その後いくつかの決め事を片づけると、ようやくリリアーヌは落ち着いて兄と弟をじっくりと眺めることができた。
「さっきから僕とローレンスを交互に見ているけれど、どうかした、リリアーヌ嬢?」
レオに問いかけられて我に返る。
「……こうして近くで拝見しますと、やはり似ておられます」
確かにレオとローレンスは似ていた。
髪と目の色が違うのと、レオは優し気、片やローレンスは眼光鋭いため一見では気づかないが、よく見ると額から鼻にかけての線や顎の輪郭などがそっくりだ。
「子供の頃はお互い母親に似ていたから、あまり共通点がなかったんだけどね。最近似て来たな、ローレンス」
「そうでしょうか」
「つれないなあ全く。まあいいさ、叙爵の時にはお前の嫌いなガチガチの大礼服を着せてどこからどう見ても大公殿下に仕立ててやるから……と、そうだ、リリアーヌ嬢」
レオは冗談めかして言うと、思い出したようにリリアーヌのほうを向いた。
「はい、陛下」
「お、に、い、さ、ま、だ。それはさておき、リリアーヌ嬢は社交界には出ていなかったと聞くが、間違いないかい?」
「何故それを……?」
首を傾げるリリアーヌに、レオはさも当然といった様子で答えた。
「少々調べさせてもらった。リリアーヌ嬢、貴女は大公妃となる訳だが、そうなれば当然宮中で生活することになる。宮中は礼儀作法やしきたりにうるさいが、ご実家でそういった教育は受けられたか?」
来たか、とリリアーヌは身の引き締まる思いがした。
宮廷は厳然たる身分社会だ。
リリアーヌは顔を上げて、レオを正面から見据えて決意を告げた。
「お恥ずかしい話ですが、正式な礼儀作法は身に着けておりません。これを機にきちんと学びたいと思っております。どなたか教えを請える方にお引き合わせ頂けませんでしょうか」
「そう言ってくれると思ってたよ。格好の人物がいるから紹介しよう」
まさにその時、部屋のドアがノックされて、優美な声が響いた。
「お話はお済みかしら、レオ?」
「ああ、入ってくれ」
その声を聞いたローレンスは扉が開くと同時に立ち上がって片膝をついた。リリアーヌも慌てて腰を折る。
「いらっしゃい、ローレンス」
「ご機嫌麗しゅう、王后陛下」
「もう、堅苦しい挨拶は止してといつも言ってるでしょう。それより、こちらが婚約者の方ね? どうぞお立ちになって」
(王后陛下までお出ましだなんて……)
恐る恐るリリアーヌが立ち上がって顔を上げると、そこには輝くばかりの気品に満ちた女性が立っていた。
少し赤味のある金色の髪に、透けるような白い肌。瞳の色は薄いブルーで、ほっそりと背が高く、明るい紺色のシルクのドレスを身に纏っている。年の頃はリリアーヌより十歳ほど上といったところだろうか。
「リリアーヌ嬢、紹介するよ。妻のユージェニーだ。ユージェニー、こちらはリリアーヌ・オルフェウス伯爵令嬢。じきに大公妃になる」
レオがユージェニーの腰に手を回して言うと、王后はにっこりと微笑んだ。リリアーヌは再び腰を屈めて頭を下げた。
「お初にお目にかかります。リリアーヌでございます。王后陛下にはご挨拶が遅れましたこと、お詫び申し上げます」
「ユージェニーよ、よろしく。……それにしてもまあローレンス、貴方も隅に置けない人ね。こんな可愛らしい方、今までどこに隠していたの?」
王后はリリアーヌににっこりと微笑みかけると、ローレンスのフロックコートの袖を引っ張って問い詰めた。
「恐れ入ります、王后陛下」
「ねえ、リリアーヌ様、わたくしずっとお会いしたかったのよ。なのにローレンスったら、いつ婚約者に会わせてくれるのか何度訊いても、いつも"恐れ入ります、王后陛下"しか言わないんですもの。実は婚約者というのはローレンスの妄想なんじゃないかと思いかけていたところよ」
そう言い放つと朗らかに笑う。リリアーヌはその自由でいながら気品と威厳溢れる姿に完全に圧倒されてしまった。
「それでレオ、わたくしはこの方を大公妃にふさわしい貴婦人に磨き上げれば良いのね?」
「……え!?」
リリアーヌは心臓が飛び出しそうになった。だがレオはうんうんと頷いている。
「リリアーヌ嬢は社交界に出たことがないそうだ。一通りの礼儀作法は身に着けておられるが、貴女のように宮廷の煩いネズミどもをひれ伏させられるに足る振る舞いと、宮廷儀礼を教えて差し上げてほしい」
「へ、陛下。まさかとは思いますが、王后陛下御自ら、わたくしのために……?」
「ええ、そうですわ。何か問題がありまして?」
レオが答える前にユージェニーがきっぱりと答えた。リリアーヌは眩暈がしてきた。助けてくれと横にいるローレンスに視線を送るも、気づいてもらえないようだ。
「リリアーヌと呼ばせていただくわ。リリアーヌ、
「は、はい」
「わたくし達のような立場の人間が公の場で絶対にしてはならないことが何か、お分りになる?」
思いもよらない質問を投げかけられてリリアーヌは必死で考えを巡らせた。その時、脳裏に幼い頃実家で共に暮らした祖母の常に完璧な貴婦人としての姿が蘇った。
「失敗すること、でしょうか」
ユージェニーはそれを聞くとほう、という顔をしてから笑顔になって言った。
「なかなか良い視点をお持ちだけど、残念ながら及第点ギリギリね。失敗するのは避けられないことです、たとえ王族であっても。本当に重要なのは、周りに失敗したと悟らせないこと。もっと言うと、失敗して動揺していると思わせないことよ」
レオが横から口を挟む。
「どうだい、リリアーヌ嬢、なかなか良い教師だろう?」
「でも、王后陛下直々に教えを賜るなど、畏れ多くて……」
リリアーヌがなおも遠慮がちに呟くと、ユージェニーのはっきりとした声が響いた。
「はい減点。リリアーヌ、遠慮はお止めなさい。それからすぐに俯くのも、語尾をはっきりさせないのもダメ。これから貴女は人を操り、動かし、利用する立場になるのです。貴女が望む望まないに関わらず。今の貴女に必要なことを教えるにあたって、わたくし以上の適任者はこの国にはおりません。わたくしに教えを請うだけでなく、わたくしから盗むの。そして愛する人と共に陽のあたる道を歩むのよ。貴女がそれを望んだのでしょう? ならば、逃げることは許しません」
「わたくしに出来るでしょうか……」
「出来る出来ないではありません、やるのです」
ユージェニーはリリアーヌの迷いを断ち切るようにぴしゃりと言い、その後すぐに笑顔で続けた。
「大丈夫よ。わたくしに任せなさい。それに貴女には美しさという天から授けられた最大の武器があります。ご自分を幸運だとお思いなさい。叙爵式の場で貴女を見て慌てふためく貴族達の顔が楽しみね」
隣で全てを聞いていたローレンスは、リリアーヌの顔つきがはっきりと変わってきたのを感じ取った。リリアーヌは立ち上がると、ユージェニーに深々と礼をして言った。
「王后陛下、お言葉、しかと承りました。陛下のご厚情にお縋りいたします。わたくしをこの宮廷で生きていける人間に導いて下さいませ。全て、陛下の教えに従います」
「リリアーヌ、貴女の決意、受け取りました。わたくしは厳しいですよ。覚悟なさい」