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エピローグ ~本編完結~

 フィッツジェラルド大公とリリアーヌ大公妃のその後について触れておこう。


 彼らは大公領となった南ゴーディエ地方の領都に居を構え、領地経営に励んだ。

 もともとこの地方は王国でも最上級の小麦が収穫される穀倉地帯だったが、大公はその平坦な地形と、王都にも港にも程よく近い利便性に着目し、収穫された小麦の流通経路の改革に努めた。

 街道を整備して馬車の往来を促し、港は大型船が停泊できるよう拡張した。

 その結果、領都はまず小麦を始めとした農作物の取引の拠点として発展を遂げていった。


 一方、兄である国王から託された鉄鉱石の鉱山の経営は、当初なかなか計画通りに進まなかった。その度に大公は私財を投じて、大公家の資産がかなり危機的状況に陥りかけたことも一度ならずあった。

 だが王都でフィッツジェラルド商会を引き継いだエルヴィンの助けも借りつつ何とか持ち直し、大公領となって十年余り後にはある程度安定した産出量を保証できるところまで漕ぎ着けた。その頃、折からの大陸全土で急速に進んだ鉄道の敷設に伴って鉄の価格が高騰し、南ゴーディエ地方の経済は爆発的に発展した。


 ちなみに王があと二、三年と予言していた伯爵領は、その予言通り、大公夫妻の結婚後四年余りで破産し、売りに出された。

 大公は自ら交渉に出向いて、既に酒の飲み過ぎでほぼ廃人のようになっていたマテオ・オルフェウス伯爵から爵位と伯爵領を破格の値段で買い取ると、その年の大公妃の誕生日の贈り物とした。


 数年ぶりに両親の墓所を訪れることができた大公妃は、夫の腕の中で号泣したという。


 またフィッツジェラルド大公は新しい技術を積極的に取り入れることによって領地の市民生活を向上させた。前述の鉄道はその最たるもので、王国の最初の鉄道路線は領都と王都を結ぶものだった。他にも上下水道や電信・電話といったものから教育制度、幼児の予防接種に至るまで。当初は変化を恐れる領民からの反発も少なくなかったが、大公の粘り強い努力の結果、領都は王国で最も生活水準の高い近代的な都市となり、国内外から多くの人々が視察に訪れるようになった。


 やがて、政治や外交の中心は王都、経済や文化の中心は領都と、この二つの都市はまるでそのあるじである兄と弟との関係のように、互いに協力し合いながら王国の屋台骨となっていく。


 そして大公領となって二十年目の節目の年に、領都は正式に王国の副都に制定された。

 新しい副都の名は、ローレンシア。

 ……そう、全領民が心から敬愛して止まない、領主フィッツジェラルド大公のファーストネーム、ローレンスに因んだものである。


 リリアーヌ大公妃もまた、大きな功績を残した。

 彼女は実母が集めたゴーディエ地方の刺繍の断片的な資料を整理し、この地方の伝統工芸の保護と発展に大きく貢献した。

 当初は大公妃一人での地道な調査であったが、やがて一帯の刺繍職人や工芸ギルドの協力を得て、ゴーディエ地方は国内随一の染織、刺繍産業の集合地帯となっていった。

 大公妃は二十数年という年月をかけて各地に散逸した情報を学術的に纏め上げ、最終的に『南ゴーディエ地方の染織・刺繍・服飾工芸』という名の書物を出版するに至った。

 それは箔を押した革の表紙に、小口にもたっぷりと金を塗った豪華な装丁の四冊組、という本格的な図鑑で、しかも全ての項目において実物のサンプラーが添付されているという非常に手の込んだものであった。

 五十組限定で出版されたこの図鑑の初版本のうち、大公妃は通し番号の『一号』を王室に献上、『二号』は大公家に置き、三号から五号までの三組は領都の公文書館に寄贈した。

 そしてこの五組は現在に至るまで完全な形で保管されており、服飾や工芸の道に志す全ての人々にとって、一度は実物を手に取って見てみたいと思わせる垂涎の的となっている。


 フィッツジェラルド大公は生涯を通じて、豊かな黒髪と灰緑色の瞳を持つ美しいリリアーヌ大公妃を心から愛し、慈しんだ。

 ダンスや芸事はからきし苦手だが乗馬の名手であった大公は、領地に滞在中の最大の楽しみとして、しばしば妻を伴って遠乗りに出かけた。

 夫妻は王族として王都や王国各地で公務にあたることも多く、自領で生活できるのは一年のうち三ヶ月足らず、ということも少なくはなかった。だが彼らはその短い期間中、常に領民に寄り添い積極的に触れ合う機会を設けた。

 相変わらずの黒い三つ揃いの大公と、グレーの乗馬服に身を包んだ大公妃。馬に跨った二人の姿を認めると領民の誰もが皆仕事の手を止め、帽子を脱いで二人に敬愛の意を示したと多くの書物に記載が残っている。


 また夫妻は四男三女という子宝に恵まれた。

 大公家を訪れた人々は、見上げるような長身に、左の頬には大きな赤黒い傷痕という、一見恐ろしい風貌の大公殿下が庭で子供達にもみくちゃにされ、泥だらけになりながら満面の笑みで一緒に走り回って遊んでいる姿を見て皆驚愕したという。


 罪の子の烙印を背負って生まれ、悪徳高利貸しの汚名を着ることを自ら選んだ王弟。

 家名のために傷つけられ尊厳を踏み躙られ、怯えて俯いてばかりいた伯爵令嬢。


 ともに痛みを抱えた二人が出逢って恋に落ち、やがて全てを手に入れていった数奇な運命の物語は、今なお人々の間で語り継がれている。


 導く者と照らす者、として。



《本編:完》おまけに続く



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