執務室に残されたローレンスとリリアーヌは、この膠着状態をどう脱しようか、お互いにとても困っていた。
リリアーヌがそっと上目遣いに様子を窺うと、ローレンスは片手を額に当てて扉にもたれたまま微動だにしない。
どうにも沈黙に耐えられなくなったリリアーヌがおずおずと声をかけた。
「あの……ローレンス様……お座りになりませんか? その……立ち話も何ですから……」
「あ、そ、そうだな……」
ローレンスがごそごそと大きな身体を動かし、元の肘掛け椅子に座り込むと、またリリアーヌが声を掛けた。
「お茶を淹れ直しましょうか?」
「……いや、茶はいい……それよりそこのキャビネットにあるブランデーを頼む……」
頷いたリリアーヌがキャビネットからデキャンタを取り出し、グラスにブランデーを注いで渡すとローレンスは一気にあおる。それで正気に戻ったのか、ふうっと溜息をついた。
「貴女も飲むか?」
「……いただきます」
ローレンスから受け取ったグラスに少し残っていたブランデーを喉に流し込むと全身がかあっと熱くなったが、それは初めて口にするアルコールのせいなのか、ローレンスと同じグラスで同じものを呑んだせいなのか、自分でも良く分からなかった。
「ブランデーなんて初めてです」
「強いから、一口だけにしておきなさい。調子に乗ると後から来る」
さっきグラスを受け取る時にローレンスの指が触れたことにふと気づいて、リリアーヌは動悸が激しくなった。
グラスをテーブルに置くとローレンスの前の床に座り、顔を覆っている両手にそっと触れる。
「……ローレンス様、わたくしを見て下さい」
「……無理だ」
「駄目です、その手をどけて、わたくしを見て? ね?」
両手首を掴んで、強引に手をおろす。ローレンスはされるがままだ。そこから出て来たローレンスの顔は、困惑と、恥ずかしさと、ほんの少しの期待が入り混じったような、今まで見たことのない表情をしていた。
リリアーヌの動悸が更に激しくなる。
ぼそっとローレンスが呟いた。
「みっともないところを見せてしまったな……」
「そんなこと思いませんわ」
「コンスタンティンの奴……」
「ローレンス様」
「何だ?」
「さっき仰ったこと、本当ですか?」
「……」
「ね、聞かせて?」
「……」
「お願い、ローレンス様?」
ようやく心を決めたのか、ローレンスが顔を上げた。
「本当に決まってるだろう」
リリアーヌの唇が震えた。
「それなら、どうして出て行けなんて仰ったの?」
「俺は貴女に愛していると言う資格がない。こんな世間から蔑まれるやくざな悪徳高利貸しの、こんな醜い傷のある……」
「やくざな悪徳高利貸しで顔に傷があると、人を愛してはいけないのですか?」
「それは……」
「それならわたくしは伯爵夫人の身で街金から借金をして、夫がある身で独身の殿方の家に住み込みで働いて、あげくに婚家から離縁状を
「貴女はそんな人ではないよ」
「貴方もです」
ローレンスがはっとした顔でリリアーヌを見つめた。
「世間が何と言おうと、わたくしは貴方を知っています。貴方は強くて、優しくて、正義感溢れる立派な方ですわ。お仕事やお顔の傷が何だと言うの」
「リリアーヌ……!」
リリアーヌの目が潤む。
「やっと、名前だけで呼んで下さいましたわね……あの日もそうやって呼んで、わたくしを絶望の淵から引き戻して下さいましたわ……」
「リリアーヌ……リリアーヌ……俺は……」
「もう一度仰って下さい、ローレンス様。コンスタンティン先生にもアランさんにも聞こえないよう、わたくしだけに聞こえるように」
ローレンスの震える両手がリリアーヌの頬を包み、顔を上げさせた。そして、ゆっくりと言った。
「愛している、リリアーヌ」
「ローレンス様……!」
いつの間にかローレンスも椅子から床に降り、リリアーヌを抱き締めていた。熱に浮かされたように繰り返す。
「愛している、愛している、リリアーヌ……もうずっと前から……貴女を愛している……」
「もっともっと聞かせて、ローレンス様。今までの分も……」
「ああ、何度でも言おう。リリアーヌ、愛している……」
そしてそっと顔を離すと、指でリリアーヌの涙を拭いながら、遠慮がちに尋ねた。
「訊いてもいいか?」
「何でしょうか?」
「俺は貴女を愛しているが、その……俺からも貴女に愛を
リリアーヌは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに頬を染めて答えた。
「もう、ローレンス様ったら、どうして分かって下さらないの?……お慕いしています、ずっと前から。誰よりも、お慕いしています……だから、もう離さないで」
「ああ。離すものか」
二人の視線が絡み合うと、リリアーヌが目を閉じた。ローレンスの唇がリリアーヌの唇をそっと捉えた。
一瞬だけ触れ合うとローレンスは唇を離したが、リリアーヌの上気した顔を認めるとすぐに今度はより深く、激しい口づけを交わしたのだった。