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外伝2 もう一人の兄

 真冬のある寒い日の午後、一面の雪に包まれた王都の墓所に一人の男がいた。

 見上げるほど背が高く、眼光鋭く、左の頬に大きな赤黒い傷痕を持つ、王弟ローレンス・フィッツジェラルド大公殿下。

 先王の隠し子である殿下は産まれる前に母ともどもある平民の男に下げ渡され、その男の実子として育てられた。

 その後、異母兄である現国王により王族としての身分を回復されたのである。

 今日はその平民の養父、高利貸しフィッツジェラルドの命日であった。


 養父の稼業を継いで高利貸しだった頃からいつも着ていた黒羅紗らしゃの三つ揃いを身に纏い、白い薔薇の花束を手にしたローレンスの脳裏に、仕事ばかりでほとんど言葉を交わすこともなかった養父ちちの姿が蘇る。


(親父……俺はそろそろあんたが俺を引き取った時の年齢としを超えそうだ。色々あったが四人の子供の父親になった。もうすぐ五人目が産まれる。あんたが今の俺を見たら何て言うだろうな)


 そんなことを考えていると、後ろで枯れ草を踏むカサリという足音がした。


「アラン」

「大公殿下」


 白髪の男が片膝をついて礼を取ろうとするのをローレンスが制止する。


「止せ。ここにいるのはただのだ」

「恐れ入ります」


 アランと呼ばれた男は立ち上がり、ローレンスと並んで墓標に向かい合った。


「寒い中すまんな」

「何を仰います」

「私邸は変わりないか。まあ、お前が執事でいてくれる限り心配はしてないが」

「万事問題なく。皆様お変わりございませんか」

「何とかやってるよ。しかし子供が四人もいると毎日があっという間だな。次から次へと大人の思いもつかんことをやらかしてくれる」

「妃殿下……リリアーヌ様はてんてこ舞いでございましょうが、大公家はご安泰でございますな」


「……そうだな」


「……どうかなさいましたか」

 ローレンスの含みのある言葉にアランが敏感に反応した。

「……いや、子供達を見ていると、自分が子供だった頃のことを思い出してな。俺のそばにいつもいてくれたのはアラン、お前一人だけだった」

「それは……」


 アランが常にローレンスのそばにいたのは、彼がある任務を負っていたからだ。

 ローレンスは先王が気まぐれに下働きの少女を無理やり手篭めにした結果、この世に生を受けたといういわく付きの子である。本来なら母親ともどもされていてもおかしくなかった。それを平民として生きるよう命じたのは他でもない先王だったが、そこには親としての情よりも打算が勝っていた。一つ年上の第一王子レオが立太子するまでの間、何かあった時のための代替品スペアとして生かしておくのが先王の目的だったのだ。

 それ故、ローレンスの命は常に先王の手に委ねられていた。……必要なくなれば、すぐにでも殺せ。その命を受けて執事の姿を借りてフィッツジェラルド邸に送り込まれたのがアランだった。


「お前が刺客であっても、子供の頃からずっと一緒にいてくれた事実は動かせん。俺は親父に抱きしめてもらった記憶は一度もないが、お前がいたから何とかやってこられた」

「恐れ入ります」


 ローレンスは養父の墓標に視線を向けながら呟いた。


「最近、親父ともう少し話をしておけば良かったと思うことが増えた。子供が産まれてからは特にだ。……もう十年近く前になるが、リリアーヌから身籠ったと言われた時、俺は喜べなかった。彼女が俺の子供を産みたいと熱望していたのは知っていたから、その望みを叶えてやれたことは良かったとは思ったが、産まれて来る子供を愛せるか、自信がなかった。……その時初めて、親父は何を思いながら俺を育てたのか知りたくなった。愛されていないのは分かっていたが、果たして義務感だけで他人の子を実子として育てられるものか、と」


 アランは黙ったままローレンスの独白に耳を傾けていたが、しばらくすると主人のほうに顔を向けて言った。


「畏れながら、思い出話をしても良いでしょうか」

「大公殿下と呼ばないならな」

「心得ております、旦那様」

 ローレンスの返しにアランはほんの少し笑みを浮かべ、話を続けた。


「あれは……旦那様が小学校に上がられる少し前ぐらいのことだったでしょうか。先王様からが下りました」

「消せ、か」

「はい。反王室派が王の隠し子の存在を嗅ぎ回っているという情報が入ったそうで」

「……だから産まれる前に始末しておけば良かったものを」

 ローレンスは皮肉っぽく笑う。

「深夜になり旦那様の寝室に忍び込んで、眠っている旦那様の首に両手をかけましたが、私は迷っておりました」

「情に流されて王命に迷いを抱くなど、近衛失格ではないか。見損なったぞアラン」

「相変わらず旦那様は手厳しゅうございますな。……その時、誰かが私の肩を叩きました。心臓が止まるかと思いました。恐る恐る振り返るとそこには先代が立っておられました。先代は私にこう仰いました。……一日だけ時間をくれ、と」

「初耳だな。で?」

「翌日、先代は配下の街金に大金をばら撒いて、賭場や娼館など反王室派が潜伏しそうな場所をしらみつぶしに探らせました。そしてその日のうちに旦那様のことを嗅ぎ回っていた男を見つけ出すと、金貨500枚とともに先王様に引き渡したのです。……その男の十本の指を全て潰して」


 それを聞いたローレンスは火を点けようとしていた煙草を口元から離すと信じられんといった表情でアランを見つめた。アランは頷くと話を続けた。


「先代はその時、王にこう言われました。……この先もし息子のことで良からぬことを企てる者がいたとしても、高利貸しフィッツジェラルドの誇りに賭けて必ずその企みを潰します。息子の存在が陛下にとって脅威となることは絶対にございません、と」

「……」

「そしてその晩、屋敷で私にこう仰ったのです」


 アラン、お前の立場も、こんなことを頼むことが許されないのもよくよく分かっている。その上で頼む。もし次に王から命令が下ったら、一言でいいから手を下す前に俺に相談してくれ。絶対にお前に迷惑はかけない。だが、俺は何があってもローレンスを死なせる訳にはいかんのだ。


「親父……」

 ローレンスの声が震えた。

「先代はこうも仰いました。息子を愛しているかと訊かれれば、これが愛なのかどうかは自分には分からない、ただ人としてこの子の人生を引き受けると言った以上、何があっても守らねばならん、そのためならいくらでも悪あがきもしよう、と」

「……親父……」

「……不器用な方だったのでございますよ、先代は。旦那様にそっくりではありませんか」

「そうだな……」


 一呼吸置いて顔を上げたローレンスの声は普段通りに戻っていた。そして困ったように笑いながら続けた。


「しかし、指十本潰すとは……全く親父ときたら、切れると手のつけようがなかったからな」

「それもそっくりでございますよ、旦那様と」

「おいおい、人聞きの悪いことを言うな。俺はそこまで荒っぽくなかったぞ。まあこの傷痕に助けられた部分も多いが。これを見せると大抵の奴は素直に借金を払ったからな」

「その傷痕は身を挺して兄上を守られた、いわば名誉の負傷でございましょう。それを借金の取り立てに利用されるとは、不敬でございますぞ」

「ははは、確かにな」


 アランも静かに笑うと、懐中時計を取り出して時間を確認した。

「そろそろお戻りになられたほうがよろしいのでは、大公殿下?」

「ああ、そうだな。……ありがとう、アラン」

「恐れ入ります」


 ローレンスは去り際、アランの肩に手を置いてこう言った。

「また来年会おう」


 また来年会おう……だがその約束は叶わなかった。アランは翌年の秋の終わりに風邪をこじらせて突然世を去った。

 地方公務にあたっていた大公は電報を受け取るや否や、全速力で馬を飛ばして王都の私邸に戻ったが、ほんのわずか間に合わなかった。アランの最期を看取ったのは大公の幼馴染のモルダー医師と、宮中から駆けつけたリリアーヌ大公妃だった。


 その夜、私邸の一番端にある、寝台と書き物机と小さな箪笥しかない殺風景な執事部屋で、大公は物言わぬアランと共に一晩過ごされた。

 翌朝、部屋から出てこられた大公の目は真っ赤に腫れ上がっていた。そしてご夫妻は三日間、全ての公務をキャンセルして喪に服した。


 アランを埋葬する時になって、困ったことが起きた。

 彼の素性を示す情報が、何一つ見つからなかったのだ。

 アランは近衛だったはずだが、ローレンスの監視任務を命じられた時を境に全ての記録が抹消されてしまったらしい。結局分かったのは年齢とアランというファーストネームだけだった。

 それを聞いた大公は迷うことなくアランにフィッツジェラルドの姓を与え、弟としての礼を尽くして葬儀を行った。

 流石に父親が三人では多すぎる、兄ぐらいが丁度良いだろう、と微かに笑いながら。


 今アランは王都の墓所で、先代フィッツジェラルドの墓の隣に眠っている。

 その墓標にはこう刻まれている。


 フィッツジェラルド大公家の最も忠実な執事にして、ローレンス王弟殿下の義兄、アラン・フィッツジェラルド……と。




 もう一人の兄 〈完〉



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