レオ3世の治世八年目の春、王国に激震が走った。
国王の腹違いの弟の存在を、王自らが公表されたのだ。
先王の過ちとその結果をすべて白日の下に晒し、今まで平民として生きてきた王弟を王族に加えて大公位を与えるという。
それだけでも貴族にとっては十分過ぎるほど驚くに値することであったが、更にその
その名は、ローレンス・フィッツジェラルド。
「へ、へ、陛下、今なんと仰いました? フィッツジェラルドとは……
「無礼者。王弟であるぞ。
議会のあちこちから上がる素っ頓狂な声をレオが一喝した。
「陛下、畏れながら申し上げます。弟君を思いやられる陛下のお気持ちには感服いたします……が、フィッツジェラルド……
「何が問題だ?」
議長が額に浮かんだ冷や汗を拭いながらレオに翻意を求めたが、王は歯牙にもかけない。
「いえ……あの、もちろん国王陛下の実の弟君であらせられるのであればフィッツジェラルド……様も人品卑しからぬお方であろうとは思いますが、ただなにぶんご生業が……大公位にふさわしからぬのでは……」
「ほう、議長。では聞くが大公位にふさわしい
「そ、その……」
レオは議場を見渡すと声を張り上げた。
「皆に訊こう。この中でフィッツジェラルドから一度も金を都合してもらったことはないと胸を張って言い切れる者はおるか? 我こそはという者あれば名乗り出よ」
皆お互いにきまり悪そうに顔を見合わせ、王と目を合わせようとする者は一人もいない。
「誰もおらぬのか?……なるほど、皆フィッツジェラルドからの助けは欲しいが彼自身に敬意を払う必要はないと考えておるのだな。彼が今まで平民として生きてきたのは我が父が己の罪を息子に背負わせたが故であって彼自身の
「……畏れながら陛下、発言をお許し頂きたく存じます」
一人の貴族が立ち上がった。
「許可する、ベルルッティ子爵」
ベルルッティ子爵と呼ばれた貴族は王に一礼すると話し始めた。
「陛下、私の考えは皆と少々違っております。私も恥ずかしながらフィッツジェラルド殿から
議場のあちこちから拍手が起こった。ベルルッティ子爵は勝ち誇った顔で席に着く。
だが国王は余裕たっぷりだ。
「そうか、ベルルッティ子爵。皆の言うことは良くわかった。……では仕方ない、我が弟とその養父が二代にわたっていかに王室と王国に貢献してくれたか、話さずばなるまいな」
続いてレオの口から語られた真実に、貴族達は更に驚愕するのだった。
話は数日前に遡る。
その日ローレンスは以前から参画している新しい商船の建造にまつわる委員会に出席すると言って退出し、国王の私設応接間には王とリリアーヌが残された。
しばらく叙爵式の細々したことや近況報告などを話した後で、リリアーヌはずっと気になっていることを思い切って切り出してみた。
「お
「何だい?」
もう最近では諦めてお義兄さまと呼ぶようにしている。でないとレオの機嫌が悪くなるからだ。
「ローレンスが王室と国家に貢献しているとお義兄様はいつも仰いますが、彼は一体何をしているのでしょう。わたくし商会のことなら多少は理解しておりますが、その……」
「高利貸しのこと?」
レオはさらりと言ってのけた。
「そうだね、もう話してもいい頃だね。確かにローレンスの裏稼業は高利貸しだ。それも貴族相手には特に法外な利息で金を貸し付ける。でも実はその利益はローレンスの懐には一切入っていない。じゃあどこへ行くかというと、主に我が国の防衛費として使われているんだ。現金だけじゃない。彼が所有している港には大型船を建造できるドックがあるから、そこを秘密裏に借りたりもしている。もちろん無償でね」
「防衛費、と仰いますと?」
レオはまたしても事もなげに答えた。
「そうだな、今までで一番大きかったのは……軍艦だね」
「軍艦!?」
リリアーヌが漠然と思っていたことより遥かに規模の大きな話だった。
「そうだよ、凄いでしょ?」
「……兄上、話を盛るのはお止め下さい」
後ろからいつもの低い声が聞こえてきて、振り向くとローレンスが立っていた。
「ローレンス、委員会は終わったのか」
「
そう訂正しながらリリアーヌの隣に腰を下ろすと、素早く頬に唇を寄せる。
「お熱いことだねえ、毎度」
レオのニヤニヤに顔を赤くしたリリアーヌだが、それよりも軍艦の話が気になって仕方ない。
「あの、軍艦一隻の建造費の半分でも莫大な金額になると思うのですが」
「ああ、だから取り立てた利息を少しばかり運用した。残りの半分は戦争債で賄った」
「その戦争債だって結局はほとんどお前の銀行で引き受けてくれたじゃないか。一隻出したのと同じだよ」
「そうそうその件ですが兄上、次はありませんよ。もうあんな危ない橋を渡るのは二度と御免です。勝ったから良かったものの」
三年前、隣国との海戦が勃発しそうになった時、ちょうど計画中だった軍艦の建造が資金不足のため暗礁に乗り上げてしまっていた。海軍は頭を抱えた。この軍艦は勝利のためにはどうしても必要なものだったからだ。そこでレオがローレンスに相談したところ、黙って資金と建造ドックを提供してくれたのだという。
「正直、あの軍艦が間に合わなかったら負けていたよ」
「ローレンス一人でやってのけたのですか?」
「ああ。あの時貴族達にも寄付を募ったけれど、賛同する者はごく僅かしかいなかった。本来なら彼らが先頭に立って国家のために働かなければならないのに」
「それが俺が高利で貴族に金を貸す理由だよ。もっともこの方法を最初に考え付いたのは親父だが。皆、国家のために出す金はないが私利私欲のための金は借金してでも欲しい。だったらそれを利用させてもらおうじゃないか、とね。俺はその利息を運用して更に増やすことを追加しただけだ」
この事実をレオが議会で公表すると、貴族達は皆沈黙した。
「確かあの時私は皆に頭を下げて国家の危機を救ってほしいと頼んだはずだ。だが資金を提供してくれる者も戦争債を購入してくれる者もほとんどいなかったと記憶しておる。彼が私利私欲のためだけに悪徳高利貸しの汚名を着ていた訳ではないということが良くわかっただろう。して諸君はどう思う? 我が弟のように王室と国家のために名誉を捨てて尽くすことができる貴族が果たしてここに何人いるだろうな?……皆、恥を知れ!」
誰も反論できる者はいなかった。その後形だけの採決が取られたが、反対票はほとんど出なかった。更にレオの口からローレンスの顔の傷の理由が語られるともう誰も何も言えなかった。
こうして高利貸しローレンスがフィッツジェラルド大公となることが正式に決まったのだった。
もちろん表立っては誰も何も言わないが、内心では皆不満と不安が渦巻いているであろうことはレオにも容易に想像できた。
だが王もやはり策士であった。今回の件で貴族達の最大の心配事はただ一つ、自分の借金がどうなるのかということだけであることをちゃんと見抜いていた。
国王は今後ローレンスはもちろん金貸し業からは距離を置くこと、またそれにあたって今自分が管理している貸付金を整理する考えであることを伝えた。その上で貴族達にこう告げた。
大公位叙爵の勅令が発せられるまでであれば返済義務は元金のみとする。その間の利息の支払いは免除され、また借金の内訳についても一切を不問に処す。そしてその回収金は全て国庫に納められ、ローレンスは一切の利益を供与しない、とも。
この提案にローレンスから金を借りていた貴族達は胸を撫で下ろし、皆競うように金を工面して元金を国家に納めた。それと同時に一部の貴族からローレンスの利殖の才や国家への貢献をもっと正当に評価すべきとの声が上がり始め、宮廷の風向きは少しづつ変わっていった。
そしてついに全国民に向けた勅令が発せられ、王弟ローレンス・フィッツジェラルド大公殿下が誕生したのだった。