言ってるじゃないかっ」
前々回から不倫旅行疑惑はあったが、これで確定した。
(なるほど。この二人は、初日から|人気《ひとけ》の無い場所でこんな風に揉めていたのか……)
食堂に見る彼等の奇妙な様子や、三日目に起きる心中という結末の裏事情に納得する。二人の噛み合わないやり取りにしばらく耳を傾けていたケイは、会話が途切れて沈黙したのを見計らい、ぶらりと歩み出た。
件の二人は、人が来た事でさっきまでの痴情のもつれ感を取り
「ツアーの方ですか?」
「え? ああ」
男性は急に話し掛けられて戸惑いながらも会話に応じ、女性は『誰だろう?』といった雰囲気の視線で様子を窺っている。
「そうですか。俺、今日の昼に到着したんですよ。ここは静かで良い所ですねー。何もないですけど――」
適当にまくし立てるように喋って二人の気を引いたケイは、去り際に自分を印象付けるべくネタを仕込んでいく。
「それじゃあ杵島さん、俺は先に戻りますんで」
「え? どうして僕の名前を……」
「おっと、ふふ」
「……っ!?」
ニヤリと笑みを返したケイに、杵島は『まさか!』という表情を浮かべて動揺した。城崎はそんな杵島を見て小首を傾げている。
(この反応から察するに、杵島さんは俺を興信所とか探偵の関係者と思った可能性があるな)
ケイは目標の人物に対して、何でも良いから自分に注意が向くようにする事で、接触の機会を増やそうと考えていた。
最初の広場でのやり取りで恵美利には『怪しい』と思われているが、加奈には『社交的』という印象を植え付けた。哲郎には『行動派』のイメージを持たせている。
歳の差カップルには、今後『興信所関係者?』を匂わせる言動で気を引く事になりそうだ。
(不倫関係の知識がもう少し必要だな)
旅館に戻ったケイは、他に声を掛けられそうな相手は居ないかと玄関ホールを見渡した。
(不良カップルはうろついてないな)
"リエ"と"セイジ"との接触は夕食時とそれ以降になりそうだ。階段前までやって来ると、恵美利が廊下の自販機でジュースを買っていた。これ幸いと、ケイは早速アプローチする。
「やあ」
「……」
軽く声を掛けるも、あからさまに無視された。今はまだ『怪しい人』と思われているので、恵美利の態度は想定内。まずは彼女の気を引く一言を放って反応を見る。
「初心者の引率、お疲れさん」
「!?」
恵美利は、無視をするために繕っていた無表情を崩すと、『えっ?』という驚いた顔で振り返った。前回、恵美利と加奈から聞いた台詞――
『こういうツアーには以前から興味はあったんですけどね。私、一人で旅行とかしたことなくて』
『……加奈が、熱心にパンフレット見てたから。あたしに出来る事をしてあげたいなって、思ったのよ』
――あの言葉を参考にしたケイの一言は、恵美利がこのツアーに参加した経緯をピンポイントで突くものだった。思いのほか良い反応が得られたので、ケイは固まっている恵美利に謎の『余裕の笑み』を返して食堂へと向かった。
恐らく恵美利の頭の中では、ケイの言葉の意味について疑問が渦巻いている筈だ。自分と加奈の姿は、傍から見れば旅行初心者の加奈を自分が引率しているように見えるのか。あるいは、自分が知らない間に加奈とケイに話す機会があって、加奈から何か聞いていたのか。
もしくは、実はケイは以前から自分達を観察していたストーカーで、旅行先まで追って来た危険人物か――等々。
(まあ、最後の例ほど飛躍はしないだろうけど)
これで、恵美利はケイが何者なのか気になり始めるという寸法だ。加奈とも話し合うと思われるので、二人の注意をこちらに向ける事が出来る。
勿論、好印象を持たれた方が良いに決まっているのだが、今回はこのツアーで死亡者を出さない事を第一目標にしているので、悪印象でも構わない。
皆が無事に帰れるように、ここ六日分の記憶と経験を参考に、ケイは身近な他者の人生に介入する。
食堂にやって来たケイは、おばちゃんにツアー客は全部で何人いるのかなど、適当な話題を振って会話の糸口を掴むと、雑談に持ち込んで親睦を深めた。
歳の差カップルの不倫疑惑についても、先程の砂浜海岸で見た言い争いの情報をちらっと明かす事で、疑惑に信憑性を増してやる。そういった噂話に目のないおばちゃんの、ケイに対する好感度はうなぎ昇りに上がっていった。
そうして、口の軽くなったおばちゃんから色々と情報を引き出すのだ。
「そう言えば、もう一組の若いカップルとはまだ会ってないですが、名前は何て言うんです?」
「ああ、
といった具合に、不良カップルの正確な名前が明らかになった。
(|戸羽《とば》 |清二《せいじ》さんと|牧野《まきの》 |梨絵《りえ》さんか……今日はこんなもんかな)
おばちゃんとの親睦も深められたし、ツアー客全員の名前も把握したので、ケイはそろそろ雑談を切り上げて部屋に戻る事にした。
「おっと、大分話し込んじゃいましたね。それじゃあまた、夕食の時はよろしく」
「はいはい~、おいしい料理つくったげるわよ~」
良い話し相手が出来て上機嫌なおばちゃんと別れ、ケイは201号室に戻って来た。
「おかえりー。随分遅かったね?」
「ああ、何かいきなり男女の修羅場に出くわしたよ」
哲郎に砂浜海岸での出来事を掻い摘んで話し、あのカップルは不倫旅行なのかもしれないと説明すると、哲郎は「まじでー」と話に乗りつつ、PCを弄り始める。ケイは、前回や前々回の記憶から、哲郎との交流の中で聞いた有用な情報を思い起こしていた。
(確か、哲郎のPCには修羅場スレとやらのログが入っていた筈だ)
「そう言えば哲郎、ネットに"訳ありの人達"の体験談を纏めたサイトとかがあるんだってな」
「ああ、修羅場スレとかそういうのがあるよ。いくつか面白かった記事はオフラインで読めるように保存してあるけど、読んでみる?」
「読む読む」
哲郎が保存していたネットサイトのログから、主に不倫関係の記事を読む。慰謝料の話や不倫を働いた者に訪れる破滅。再構築する者や離婚する者達などの知識を得る。
(この情報はもっと早く知っておくべきだったかな)
もしまた次のループに入るような事になった場合に備えて、ケイは色々な参考知識を頭に入れておこうと、それらのログを読み漁った。そんな記事の中には、本当に復讐をしてやったという項目などもあった。
いじめへの復讐、もてあそばれた女の復讐、浮気相手への復讐。様々な恨みを持つ人々の悲壮と憤怒が入り混じった復讐劇が綴られていた。
(ふむ、復讐か……)
やがて夕刻になり、ケイは夕食を取りに行くべく哲郎と部屋を出る。
「随分熱心に読んでたなぁ」
「ああ、中々面白いな、あのサイトの記事」
「でしょ、でしょ? 自分が体験したいとは思わないけど、やっぱノンフィクションって部分で惹きつけられるよ」
「確かにね」
中には創作も多分に含まれているであろうが、まさに"事実は小説より奇なり"のことわざの如し。リアルな体験談は面白いと哲郎は語った。
そんな話をしながら食堂にやって来ると、まず加奈と恵美利が視界に入った。ケイに気付いた加奈がこちらを向く。その視線につられて、恵美利も振り返った。二人とも『あっ』という表情だ。
ケイが片手をあげて挨拶すると、加奈は静かに会釈する。恵美利には困惑顔を浮かべられるも、無視はされなかった。
「あれ、ケイってあの子達と知り合い?」
「んにゃ、ちょっと挨拶しただけ。単なる同じツアー客ってだけだよ」
適当な席に着いたケイは、歳の差カップルからも視線を向けられている事に気づいた。なので、そちらにも片手をあげて微笑む。彼等は二人とも会釈を返した。ケイは声を潜めつつ、隣に座る哲郎に囁く。
「さっき話してた修羅場の二人な」
「ケイってコミュ力高いのなー……」
哲郎が何だか感心している。不良カップルはまだ傍若無人な振る舞いを見せていないので、哲郎にリア充カップル認定されていた。
(あの二人に近づくのは、今夜か明日辺りからだな)
イチャついているところへ割り込んで親睦を深めるのは難しい。先にどちらか片方と知り合いになる必要があるだろう。
そんなこんなで時刻は18時になろうかという頃。夕食を終えたツアー客は、それぞれ自分達の部屋へと引き揚げる。ケイは、部屋へ戻る哲郎に『旅館の施設巡りをするから』と言って、一人で行動を開始した。
(今日の内に出来る事はやっておかないと)
ケイは誰かと遭遇する事を期待しながら、しばらく旅館内を歩き回る。ついでに前回、前々回で利用しなかった施設など、旅館のまだ見ていない場所にも足を運んで建物の情報を補完しておく。
(ここは従業員も使えるトイレか)
二階のトイレはお客様専用で、高級ホテルにあるような落ち着いたデザインの内装だったが、一階の共用トイレは学校施設のトイレそのままな雰囲気だ。
突き当たりにある奥の窓から外を窺うと、旅館の裏口と繋がる小道が雑木林まで伸びている。広場側にある多少整備された散歩道に比べれば、いかにも田舎道といった趣があった。
現在時刻は18時50分。すっかり陽も暮れており、街灯の無い小道の先は真っ暗で何も見えない。
(人目を避けて雑木林に出入りできそうな道だな……)
と、その時、誰かが階段を下りて来る足音が聞こえた。急いでトイレを出たケイは、階段の方を窺う。下りて来たのは、歳の差カップルの男性、杵島 幸浩だった。女性の姿は見えない。
サロンに入って行ったのを確認したケイは早速、彼との接触を試みた。
「こんばんは。気晴らしですか?」
「あ……やあ、まあ」
カウンターの席でグラスを傾けていた杵島は、ケイに声を掛けられて一瞬目を見開くと、曖昧に答えた。どこか戸惑うような、警戒しているかのような雰囲気を纏っている。
ケイはそんな彼の様子を注視しつつ、サロン内を見渡して他に客が居ない事を確かめると、他愛無い話題を続けた。ここのバーはお酒もセルフサービスなので旅館の従業員も居らず、誰かに会話を聞かれる心配は無い。
「ここはバーと兼用なんですねー」
「……何か、飲みますか?」
「いえ、これでも未成年なもので。それに――」
杵島が会話に応じる姿勢を見せたところで、ケイはカマかけの言葉を紡ぐ。
「酔って判断を誤ると、家族を泣かせる事にも成り兼ねませんからね……」
「……っ」
その言葉に、杵島は一瞬ギクリとした反応を見せた。そして若干、声を震わせながらケイに問い掛ける。
「なぜ、僕の名前を?」
「たまたまですよ。特に調べたわけじゃないです。ある人に教えて貰った、と言えるかもしれませんけどねぇ」
ケイの煙に巻くような答えに、業を煮やした杵島はストレートに訊ねてきた。
「……妻ですか……? それとも、妻の両親とか……」
「うん? 何の話です?」
「とぼけないで下さい! あなた興信所の人でしょう? 僕と、彼女の事を調べに――」
「杵島さん、落ち着いてください」
ケイは、今ので自分が彼にとって『不倫関係を知る人物』になったと内心でチェックを入れると、この情報を活用して彼等の『理解者』という立場を確保するべく画策する。
「杵島さんの事情は何となく分かりましたが、俺は探偵じゃありませんよ。それに、興信所の人間が調査する相手に話しかけたりするわけ無いじゃないですか?」
「あ……そ、そう、ですよね……すみません」
杵島を落ち着かせたケイは、今日の昼間に砂浜海岸で見た『
「何かトラブルが起きているなら、問題解決に向けて相談に乗りますよ?」
「相談、ですか」
戸惑う杵島に対し、ケイはまずインパクトのある忠告をする事で彼の関心を引き付け、主導権を握る。
「とりあえず、城崎さんと二人きりの時は、あまり
「え、そ、それは……どういう」
いきなり不穏な事を言われて困惑する杵島。ケイは哲郎のPCで読んだログの内容を参考に、あくまでもうろ覚えの知識、聞きかじりだと主張しながら、不倫に纏わる様々な『実例』を語って聞かせた。いずれにしても、過ちは清算しなくてはならないとも諭す。
「城崎さんがその気になれば、杵島さんの御家族に隠し通すのは難しいでしょうし」
「でも、彼女も初めはただの遊びだって言ってたんですよ……なのに何でこんな」
この旅行を最後に別れる約束だったのに、別れてくれない。家庭にも知られたくない。どうしたらいいんだろう。杵島はそれを繰り返すばかりで、自身の問題に向き合っていないように感じる。
(あまりいい印象は抱かないな……)
ケイは若干呆れつつも、とりあえず『人気の無い場所へ二人きりで近づかないように』と、繰り返し釘を刺しておく。
「雑木林みたいな場所は思いつめて変な気を起こし易いから、特に気をつけて下さい。なるべく近くに人が居る場所で過ごすようにしましょう」
「わ、分かりました」
これで三日目の心中を防げるかは分からないが、ケイはひとまず『
まだしばらく晩酌を続けるという杵島と別れ、ケイはサロンを後にして部屋へと戻った。
「おかえりー、今回もまた随分遅かったね」
「ただいま。ちょっとサロンで人生相談やってたんだ」
「え? なにそれ」
「実はさ――」
哲郎に土産話を聞かせつつ、ある程度の情報を知っておいて貰う。今後、他の人達とも交流を通じて様々なトラブルが予想される。確実に味方と判断できる相方が居た方が動き易い。
こちらの都合で協力者の立場に引っ張り込むのは心苦しいが、このループツアーの中で最も信頼できる相手が哲郎しか居ないのだ。
ただ無事に帰るというだけなら、杵島達の心中や恵美利の死、そして恐らく不良カップルにも起きるのであろう何らかの事件を全て無視して、我関せず大人しくしていればいい。
(だけど、自分に出来る事がありながら、何もせず後悔するのはゴメンだ)
自分にしか出来ない事、この『
「哲郎は明日からどうする?」
「ボクは砂浜海岸とか洞穴を撮影して回る予定だよ」
「そっか、じゃあ俺も付き合っていいか?」
「おーけーおーけー、何も問題なっしんぐ」
哲郎と明日の撮影に付き合うところまで話を進めたケイは、予め「洞穴から回ろう」と提案しておく。『二周目』の時と同じく、理由には『出会いの予感』を挙げた。
今回は哲郎に『行動派』と認識させ、特に人と接する機会作りに積極的な姿を見せていたので、違和感無く受け入れられた。
こうして、ケイは明日からの悲劇回避と問題解決、幾つかの謎の解明に向け、下準備的に動き回る長い初日を終えたのだった。
二日目。
「哲郎ー、朝飯に行くぞー」
「うー……いま行くー……」
恒例の低血圧な哲郎起こしで始まる二日目の朝。これから食堂に向かうべく、時計を確認して部屋を出たケイは、廊下で恵美利を待っている加奈に軽く声を掛ける。
「やあ、おはよう。君達も今から朝食?」
「あ……お、おはよう、ございます。これから食堂に、向かうところです……」
加奈はおっかなびっくり、ケイのアプローチに応じる。と、そこへ、狙い通り恵美利が遅れて現れた。
「はにゃー? あひゃひのふりっふひら――……っ!?」
髪留めのゴムをくわえ、頭の後ろに髪を纏めていた恵美利が、ケイを見てギクリと固まる。
ケイはそんな恵美利に対し、若干目を細めながら軽く表情を緩める、という『見守るような微笑み』を意識して作りつつ、おはようの挨拶をした。そうして恵美利が戸惑っている間に、部屋から出て来た哲郎と連れ立って食堂へ向かう。
二日目最初の恵美利達との接触ポイントを無難に回収したケイは、哲郎に『さっきの女の子達と仲良くなれるかもしれないぞ』等と吹き込んでおく。ここは前回の流れを参考にした。
哲郎が彼女達と仲良くなる事に期待と興味を持ってくれれば、これからの活動で恵美利達と行動を共にする理由も作りやすい。そんな風に下地を整えながら、次の接触ポイントとアプローチ内容を模索する。
(さて、今日は初日以上に忙しくなるな。気を抜かずに行こう)
食堂では焼肉を所望する
ケイは席に着きながら食堂内を見渡し、ツアー客全員の様子をざっと確認。歳の差カップル改め、不倫カップルの姿を見つけると、こっそり彼等を窺った。観察した限り、前回までのような奇妙な雰囲気は感じられない。
やがて食事を終えて席を立ったケイは、杵島と目が合ったので軽く会釈する。すると、杵島も少し笑みを返した。
(やっぱり例の変な雰囲気は消えてるな)
恐らく、前回までは前日から昨晩や今朝に掛けて、杵島を萎縮させるような修羅場が城崎との間であったのかもしれない。今回は杵島に『ケイ』という『秘密を知る相談相手』が出来た事で、杵島の気持ちに余裕があるのだと思われる。
ケイのそんな推察を裏付けるように、ケイと杵島のやり取りを見た城崎が訝しむような表情を浮かべた。
(あの様子だと、城崎さんから何らかのアプローチが仕掛けられる可能性もあるな)
いきなり刺される事は無いと思いたいが、彼女と話す時は杵島と同じく、
「っ!?」
ぼーっとケイの姿を目で追っていた恵美利は、ケイと目が合ってしまい一瞬硬直する。この食事中、ケイは彼女達にあえて視線を向けずにいた事で、向こうからこちらを長く観察するよう仕向けておいたのだが、上手く噛み合ったようだ。
ケイは、固まっている恵美利にニコッと笑みを向けてから食堂を後にした。
(一応、こっちの事は気になってるみたいだな……とりあえず、次は洞穴でのイベントだ)
今回は恵美利、加奈との触れあい方が、前回までとはかなり違っている。洞穴で会っても恵美利が直ぐに離れるかもしれないので、逃がさないようにしなければならない。
部屋に戻ったケイは、さっそく哲郎と出掛ける準備を済ませた。
「よーし、じゃあ撮影にいくか」
「おーう」
哲郎には昨晩の内に『撮影する場所に関連する画像を用意しておけば、そこで出会った人と親睦を深めるアイテムになるぞ』と提案して、洞窟画像をカメラに仕込ませておいた。
上手く前回の流れに入る事が出来れば、役に立つ筈だ。
砂浜海岸を見渡せる土手の上の道を進み、崖上に続く分かれ道を過ぎて洞穴の入り口に到着。辺りを見渡せば、道を挟んで反対側に雑木林が広がっている。
(一度、ここから旅館までのルートも調べておいた方がいいかもな)
撮影を始めた哲郎の後に続き、波の打ちつける音が響く洞穴に入る。崖の下を砂浜海岸側に向かって、ぐるりと回り込むように伸びる洞穴は、海側や天井付近にも横穴が空いているので、入り口から奥まで、結構明るい。
横穴から外の景色を見ていたケイは、一番奥まで来たところでふと、天井の穴から崖の先端が見えているのに気付いた。
(そう言えば……前回は、あそこから落ちたんだな)
梨絵にスタンガンを当てられ、あの時『謎の光』の正体を見たと確信したのだが、前回の時も前々回の時も、部屋から見えた光の位置はもっと下だった。
(洞穴の中でスタンガンを使った?)
その光が、洞穴の横穴から漏れた、という事なのかも知れない。ケイが後で検証してみようと考えたその時――
「わー、もっと真っ暗かと思ったけど、こういうのもいいね」
「なんだか抜け道みたいね」
洞穴内に恵美利達の声が響いた。
(来たか……上手くやらないとな)
ケイは軽く深呼吸をすると、振り返って彼女達が現れるのを待つ。やがて、恵美利が壁や天井を見渡しながら、この最奥の空間にやって来た。
「ここって、一番奥は――あ……」
「やあ、来たね」
と、ケイはここで二人と遭遇したのは当然の事であるかのような態度を装いつつ、話し掛ける。問答無用で逃げられないようにするためには、こちらに対する興味や疑問を懐かせて、答えを欲する状況を作り出せば良い。
「君達が来るのは分かっていた」
「え? ど、どうして……?」
まるで、映画やドラマのワンシーンのようなシチュエーション。インパクトを狙い過ぎて気味悪がられてしまっては元も子もないが、恵美利の性格を把握しているケイは、初日のアプローチで自分の事が気になるよう関心を引く下地を作っておいた。
彼女の好奇心を刺激し、興味と疑問で警戒心を塗りつぶして会話の糸口をつかむ。恵美利と加奈の中で、『彼は何者なのか』という気持ちが膨らんでいく。
一方、女の子二人組との突然の遭遇で『本当に出会いが!』とテンパっていた哲郎も、ケイが何を言い出すのか注目していた。
ケイはこの微妙に高まった緊張感を感情の揺さぶりに利用するべく、オチを放って突き崩す。
「だって、ここって砂浜海岸か洞穴くらいしか観光するところ無いからね」
「……へ?」
「ぶっ」
そんなオチだったのかと哲郎が吹き出すと、一瞬ぽかんとなっていた恵美利達も肩の力が抜けたらしく、和んだ空気を醸し出している。気が緩んだ今がチャンスと、ケイは二人を会話の流れに引き込んだ。
「君達二人は……クラスメイトかな? 幼馴染っぽい感じもするなぁ」
「え!? すごいっ 両方当たってる……」
思わず目を丸くする恵美利に、ケイは少しおどけて場の空気をさらに軽くする。
「え!? 俺すごいっ 適当に言ったのに」
「ちょっ……」
今ので、恵美利はケイに対して『別に自分達の事を知っている訳ではないらしい』と認識した。それによって恵美利が気持ちに抱えていた幾ばくかの不安が軽減し、警戒心が緩和される。
「もしかして……あの事も適当に言ったの?」
「うん? どの事?」
「その……引率って」
昨日、ケイが自販機前で仕掛けたアプローチがかなり効いていたらしい。恵美利はあれからずっと気になっていたようだ。
(よし、上手く会話が繋がった)
ケイは、ここまでとにかく彼女達の気を引く事を前提に行動していたが、ここからは親睦を深めていく方針にシフトする。相手をリラックスさせられるよう、おどけた振舞いを続けた。
「あー、うん、ふふん、いや、あれはどうかなぁ」
「……絶対テキトーだ」
どうやら恵美利は、ケイが『自分と加奈の関係を知っている人物かもしれない』事を不安に思っていたらしい。ケイの対応からその可能性が否定されて、安堵しているように感じられる。
(やっぱりこの二人のプライベートに触れる時は、慎重に進めないとな)
とりあえず、ケイは哲郎と相部屋になった経緯をネタに、哲郎と加奈も会話に引っ張り込んだ。ケイと恵美利が話している間、大人しい加奈は黙って成り行きを見ていたし、女の子と話す機会に恵まれない哲郎はオロオロしていたので、自発的なコミュニケーションは期待出来ない。
互いに自己紹介を済ませた後は、哲郎のカメラに仕込んでおいた洞窟画像の閲覧も含めて、前回と大体同じ流れになった。
その後、洞穴を観光する恵美利達と別れたケイ達は、砂浜海岸の撮影に向かう。
「いや~相棒マジすげーわ。カメラに画像仕込んどく策とかバッチリ決まってたし、尊敬するわ」
「ははは……今回はたまたまだよ」
哲郎は「これが高レベルコミュスキルか」と感嘆していたが、ケイは内心で罪悪感にも似た感傷を覚えていた。
(どちらかというとこれ、チートにあたるんだよなぁ)
既に二回もやり直して三回目なのだから、上手くいく率は高くて当然なのだ。だからこそ、悲劇を回避して、このツアーを穏便に終わらせたい。
ケイは気持ちも新たに、次の行動を模索する。
(次は昼食後だな。撮影会の誘いはどうするか……今回は他の人とも接する必要があるし……)
今回は恵美利と加奈にばかり集中するわけにはいかない。あまり予定を入れると、柔軟に動けなくなる。自身の行動枠を固定してしまわないよう、上手く調整していくしかないだろう。
そうして昼頃には旅館に戻り、昼食を済ませて哲郎は部屋でPC作業中。取り合えず部屋を出たケイは、ここからの行動を選択する。
前回は遊戯室の窓から広場を散歩している恵美利を目撃し、その後、大浴場の出入り口でお風呂上りの加奈と遭遇、話をして部屋まで送った。
(あの時は、加奈と仲良くなれたと思うけど、特に有意義な情報は得られなかったよな)
前回の、加奈の恵美利に関する言動が、前々回の時と違っていた事も気になる。その辺りの情報の正否を明確にしておくためにも、今回は恵美利から情報を得ようと考えた。
お風呂上りの加奈はスルーする方針で、ケイは大浴場のある廊下を避けて裏口から表に出ると、旅館前の広場に向かった。
落ち葉の積もる広場をぶらぶら歩く恵美利に近づいたケイは、さっそく声を掛ける。
「恵美利」
「あ、ケイ君……」
背を反らすように首を向けて肩越しにケイを認めた恵美利は、後ろ手に結んで立ち止まりながら、くるりと振り返った。斜めに崩した姿勢が女性独特のラインを描き、可愛らしさを醸し出している。
「散歩?」
「うん、まあ。……ケイ君ってさ、誰でも名前で呼ぶの?」
少し目を逸らしながら訊ねる恵美利に、ケイは一瞬、内心で『しまった、馴れ馴れし過ぎたか』と焦るも、恵美利に対する二つの認識を明確にするチャンスかと思い直す。
すなわち、『男癖が悪い』のと『男っ気が無い』、どちらが正しい恵美利像なのか。
「名前で呼ばれるのは嫌?」
「別に嫌じゃないけど、何か照れくさいよ」
「ふむ」
それなら呼び方を変えようかと、試しにちゃん付けで呼んでみる。
「恵美利ちゃん」
「……なんか、ちがう?」
「だね、違和感が半端無い。"加奈ちゃん"は違和感ないのに」
「あははっ、加奈は確かに……――」
言いかけて出てこない恵美利の言葉を、ケイが補足する。
「子供っぽい? もしくは可愛いか。いや、両方かな?」
「なぁに? ケイ君、加奈に気があるの?」
「ははは、そういう訳じゃないけど。しっかりしてそうに見えて、ちょっと危なっかしい感じもするんだよね、あの子」
「危なっかしい?」
小首を傾げる恵美利に、ケイは例の『引率』をネタにして話に引き込む。
「引率って言い方したのはさ、恵美利は慣れてる感じがしたからなんだ」
「え?」
「昨日、自販機の前で言った事だよ。朝の洞穴の時はちょっと濁したけど」
初日に広場の祠前で初めて会った時、加奈は自分に対して無用心に声を掛けていた――と、あの時、警戒を怠らなかった恵美利の判断を褒めて持ち上げる。
前回の洞穴内の会話では、ケイが倒れた事に加奈が気付いてくれたと持ち上げたが、見事に逆のパターンになった。
「あー、あれは……ケイ君が急に倒れるところを見た加奈が心配して……加奈は、優しいから」
褒められる事に慣れていないのか、少し顔を赤らめた恵美利は、シドロモドロになりながらあの時の状況を説明する。そして、加奈の行動を擁護してみせた。
ケイの脳裏に、前回の食堂での出来事がよぎる。『大事な友達だから』恵美利はそう呟いていた。しかし、その直後に加奈が見せた微笑は、目だけ笑っていない異質なものだった。
一周目の時から二人に感じていた違和感が、ケイの頭の中で形を成していく。恵美利は加奈に対して、普通に友人としての好意を持っている。
(でも、加奈の方は……?)
恵美利と加奈の関係について、ケイがつらつらと考えを巡らせていると、ふいに恵美利が話し掛けてきた。
「ねえ、ケイ君」
「うん?」
「ケイ君って、人付き合い多そうだし……人間関係とか、色々な人生経験も豊富そうだよね?」
「うーん、まあ、そこそこかなぁ」
曖昧に答えたケイは、何か知りたい事でもあるのだろうかと訊ねてみた。すると恵美利は、言い難そうにモジモジしながらも、折り入って相談したい事があるという。
「俺に相談?」
「うん……えっと、その……加奈の事、なんだけどさ……」
ここで、ケイは恵美利が加奈との関係について話す時、学校の話題を避けようとしていた事などを思い出す。
「もしかして、学校の事とか?」
「っ!? ど、どうしてわかったの?」
「何となく」
驚く恵美利に軽く答えたケイは、内心で情報を整理していく。恵美利が避けようとした学校の話題を加奈が口にした時、恵美利は最初、驚きと戸惑いの表情を浮かべていた。
前回のあれは、単なる照れ隠しなどではなかった可能性。その後の、どこかほっとした様子から察するに、恵美利にとって学校の話題は、加奈絡みのタブーに触れるものだったのかもしれない。
やはり、この二人には何かある。ケイはそう確信した。
「俺でよければ何でも相談に乗るよ」
「よかった、ありがとう」
長話になるので、二人きりでゆっくり話せる時間と場所が欲しいという。ケイはいつどこで話すのが良いかと、恵美利との予定を考える。
(三日目の朝以降は危険だな……重要な情報は出来るだけ早く回収した方がいいだろう)
「じゃあ今日の夕食後にでも、サロンで待ち合わせて広場か砂浜海岸で話そうか」
「うん、分かった」
こうして、ケイは今日の夕方過ぎに恵美利の相談に乗る約束を取り付けたのだった。
もう少し広場の散歩を続けるという恵美利と別れたケイは、哲郎の待つ部屋へと戻る。途中、二階の廊下でお風呂上りの加奈と出くわした。
(あれ? 少しタイミングがずれてたかな)
前回は一階の廊下で加奈と立ち話をしてから二階へ向かった。今回は広場で恵美利と結構長く話し込んだので、加奈が前回と同じタイミングでお風呂を上がったなら、とっくに部屋に帰っているだろうと思っていたのだ。
(休憩所で一息ついてたのかもしれないな)
ケイはこれ幸いと加奈にも何かアプローチを考えるも、加奈はケイが声を掛ける前に話し掛けてきた。
「恵美利と、何を話してたんですか?」
「え?」
一瞬、ケイの心臓がドキリと跳ねる。
(みられてた……?)
思わず加奈の表情を観察してみると、普段と変わらないすまし顔を装っているが、目は猜疑に満ちているような雰囲気を感じた。
「別に、他愛の無い雑談だよ。気になる?」
「……ええ、少し」
下手に『相談を受けている事』などを漏らすと、部屋で色々画策されて恵美利と話す機会がつぶれるかもしれない。
(加奈には一度殺されてるからな……警戒はしておいたほうがいいかも)
ここは慎重にいこうと、ケイは恵美利と話した最初のネタを挙げて話題を逸らす事にした。
「実は恵美利に、誰でも名前で呼ぶのか聞かれて、加奈ちゃんはちゃん付けがしっくり来るって話してたら、加奈ちゃんに気があるのかと突っ込まれました」
「え、な、何ですかそれは」
「はははっ、いや本当にしっくり来るって話で他意はなかったんだけどね。恵美利ってそういうのに鋭いのかな? 男性経験豊富とか?」
「そ、そんな事ないですよ。恵美利は、男の人と付き合ったりって話、ほとんど聞きませんし」
加奈の言葉を聞いた瞬間、ケイは心の中で小さくガッツポーズを取った。恵美利に彼氏が居ないからという話ではない。今ので、加奈が語った恵美利に関する情報の正否が、ほぼ明確になった。
恵美利は『男っ気が無い』の方で正解だ。それはつまり、一周目の心中事件で恵美利が死んだ時、加奈は嘘を吐いた事になる。
(まだ断定は出来ないけど、ほぼ間違い無いだろう。加奈は、なぜあんな嘘を吐いたのか……)
なにか、二人の秘密に近づいているような感触を覚えたケイは、とりあえずこの場を繕って部屋に戻る事にした。
「それじゃあ、また夕食の時でも」
「あ、はい……お引き止めして、ごめんなさい」
ケイは「いいよ、いいよ」と手を振って自分の部屋の扉を潜る。去り際にちらりと様子を窺うと、加奈はじっとこちらを見つめていた。
部屋に戻って来たケイは、哲郎に記念撮影会の話を持ち掛けた。加奈と恵美利に限定した撮影会では行動が制限されるので、ツアー客全員を対象にした記念撮影というイベントの下地を作る。
「記念撮影かー、でもなー」
哲朗は提案に乗る事にはやぶさかではないのだが、果たしてこのツアーでそんなイベントが可能なのだろうかと懐疑的な様子だ。
現時点でケイ達と交流を持っているのは、旅館の従業員を除けば恵美利と加奈の二人だけ。不良カップルとは接点無し。不倫カップルとも特に会話があるわけではない。
「他はこれからアプローチしてみるよ。不良カップルだって今は印象悪いけど、話してみたらいい人かもよ?」
「うーん、相棒ならやれそうな気がしてきた」
ケイはとりあえず、夕食の席で恵美利達に持ちかけてみるので、良い返事が貰えたなら他の人達も誘い、最終的に記念撮影の対象者をツアー客全員に広げるという計画を挙げた。
「このバラバラなツアーを最後に一つにして、全員で記念の集合写真を撮影するんだ」
「おおー」
何か面白そうと、哲朗も乗って来た。ケイはこれで全員と話す理由が一つ出来たと、次の予定を思案する。記念撮影計画はあくまでも話し掛けるための口実なので、返事が芳しくなくとも良い。
そうして夕食時。哲朗と共に食堂へとやって来たケイは、恵美利にこっちこっちと呼ばれたテーブルに着くと、早速、記念撮影の話を持ち掛ける。
「明日一緒に行動してさ、景色のいい場所でパチリと」
「ケイ君って積極的だよね……記念撮影かぁ、どうしよっかなぁ~」
前回同様、恵美利は満更でもなさそうな反応で加奈に相談し、少しくらいならと同意を得た事で、ケイ達は二人との撮影会の約束を取り付けた。
「出来れば記念撮影会には他のお客さん達も誘おうと思ってるんだ」
「あ、相棒が、最後に全員で、纏めて記念にツアー客皆でって」
哲朗が頑張って話の輪に入り、フォローに動く。かなり噛み噛みだったが、言わんとする内容は伝わったようだ。クスリと笑った恵美利が「そういうのも良いね」と、『皆で記念撮影計画』に理解を示した。
「それじゃあ、明日は一緒に行動するという事でよろしく」
「うん、分かった」
目的を達成したケイは、今回は恵美利と加奈、二人の関係を探る雑談はせず、夕食を済ませれば直ぐに席を立った。この後、恵美利と会う約束をしているので、その事を加奈に気取られないためにも、早めに退散する。
恵美利と加奈は、まだしばらく食堂でゆっくり過ごすらしい。ケイは哲郎と食後のコーヒーを買いに自販機へ向かう途中、ざっと食堂の中を眺めた。
不良カップルは前回、前々回と変わらず、隅の席でイチャイチャとちちくり合っている。彼等との接触は、どちらか片方が一人になったところを見計らうので、もう少し後になりそうだ。
不倫カップルの様子を観察すると、やはりあの重苦しい奇妙な空気は無く、杵島は変わらず落ち着いている。城崎はそんな杵島を前に戸惑いを浮かべながら、ケイにちらちらと視線を向けてくる。
(だいぶ気になってるみたいだな)
彼等に記念撮影の話を持ち掛けようかとも考えたが、この二人が一緒に並んだ写真が残るのを、杵島は嫌がるだろう。城崎は喜ぶかもしれないが。
ケイは、
(今はまだやめておこう。城崎さんからの接触を待つか、もう少し様子を見てからだ)
彼女に対しては、こちらからのアプローチは先延ばしする事にした。今回の杵島と城崎は、前回までのような深刻な状態に陥っていない。不穏な動きが無いのなら、そのまま何事も無くツアーを終えるという手もある。
始めから殺意有りきで旅行に来ているのでもなければ、心中などそうそう起きない筈だ――と、そこまで考えたケイは、ふと引っ掛かる。
(……殺意有りき?)
最初から殺す目的で、あるいはそれを視野に入れてここに来ているのだとすれば……そんな仮説を思い浮かべた。そしてこの仮説は、不倫カップルに限った話では無いのではないか。
ケイは前回、三日目の夜に部屋で色々と考えていた時、恵美利の死について加奈に猜疑を懐いた事を思い出す。
「……」
「相棒、どうした? 難しい顔して」
缶コーヒーを片手にハテナ顔で覗き込む哲朗に『何でもないよ』と答えたケイは、新たに浮かんだ『あまり考えたくは無い可能性』について考えながら、部屋へと戻るのだった。
(早急な判断は危険だ。まずは恵美利から話を聞かないとな)
その後しばらく経った頃。ケイは散歩に行って来ると言って部屋を出ると、恵美利との待ち合わせ場所である一階のサロンに足を運んだ。それから少しして、恵美利は直ぐにやって来た。
「ケイ君、おまたせ」
「やあ。じゃあ行こうか」
恵美利と合流したケイは、裏口から砂浜海岸に続く道へ向かう。初日に不倫カップルが修羅場を演じていた場所なら、うまい具合に土手で死角になっているので目立たない。
「ここなら人も来ないだろう。それじゃあ相談に乗ろうか。学校と加奈ちゃんの事だっけ」
「うん……あのね、実はあたし――」
ポツポツと語り始めた恵美利の話によると、加奈は小学校、中学校と、いじめグループから嫌がらせを受けていたらしい。
「ていうか、加奈にはあたしがその主犯格だと思われてるんだけどね……多分」
「それは、恵美利が加奈ちゃんをいじめてたって事?」
「……うん。正確には……イケニエにしてたの」
「
恵美利の話を纏めると、恵美利達のクラスにはいじめグループがあって、恵美利はそのグループの表向きのリーダーとされていた。
しかし実態は、そのグループのリーダーが他の取り巻き達と一緒に『恵美利の取り巻き』を装い、恵美利にいじめのターゲットや内容を指定させていた。
学校で問題視された時に、責の大部分を恵美利に押し付ける魂胆だったのだろう。
「あたし、自分がいじめられるのが怖くて……あの子達の言いなりになってたんだ」
高校に入ってからは、そのグループとも学校が別になって離れられたが、恵美利は当時の事を酷く後悔しているという。
「高校で同じクラスになって……ずっと謝りたいと思ってるんだけど、中々言い出せなくて……」
そんな折、加奈が教室で旅行のパンフレットを熱心に読んでいるのを見掛け、思い切って声を掛けた。恵美利は、この旅行で加奈にきちんと謝罪をして、仲直りしたいと思っているそうだ。
「ふむ……加奈ちゃんは、恵美利の事情をどこまで知ってるの?」
「ん~、多分あんまり突っ込んだところまでは知らないと思う」
なるほどねと相槌をうって頷いたケイは、前々回の時に見た加奈の恵美利に対する、あの突き刺すような嫌悪の眼は、中学時代の問題を起因にした怨恨の類だったかと理解した。そして今回、恵美利がケイに対して抱えていた不安の内容も、何となく分かった。
恵美利にとって、ケイが『自分と加奈の関係を知っている人物』だった場合、自分が加奈をいじめていたグループに居た事を話題に出されるかもしれないと、恐れたのだ。
(あれ、まてよ? という事は……)
ケイの脳裏に過る、繰り返されたここ八日間分の光景。その中で、恵美利と加奈に関する記憶が目まぐるしく浮かんでは消える。
「ケイ君……?」
急に深刻な表情になって黙り込んだケイに、恵美利は不安気な表情を浮かべながら声を掛けた。今の話を聞いて、軽蔑されてしまったのではと思ったのだ。
そんな恵美利の気持ちを察したケイは、じっくり考えるのは後回しにして、まずは予防策を図る。少し早急かもしれないが、恵美利になるべく加奈と二人っきりにならないよう忠告しておいた。誰かしら第三者の目がある場所に居る事を心掛けるように、と。
「明日の朝、洞穴に行く時も、俺達と一緒に行動するようにしてくれ」
「え? え? (ていうか、何で明日の朝に洞穴に行くつもりだった事、知ってるの?)」
突然の忠告に戸惑う恵美利に、ケイは今し方の話題を繋いで続ける。
「恵美利は、加奈ちゃんに謝りたいんだろ?」
「う、うん」
「俺達で何とかその機会を作るから」
「……分かった」
ケイの真剣な説得に、恵美利は困惑した様子ながらも頷いたのだった。
その後、ケイと恵美利は時間をずらして旅館に戻る為、一旦ここで別れる。ケイは砂浜海岸方面から遠回りし、恵美利は広場の前を通って部屋へと向かう。
砂浜海岸から旅館前に続く道を歩きながら、ケイは恵美利と加奈の事を考えていた。
(多分、上手くいっても、加奈はそう簡単に赦してはくれないだろうな)
しかし少なくとも、ケイ達の前で加奈が恵美利に謝罪を受けたという事実を作れば、ひとまずは恵美利の安全を確保出来る。ケイはそう推測していた。
理想としては、加奈からも本音の気持ちや認識を聞き出し、彼女の胸の内に深い恨みや復讐心があったならそれを鎮め、二人を和解に持っていきたい。
(慎重にケアするようにしないと、加奈の恨みがこっちに向く可能性もあるからな)
既に何度も殺される経験をしてきた
旅館に戻って来たケイは、そのまま部屋には戻らず、食堂に寄っておばちゃんとの交流に努めた。今回は初日から色々と話をしておいたので、おばちゃんのケイに対する友好度は非常に高い。
おかげで不倫カップルや不良カップルについて、いくつかの新しい情報を得る事が出来た。おばちゃんは彼等の部屋に食事を届けるなどもしており、その時の彼等の様子を聞き出せたのだ。
その話の中で、ケイは不良カップルの女性、
おばちゃんの見立てによれば、彼女は根は気立ての良い素直な娘ではないかとの事だった。部屋に届け物に行った際の梨絵の対応が、
「きちんと挨拶やお礼もしてくれてね、それがすごく自然に出てる感じだったのよ~。やっぱり好きな男の人の前では、その人好みになろうとしてるのかしらねぇ」
しっかり身に染みついた作法は、無意識に出てしまうものだからと語るおばちゃん。彼女に関しては、ケイも『根は良識人ではないか』と思った覚えがある。
不倫カップルについては、
城崎が始めから心中するつもりでいたなら、身辺整理的な意味で旅行に持って来る荷物が少なくなったと考えられる。
(まあ、あくまで可能性でしかない。とにかく慎重に判断するようにしないとな)
おばちゃんとの雑談を終えたケイは、部屋に戻ろうと食堂を後にする。そこでふと、廊下に人影を見つけた。
(ん? あれは……)
それは、隣のサロンに入って行く牧野梨絵だった。どうやら酒を持ち出しに来たようだ。ケイは『チャンス!』とばかりに、彼女の後を追ってサロンに足を踏み入れた。
「こんばんは」
「っ!?」
薄暗いサロンにて、棚の酒瓶を物色している梨絵にケイが声を掛けると、梨絵はビクリと肩を揺らしてゆっくり振り返った。
「……何か用?」
梨絵は、胡乱げな目で睨みながら煩わしそうな態度を取って見せる。ケイは気にせず話し掛けた。
「良いお酒は見つかりました?」
「別に」
ぷいっと棚の方へ向き直る梨絵。その背に一歩近づき、ケイは続ける。
「手伝いましょうか?」
「い、いいわよ別に……」
手に取った酒瓶を胸に、慌ててケイから距離を取った梨絵は、棚を背にじっと様子を窺っている。その表情には、警戒の色が浮かんで見える。
「まあ、俺は未成年なんでお酒飲めないんですけどね」
「そう……」
ケイは前回、崖の上でスタンガンを握り締め、泣きながら詫びていた梨絵の姿を思い出しつつ訊ねた。
「牧野さんは、このツアーにはどうして参加を?」
「あ、あんたには関係ないでしょ」
ふいっと目を逸らして、酒瓶を抱えた手の指をもじもじさせている梨絵。無意識にやっているのであろうそんな仕草からも、彼女が緊張している事を読み取れる。
「このツアーの参加者って、みんな何かしら訳ありみたいなんですよねー」
「ふ、ふーん……そういう事もあるんじゃないの」
こんな調子で梨絵と話して分かった事。
(この人、やっぱり演技してるな)
横暴な態度を取ろうとしているが、緊張の度合いから見ても、それが自然に振る舞えているとは言い難い。彼女が清二と一緒にいる時に見せるあの傍若無人な振る舞いが、身に着いた自然な行動であったなら、今も彼女にとって煩わしいであろうケイを怒鳴りつけて威圧したり、無視する事だって出来たはずだ。なのに、こうしてわざわざ返事をして会話に応じてしまっている。
それはつまり、『不良女の梨絵』は演技で、上辺を繕った偽りの姿。本来の梨絵は、こうして誠実に話し掛けられると無下にも出来ない、根は優しい人だ。ケイはそう結論付ける。
(なるほど、おばちゃんの見立て通りだ)
とにかく、やっと得られたアプローチの機会。ケイはこの機を逃さず、梨絵にも恵美利に仕掛けた時と同様の手を使って、自分に興味が向くよう働き掛ける事にした。
「今は周りに誰もいませんよ」
「? 何のこと?」
梨絵は意味が分からないという表情で訝しむ。ケイは今し方出した結論の検証も兼ねて、梨絵に揺さぶりを掛ける。
「無理に悪い人を演じなくても大丈夫って事です」
「っ!」
一瞬ハッとなった梨絵は、若干声を
「な、なに言ってんのアンタ、ぁ頭おかしいんじゃない?」
「そんな申し訳なさそうな表情で悪態吐かれても」
とケイは苦笑を返す。もちろん、梨絵はそんな表情はしていない。これは揺さぶりのカマ掛けだ。すると、梨絵はギクッとなって自分の顔に手をやる。
「っ!? そ、そんな顔してないしっ!」
動揺を浮かべつつ、少し赤面した頬を抑えながらムキになる梨絵。これで、ケイは彼女に対する『根は良い人説』を確信した。『傍若無人な不良女』は、こんな反応をしないだろう。
(さて、それじゃあ……今ここで次の布石を打っておくかな)
前回、崖から落とされた時の梨絵の様子を考えるに、彼女も何か深い事情を抱えていると思われる。
「なにか悩みがあるなら、相談に乗りますよ」
「は、はあ!? な、何なのよあんた……さ、さっきから、わけの分からない事ばっかり言って!」
困惑と動揺で混乱する梨絵に、ケイは優しく諭す言葉を掛ける。
「あまり、一人で思いつめないようにね」
「……っ」
静かに去って行くケイに、今度は梨絵からの悪態は出てこなかった。
サロンを後にしたケイは、部屋に戻りながらこれからの事を考えていた。全員が抱えている問題を解決する訳ではない。出来るとも思わない。だが少なくとも、このツアーを誰一人死なせずに終わらせる事くらいは出来るかもしれない。それでいい。ケイはそう考える。
その為にも、自分の手が届く範囲で出来る事はやっておく。
(今日はまだやれる事が残ってるな)
201号室に戻って来たケイは、明日、三日目の夜に見える光について検証する為、さっそく哲朗に手伝いを依頼した。もちろん検証の内容や目的は伏せている。
「ここは哲朗だけが頼りなんだ」
哲朗に予備の小型カメラを借り、いつも持ち歩いている動画撮影機能付きのカメラで部屋の窓から見える景色を撮影してもらう。
「この方角で哲朗も一緒に見張っててくれ。戻ったら位置の確認をするから、メモも頼む」
「カメラのフラッシュで現在地を調べるのか。よく分からないけど、分かったよ」
どんな意味があるのかは分からないけれど、ケイのする事だから何か理由があるのだろうと納得する哲朗は、ケイの検証作業の手伝いを引き受けた。
互いの時計の時間を合わせて、哲朗は窓の前に待機。ケイは部屋に備え付けの非常用懐中電灯を手に、上着を羽織りながら部屋を出ると、まずは砂浜海岸へと向かった。
(こんな時、トランシーバーでもあれば便利だったんだけどな)
時間を確かめながらカメラをお腹の辺りに構えてフラッシュを焚く。これはスタンガンを手にしている事を想定した位置取りだ。砂浜海岸を端まで歩き、岩壁の辺りでまた一枚撮って海岸線の道へ戻る。
そうして崖の上に続く道と、洞穴に向かう分かれ道までやって来ると、ここでも一枚。
「さて、ここからが本番だ」
洞穴はまだ水没していない。ケイは手早く済ませようと、懐中電灯のスイッチを入れて洞穴内に踏み入った。入り口から少し入った場所でパシャリ。さらに奥へ進んだ場所でもパシャリ。
そして最奥の辺りでもパシャリと、それぞれ時間を確かめながらカメラのフラッシュを焚いた。
「これでよし。後は部屋に戻って確認だ」
上手く行けば、三日目の夜に見える光が、どの位置で発せられたのかを特定出来る。ケイの推測では、梨絵が持っていたスタンガンの光だろうという事になっているが。
「ただいまー、ほいコーヒー」
「おかえりー、さんきゅー相棒」
急ぎ足で部屋に戻って来たケイは、階段前の自販機で買った缶コーヒーを哲朗に渡しながら、さっそく検証に取り掛かる。
哲朗に撮影してもらった窓の景色の動画を確認しつつ、フラッシュを焚いた時間と場所のすり合わせを行う。
結果、明日の時間にケイが目撃していた光は、洞穴の最奥より少し手前付近にある横穴から漏れた光であった事が分かった。
(あそこは、反対側が海と繋がってた場所だな)
つまり、梨絵はあの時あの場所でスタンガンを使った。相手は恐らく、戸羽 清二だ。
(洞穴の中でスタンガンを使って気絶させた? その後、洞穴が水没すれば……)
ふと、ケイは恵美利の溺死の件を思い出す。あの時、恵美利はどこで溺れたのか。
洞穴内に海と繋がっている個所はいくつかあるが、そうそう足を滑らせて落っこちたりするような場所ではなかった。
もし、恵美利が事故ではなく、故意に海に落とされるなどして殺害されたのだとしたら……
(前回、恵美利が洞穴に行ってた時間帯は……)
ケイは食堂で浮かんだ『殺意ありき』の可能性を念頭に少し考えようとしてみたが、アリバイの有無を含め不確定要素が多過ぎて、今の段階ではまだ推論が立てられないという結論に至った。
(やっぱり、もう少し色々な情報が必要だな)
こうして、ケイの三度目となるツアー二日目の長い夜は、静かに過ぎて行くのだった。